戦士だった男
ひったくり犯は衛兵にしょっ引かれていき、女性は無事にハンドバッグを取り戻した。
お礼を言う女性に、義足の男は大したことはないと手を振る。
女性を見送った後、ガウクとミマネは男が濡れた義肢を乾かすのを手伝った。
「ああ、くそっ」
噴水のへりに腰掛けた男は、義足を外すと悪態をついた。義足をひっくり返すと、中に溜まった水がびしゃびしゃと地面に流れ落ちる。
「こんなことなら水除けの魔法をかけておくんだったな」
「あ、私ハンカチありますよ」
「いや、いい、いい。魔法で乾かすよ。そういえば、モモはどこ行った?」
「あー分かんないです。多分逃げたんだと思いますけど」
「猫たちには悪いことしたな。後で様子を見に行くよ」
そう言いながら男が左腕も取り外したので、ガウクは驚く。
黒い右腕が義手だということには気がついていたが、左腕まで義手だとは分からなかった。肌の色と溶け込んだそれは、本物の腕のように見える。
男は石畳の上に義肢を並べると、黒い右手をその上にかざす。
義肢を濡らしていた水は複数の丸い水滴の粒となって義肢から浮かび、手のひらに吸い込まれていく。
すべての水滴を吸い終えると、男は腕を下ろした。
「よし」
地面に並んだ義肢を見て、溜め息をつく。
「それで今度はまたこれを装着しなおさにゃならんわけだ。すまんな、ミマネ。ちょっと時間をもらうよ」
男は今度はガウクに目を向ける。
「その間に、紹介してもらってもいいかな。こちらは──?」
「ああ! こちらはガウクさんです。昨日街に来たばかり。召喚魔法の使い手で、長年魔王討伐の旅をしていました」
「魔法討伐の旅?」男は興味を引かれたようだ。「へえ。選抜チーム?」
「い、いや、野良チームです。一般応募の」
ガウクはどきどきしながら答える。
ミマネは続いて男のほうに身振りをした。
「で、こちらはアンセルさん。さっき言ったように、対魔王特別部隊の隊長をしていました」
「はじめまして」
アンセルはガウクに向かって右手を差し出す。
「初対面でいい印象を残せたことを願うよ。かなり地味な登場になっちゃったからな」
そう言うと、アンセルは悪戯っぽくウインクをする。
いやいやインパクトは十分でしたけど。
心の中でつぶやきながら、ガウクは男と握手する。
黒い義手はガウクの手をしっかりと握る。ガウクは改めて、これから仲間になるかもしれない男の顔を観察した。
精悍な顔つきにがっしりとした体つきは、まさに戦士という印象だ。短く刈り込んだ黒髪に、無精髭を生やしている。年齢は40代くらいに見えた。
両足は膝から下が無い。左腕は肘の上で切断されていた。
「それで? 今日俺をここに呼び出した理由は?」
おい、まさかまだ何も伝えてないのか?
不安にかられたガウクは素早くミマネの顔を見る。ミマネは「大丈夫ですからここは任せてください私がなんとかしますんで」という表情でキッとガウクを見返す。
「えっと、前にも一度お話しした魔物の残党狩りチームの話なんですけど」
アンセルはぴたりと手を止めた。
「ミマネ……」
呆れとも諦念ともつかない感情を込めて、アンセルはミマネを見上げる。
「その話、まだ諦めてなかったのか」
「もちろんですよ! アンセルさん、素人とは組まないって言ってたでしょ。だから素人じゃない人を連れてきたんです。ほら」
有名な絵画でも紹介するみたいに、ミマネは両手でガウクを指し示した。
「ガウクさんは10年以上、チームリーダーとして一人の仲間も失うことなく旅を続けてきためっちゃ遣り手の冒険者なんですよ。ね?」
「エッ!? うんまあ一応リーダーではあったけど、遣り手かどうかは──」
「ほう、それは立派なもんだな」
アンセルが感心する。
「でしょう? ね、だから一緒にパーティーを──じゃないや、チームを組みましょう! ガウクさんとアンセルさんがいたら、向かうところ敵なしです」
ミマネの熱意あふれる言葉を、アンセルは黙って聞いていた。
しかし首を横に振ると、きっぱりと「駄目だ」と言う。
「悪いけど、他の人をあたってくれ」
「そんな……」
「俺はなにも、お前とチームを組むのが嫌だから言っているわけじゃないよ」
アンセルは表情を緩め、優しい口調で言う。
「お前の実力はよく知ってる。お前のような優秀な魔法使いなら、誰と組んでも良い結果が残せるだろう。なにもわざわざ俺と組む必要はないんだ」
アンセルはちょこちょこと左腕を動かして、丸くなった切断面をガウクたちに向けて見せる。
「ちょっと前までは自分でケツ拭くのも無理だったからな。俺が思うに、魔物退治はケツ拭くよりもすこーしばかり難易度が高い」
冗談めかして言い、ガウクを見る。
「戦闘経験のある人がここに一人いるわけだし、あとはお前の友達でも一人誘えばいいさ。それで参加の条件は整うんだろ?」
確かに、とガウクは思った。なにもアンセルにこだわる必要はないだろう。
彼が一流の戦士だったというのは間違いないのだろうが、今はもう昔のように戦えないというのもまた事実だ。
特に本人に参加の意思がないのであれば、無理に誘う必要もないのではないか。
しかし、ミマネは違う意見を持っているようだった。
「でもアンセルさん、まだ戦士の仕事に戻るのを諦めてないんでしょ?」
アンセルは虚を突かれてミマネを見上げた。「何?」
「だって、その腕」ミマネは黒い義手を指差す。「どう見ても、日常生活用じゃないですよね?」
ガウクは義手を見る。
魔法はその精度や強さによって色が違うが、黒は高度な魔法を示す。黒く光るその義手には、かなり高度な魔法が使われていると言って間違い無いだろう。
ミマネの鋭い視線がアンセルを射抜く。
「ハイグレードの魔法で作られてる。素材にドラゴンの皮が使われていますよね? 他の義手とは違って簡単には取り外しできないみたいだし、もしかして神経に直接つながってます?」
「どうしてそれを──」
アンセルは言いかけて、何かを悟ったような顔になる。「調べたのか」
「はい。あと、ニイナ先生にも聞きました」
「ニイナのやつ」アンセルはうめく。
「その義手、戦闘で使えるようにカスタムしてあるんですよね? 目玉が飛び出るようなお金がかかったって先生言ってました」
「一応、補助が出たけどな」アンセルはつぶやく。「全額補助にはならなかったんだな、これが」
「他にも先生、言ってましたよ。裏庭で毎日、剣を振ってるんですよね?」
「それはまあ」
アンセルは顔をしかめる。
「エクササイズだよ。別に、実戦を想定しているわけじゃない」
「信じません」
「何?」
ミマネはその眼力をぎゅっとアンセルに集中させて、力強く言い放つ。
「信じません。現場の鬼と呼ばれたあのアンセル隊長が、最先端の上級魔法を使った義手を手に入れてそれを試してみたくないわけがないと思います」
「もしかしたら」
アンセルは軽い口調で言う。
「俺はその最先端の義手を使って単にガーデニングを楽しみたいだけなのかもしれない」
「アンセルさん、前に庭仕事するくらいなら死ぬって言ってたじゃないですか。嘘つかないでください」
両手を腰に当てて、ミマネは言い放つ。
「とにかく、私は諦めませんから。なんとしてもチームに加わってもらいます。そんなわけで」
ミマネは勢いよく振り向く。
「ガウクさん、あとはお願いします」
「へ?」
「私はモモを探しに行ってくるんで。私が帰ってくるまでに、アンセルさんを説得してください」
「え、ええ?」
「頼みましたよ。それじゃ」
ミマネはその場でくるりと宙返りをすると、一匹の小さなスナネコに変身した。
最後に二人をじっと一瞥すると、とことこと駆けてどこかへ行ってしまう。
残された二人は、目を丸くして顔を見合わせた。
♦︎ ♦︎ ♦︎
「ミマネは本当にいい子でな」
右足のソケットをはめなおしながら、アンセルは言う。
「昔からしっかり者だったよ。あの歳であそこまで自分をしっかり持っているってのは、なかなか誰にでもできることじゃない」
「ああ、それは俺もそう思います」
なりたい自分を裏切りたくない、と言ったミマネのゆるぎない瞳をガウクは思い出す。
「昨日会ったばかりですけど、ミマネさんには助けられっぱなしです」
「正義感も人一番強いやつだからな。人助けせずにはいられないんだ、あいつは」
アンセルは目を細めて苦笑する。
「多分、俺をチームに入れようとしているのも同じ理由からだ」
「え?」
「人助けだよ。ミマネから聞かなかったか? 俺の女房があいつの先生だったんだ。ミマネが子どものころのな」
片方の義足を拾い上げ、慣れた手付きで右足にはめる。
「世話になった恩師の旦那だから、助けてやりたいと思ってるんだろうさ。なにしろ、ミマネの学生時代はなかなか大変だったらしいからな」
アンセルは眉をひそめる。
「魔物の子どもとうちの子を一緒に通わせないでほしいって親が怒鳴り込んできたって話を聞いたことがあるよ。そんな中でもうちの女房は徹底してあの子の味方だったから。恩を感じてるんだろ」
先生とは卒業してからもやりとりをしている、というミマネの言葉をガウクは思い出す。
先ほどホテルのレストランで聞いた話も踏まえると、ミマネの生まれに偏見を持たない大人が身近にいてくれたことは、学生時代の彼女にとって大きな助けになったことだろう。恩義を感じるのも頷ける。
アンセルは左足にとりかかる。噴水には、先ほど散り散りに逃げて行った水猫たちがようやく戻りつつあった。モモの姿は見当たらない。
「20歳そこそこの子に気遣われてるってのも情けないもんだな。まあ、この身体じゃ仕方がないけどな」
そんな言葉に、ガウクはなんと応えればいいのか分からず困った。
しかしミマネに頼まれたことを思い出し、なんとかアンセルの気を変えようとする。
「でも、その腕は」
ガウクは黒い義手に目をやる。
「戦闘用にカスタムしてあるんですよね? もし魔物と戦うつもりがないのなら、なんのために?」
「リハビリのため──って言っても、信じないか」
アンセルは左足を装着し終えると、両足を軽く振った。
黒い魔法のきらめきと共に、ランニングブレードは一瞬で歩行用の義足に変わる。
「手足を失った直後はな、もう絶望どころの話じゃなくてな」
アンセルは手を止めて、義足を見下ろす。
「なんで生き残ってしまったんだろうって思ったよ。こんな体で生きるくらいなら死んだほうがマシだったってな。ところがどっこい」
アンセルは右手を振ってみせる。
「意外となんとかなるもんだ。それもこれも、この義手のおかげだよ」
黒い右手は、太陽の光を反射してきらりと輝く。
「政府から最新の義手を支給してもらえた。これのおかげで、もう二度とやれないだろうと思っていたことも、またやれるようになったんだ。魔法と医療と、神に感謝」
アンセルは人差し指にキスして空を見上げる。
「あと、カミさんにもな。女房がいなかったら、どうなってたか分からない」
そう言って快活に笑う。
そんなふうに笑えるようになるまで、どれほどの苦難があったのだろう。ガウクには想像もできなかった。
「それで、欲が出てな。もしかしたら現場に戻れるんじゃないかなんて、そう思って義手を改造してもらったんだ。けど魔法にも医療にも、限界はある」
アンセルは黒い義手を見つめた。
「毎日剣を振ったところで、もう二度と昔の俺には戻れない。そのことを毎日まざまざと思い知らされてるよ」
溜め息をつくと、ガウクを見上げる。
「だから、そうだ。魔物と戦うつもりでこの義手をカスタマイズしたのは事実だが、俺はもう昔のようには戦えない。ミマネには悪いが、チームを組むことはできないよ」
「そうですか……」
ガウクにはそれ以上のことは何も言えなかった。
アンセルは左の義手を嵌め直すと、気を取り直したようにぽん、と膝を叩く。
「ところで、昨日この街に来たばかりって言ってたか?」
「え? ああ、そうです」
「じゃあどこも観光する暇なんてなかっただろ。良い飯屋なら山ほど知ってるから、案内するよ」
「あ、ありがとうございます」
「魔物狩りのためにわざわざこの街に来てくれたんだろ? 少しはおもてなしさせてもらわないとな」
いやあ本当は死ぬためにこの街に来たんですけどねハハハ──とはガウクは言えなかった。
相手は明らかに壮絶な体験をした──それこそ死ぬような経験を乗り越えてきたであろう人だ。
その人の前で、魔王が死んで夢を失ったので借金こさえて死ぬことにしましたとは言えない。絶対に言えない。
「まだ若いのに、10年以上のキャリアがあるなんて大したもんだな」
「いや、実は俺はもうそんなに若くないんですよ──」
完全に世間話に突入する雰囲気になっていたところで、不意に猫の鳴き声が聞こえてきた。
「おう、ミマネ」
2人が鳴き声の方向に顔を向けると、人間の姿に戻ったミマネがモモを抱き抱えているのが見える。
「早かったな」アンセルが声をかけるが、ミマネの青ざめた顔に気がつく。
「なんだ。どうした? 何か──」
モモの姿を見たアンセルは、言葉を切る。次いでガウクがモモの異変に気がつくのに時間は掛からなかった。
猫の耳は、片方が大きく欠けてしまっていた。もともと耳がついていた部分は大きく削げ、そこから細いひびが稲妻のように走っている。
さらに目を引いたのは、体に走った大きな亀裂だった。そこからは黄色がかった光が漏れている。
裂け目から小さな光の粒が漂い、空へと昇って行く。まるでモモの魂が体から脱け出しているようだった。
「ああ、なんてことだ」アンセルが焦った声を出す。「モモ」
ミマネの腕の中で、大理石の猫は悲しげにみゃう、と鳴いた。




