特別編その5:抱え続けた幼き日の悔恨と、解けないわだかまり
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いつも温かい応援とご愛読をいただき、本当にありがとうございます!
私は今年、2026年7月1日に初めての小説『最期の隣人——看取り屋の私が、見届けたもの』で執筆活動をスタートいたしました。
自由気ままに色々な物語を書きながら、現在は『夏のタイムカプセル』『多摩の土手と、四葉の約束』『縁側のひみつ茶屋』『理想のおうち』『妖怪つぶやきシリーズ』『大正浪漫なスチームパンクの蒸気都市で、ドラッグストア機能とポイントを駆使してスローライフを送ります』など、様々な世界を皆様にお届けしております。
最初にペンを執ってから、ちょうど4ヶ月。
皆様の温かい感想やリアクションのおかげで、こうして投稿を続けることができております。心より感謝申し上げます!
これからも皆様の心に寄り添い、楽しんでいただける物語をお届けしてまいりますので、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!
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目の前のクライアントを見守っていると、その方が急に苦しそうにうわごとを吐き出し始めた。
「ごめんなさい、許して……もう悪さしないから押し入れから出して……」
その姿が、私の古い記憶を呼び覚ました。私の父が亡くなった時のことだ。
父は、昭和の時代を絵に描いたような厳格な父親だった。ただ体が弱く、入退院を繰り返していた。読書が好きで、「娘が弾くピアノを聴きながら、暖炉の横でブランデーの香りを確かめて飲んでみたいものだな」なんて言う、少しダンディーな一面もある人だった。
不思議なことに、亡くなる半年ほど前から急に不動明王像の絵を描き始め、写経もするようになった。その時は知らなかったのだが、母は医師から「次に入院する時は、もう家に帰れると思わないで覚悟してください」と言われていたらしい。もちろん父には伏せられており、当時まだ学生だった私にも知らされていなかった。
ある日、自宅で療養していた父が夜に救急車で運ばれた。
その日の昼間のことだ。父が狭い団地の私の部屋へ、襖を『ガラッ』と勢いよく開けて入ってきた。そして、私が壁に貼っていたアニメの主役(拳銃を構えているキャラクター)のポスターを指差し、自分で描いた不動明王像の絵に変えろと急に怒り出したのだ。
唐突なことに私は驚いた。父は「人に拳銃を向けているようなポスターは剥がしなさい!」と言って、自分の絵をその場に置いていった。
ちょうど思春期だった私は反発し、「大好きなアニメなのに何を言ってるんだろう」と無視してしまった。さらにその後、お昼ご飯を食べている時に、父親に少しからかうような軽口を叩いてしまったのだ。
父は幼い頃、悪いことをすると庭の松の木にお仕置きで縛り付けられていたそうだ。それがすごく嫌だったという話を聞いていた私は、
「お父さん、テレビに松の木が映ってるよ。さっきも見たよ。お父さん、松の木が苦手なんだよね? 昔縛られて怒られたんでしょ?」
と冗談めかして言った。いつもは厳しい父だったが、その時は苦笑いしているだけだった。
しかしその夜、トイレから出てきた父は壁に手をつき、全身を激しく震わせながら「救急車を呼んでくれ」と助けを求めてきた。兄がすぐに救急車を呼んだ。
私はいつもの入院だろうと軽く考え、救急車が来るまでの間、「お父さん、入院グッズが必要でしょ? コップと歯ブラシとタオルでいい?」と用意をし、「これで大丈夫?」と尋ねた。父は静かに頷いていた。
そしてその時、私は愚かにも思ってしまったのだ。お父さんが入院している間は、夕飯の時に好きなテレビが見られる、ヤッタ……と。
だが、あの壁に手をつき、震える体で自分を支えていた姿が、私の見た最後の父の姿になってしまった。
救急車はなかなか発進しなかった。状態が厳しいと分かっているため、かかりつけの病院も受け入れに時間がかかったらしい。なんとか運んでもらえたものの、すぐに危篤となり、母と兄が最期を看取った。
「子供に管がたくさん繋がれて苦しんでいる姿を見せたくない」という母の親心だったのだが、私がお別れを言えないままだったことは、今でも心に深く残っている。
さらに後日、母からこう言われたのだ。
「お父さん、息を引き取るまでずっとうわごとで松の木の話ばかりしていたわ。あなたが昼間言ったから、昔縛られたことを思い出してしまったのかしらね……」
母のその一言は、私の中に消えない罪悪感として残り続けた。当時も強い罪悪感に苛まれたが、何十年経った今でも、目の前で苦しむクライアントの姿を見ると、あの時の感情が鮮明に蘇ってくる。
父が亡くなり、自宅に戻ってきた夜。狭い団地だったため、父の遺体は私の部屋に安置されることになった。
部屋に入った私はハッとした。父があんなに嫌がっていた、拳銃を構えたアニメのポスターが目に入ったのだ。私はそのポスターをビリビリに破いて剥がし、父が自分で額装までしていた青い不動明王像の絵を壁に掛けた。方角はちょうど北だった。
やがて、近くのお寺からご住職が駆けつけ、お経をあげてくれた。
私の狭い四畳半の部屋に入った瞬間、ご住職が一瞬驚いた顔をした。後から聞いた話では、そのお寺のご本尊様が、まさに不動明王像だったのだそうだ。
「お父さんは、最後に自分にお経をあげてくれるご本尊様が分かっていたのね」
と母たちは話し合っていた。そういえば父が亡くなる一週間ほど前から、ラジオの調子がおかしくなったり、電球がチカチカしたりと不思議な現象が起きていた。あれも父が旅立つ合図だったのだろうか。
もしあの時、父が言った通りにすぐ絵を飾っていたら、死なずにすんだのではないか。余計な松の木の話をしなかったら、苦しまずに旅立てたのではないか……思春期だった私は深く思い悩んだ。
いまだに家電の調子が悪くなると、誰かが亡くなるんじゃないかとビクビクしてしまう。
それだけではない。北枕で横たわる父の隣で、私は寝場所がなく、すぐ横の押し入れで寝るよう母に言われた。けれど、どんなに大好きな父親であっても、「もう亡くなっている」と思うと得体の知れないものに感じられ、横に寝るのが恐ろしく、一睡もできなかった。母は父の手を優しく握っていたが、私は怖くて触れることすらできなかった。
そんな自分が情けなく、どこかおかしいのではないかと自分を責めた。
そうした思いが何十年経っても、ふとした瞬間に後悔として湧き上がってくるのだ。
――ハッと気づくと、目の前のクライアントのうわごとが静まっていた。
一度大きく息を吸い込み、静かに胸の上下が止まる。
(あぁ、旅立たれたんだ……)
その方は幸いなことに、最期はとても穏やかなお顔をされていた。
私は心の中で、いつものルーティーンである最後のお別れを告げた。
(今まで生きてきてくれて、ありがとうございます。さようなら……)
あの時、父に言えなかったすべての思いを込めて。
看取り屋というプロとしては、不必要な私情だったかもしれない。
けれど深く静かに一礼をすると、私は施設の方とご家族に連絡を入れるため、静かにその部屋をあとにした。
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いつも温かい応援とご愛読をいただき、本当にありがとうございます。
本日、2026年11月1日で、私が初めての小説『最期の隣人——看取り屋の私が、見届けたもの』を書き始めてからちょうど4ヶ月を迎えました。
この節目の日に、脳内で温めていた私なりのオープニングテーマの詩を書いてみました。
静寂に包まれたピアノの音色と、澄み渡る透明感あふれるハイトーンボイスから始まり、サビに向けて温かいストリングスが静かに重なっていく……そんなバラードに乗って、画面にタイトルバックが流れる光景をイメージしております。
主人公の心の葛藤や優しさをぎゅっと凝縮した詩になりました。
作品の余韻とともに、静かに楽しんでいただけましたら幸いです。
オープニングテーマ『うつせみ…』
(作詞:Fos B)
静寂広がる病室
思い出すのは 後悔? 悔恨? それとも愛?
旅立つあなたに
手向言葉が 浮かび上がっては消えていく……
心の奥の ほんとの愛を重ねる度に
虚しさだけが 静かに残る
旅立つあなたに つぶやく台詞
どこか芝居じみてて悲しくなる
もうすぐ旅立つ あなたのために
私ができるたった一つの誠意
それは――「ありがとう」
ただ、それだけ……
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