小話 最終回 オリンピック編(前編)
今から何年前になるだろう。少なくとも、彼の祖父が健在だったときの話だ。
少年はある日応接間に呼び出され、豪勢な金の額縁に彩られる肖像画の前に座らされた。
それは荒れた大地に立つ、屈強な男性の絵だった。筆の跡が見えない繊細な色使いで描かれた男は、赤いマントを悠々と靡かせ、鮮やかな金髪と麦林のような髭を曇点の空に向けて煌めかせている。その胸についている紋章は、少年が今纏っているベストの左胸に縫い付けられたのと同じだった。
斜め上を見上げる瞳は、日差しを受ける翡翠色の瞳として描かれ、まん丸と瞬いていた。それは母の瞳によく似ているとも少年は思う。
「これが今から400年前の、我らビアトリス家初代当主の肖像画だ」
その前では、肖像画と似たような口ひげと同じ色の瞳を持つ祖父が脇に立って手を掲げる。
「お前も5歳になったからな、そろそろ知るべきだろう。私たちの家に、そしてお前の中にも必ず受け継がれているだろう、初代の血について」
やけに畏まった口調とともに、向かいの窓に見える森林の茂みへと祖父は顔を上げて語った。そのときの彼は霧深い灰色の空に、煉瓦に積み上げられた円塔を思い描いたに違いない。
「当時はここ、チェシャー州は地方貴族からの侵略を受けていた最中だった。それをたった一人で守り抜いていたのが、我らが先祖、ビアトリス家初代当主だった」
「え……? たった一人で?」
「当時としてはままあった話だ。専属の兵士というのがなく、兵士はその都度雇うしか出来なかった。丁度契約を整えていた矢先に、野蛮な侵略を受けたのだ……。農民と聖職者が地平線一面に並び立つ敵に怯えながら祈るのを他所に、唯一残っていた鋼の鎧を纏って立つ初代ビアトリス伯が乗り出した。自らとともに鍛えた白い馬に乗って、追いすがる妻と子どもの手を払った彼は、城壁から抜きん出で敵の正面へと――、皐月の草原をたった一騎で駆け抜けたのだ」
唖然とする少年を前に、祖父は腕を振り上げて饒舌に語る。
「飛び交う弓矢を盾で弾き、怖気づいた先遣隊を盾で薙ぎ払う。崩れ落ちた敵を片手でつまみ上げ、肉の盾にしながら初代は突き進んだ。横から槍が彼の腹を貫いても剣で相手の目を突き刺し、その刺された身体から引き抜いて向かいの敵へトドメを刺す。今度は弓矢が腕や肩を突き刺しても、初代も馬も、まるで最初から当たってなどいなかったように、槍の切っ先で敵の脇腹を打ち砕くのだ。敵の波にもみくちゃにされながらも、まるで風に吹かれた羽虫のごとく、敵は扇状に逃げ惑っていった」
しかし、それでいつまでも持つはずがない。と、やがて祖父は目を伏せた。
「彼の白馬は赤馬と見間違うほどに血に塗れ、大将の目の前で斃れてしまう。それと同時に初代も転げ落ち、いよいよ残りの直衛たちの剣に交差するように刺される。初代はいよいよ俯いたまま動かなくなり、遂にトドメを刺されたと思われた。が……」
翡翠の瞳が並んで見開く。
「直衛の一人がしゃがんで彼の脈を確かめようとしたところ、彼の頭は血まみれの手に鷲し掴まされた。それに気づく間もなく、直衛の首は己が初代を刺した剣によってねじ切られたのだ。その返り血を受けて滴らせる初代は起き上がった片手に男の首を掴み、右手には刺された剣を引き抜きながら大将へとゆっくりと歩み寄るのだ……。血まみれの顔に関わらず、やけに綺麗な翡翠色の瞳に狂気を迸せながら……」
よもや怪談話にまでいった武勇伝はこう締めくくられた。
「神か、怪物か、どちらとも見える眼差しで見上げる敵の大将へ、初代は獣のように牙を剥いて言った。剣の先で引いた線より中に踏み入れることは許さない。もし、その神域を犯せば自分がお前たちを末代まで呪う、と。人間と見違う光景を前にして頷いた大将を見届けたとき、初代は遂に斃れ、草原を寝床に永遠の眠りに伏した……」
肖像画を仰ぎ見、切なげな瞳を翳して語った祖父を前に少年は唖然とする。その横を祖父は通り過ぎる。その間際に皐月の柔く澄んだ空気が少年の口に過った。
「倒れてしまったが、その奮闘から敵の畏敬を受けた初代は、やがて丁重に葬られた。彼がもたらした呪いは敵を末代まで怯えさせ、我らの領域はこうして今まで守られたのだ。そして、それは今も……」
少年が振り返った先には、祖父は後ろに腕を組んで背筋をのばしていた。
「我が跡継ぎサルタイアよ、良く聞け。我々が貴族としてここに立っているのは、その血のおかげなのだ。決して私たちの実力が為したものではない。初代から代々受け継がれてきた……この化け物じみた異常な程の生命力。それはきっとお前にもあるはず。しかし、だからといって不死身ではない。決して自惚れて身を滅ぼすことがないように、くれぐれも……いや、むしろ常人以上に気を付けたまえ……」
そのときの祖父の顔は見えなかったが、はみ出る口髭の揺らめきと掲げた掌の震える様子から、その端々に悲しみを滲ませていた。しかし少年はそれよりも、あまりの突飛さと可笑しさに耐え切れず、膝に手を打ち笑い転げてしまった。5歳の身の上でさえ、そんな武勇伝が実話のはずがないと思っていたのだ。
「ああ、そうだな……。私も父から言い聞かされたときは、お前と同じように笑ったものだよ……」
すると、祖父は怒るでもなく振り返り、穏やかな眼差しで彼を見下ろしていた。白髪の眉を下げながら向ける視線は、少年の姿を通してかつての自分を思い浮かべていた――、のでなかったのだと少年が知るのは、それからずっと後のことだった。
***
20YX年、7月。1910年のアテネオリンピックより史上初、アフリカでのオリンピックが開催されることになった。
その国の名はナミビア、場所の名はムンダネウム。今から10年前、世界を敵にして戦い紛争によって破壊し尽くされた人工島は今や、平和の祭典の象徴として海と空の境で煌めいている。中には「不謹慎」という意見も飛散されているというが、今はそれを我関せずと言わんばかりに堂々とした白い巨塔群を雲一つもない空へ突き出す。やがて、それらをぼんやりと見上げながら、口を開く青年の姿が現れた。
純銀の塔に謙遜しない上背は逆光に翳り、揺れるデッキにもびくともしない体幹を魅せつつ姿勢良く佇んでいる。
「まあ、今更な話でしょうか……。私たちにとって、どこも地獄の舞台には変わりないですものね……」
独り言でも丁寧に話す声は律儀な性格を思わせる。厚手の袖からも見める鍛えた腕をかかげて、青年は狭い額を手につけた。その影に煌めく瞳の色は、夕方に照り帰る草原の色に似ていた。
「おやおや、黒衣の英国紳士。出発までそこにいるつもりですか」
すると、彼の影を見上げる一人が足音を響かせて背後から歩み寄る。それに青年は少し憮然と唇を尖らせては長い足を軸に振り返った。さっと逆光に避けた姿は、純白の胴囲を明らかにする。
「もうっ、その渾名はよしてくださいって言っているでしょう」
日差しに晒された瞬間から、濃い翡翠色を透かして瞬く瞳。顔立ちは精悍な縁取りを為す一方で、その瞳は不相応に大きかった。眉は角度が鋭く勇ましいが、尖らせる唇は赤みがあって僅かに幼い。それぞれのパーツに男らしさと子どもらしさが窺え、なんと例えれば良いのやらと、見やる者たちの胸を疼かせるのであった。
「まあまあ、良いじゃないっスか。なんか影ってて、それっぽく見えちゃったんスから」
一方、うねりのある黒髪をかきあげる相手の青年は、声は軽快ながらも無表情に彼の隣に身を寄せる。褐色の顔を風に晒す彼も。首元からつま先まで青年と同じような真っ白な胴着を纏っている。並び立つ故に青年の身丈の高さと、バネのように硬い黒の前髪を靡かせる様が更に際立った。
やがて、カモメが飛び交う空へと褐色の青年が翳すのは銀色のサーベル。それが二人の素性を傍目からも明らかにする。
「しっかしまあ、宿泊ホテルから競技場まで、まさかのフェリーで行くことになろうとはね」
サーベルを手すりによりかからせながら、褐色の青年が肘をついた。
「ふふっ、そうですね。でも、この、凄いですよね。地下にまるまるピストがあるんですよ? しかもその上階にはジム。船にいるのだって忘れそうじゃないですか。今までのようにバスに乗って手持ち無沙汰になるよりも良くないですか?」
「そうなんスけど……、いやー、俺はやっぱり地に足ついた所が良いな。船揺れ対策も俺達の体幹任せなんて、参っちまいっスよ。あんたは大丈夫なんスか? サルタイア卿」
背伸びをしながら呟く青年に、サルタイア、と呼ばれた方は翡翠の瞳を細ませつつも――、
「もう、だからそれも! 私は3年前から家を継いだのですから、今はビアトリス伯爵ですよ!」
と、指を差して微笑んだ。一切の嫌味を感じさせない柔和な笑みを零すのはサルタイア・ビアトリス伯爵。イギリスのチェシャー州から代々続く由緒ある貴族の当主である。
彼はチェシャー州の私有地管理を営む傍ら、フェンシング選手としての鍛練も積み、そして今、齢20と少し越えてサーブル種目のオリンピック選手としてアフリカに下り立った。しかし、彼はその実績に関わらず「貴族枠だ」とライバルたちから嫉妬と懸念じみた揶揄をされている。自身の立場を舞台であるムンダネウムと重ねて、鋭い鼻先は白い光を帯びた。
一方で、うつ伏せながら彼を大きな黒目で見上げる彼の方は、同じ種目のエースである。彼はサルタイアとは異なり貧困からのしあがった努力派だか、表情が乏しいとともに話す言葉は毒舌かつ冷徹で、彼も実力の割に周りからの評判が悪い。そうしてハブられた者同士、何かとウマが合ったのだった。
「おうおう、伯爵にナラヤナ」
やがてカモメを見て黄昏れる二人へ、妙齢の男の声がかかる。同時に振り返る先には階段の手摺を辿りながら髭面の男が手を振っていた。彼も真っ白な胴着を晒し、微笑む顔から汗をびっしょり滴らせている。髭と同じ薄茶色の髪をかきあげ、垂れ下がった下瞼の膨らみに溜まった汗を拭う様は、若者二人と離れた年の差が見て取れる。
「信じられねぇっすねぇ。アンタたちもさっきまで自主練したばかりなんっしょ? よくまあそんな体力が……」
ふらついた足で風に当たろうとする男に、サルタイアは口を開いて目を瞬かせる。
「マットさん」
「おはようございます。このまま出発までいるおつもりですか、伯爵」
マットと呼ばれた妙齢の男は片眉をあげて微笑んだ。一方でナラヤナと声をかけられた褐色の青年は、先の自分と全く同じ質問をしてきた彼に、くぐもった声で笑いを堪えていた。
「ええ、リーダーもどうですか? キンキンの冷房で身体を冷やすよりは気持ち良いですよ」
サルタイアは翡翠の瞳を瞬かせて誘うも、マットはよせやいと言わんばかりに水の入ったペットボトルで空を振った。その少しお腹も垂れた男は、このフェリーに乗っているイギリスのフェンシング選手たちをまとめるリーダーを勤めている筈だったのが。
「リーダーなんて柄じゃねえっスよ。たかがメンバーの中で一番年上ってだけじゃないですかぁ。立場で言ったら貴方様がずっと相応しいじゃないンすか? たっく、コーチどもが揃いも揃ってコヴィック19に罹ってさえいなけりゃ、こんなことにならなかったのに……」
「ああ、あれビックリしましたよね。まさかこんなときに、あのウイルスも出てくるなんて……」
「治療薬もまだ開発されてないなんて、ビックリしやした」
労働者階級ならではの話し方を恥ずかしそうに語る男といえど、貴族である翡翠の瞳は尊敬の眼差しを今だ変えずにいる。
「でもそんな、柄じゃないなんて……何を仰いますか。忘れたとは言わせませんよ。かつてマット選手といえばフェンシングサーブル界隈のエース中のエース、弱冠16歳から今季までずっと出場してきた常連じゃないですか! 貴方に対してリーダーの念を抱かないサーブル選手なんていません!」
「伯爵、今までの戦績を知った上で言うなら嫌味でしかないですよ」
脇からナラヤナが躊躇なく言ったことに、サルタイアが前を向いたまま選手として澱みなく彼の腋を突くと、マットは首を擡げて笑った。
「あははっ、それが悔しくで結局、ここまでしがみついてきやいました」
自嘲の気も込めて顔あげた先に、聳える白い巨塔を感慨深く見上げる。
「そしてここが……今度こそ最後、ということになるっスね。それがこんな遠い綺麗な海の上の、あんな白い城で向かることになるたア、最後としては良い舞台になりやしたよ。……ちょっと情緒ねえけど」
「と、いうと……やはり本当なのですね。これが引退試合になるというのは……」
「ええ、やっぱり年は……どうしようもないっすからねえ」
二人と違い今だ汗にまみれてデッキに染みを作る――、新陳代謝の悪さに眉を顰めながら、手の甲でマットは額を拭う。ため息をつく弱々しい言葉に対し、塔を見上げる瞳は微動だにしない。
「綺麗だけどよ……でも、正直言っちゃぁ、複雑な気持ちでもあるぜ。そう思わねえっスか? お若いの」
目配せる瞳は、当時の紛争の映像を翳していた。それに答えたのは頭を掻くナラヤナであった。
「いやー……あのとき俺らガキんちょで……テレビで見てわー、とんでもねぇとしか感じられなかったっスね……」
「そっかぁ……。まあ、俺も同時多発テロをリアタイで見たときはそんな感じであったしな……」
俯いた拍子に腰に手を当ててため息をつく。睫毛だけは当時と同じ弾力をもってカーブを描き、伏せる中で思い出すのであった。
「最後の最後こそ、成績を残せるといいっすね」
小さな声で言葉を添えるナラヤナの言葉に、本当にね、と、マットは答えた。サルタイアは寂しそうな眼差しを向ける。正直、マットが今回もオリンピック選手として残ることが出来たのは寸でのところであった。それは何より本人はよく知っている。その立場の覚束なさに悩んでいる粗い息遣いを、サルタイアは風を通じて感じ取っていたのだった。
こうして青空を背景にそれぞれの陰りを抱えながらフェリーに立つ三人を他所に、淡々とした船内放送が外に漏れて響き渡る。
「これからフェリーは会場まで出発致します。ご注意ください」
三人は放送を背に受けたまま戻ることもなく、デッキの上に立ったままだ。やがて、モーター音とともに海の飛沫が船首から噴きあがって、フェリーはぐるりと波の線を描く。三人を中心に周る風景はジオラマのようにすげ変わっていった。やがて目端から徐々に近づいてくる波止場へと三人は顔を向ける。途端、水平に現れた砂の波止場を前にいよいよ会場へ、と意気込みの唾を呑んだところ――、一番側にいたナラヤナが大きな瞳を開く。
「えっ、何あれ」
それは、波止場と広場の段差を挟んだスロープ付きの階段。こちらへと迫ってくる大勢の影を、手としと鍛えた動体視力が難なく捉える。その中で抜きん出るのは、うねりのある黒髪を左右に振り乱れて走る少女の姿だった。鯉口のごとく息継ぎをしながらけたたまい音を立てて地面を蹴飛ばしカートを乗って駆ける彼女は――、背後から追いかける男たちから必死になって逃げているのだ。
どういうことだと目を凝らせば、彼女はそのまま真正面に波止場へと向かってくる。このままでは階段に阻まれ行き止まりだと悟ると同時に翡翠の瞳の方は気づく。
「彼女が身にまとう真っ赤なジャケット……あれって確か……」
途端、彼女が太い眉を吊り上げて意気込んだかと思えば、足を一気に後ろへと振り上げながらスケボーに乗って猛走し、追手を引き剥がしたのだ。
「あ、危ないー!」
その勢いのままスケボーの先が階段を突き抜けていく。このままでは階段から転がり落ちてしまうrとあ然とすうるデッキの青年たちが口を開いた途端、青藍の空に激しい衝音が貫いた。
途端に飛び散る白い破片。しかしそれに続くは倒れる少女の体躯ではなくて、身を屈めた少女がスケボーの端を持って飛び上がり、銀色の裏が青に煌めく瞬間だった。
青年たちは空を仰ぐ。椰子の葉を背後にスケボーごと身体を浮かせた少女は、階段を飛び抜いてその脇のスロープにギリギリに車輪を引っ掛けたのだ。するとスロープの上でバランスを保って数メートルを駆け下りていく。そして、スケボーが落ちる寸前に立って身を捩れば、空中で水平に一回転したスケボーで踊るように舞い上がり、階下の石畳に激しく身を着いた。けたたましい車輪の弾ける音とともに、斜めに身体を保って大腕を振りながら滑り切った彼女の業に、彼らは歓声をあげた。
「すげえーッ!」
感嘆の声をあげる内にも、スケボーに乗った少女はぐんぐんとこちらに駆けてくる。 そして追手が後から階段を下りていく様を横目に、少女は遂に覚悟を決めた眼差しで初めて三人を睨んだのだ。そして、再び腰を屈めてスケボーの裾を掴むと、脚をバネにして波止場から飛び上がった。着地点は僅か数十センチしかないボラード。そこを着地点として少女の髪は海と空の狭間に舞い上がり、そこから再び三人の立つデッキの先へ飛びかかったのだ。
そのとき、いよいよスケボーとその足は別々となって――、少女は手足で空中を掻く。スケボーは浮力を失い波止場から離れる舳に激しい音で叩きつけられ、白い飛沫とともに落ちた。一方で少女は、舞いあがる風の隙間から目と口を開いてデッキの手すりを掴もうと藻掻く。その光景をスローモーションの如く目前に突き付けられたサルタイアとナラヤナは唖然と口を開き、弧を描くデッキの上に固まってしまう。その間にも少女もデッキの上まで届かず、手すりより上は靡く髪しか見えなくなった。このままでは海に落ちて――、愕然と怯む二人の間を、風の如く駆け抜けたのはマットだった。
声をあげる間もなく太い靴先が手すりを越え、マットは半ば身を乗り出す形でデッキから手をのばした。すると少女も目端に見えた気配に無意識に手をのばし、揺れ動くデッキの中で硬く握り合う。
「大丈夫かーッ!」
咄嗟のことに裏返った声をあげる男へ、黒い瞳も飛沫の中で瞬き「ええ!」と甲高い声で答えた。少女とはいえ一人分の体重をものともせず片腕で支え持ったマットは、片足で手すりの上を、もう片方をデッキの上で踏みしめて態勢を保つ。鍛え抜かれた体幹が纏う白い胴衣に、脇に固まっていた二人も慌てて意識を取り戻し、彼の背中へとだばたと駆ける。
「マットさん!」
「リーダァー! 何してんスかあ! もう!」
二人でマットの背中の裾を引っ張り、少女諸共に引き上げた。丁度舳がぐるりと周った矢先に四人の体は遠心力で傾き、少女の髪がねじ曲がり、総崩れでデッキの上に転がり落ちる。
「うわああああ!」
なんとか乗り上げられた少女は、マットの胸の上に頭を落とした。逞しい胸板にはっとした彼女が顔をあげる先には、脂ぎった顔を顰める醜い中年男の呻き。しかし、それをまるで天命のごとく目を瞬かせ、男が目を開く前にもその胸倉を掴んで追いすがるのだ。
「お願い! どうかこのまま船を走らせて!」
頭を押さえるのさえ必死なマットへ、胡坐の中にすっぽりと体を収まったまま、少女は更に甲高い声で懇願する。
「どうかこのまま! ムンダネウムに行って、イギリス政府に私を保護させてください! どうか! どうか! 私を見捨てないで! お願い!」
慣れない英語で叫び、朦朧とするマットの首を揺らす見知らぬ少女。唐突な展開に脇から慌てふためくことしか出来ないサルタイアの一方、ナラヤナは痛む頭を押さえながら手すりを握って立ち上がる。やがて波止場の方へと目を向ければ、波止場から離れていく自分たちの船へ、聞きなれない言語で激しく罵倒しながら腕を振り上げる追っ手たちが見えた。
「な、なんか……俺たち、今、とんでもない目に遭っちまった……?」
鈍痛を押さえる頭はまだ理解に追いつかないが、選手としての勘の良さがナラヤナに嫌な汗を滴らせる。甲斐甲斐しい面々を見下ろし恐れるナラヤナの背後では、今もカモメが悠々と船を追い駆けていた。
***
「彼女、スケボーの選手なんですって」
船はそのまま会場へと海を掻き分けている。一方で、半円状のデッキソファに座る面々は不安気に俯き、それにナラナヤが歩み寄って答えた。
「ああ、どうりで……」
サルタイアが納得の声をあげる一方、彼以外は細々しく答える。
「はあ、最初はなんでこんなガキがっ選手団の中にって思ったが……そうか……スケボーだったか……」
「スケボーの選手は年齢層低いからねぇ……」
「それで、どうして彼女は突然ここに乗り込んできたのですか?」
朝とはいえ明かりも付けない展望台の中で、サルタイアは憂うつな雰囲気を解せず日差しを受けながら問いかける。彼も含めてフェリーにいるのは、全員男子フェンシング選手たちだ。男所帯に少女が一人だけは余りにも締まりが悪いので、彼女には別室にいてもらうことになっている。そして、彼女を世話する数少ない女性乗務員からナラヤマが少女の事情をうかがっていた。すると、彼は少しバツが悪そうに頭を掻いて答える。
「何でも……元からそうするつもりだったらしいっスよ」
「えっ? 何ですかそれ」
「……そもそも、オリンピック選手になったのも、海外に出るきっかけを作りたかったらしいっス。スケボーはマイナースポーツだし、若ければ若いほど有利だからって……。血なまこになって何とか選手になったんですって。そこから外国の保護を受けて脱国するつもりだったみたいっス」
向かいのソファで足を開いて座るナラヤマに、大きな翡翠の瞳を瞬かせてサルタイアは戸惑いの声をあげる。
「な……! そんな理由でオリンピック選手になったというのですか……!? な、なんですかそれは……!?」
同じ選手としての矜持が揺らいで震える彼へ、隣に座る年上の仲間が咎めるように遮った。
「2021 年のオリンピックでも同じことがあったでしょうがッ! 東京オリンピックのとき! ベラルーシの選手が帰国直前に日本の大使館に駆け寄って亡命とかなんとかあってでしょう!」
「え、あ、ああ……そうだったんですか……!?」
初耳のことではあったが、そこで国名が出ることによって一種の納得を覚えた。当時、ベラルーシは独裁政権。国の世情が荒れていた時代であることは彼も知っている。
「それで……あの……彼女の国は……」
「×××××××です」
うねった前髪を垂らして答えるナラヤナに、サルタイアもああ、と、黒髪垂らして項垂れた。その国は2021年のロシアとウクライナの紛争のドサクサに紛れて独立を果たそうとした中央アジアの少数民族国家だった。戦禍の最中で作られた国は内戦に次ぐ内戦の嵐を越え、ようやく二年前に統一が果たされたばかりであるが、他の例に漏れず典型的な軍事政権であった。
「うわあ……それは……むごいです……」
「……ああした国は、国威発揚としてでしかオリンピックを見ていやしない。国がそんな態度でいて、選手たちが真面目に取り組むなんて、確かに馬鹿みてえな話だろうよ」
「参加する選手も所詮は駒。大統領の私有物としか見られていねえ。ただでさえ貧しいのに膨大な資金を国威のために費やされた選手たちのプレッシャーといったら、俺たちのとは比べ者にもなんねえだろうな……」
「もし成績を残さなければ……帰ってきた同胞たちから酷いリンチを受けるんだろうし……」
ナラヤナは無機質な天井を見上げて足を開いて脱力する。その瞳には必死の形相で波止場から彼女を罵倒する者たちを思い浮かべていた。
「そして彼女の場合は……女性なのだし……性暴力に近い罰も受けることにもなるンだろうな……」
陰鬱な雰囲気がより重くのしかかってくる最中、しばしの沈黙を経てサルタイアがはっと顔をあげる。
「でも……こうやって乗り込んできた限り、私たちは当然、彼女を保護するべきですよね?」
「ええ、そのつもりですよ」
するとサルタイアの質問に答えたのは、戸惑いに目を逸らす仲間ではなく、入口から新たに入ってきた職員だった。
「我々イギリスはそんな前時代の国とは違います。既に同胞軍の警備船には連絡済です。あと10分もすれば船首の方角から、警備船が来て彼女を引き渡す予定ですよ。さすれば彼女もしばらくすれば”同胞”となりましょう」
良い風に言った雰囲気を漂わせながら目配せをすると、サルタイアは花咲くように笑顔となった。
「そうですか! それは何よりです!」
数多な懸念の目線を避けて純粋に受け取るサルタイアへ、職員は微笑みながら親指を立てる。
「ええ、今日の試合にも難なく間に合うでしょう。ご安心ください! これからその準備に行ってまいりますね!」
「あ、なら私も……せめて送らせてください!」
職員の頷きに安堵と高揚に、顔を綻ばせ立ち上がるサルタイアは、天井を仰ぐナラヤナへその肩を叩く。
「さ! 一緒にいた貴方も行きましょうよ!」
「あ、ああ……」
少し気怠い声であったが、サルタイアの溌剌した声に押され、ナラヤナは手をひかれたまま立ち上がる。職員の後を追って部屋を出る二人の風は爽やかであったが、仲間たちの懸念を引きずってナラヤナの耳に不文律な軋みを過らせた。
「全く……、試合前でただでさえセンシティブになってるってのに、余計なことが起こりやがって……」
「とっとと終わって、元の鞘に戻りたいものだぜ……」
開いた扉越しから声を受け取り、ナラヤナは暗くなった渡り廊下に憂うつの目を伏せたのだった。
密封の渡り廊下がナラヤナの息を詰まらせる。それに対して生き生きと踏み出すサルタイアの足取りは職員をも抜かし、突き当りの船首へ着かせた。開かれた操縦室に入れば、見慣れない背の低い機器類がずらりと取り囲む。すると僅かなスペースの中央に、白い胴着を着たままのマットが腕を組んで立っていた。
「あれマットさん。貴方も出迎えに?」
「あっ、伯爵! ま、まあ一応……。俺が一番最初に引き上げたもんですからね……」
サルタイアの気配に、慌てて髪を掻きあげるマットだったが、さっきまで彼が段差一つ隔てて張り巡る窓を睨んだことに気付き、ナラナヤが脇から首を傾げる。
「リーダ、何かありましたか」
「ん、ああ、いや……なんか、嫌な予感がするなって……」
腰を屈めて甲斐甲斐しく通信をする船員たちを他所に、マットは青い空と海を仰いで呟く。
「俺……あの子を引き上げたとき、波止場に残された追っ手の叫びの中に聞き取れたのがあったんよ。それがなかなか無気味だったんだ……ロシア語だったんだけど」
「ああ、×××××××はロシアにも面してますものね。って、リーダはロシア語分かるんですか?」
「ロシアでのオリンピックのときにちょっちゅね」
常連選手としての矜持を見せつつ、海を向いたままぼそりと呟いた。
「……このクソアマ。そのまま逃れられると思うなよ…………」
「え?」
「それが追手が言った意味だ。……随分と酷い物言いだよな」
後ずさるナラナヤの一方で、サルタイアは飄々と首を竦めて前に出る。
「はっ、それこそ小者の捨て台詞ではありませんか。捨て置いても大丈夫ですよ」
「そうですよ。むしろ彼女がこの船を選んだのは、幸運ではありませんか?」
すると、彼の後ろで先の職員も脇目に聳え立つ白い巨塔、アウトルックタワーを見上げながら意気揚々として口を開く。
「何しろここ、ムンダネウムは我々英国が警備する領域ですからね。軍に保護されれば彼らだって何の手出しのしようもない。この船に乗り込んだのは偶然だって聞きましたが……いやあ、彼女は本当に運が良かった」
「ですよね!」
サルタイアと職員が和やかに目配せ合う中で、マットは微動だにせず前を向くばかりである。
「だと……いいのですか……」
今だ憮然としている雰囲気を掻き消すように、天井にまで張られた窓の向こう――、水平線から現れた尖りの影に職員が指を差した。
「あっ、来ましたよ! あれが彼女を受け取る警備船です!」
全員揃って顔を上げれば、なるほど警備らしいとは知らねども――、装飾がかったフェリーとは違って白い船体に黒引を一本描いたシンプルな造形の船が舳先に旗を靡かせて近づいてくる。みるみる迫ってくる旗は違いなく我らと同じユニオンジャック。故郷の旗を仰ぎ見て、サルタイアは安堵に眉を下げた。
「良かった……! で、あの子はもう……?」
「はい。今からデッキまで案内しようとします。行きますか?」
「勿論です! 皆さんもいきましょう!」
サルタイアは職員よりも先んじて入口の縁に手をついて二人に手招きするが、マットは腕を組んだまま海と空の間を縦に貫いて動かない。それに眉をあげようとする僅かな間に、マットとナラナヤ、高低差のあるブラウンの瞳が大仰に瞬いた。
二人が捉えたのは猛走する警備船から突如現れた人影。肩に何かを身を屈めて構える態勢に、こちらの肩も身構える。すると、警備船が波に上下した拍子に、キラリと光を反射させてその物の正体を映した。それが虫羽の如く生緑色の造形となって、二人は恐怖に慄く。
サルタイアが口を開こうとした刹那、マットが身を屈めて振り向いたと同時にステップを踏んだ。何故そこで試合の構えをと言いかけた彼の腹に怒涛のタックルを決め、サルタイアはくの字に身体を押し曲げられた。鈍い音とともに立っていた足を宙に浮かされ、痛みに短い悲鳴をあげると同時に腹に埋まるマットの叫びによって揺れる。
「伏せろぉ!」
脇ではナラナヤも飛び出し、職員の顔を鷲掴んで押し倒す。そこから開いた視界には、窓越しの空を騒然として振り返る船員たちと、爆音とともにこちらに向かって煙を引いて迫る弾頭が映った。それから一瞬にして廊下の壁が視界を覆い、激しい爆音と劈く悲鳴が――、煙とともに怒濤に襲いかかってきたのだ。
「ぎゃあああああああ!!」
「何が起こったんですかあああああ!!」
マットに覆いかぶされ、サルタイアの真っ黒になった視界が恐怖を煽らせる。沸き立つ職員の叫びと爆竹のような発砲音が劈き、ピュンピュンと耳元を通り過ぎる空気の音と合わせて、旋毛に当たった破片からそれが銃弾だと初めて気づいた。
「襲撃ー! 襲撃ー!」
マットがサルタイアの髪を舞い上がらせる程に絶叫する。剥いた目が振り返る先には、機器の破片が飛び散る中で頭を抱えて逃げ惑う人々が迫ってきた。彼らの背後から炎と煙が覆い、今だ弾幕は窓を粉々に砕いて影たちに襲いかかる。その一発が、脇に蹲るナラナヤの黒髪を弾いて飛ばした。
「クッソ!」
眉を顰めて歯を食いしばるマットは、弾幕飛び交う最中で呆然となったサルタイアを抱き上げる。
「ナラナヤ! 急いでここから逃げるぞ!」
「っつ、了解……!」
うめき声をあげつつナラヤナは答えた。気絶した職員を抱き上げる形で、マットと二人揃って煙から逃れる。マットの号令に続き、中にいた船員たちも泣き叫びながら今だ飛び交う弾幕に肩を竦めて逃げ出した。怒濤にあふれ出る人の流れに吞まれぬよう、二人も生き荒くしながら廊下を駆け抜けた。
「リーダー! さっきの音何があったんですかあ!」
脇から身を乗り出す仲間が大慌てで向かいから駆けつけるも、彼の声は通り過ぎた空気の裂く音で遮られる。マットの耳元から現れた弾が男の肩を抉り、その勢いで向かいまで一瞬の内に倒れ伏してしまった。阿鼻叫喚とした最中で、突如撃たれた仲間は何のことやら分からず、流れる血を留める思考にも至らぬまま、がくがくと青ざめて地べたに伏せて痙攣する。
「ああっ!」
マットも汗を飛ばし慌てて駆け寄るも、床につけた掌がべったりと赤い血に塗れたことに声を震わせしてしまった。それによってパニックが渦となり、狭い廊下の中で針の山のように通り過ぎていく弾幕の中でもみくちゃとなっていく。
「ここも危ない! とにかく地下! 地下に潜れエ!」
そこで人一人を支えて汗だくのナラヤナだけが必死な形相で声を張った。ナラヤナが何度もあげる大声で、ようやく船員の人々はそぞろに地下の方へと、縺れた足取りで地下の階段を揺らしながら駆けて降りていったのだった。
***
黒い煙が空に燻るフェリーの凄惨な様子を前に、悠々と波に乗って上下する警備船には、デッキの手すり緒を片足で踏みつけ、拡張機を持った男が劈く程の声をあげる。
「フェリーの船員どもに告ぐ! 我々は×××××××スタンの者である! お前らの同胞の警備船は我々が乗っ取った! これ以上被害を受けたくねえなら、さっさとウチの国の娘をこっちに引き渡せ!」
拳を振り上げて荒々しい口調で恫喝する彼は――、緑色のストールを纏い、ノースリーブのシャツから浅褐色で筋肉質な凹凸を魅せる青年であった。吊りあがる眉は太いが形は整っていて、その間近に端正に掘り込まれたような眦からはフェリーの炎を映したような真っ赤な瞳を覗かせる。空に噛みつく歯と牙は白く輝き、だぼついたオリーブとサンダルという軽装がより彼の威勢を確かにした。その足元にはRPGが転がり、背後には騒然としながら彼の雄姿を見守る×××××××の隊員が船の扉に背をつけていた。
「すげえな、あの雇い用心棒。買いだったぜ」
「ああ、声掛けられたときには胡散くせえとは思っていたが……、まさかここまでやってくれるとはな……」
互いに腕を組みながら感嘆の声をあげる一方で、拡張機を持つ青年はますます高ぶり、針のような鋭い毛先を震わせながら、野太い声で牽制する。
「やいっ! 誘拐犯ども思い知ったか! 後30分で引き渡さねえと、お前らもこっちの船と同じ運命を辿るぞ! その間に娘に一本でも手ぇ出させたら承知しないからなぁ!」
空に拳で円を描き、雇い主に言われるがままの正義を振りかざす青年の威勢に、二人の方は拳を唇につけ笑いを堪えている。
「やっべえ、俺らの言ったことまんま信じてやがる」
「そういったところでも、ホント、都合よかったよなあ」
押さえた笑いに肩を震わせるのに同調して、彼らの携えるAK-74が銃口を垂らし小刻みに鉄の音を鳴らした。その足元では、縛り付けられた英国の兵士たちが足をくの字にして転がっている。
「ガハッ……クズどもめ……!」
その内の一人が血濡れの猿轡から歯を剥いてうめき声をあげる、その睨みを効かせた青い瞳を、冷徹になった二人の黒い瞳が陰って見下ろす。
「あー、もう少し黙らせておくか」
「だな」
機械的に言葉を交わした男たちは恐怖に見開かれた顔に向かって、日差しに煌めく銃床を徐に振り上げた。
***
拳を激しく扉に叩き付け、船長が悪態をついて項垂れる。
「何が誘拐だこの野郎! 好き勝手なことを言いやがって!」
「でも状況だけを見れば、そうと捉えられても仕方なくないっスか」
タオルで汗と煤を拭いながら、壁に背をつけるナラヤナが答えた。
「状況だけ解すれば確かに俺たち、人様の国の娘をフェリーに乗せてる唯の誘拐犯ですよ」
「な………!? だってそりゃ、彼女が自ら望んだことで……!」
「って、相手に言ったところで何になります? こっちに脅されてそう言わされてるとしか思われませんよ」
片眉をあげて言い切るナラナヤに、職員は再び歯を食いしばり扉を殴った。
地下のピストは煙を吸い込んで項垂れる船員と選手たちでごった返していた。煤まみれで顔色悪く伏せる面々に、かろうじて動ける者たちが大慌てで介助する。
幸い、地下には選手用の酸素ボンベが備え付けられおり、脇に並べられた色とりどりのマットの上に蹲る者たちは汗だくになりながら必死に吸い込んでいた。
その中で、唯一頼りにした船医は撃たれた選手の救急に手一杯となっている。奥の地下通路に位置する手術台の上では、選手が痛みに意識を失いかけている。えぐられた肩を押さえつける船医の指から血が滲み出て床に滴り、素人目にあたふたする仲間たちに「早くガーゼを!」と、船医は怒声を弾かせていた。
そして、騒がしくなったピストを見渡し、呆然とする残りの者たちは入口近くに固まり、扉を叩く船長に戸惑いの目を一斉に向けた。
「ああ、そうだな……! つまり、奴らが好き勝手に暴れる筋は立っちまったってことか……! オイ! 今、操縦室はどうなってる!?」
言い渡されたタイムリミットは30分。その間に何とか切り抜けるチャンスを掴もうと船長は部下へ顎をしゃくった。
「あ、あの……! スプリンクラーが作動したお陰で何とか小火で済み、沈没の兆しはありません! が、自動操縦も遠隔操作も一斉エラー! 炎に呑まれて機器ごとやられてしまっている模様!」
あぐらをかいていた職員が、両手でアイパッドを掴みながら上擦った声で答える。
「畜生……! 別の救助が来るまで立ち往生ってか……! じゃあ、海の状態はどうなんだ!」
船長の怒声に皆が肩を跳ね上がらせる中で、振り返ったもう一人がノートパソコンを掲げて答える。
「駄目です! 乗っ取られた警備船以外は、タイムリミットまでに近くを寄る予定はありません! 外の監視カメラにも船か何かが映った様子はなし! 携帯も無線機もさっきから雑音ばかりで外部から連絡がつきません……きっと警備船の設備が何かで妨害されてます……ああ、どうしよう……!」
「ムンダネウム側から何か動きはないか!?」
それに答えたのはナラナヤの隣に立膝で座るサルタイアだった。陰鬱に伏せた眦が揺らめく。
「ないでしょう。私、見てましたけどムンダネウムとの境目はずっと高い灰色の壁でした。小火の煙にあちらから気づけるかどうかは、非常に怪しいところです……」
「ああ、クッソ! だったらいっそ大火事だったほうがまだマシだったか!?」
髪を掻く船長は唸るような声を上げて天井を睨む。無機質な照明が翳し映すのは「詰んだ」の一文字。
「このまま奴らに攻められるまで、待つことしか出来ねえってのかよ……!」
状況を悟った声は怒りから恐怖に震え、動揺の波が周りにまで揺らめいた。互いに眉を顰めながら慄く中で、汗にむせ返る憂鬱な空気から、一人の影が掻き分けるように分け入っていく。サルタイアは垂れた黒髪を舞いあがらせ、その隙間から人だかりの視線を浴びて立つナラナヤの背中を捉えた。
寄りかかっていた壁から音もなく歩き出したナラナヤは黙って立っている。懸念の眼差しなど最初からないように背筋を伸ばし固まった首は、ピスト奥に続く廊下の暗がりへと捻るように向けて、ナラヤナと正面に対する選手の一人は、赤黒い唇を引き締める彼の覇気と、見開かれた三白眼の端が鈍い瞬きを放った気配に息を呑む。大きな黒目もやがてぐるりと廊下の方に向けると、一呼吸をしたときをして突然音もなく片足を踏み出した。
しかし――、それ以上は続かなかった。ナラナヤの血走った白眼は脈打ち、その黒目は反対方向に再びぐるりと回る。最初に捉えたのは、己の下ろした手首をが掴む白く綺麗な指。筋張った腕を辿って見上げれば、毛先の整った眉を吊り上げる翡翠の瞳とぶつかった。
「ナラヤマさん。何をするつもりですか」
桃色に艶めく唇に反し、厳しい口調で彼はナラナヤを見上げる。
「……伯爵。確かあの先に、娘は避難してるんでしたよね」
対して、赤黒く鬱血した唇は単調に言葉を紡いだ。
「……だから、何だって言うんです?」
そこでナラヤナは相手の思考を阻んだ勢いで言いきった。
「あの娘を奴らに引き渡せばいいんじゃないですか」
サルタイアの背中がかっと熱くなる。一瞬フリーズして固まった彼を見やれば途端にそっぽ向き、再びナラヤナは踏み出そうとする――、も、揺れる頭はまた元に戻る。今度は反動が先より大きかった。
「だから貴方、何を言ってるんですか?」
もっと深く沈んだ声に向けて、ナラヤナは眉を顰めて睨む。
「だから、彼女を故郷の元に返すんですよ。そうすれば全てが万事解決するじゃないっスか」
そこで再び淡々と言った声が、今更のように周りを騒然とさせた。
「だって俺たち、このままじゃ丸裸で銃を持った相手に嬲られるがままっスよね。だったら相手に言われた通りに従うしかなくないですか?」
サルタイアは真っ黒な瞳の奥に宿る真意を悟り、唖然と口を開いた。
「なんていう……! 怖気づいたことを……!」
「だったら何だって言うんです? 俺たちは兵士でも警察でもありません。ただの一般人ではないですか。俺たちに彼女を身を挺してでも守る義務はありません」
サルタイアは顎を引きつつ、義憤によって沸き立つ声を震わせる。
「……紳士としての振る舞いを問うているのですよ……!ナラナヤさん……!」
「伯爵、俺はフェンシング選手です。俺は選手としての道理に従うまでです。だって、こんなことに煩わされてしまったら……試合に間に合わないじゃないですか」
その瞬間にサルタイアの黒髪が舞い上がる。対して黒髪から覗く顔は石のように強張り、唇の端だけが歪みを為す。
「この場において……今更…! 試合のことを気にするのですか……!?」
「今更? 今更ですって?」
すると突然ナラナヤの方が目を剥いたサルタイアへ前のめりに迫ったのだ。見開かれた翡翠の瞳と同じ大きさで迫る黒い瞳も、怒りの炎を瞬かせる。
「よりによって貴方からそんな言葉を聞きたくなかったですね! 私たちがどんな思いでこの日を迎えてきたのか……! 知らないはずがないでしょう!」
「だからって、それを言うのは今ではないですよね!?」
「今でもですよ! いや、いつもですよ! そうでもなければとてもこんなところになど立てやしない!」
サルタイアの掴む手を振り払い、ナラヤナは一番の大声で歯を剥いた。
「俺は……四年間、この日のことしか考えてなかったですよ! 考えて考え抜いてやっとたどり着いた切符を……今更手放せるワケがないですか! 俺の四年間が掛かっているんです!」
捻りだした必死の形相に、サルタイアも牽制するように眉を吊り上げて踏み出す。
「それは彼女とて同じでしょう! いや、むしろ、彼女の方が切実です! 彼女には一生とその尊厳がかかっているんですよ!」
むしろ――、と、自身の覚悟を卑下にされた心地に、カッとなったナラヤナの怒りは様変わりした。頭を掻きむしり、叫ぶような声をあげる。
「う、うるさい! うるさい! うるさい……! そんな人様の国の勝手に巻き込まれるなんて冗談じゃねえ!」
「何をそんな他人事のように!? 彼女をそうさせたことが、我々の国々が為したことと無関係である筈がないとでも!?」
精錬された知識と見地が、勇ましい怒濤の声ととも紡がれ、焦るナラナヤの心地を更に苦くする。
慌てふためく烏合を背後に、義憤の瞳はどこまでも鋭く思慮深い翡翠色に輝く。その対面はフェンシング選手の性故か、ユニフォームのマスクが過った。そうだ、対戦する度につくづく思っていた。彼の姿勢はどこまでも揺るぎなく真っ直ぐで、そして正しい。
本当は彼の方に義があることなど、とうに分かっといている。けれども――、試合のときのように汗ばむ身体と喧騒の煩わしさがこうも悟らせる。
だからいつも俺はお前が――、震えながら俯く拍子に、額に赤い筋が張った。
「……のくせに」
喧騒が遠くに聞こえ、小さく呟いた筈だったが己にははっきりと響く。それを決意の証として、強く握りしめた拳と連動してナラヤナはうめき声をあげる。
「貴族枠……の、くせに……」
サルタイアが無意識に片眉をあげる。先までの強い意志が、情動に崩れる瞬間だった。
「は……?」
彼の冷たい声に反するナラヤナの大声が、今度は喧騒をも掻き消して渡る。
「貴族枠風情が……! 俺たちを上から目線で語るなよ!」
顔あげて牙を剥いたナラヤナはよもや誰の顔を見ていなかった。彼自身の生き様を錯乱した目で睨む。
「お前が……! 恵まれた環境の中でのうのうと生き暮らしている間に……! 俺がどんなに泥水啜ってこの防具を纏えるようになったのか知らねえくせに……! お前は何の疑問も持たないままその真っ白い服を着させられている間……! 俺が同じようになるまで、どこまで苦労して……!」
血走った瞳で声を荒げるナラヤナに、やがて周りの男たちも無意識の内に追い駆けていく。そして、サルタイアを刺す勢いで指を突き差す。
「お前には向上心もないから、そんな悠々なことが言えるんだ! けれど、俺には! もう次はない! こんなコンディションで、この先どうやって後から追い駆けてくるライバルたちを出し抜いて行けるっていうんだよ! 俺は! お前みてえに道楽でやってんじゃねえんだよ! 俺だって、人生が! かかっているんだッ!」
宙を藻掻く指が己の厚い胸を掴み、心臓を掴むように捻じ曲げて唸る。歯を鳴らす怒りは隠し持っていた全てを爆発させた。荒ぶるナラナヤに動揺して、見守っていた面衆は沈黙の内に固まる。
また――、その牙が綴る彼の様に自分自身を映していた。己の背中の覚束なさに身を詰まらせる。このまま試合に臨まないことで失う自身のキャリア、「オリンピック出場」という肩書を得られないアスリートの末路への恐ろしさが、硝煙よりも彼らの恐怖を煽らせるのだ。
「な……ん、で……すっ……て……!?」
対して、サルタイアも言葉を詰まらせていた。目の前で自分を罵倒するナラヤナとの日々を走馬灯の如く過らせる。共に戦い、労い合い、他の選手との冷たい視線から外れた者同士の、かけがえのないと思っていた日々が、その馴染の声によって打ち砕かれていく。衝動は悲しみよりも怒りよりも、吐き気となって喉がやけつくような痛みとなった。顔は真っ赤になって膨らみ、翡翠の瞳も擦れる程に白眼が鈍い光を放っていく。
「貴族枠なんて……! 貴方だけは言うまいと……! 思っていたのに……!」
皐月の陽の元で笑い合った顔から、無機質な照明に眼光迸る憎悪の顔を見据え、サルタイアもまた怒りもって答える。罵倒を罵倒で返すのも浅ましいという過りは、一瞬の内にサルタイアを狂気へと走らせた。それは己で自覚するも前に、白い指が風を為して爪を立てさせた。
「この……ならず者がアッ!」
筋肉の束を固めた腕が咄嗟にナラヤナの胸倉を掴む。うねる黒髪と睫毛が初めて動揺に舞いあがれば、「えっ」と口開く間に押し退けられた勢いに合わせて、ナラヤナは壁に側面を叩きつけられる。痛みと揺れる世界に咄嗟に目を瞑った。
「何をして……!」
反動で開きかけた瞳は、右腕を振り上げるサルタイアの姿に怯んだ。眉を憤怒に吊り上げ、唇を噛みしめる様見て上擦った声をあげる。拳がぎゅっと固められ、寸分の躊躇もなくナラヤナの薄い頬に向かって半円を描いて振り掛かる。それに一斉もあっと声をあげ、ナラヤナは先の悲劇に目を瞑った。だが――、
「やめろッ!」
野太い男の声が二人の体を震わせる。選手として刻み付けられた本能が、風を切り裂き拳を寸でのところで留まらせた。しばし、切迫した空気が振り払われた中で、荒い息を整える周りと二人が声の方に顔を向けると、向かい壁に尻もちをついていたマットが、立てた片膝にのばした右ひじを乗せて俯いていた。
「さっきから俺の意見を聞かないで好き勝手しやがって……それこそ選手の風上におけねえぞお前ら……」
俯いたままの言葉がはっきりと耳に届いた。端の壁に立ち止まる二人へとふらつくマットは、その間に立つと、恐れの目を剥く二人に覆いかぶさり――、固まったそれぞれの肩をしっかりと抱く。
「たっく……こんな若造たちに全てを背負わせる世界なんて、本当に禄でもねえものになっちまったあ……」
防具から盛り上がる肩の固さに目を開く若者たちに対して、揺れる口髭が彼らの首筋をそっとなぞる。
「お前たち……、変に大人になろうとして粋がったことが言ってんじゃねえよ。こういうのは、俺たちオッサンどもにどうすればいいって任せておけば良かったんだよ……。その責任は全て俺たちにある、そうだったはずだろう、お前たち……」
背後で戸惑う仲間たちを、振り向き際に睨んだ。
「そしてお前らもお前らだ。己の言いたいことを何歳も下のこいつらに代弁させて、そっちは見ているだけなんてよ……随分と虫の良いことをしてるじゃねえか」
咎めの一撃に、互いに顔を見合わせてバツの悪そうな面々で俯く彼らは、それでも答える術もなく狼狽えるだけだ。マットは呆れた眼差しで眉を顰めてはそっぽを向いた。そのときには既に冷徹な顔となって、深くその胸に留められた若者二人は――、リーダーの腕に顔を埋ませその身を掴んで震えていた。
「いいだろう。そうやって何も言うつもりがねんなら、代表として俺の意志に従ってもらう。それから後から恨むなり、嘆くなりなんでもしろ。けど今は時間がない。これから俺の言うこと全てに従っててもらうからな、いいな」
念を押した声に頷いたのは、脇で時計を確かめる船長だけである。残り時間15分。震える後輩たちの、この日のために鍛えてきた身体の線を胸の中に留めながら、ぼんやりとした面持ちで遠くの天井を見上げ、マットは口を開く。そして最後に固く2人を抱き返したと同時に身を離す。向かいの壁へと歩き出し、先と同じところへ背をつき再び胡坐を掻いた。代謝の悪くなった幾重の皺が為す腹を折り曲げて、時間がないというに関わらず、しばしの間、項垂れていた。やがて――、
「俺、あの子を見たときに思ったんだ」
と、切り出す。
「切なそうに俺を見る目、縋りつく手の震え、そして連れて来られる間にも唖然とする俺をずっと追いかける黒い瞳……今でも目に浮かぶようだ。そのときに思った瞬間をもはっきりと伝えることも出来る」
物々しく胸に手を置いて、マットは滲み出る情動を押さえるようにくの字に曲げた。それにサルタイアの手は祈る形となって拳を為す。それは手ごたえであった。
そうか、マットも少女への憐みを感じて彼女を守ることを優先するのだろうと――、過った期待に翡翠色の瞳は瞬き、一方でナラヤナも、同じように思って汗ばんだ眉を下げた。
「そう、あのとき、彼女を見た俺はこう思ったんだ……」
後から続く唇の辿りを追い駆ける二人の瞳は、微風が届けた次の言葉によって予想外の驚きに揺らめく。
「すっごく……気持ち悪いって……」
モーター―音が煩わしく天井を駆け巡る。長い沈黙の内に腑抜けた声をあげたのは、一番端にいた船長だった。
「は……?」
考えるよりも前に身を乗り出して問い詰めようとした彼を阻むよう、俯きながらも大きくはっきりした声でマットは続けた。
「いや、マジで、本当に気持ち悪いって思ったんだよ……。ここまで胃袋がせせりあがったのも初めだと思った」
声の拍子から、冗談も何さも感じられなかった。本気で言っているんだ、と、覚ったときの混乱がサルタイアに駆け巡る。対してナラヤマは予想外の反応とともに、数かに過った期待に見開いた。
「リーダー……」
「マットさん……マットさんまで……そんなことを……」
絶望に身体が大きな反動を起こし、泣き声となって溢れてしまう。崩れ落ちる前の足音を鳴らすサルタイアに対して、マットは顔をあげて応えた。膝はついたままで、首から上を水平の高さでぬっと前に出し、ぎょっとする面々を弾かせて、何も遮りなくなった中でブラウンの瞳はピストに反射した光を借りてぎらぎらと瞬いた。
「そんなことを……って、だって現にそうじゃねえか……?」
そして不思議なことに、彼の声は窘めでなく、サルタイアと同じように震えの言葉を紡いだのだ。
「なんで……なんで……? 13歳の女の子が、オッサンにそんな顔をしなくちゃならねえんだよ? あの頃頭の中にゃ本当は友だちとか、好きな動物やアイドルとかイケメンとか、よく知らねえけどそういうので一杯であるはずじゃねえのか?」
涙舞い散らし目を開くサルタイアへと乞うように、マットは歪んだ眉に汗を溜める。己の胸を抱いて首竦めるマットの語りは、まるで更に遠くの――、己の良心に問いかけるような口ぶりだった。
「俺の存在なんてこの世にないものとして振舞って、縦横無盡に自分の好きなものと美しいものばかりにしか興味のない。そんなモンじゃねえのかよ? 身の程なんて言葉も蠅音のごとく振り払って、どこまでも自由に、我儘に……そういうモンであるはずだったろう……13歳ってのは……」
胸を掴んでいた手を宙を描き、マットは重力に任せて拳をピストに叩きつける。
「なのによ……、こんな……こんなへちゃむくれのオッサンに、自分の人生を預けるような目で追いすがるなんて……ありえねえんだよ……! いや……あっちゃいけねえそんなことは……あっては……ならねえんだ……」
爪で掻きむしって蹲り、苦悶に歪む瞼を瞑って声を絞り出した。その目の裏に浮かぶ彼女の、微かに感じた疼きをも纏めて嫌悪に歯を鳴らす。
「気持ち悪い……本当に、気持ち、悪い……! 13歳の女の子に、あんな顔をさせる社会も……! その国も……! どいつもこいつも……気持ち悪い……!」
立てた爪を己の拳の中に突き立てて、ピストに額を擦りつけた。そこからマットは嫌だ、嫌だと嘆きながらも、やがてピタリと留まった拍子で告げる。
「あの娘は……絶対に引き渡さない」
と声にならないどよめきが広がる中で、サルタイアは口を開いて波を吸い込んだ。
「マットさぁん……!」
「あんたもそんな顔をするモンじゃないっスよ、伯爵」
サルタイアの顔をも見ずに立ち上がり、マットは俯いたまま人だかりの間を抜いていく。そして、入口近く、人塊の先頭に立ったときにぶつかったナラヤナの肩を思いっきり強く片手で掴んで抱いた。そこでナラヤナは、初めて引き締めた唇から呻きの一つをあげて揺れる前髪を垂らす。それは自分の宿命が定まった嘆きではなく――、抱かれた腕の強さに痛々しい程の彼の悲愴を感じていたからだ。
「先に約束した通りだな。行くぞ……お前ら」
ナラヤナの肩を抱いたまま野太い声でマットは告げる。入口に向けた顔を見せず、下ろした拳を握りしめながら。
「娘の引き渡しには応じない。これから俺たちは命がけで彼女を守り、助けがくるまで連中と戦う。覚悟を決めろお前ら……! 残りの時間はそのための計画に費やす! いいな!」
威勢をあげて応えたのはサルタイアだけだった。しかし、振り向き際に血走った瞳に追い立てられて、俯いたままのナラヤナが、そして後から他の面々も声をあげていく。その端に言いようのない不安に追い立てられながらも、燻るフェリーの中で大きな運命が定まった瞬間となった。
武器を持たぬ男たちの戦いは始まる。
ブラウンの瞳が斜め上へと見遣る先には、立てかけられたサーブルの矛先が彼の瞳と同じ瞬きを放っていた。
〈後編へ続く〉




