第8話 元護衛、王女誘拐犯になる
槍の穂先が、俺の胸元で止まった。
背後でも、石床を踏む音がした。もう一人が出口の前へ回っている。
「剣から、手を離してください」
門兵の声は若かったが、握りは動かなかった。俺が腰へ手をやれば、踏み込む構えだ。
工房を押さえてから三日後の朝。王都へ戻った俺の右肩で、包帯の下の傷が脈打った。
「通達は確認しました」
俺は両手を見せた。
門の内側の詰所。セドリックが一般の通行人と離してくれたので、俺たち以外にいるのは、当直の兵と門の責任者だけだ。
「拘束命令ではないはずです。照合をお願いします」
通達の公印自体は本物だが、王命の番号がおかしい。昨夜泊まった宿駅で、セドリックが確かめていた。
それでも、この門の責任者が照合を終えるまでは通れない。
偽の紙一枚で、門を守る兵と剣を交えさせられるところだった。
「わたくしからも、お話しします」
ソフィが俺の隣へ出て、フードを下ろした。
銀髪を見た兵が息をのむ。彼女は槍先から目をそらさず、背筋を伸ばした。
「第二王女ソフィアです。わたくしは自分の意思で、彼のパーティーにいます。誘拐ではありません」
兵の一人が、槍を引いて片膝をついた。
責任者は礼を返したが、出口の兵を下がらせなかった。
「殿下のお言葉でも、確認の手順は省けません」
「ええ。確認してください。この人の名前が、誤ったまま残らないように」
セドリックが巡察状と、本物の帰還命令を広げる。
照合簿が運ばれる間、ソフィは俺の隣を動かなかった。廊下を走る足音が近づくたび、出口の兵が振り向く。
やがて責任者が番号の末尾まで指で追い、確認欄へ署名した。
「巡察と帰還命令を確認しました。通達の番号は該当しません。通行保留を解除します」
出口が空いた。
俺はようやく両手を下ろした。右の指が、冷たくなっていた。
「門を守ってくださって、ありがとう」
ソフィはそう言い、フードを戻した。
俺の背中へ隠れず、自分の足で詰所を出ていった。背後では、責任者が当直の兵へ、今の名乗りを口外しないよう念を押していた。
◇
ギルドの会議室には、先に送った証拠の目録が並んでいた。その報告をもとに、俺たちの帰還に合わせて関係者が呼ばれていた。
ミーナ、オルガ、ガレン。それにエリアナ殿下と、街道整備局の立会人。
守秘の確認を終え、扉が閉じる。マティアスは、俺の肩を見て目を細めた。
「無理な活動をなさったようで」
「何が無理か、これから確かめる」
椅子へ座ると、肩に痛みが走った。
ソフィが背もたれの位置をずらしてくれた。俺は小声で礼を言う。
マティアスはそれを見て、丁寧な調子のまま口を開いた。
「王女殿下を危険へ連れ出した事実は、否定できませんね」
胸の奥を正確に突かれた。
俺が無傷ならまだしも、今は右肩に包帯を巻いている。守れると言った男の姿としては、説得力に欠ける。
隣のソフィが何か言おうとした。
俺は彼女と目を合わせてから、左手で証拠箱を机へ滑らせた。ミーナが封印を目録と照合し、開封する。
「危険は、あなたの局が納めた石から始まっている」
ミーナが受領簿を開く。
「岩角鬼の魔石を預かった時刻と、鑑定時の状態です。村の調査より前に、加工された結晶を確認しています」
「冒険者が混ぜた可能性は?」
「採取に立ち会ったのは、こちらです」
ガレンが帽子を机へ置いた。
「あのとき石に何か入れる暇があったなら、もう少し早く助けてほしかったねえ」
冗談の形だったが、目は笑っていなかった。
マティアスは次の紙へ視線を移す。
「では、旧関所の帳簿は。出所の分からない書類を持ってこられても」
「こちらは、村が保管していた納入控えよ」
ソフィが二枚の紙を並べた。
現物番号の写しと、納入予定の番号。
「村には、予定の番号と違う石が届いた。交換の記録はない。工房では新しい型の石を旧式品と記帳していた。どちらも、実物と書類が食い違っているわ」
「現場の不手際でしょう。私が一本ずつ石を見るわけではありません」
「では、なぜ書類だけが先に正しく整っているのか、調べる必要があるわね」
声は静かだった。
リタが封印した荷札と車輪の記録を出し、ガレンが商会の車型を確かめる。
セドリックは偽通達の番号と、現行の暗号との不一致を示した。本物の公印を使った、偽の王命。支部の受領記録では、配布に黒楢商会の便が使われていた。
マティアスの指が、右手の指輪を一度回した。
「調達の原本を見れば分かることです」
エリアナ殿下が、そこまで黙っていた口を開く。
「その原本には、焼失届が出ていますね」
男の指が止まった。
「火災で」
「承知しています。ですから、有罪をここで決めるつもりはありません」
姉君がオルガへ目配せした。
室外で待っていた監視員が入ってくる。
「資料保全のため、あなたを職務停止とします。調査中は官舎から出ないように」
マティアスは俺を見た。
眼鏡の奥の目から、愛想が消えていた。
オルガは、取引先の商会にも記録の保全を求めるよう職員へ指示した。監視員が男を連れて出ると、閉じた扉の向こうで靴音が遠ざかった。
◇
ミーナが、最後に鑑定控えの一行を指した。
「盗まれた添付票にも、これがありました。王家の光に反応した、と」
ソフィの正体を推測する材料だ。
商会の便が俺と銀髪の魔術師を村で見れば、それを確かめる手掛かりにもなる。
「それなら、第二王女の誘拐と書けた理由も説明できるのね」
ソフィが言った。
追い出したいのは俺だけではない。彼女を王宮へ戻せば、灰晶を見分ける光も現場から消える。
俺は控えをミーナへ返した。
「これから出す報告にも、気をつけよう。誰に渡るかまで含めて」
「ええ」
ソフィは自分の登録証を確かめ、外套の内側へしまった。
隠したいのは身分だけではなくなった。村で待っている人たちの名前も、相手へ渡せない情報だった。
会議が終わると、右腕がひどく重くなった。
緊張している間は、痛みを忘れる。治ったわけではないのに。
リタが俺の荷物を左側へ移し、ソフィはエリアナ殿下のもとに残った。
「村の人は?」
「あなたたちの報告で、警戒と増員を手配しています。工房番も、より安全な場所へ移すよう指示を出します」
ソフィは一度うなずいた。
姉君の返事だけで、全部が済んだ顔にはならなかった。
「届くまでに時間がかかるわ」
「ええ。だから、手配した時刻も伝えます」
エリアナ殿下が、控えを妹へ渡した。
ギルドからは、マティアスの外部接触を調べる仕事を提示された。
人の見張りは騎士が担当し、俺たちは商会の運搬経路を確かめる。村への便がまだ動いているなら、止めなくてはならない。
三人で受けると決め、厩へ向かった。
リタが馬を見に行ったあと、ソフィと二人になった。
手綱へ伸ばした右腕に痛みが走り、俺は左手で取った。
「俺と来なければ、あんなことを言われずに済んだ」
言ってから、誰のための言葉か分からなくなった。
ソフィは馬の鼻先を撫でていた。
「今ここで帰っても、いいのね」
俺は彼女を見た。
引き留める理由は、いくらでも考えられる。結界役が要る。彼女の知識が要る。
その全部を飲み込んだ。
「ああ」
ソフィがこちらを向く。
「それでも、わたしは行くわ」
彼女は自分で手綱を取った。
俺はもう一度だけうなずいた。今度は謝らなかった。
厩の入口から、リタが駆けてきた。
「商会の発送控え。まずい便が出てる」
リタが差し出した紙には、記録を保全したギルド職員の署名があった。商会の王都営業所から届き、厩の入口で使いに渡されたという。
荷の名目は結界補修材。だが、工房の帳簿と同じ資材番号に、大量の灰晶と増幅器具が対応していた。出発は一昨日の夜。行き先はベルカの採石場。
もう、着いている頃だった。
◇
会議室へ戻ると、別の悪い報告が待っていた。
マティアスが官舎から消えた。
移送命令を照合する当直役人が、偽の指示を正規のものとして通したらしい。監視員は通用口まで送り、商会の馬車へ引き渡していた。
「照合役も行方不明です」
セドリックが言った。
エリアナ殿下は顔を上げず、机の端を押さえる。
「私の監督の穴です。以後の移送は、王家とギルドの両方で確認を。逃走路を押さえてください」
そのとき、机の奥で乾いた音がした。
ベルカ村と対にした警報符。
中央に、灰色のひびが走っていた。
ソフィが手を伸ばしかけ、止めた。
「塔が攻撃されている。封印は、強い波を受け続ければ破れるわ」
「村の壁も、もう?」
「そこまでは分からない。これは、知らせるだけの札だから」
少なくとも、今、誰かが助けを待っている。
採石場へ送られた増幅器具。逃げ出したマティアス。別々だったものが、一つの景色になった。
「共鳴器を止める」
俺が言うと、オルガがすぐに別の依頼紙を出した。
「地域災害だ。B級の緊急共同依頼へ切り替える。交換資材と上位冒険者を含む救援隊も出すが、到着は明朝になる」
「替え馬で約八時間。先行する三人なら、今夜には着けます。私の隊も救援に続きます」
セドリックが替え馬の利用証と、共鳴器を追うための正式な追跡証を机へ置いた。
ソフィとリタを見る。二人とも、俺を見る。
「先行して、村の班と合流する。共鳴器の確認と停止だ。手に負えなければ、避難を優先する」
「分かった」
「ええ。わたしも行く」
俺は二人の返事を聞いてから、依頼紙へ署名した。
正午の鐘が鳴り始めた。
ソフィが外套を留め、リタが弓を肩へかける。
机に残った札が、最後に二つへ割れた。
「行こう」
俺たちは、同じ扉へ走った。




