第5話 王女様、銅貨二枚の使い道を覚える
ソフィは銅貨二枚を、露店の台にぴたりと並べた。
「干しリンゴを一包み、お願いします」
「おや。この間の金貨の人だね」
成功した顔が、一瞬で赤くなった。
老婆は笑いながら、袋の口を折る。
「今日はいいのかい。店ごとじゃなくて」
「その件は、もう忘れていただけないかしら」
俺は少し離れた場所で馬車の荷を締め直した。笑っていないことを証明するには、背中を向けるのが一番だった。
盗まれた魔石の行方は、まだ分からない。
ベルカ村から救援依頼が届いたのは、昨日の朝だ。結界塔の不調と、原因の分からない頭痛。
村を訪ねれば、奪われた標本と同じ異変を確かめられるかもしれない。何より、薬を待っている人がいる。
俺たちは依頼を受けた。
ただ、今度は二人だけでは足りない。魔物がいつもの道を外れている土地で、前を探る者が要る。出発前に、土地勘のある斥候を一人募集した。
ベルカ村への薬と、結界石の検査道具。
ガレンが手配した小さな荷車に、鍋は一つだけ載っている。
昨日、荷物を合わせたときには三つあった。一つは俺。一つはソフィ。そして三つ目の持ち主が、荷台をのぞいて呆れた。
「三人で宿屋でも始める?」
そう言ったのは、赤茶の短い髪に、使い込んだ短弓の女だった。新しい同行者、リタ・ヴァレルだ。
◇
リタが募集へ応募したのは、昨日の午後だ。
北方出身のDランク。面接で最初に聞いたのは俺の剣歴でも、ソフィの家柄でもなかった。
「取り分と、引き返す条件は?」
話が早い。
足跡の写しを見せると、魔物の種類だけでなく、荷車が通ったあとについた跡かどうかまで分けてみせた。
依頼書を広げ、物資護衛と塔の点検、それぞれの報酬の取り分を確かめる。想定を超える魔物が出たら引き返し、ギルドへ増援を求める。そこまで合意してから、行程へ移った。
荷車はリュネル支部の便へつなぎ、村への配達を終えたら、俺たちは調査へ回る。
ただし、普通の依頼にしては、伝えるべき事情が多い。
俺たちは応接室の扉を閉めた。
「同行を決める前に、知っておいてほしいことがある」
ソフィがフードを下ろし、本名を告げる。
リタは黙った。
止まった筆先から、墨が一滴落ちた。
「……本物?」
「偽物を連れてきても、わたしの代わりにはならないでしょう」
リタが俺を見る。俺はうなずく。
王家の巡察条件と、途中で依頼を離れる権利まで説明してから、彼女はようやく息を吐いた。
「黙ってたら、契約は破ってたよ」
「だから、先に話した」
「うん。それは、分かった」
彼女はソフィへ向き直った。
「王女でも、鍋は一つでいいよね?」
「……鍋?」
「さっき荷物を見た。三つあった」
「王女なら、二つに増えるものなの?」
「増えない。むしろ荷車が狭くなる」
「では一つでいいわ」
「決めるの早いな」
契約書に署名したあと、リタは最も軽い鍋だけを残した。
俺の鍋も落選した。新人だけが荷物を直されるわけではないらしい。
◇
出発の朝、残した鍋を荷台へ固定し、三人で王都を出た。
リュネルで一泊し、支部の便と合流した翌日の午後。
荷車から降りたソフィが、干しリンゴの包みをリタへ差し出した。
「食べる? あまり甘すぎないの」
「ありがと」
リタは一枚取り、腰の小袋から塩を振った。
ソフィの目が丸くなる。
「せっかく甘いのに?」
「甘いから。北じゃこうする」
「一枚、試してもいい?」
差し出されたものをかじり、ソフィは黙った。
リタが勝ち誇る。
「どう?」
「……もう一枚で判断するわ」
「気に入ったんじゃないか」
ソフィは二枚目を受け取る前に、俺へ包みを差し出した。
「あなたも。意見を聞かせて」
「甘い」
「塩も」
「塩は、甘い干しリンゴへ振るものではない」
「北では振る」
「二対一だね」
リタが、もう一枚を半分に折った。
「多数決は食べ物に使うな」
「では、次は鍋で使う?」
「鍋はもう決まった」
ソフィが小さく笑い、半分の干しリンゴを受け取った。
俺は荷車の少し前を歩いた。
後ろで二人が最後の一枚を分けている。俺に分からない話でソフィが笑うのは、王宮ではあまり見なかった光景だった。
少しだけ振り向く回数が増えた。警戒のためということにしておく。
古い石標の前で、リタが止まった。
「ここから村の道。通行料の札は古いままだけどね」
ソフィが苔を避けて文字を読んだ。
「荷車一台だけでなく、積み荷の量にも税がかかるのね。薬なら減免があるはずだわ」
「御者に言ってやって。ここ、長いこと満額取られてる」
ソフィは荷車へ戻り、御者に薬の荷札を見せてもらった。減免を受けるために必要な記載を確かめ、一緒に料金所へ向かう。
戻った御者が、減免の額を書き込まれた通行票を振ってみせた。
リタは、少し改まった目で彼女を見た。
「読めるだけじゃないんだね」
「知らない人に、教えてもらうこともあるわ」
ソフィが塩の小袋を見た。
リタが鼻で笑い、北の空を見上げる。渡り鳥の列が、山へ向かっていた。
「あたしも、そろそろ戻りたいんだけどね」
「故郷に?」
「戻ってこない身内がいる。王都で何か分かるかと思ったんだけど」
それきり、彼女は話を切った。
俺たちも追わなかった。
その先で、角兎が道を横切った。
次に森狼。兎へ目もくれず、どちらも南へ走る。
リタが短弓へ手を添えたまま、首をかしげた。
「聞こえる?」
「足音か」
「もっと下。歯の奥に響くみたいな」
風がやんだとき、腰の検査道具がかすかに鳴った。
ガラスではない。箱に収めた小型の標準石が、内側から木を叩いたようだった。
◇
ベルカ村には、夕食の煙が少なかった。
門の内へ入ると、小さな少年が走ってきて、荷車の薬箱を見上げた。
「薬の人?」
「薬は持ってきた。俺たちは護衛だ」
「父ちゃん! 来た!」
奥から出てきた木こりが、帽子を取った。
「トマです。こっちは倅のニコ。助かりました、家内が寝込んじまって」
木箱を運ぶトマの足取りにも、どこか重さがある。
村長に案内された家では、トマの妻が額を押さえていた。隣家にも、その向かいにも、同じように横になった人がいる。
「昨夜は、石が落ちてくる夢を見たんです。頭まで痛くて」
ソフィが額へ手をかざした。
光が消えると、女性の眉間が緩んだ。
「ああ……少し楽に」
ソフィは次の家へ向かいかけた。
俺は扉の外で止める。
「同じことを全員にできるか?」
「重い人から順に」
「明日また痛みだしたら?」
彼女は杖を握り、少し考えた。
「原因を調べる必要があるわね」
「何が要る」
「紙。できれば村の家が分かる地図も」
紙は荷車にある。村の地図は、村長に借りよう。
リタは井戸の確認へ向かった。俺は紙と筆をソフィへ渡し、村長の家へ向かう。ニコがソフィの横についた。
「家なら、おれ全部知ってるよ」
「では案内をお願いできる?」
少年は得意げに胸を張った。
俺が地図を借りて戻ると、ニコは載っていない細道を見つけ、筆を借りて書き足した。ソフィが家の場所を尋ねるたび、小さな指が次の角を示す。
日が落ちてからは聞き取りを切り上げ、俺たちも休んだ。
翌朝、ソフィは集めた話を、借りた地図へ書き込んだ。
病人のいる家に丸。頭痛の強い家には二重丸。夜中に目が覚めた時刻も添える。
俺が椀を持っていくと、彼女は筆を置かずに顔だけ上げた。
「冷めるぞ」
「もう少しで――」
言いかけ、自分で口を閉じた。
筆を置いて、椀を受け取る。
「それ、今後も言ってくださる?」
「君も俺に言うだろう」
「ええ。何度でも」
熱い粥を一口食べ、彼女はようやく息をついた。
「井戸は関係なさそうよ。水の汲み先が違う家でも、同じ症状がある。近いのは、こちら」
地図の三か所へ、指を置く。
村を囲む結界塔だった。
二重丸の家が、その足元に集まっている。
◇
塔の主石は、俺の頭より大きかった。
台座には街道整備局の正式印。ソフィは村長が保管する納入控えと見比べ、刻まれた番号を指した。
「末尾が違うわ。届ける予定の石と、現物が同じではない」
「交換の記録は?」
「ありません、そんなものは」
村長の声が固くなった。
ソフィが検査用の光を主石へ通す。
芯の奥に、灰色の枝が浮かんだ。
岩角鬼の魔石と同じ色だった。
「防壁の光に、別の波が混じっているわ」
光に指を近づけたソフィが、眉をひそめる。
「防壁はまだ働いている。でも、この灰色の波は外を刺激している。何かを、こちらへ向かせるように」
他の二塔も同じだった。塔を回る間にも灰色の明滅があり、その時刻を控えていく。
主石を抜けば防壁まで消える。俺が検査箱を開くと、村長が中の小石を見た。
「……交換の石では、なかったんですか」
台座へ伸ばしかけた手が、下がった。
「これは検査用です。交換には、この塔に合う石と、据え直す道具が要る」
村長はうつむいた。昨夜も眠れなかったのだろう。目の下に、濃い影がある。
ソフィが台座の縁へ杖先を置いた。
「交換を待つ間、応急の封印で灰色の波を抑えるわ。全部を治せるとは言えないけれど、今夜の痛みは減らせると思う」
村長は一度塔を見上げ、それから深くうなずいた。
俺は三塔を巡る結界の光に警報符を合わせ、中央広場に近い塔へ結んだ。対になる札は王都ギルドに預けてある。結界が強い攻撃を受ければ、向こうの札が割れる。
何が起きたか話せる道具ではない。だから先に、ソフィの地図と検査結果を報告用にまとめた。
最後の封印を終えたとき、足元から重い音がした。
離れた採石場の方角だ。
「このところ、毎晩だよ」
村長が言った。
俺は沈みかけた日を見て、門の見張りを増やすよう村長に頼んだ。
日没と同時に、三つの塔が灰色に明滅した。
森の縁に、目が並ぶ。
狼も、兎も、もっと大きな影も。こちらを向いて、立ち止まっていた。
次の音を待っているように。
門を閉める村長が、人の名を呼び始めた。
「トマ。ベン。ヨルグ。……ニコ?」
返事がない。
昼から薪を取りに出た荷車が、戻っていなかった。
ソフィの手には、少年が道順を書き足した地図が残っていた。
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