第3話 王女の告白は加入希望に聞こえる
一体目の岩角鬼が倒れたとき、地面が跳ねた。
俺は魔石を砕いた剣を引き抜き、横へ転がる。二体目の拳が、さっきまで頭のあった場所を掘った。
動きは遅い。だが一撃が重い。
馬車に当たれば、人も薬草も区別なく潰れる。
「こっちだ」
石を蹴り上げて顔へ当てる。二体目が吠えた。
その脇を、三体目が通り抜ける。
俺を見ていない。結界の向こうの荷馬車へ、足を引きずりながら向かっていた。
「ソフィ、馬車とガレンを守れ!」
詠唱が、一音で途切れた。
ソフィの杖が震えている。小石で囲った結界の一角が、細かく明滅した。
「全部を守ろうとするな。前の一枚だけだ!」
彼女の目が俺を捉えた。
唇が動く。荷馬車の前に、薄い光が立った。
岩角鬼の拳がぶつかる。
鐘を叩いたような音とともに、防壁が内側へたわんだ。
押し切られる寸前、拳が光の縁を滑った。馬車の手前で、土が跳ねる。
「止まった――!」
ソフィの声がした。
その数秒で十分だった。
俺は二体目の膝裏を切り、崩れる巨体の肩を踏み台にする。体内へ魔力を巡らせ、一度だけ脚を強めた。
三体目の背へ跳ぶ。
首の根元の灰色の魔石を狙い、剣を突き下ろす。
周囲を覆う岩の皮膚が裂けた。柄を握り直し、両手でさらに押し込む。
砕けた欠片が散る。
俺は地面へ降り、膝を切った二体目が立ち上がる前に首を断った。
森が静かになった。
肩で息をしながら、荷馬車を見る。車輪は四つともついている。ガレンがその下から顔を出した。
「……薬は、無事かね」
「先に自分の手足を数えてくれ」
「ある。たぶん、いつもの分だけ」
よかった。俺は剣先を下げた。
馬は綱を張っていたが、脚に傷はない。ガレンが声をかけながら、震える首筋をなでた。
ソフィは立ったまま、消えた防壁を見つめていた。
「ソフィ。もういい」
返事がない。
杖を握り締めた指へ手を添えると、彼女はようやく瞬きをした。
「ごめんなさい。声が、出なくて」
「最後には出た」
「あなたが全部……わたし、何も」
俺は馬車の前を指した。防壁に逸らされた拳が、車輪一つ分も離れていない地面をえぐっていた。
「君が止めなければ、ガレンは死んでいた。俺は間に合わなかった」
ソフィの目が穴へ移った。
ガレンが馬車の陰から帽子を取る。
「助けてくれて、ありがとうよ」
彼女は返事をしようとして、唇をかんだ。
俺はソフィの肩に毛布をかけた。彼女はその端を握り締めた。
◇
森に、後続の気配はなかった。暗い道へ荷馬車を出すより、岩を背にしたここを守る方がいい。夜明けまでは場所を移さず、見張ることにした。
魔石は三体分を回収した。砕けた二体分の欠片も、最後の一体から取り出した塊も、灰色に濁っていた。
表面の汚れではない。割れた断面には、芯へ向かって同じ太さの筋が入り込んでいる。
おかしなものを食ったのか。それとも、北で何かが起きているのか。
回収袋を縛って戻ると、ソフィは毛布の中で膝を抱えていた。
「眠れないか」
「目を閉じると、拳が見えるの」
俺も隣へ腰を下ろした。
「最初の任務の夜は、俺も眠れなかった」
「あなたでも?」
「鎧の留め具が鳴るたび、敵が来たと思った。結局、朝まで鎧を脱げなかった」
彼女が、ほんの少し笑った。
「今は、怖くないのね」
「怖いから、先に調べる。道も、敵も、逃げる場所も」
彼女は杖を指先でなぞった。
「あなたの声だったから、動けたわ」
焚き火の残りが、小さく崩れる。
そう言われて嬉しくないはずがない。だが、それだけを頼りにしていい場所ではなかった。
「次は、自分でも何を守るか決められるようになる」
「教えてくれる?」
「君が続けるなら」
ソフィは毛布を口元まで引き上げた。
「続けたいわ」
眠気に負けそうな声だったが、そこだけは、はっきりしていた。
空が白み始めるまで、俺は火のそばで森を見張った。朝になってから馬と荷を確かめ、街道へ戻る。
昼過ぎ、宿場町リュネルへ着いた。
ギルドで魔物の出現場所を報告し、ガレンの護衛を完了する。想定外の危険分は支部で追加査定となった。
受け取った銀貨を、ソフィはずいぶん長く見ていた。
「わたしにも、あるのね」
「働いたからな」
受付から王都での連絡先を尋ねられたところで、彼女の指が止まった。
「紹介してもらったお宿に……」
「王都の宿か。あそこは一泊だけだろう」
「一度泊まれば、わたしの部屋になるのでは?」
ならない。
俺が料金表を指すと、ソフィは銀貨を握り直した。
「では、今夜は?」
「ここの宿を取る。王都へ戻ったら、俺が泊まっている宿の空室も聞こう」
「同じお宿?」
「別室だ」
「まだ何も言っていないわ」
言われる前に確認するのは、危険管理の基本である。
ガレンが横で何か言いたそうにしたが、幸い、荷物の受取人が彼を呼んだ。
◇
翌日の帰り道、王都の城壁が見えてきたところで、ソフィが足を止めた。
行きよりも上手に歩けている。靴のせいではなさそうだった。
「少し、いいかしら」
街道から外れた木陰で、彼女はフードを下ろした。
編んだ銀髪が、午後の光を受ける。
「わたくしは、ソフィア・レイナード。王国の第二王女よ」
「知っている」
用意していたらしい次の言葉が、口の中で迷子になった。
「……いつから」
「入れなさいと言われたときから」
「最初ではないの!」
「声も靴も同じだった」
彼女は両手で一度顔を覆った。
やがて手を下ろすと、さっきより真剣な目になっていた。
「どうして、黙っていたの」
「ソフィとして何をしに来たのか、君から聞きたかった」
風が枝を揺らした。
彼女は外套の留め具から手を離し、俺の前へ立ち直った。
「謝りたかったの」
俺は返事をせず、待った。
「寂しかったから、という理由はあるわ。でも、あなたを呼びつけてよかった理由にはならない。食事も、休みも、わたしの都合で奪った」
彼女は俺の顔を見て、続けた。
「当直の人を呼ぶと言ってくれたときも、あなたがいいと押し通した。あそこで、帰ってもらうべきだったのに」
一度、息をつく。
「困らせたかったわけではないの。でも、あなたが苦しんでいることを、見ようとしなかった。ごめんなさい」
頭が下がった。
冷めた皿の前では、翌日の勤務を考えることにしていた。腹が立っても、疲れていても、次に呼ばれるときには顔に出さずにいた。
今は、平気だったことにしなくていいらしい。
「俺も、つらいと伝えなかった。平気な顔で引き受けて、最後にまとめて投げ出した。それは、すまなかった」
「騎士を辞めたことは、謝らないで」
彼女は顔を上げた。
「あなた、外に出てから、ちゃんとお腹がすいた顔をするもの」
そんなところを見られていたのか。
俺が返す言葉を探す間に、ソフィアはもう一歩近づいた。
「護衛へ戻ってほしいのではないわ」
「ああ」
「断られたら、帰るわ。王女として命じたりしない」
外套から離した指先が、少し震えていた。
それでも彼女は、俺から目をそらさなかった。
「あなたの隣に、わたしがいたいの」
頬は赤く、目は真剣だった。
剣を向けられたときより、返答に困る。胸の奥が熱くなり、視線を外す理由を探してしまった。
これは、おそらく、とても大事な場面だ。
まっすぐ受け取れば、三年分の何かが言葉になって出てきそうだった。だが、その何かを俺はまだ整理できていない。
騎士として十年、護衛の判断へ私情を持ち込まないようにしてきた。その癖は、剣帯の締め方より体に染みついている。
彼女が王宮の外を知ったばかりの今、都合よく受け取るのも怖かった。
間違えてはいけない。
だからこそ、俺は慎重に言葉を選んだ。
「つまり」
「ええ」
「パーティー継続希望ということですね」
沈黙。
「……はい?」
敬語に戻った途端、言葉だけはつかえなくなった。
「今回の依頼で適性は確認できました。結界魔法は実戦で有効。依頼人を守り、最後まで仕事を続けた。今後も俺のパーティーメンバーとして正式に受け入れましょう」
「ち、違うわ!」
「違う?」
「違わないけれど、違うの! わたしがどれだけ勇気を出したと思っているの!」
「加入の意思表明にしては、たしかに勇気ある発言でした」
「加入の話だけではないわ!」
「では、宿の話も含みますか」
「部屋は別だというお話なら、もう聞いたわよ!」
「では、部屋の件は解決済みですね」
「そういうところ!」
ソフィアは真っ赤になって片足を踏み出しかけ、思い直したように両手で顔を覆った。
靴擦れを覚えていたらしい。そこを褒めるのは、今は違う気がした。
「もういいわ。あなたがちゃんと受け取るまで、隣で何度でも言ってあげる」
「それは助かります。連携のためにも意思疎通は大切ですから」
「連携の話ではないわ!」
怒りながら、彼女は笑っていた。
指の間から見えた目には、まだ少し涙が残っている。それでも、さっきより顔が上がっていた。
俺も口元が緩みかけた。このまま仕事の話だけで終えるのは、惜しかった。
「ソフィ」
彼女が指を少し開く。
「次も組みたい。俺の方からも、頼む」
言ってから、息をついた。
ソフィアはゆっくり手を下ろし、俺の袖を指二本でつまんだ。
「……そういうことは、普通に言えるのね」
聞き返すと、彼女は首を振った。
袖をつままれたまま、俺は彼女と城壁の影へ入った。
◇
王都ギルドで帰還を報告し、魔石を鑑定へ回す。呼ばれるのを待つうちに、窓の外が暗くなっていた。
奥の部屋には、元部下のセドリックが待っていた。
扉を閉めると、彼は深く礼をした。
「副隊長。殿下」
「元だ」
「では元副隊長。こちらは、ソフィ……さん」
後半でひどく消耗した顔になった。
差し出されたのは、国王と第一王女の連名による書状だった。三十日間の市井巡察。俺への新人教育・安全管理の依頼。
報酬の横に、拒否と途中解除の条件まである。
「命令ではないんだな」
「はい。詳しい条件は、明日エリアナ殿下と」
「交渉できるなら、話を聞く」
ソフィが、俺の袖からそっと手を離した。
その先で、鑑定台のミーナが眉を寄せていた。
「こちらも、話を聞いていただけますか」
鑑定台の皿には、回収した魔石の塊と欠片が液に沈んでいる。灰色の筋から、細い結晶が剥がれた。
同じ間隔の刻みが、どの欠片にもある。
「自然の模様ではありません。加工された結晶です。鑑定では、ひとまず灰晶と呼びます」
ソフィが杖先に光をともした。
皿の中の小片が、かすかに震える。
針のように向きを揃えた。
北東。俺たちが、今帰ってきた方角だ。
次の瞬間、小片はひび割れた。
砕ける直前まで、針先は同じ方角を向いていた。
俺たちの初依頼は終わった。その道の先で、まだ何かが動いている。




