第10話 俺たちは、同じパーティーだ
◇ソフィア
採石場の方角から、山が割れる音がした。
斜面の細道を駆け下り、戻ってきたのはリタ一人だった。肩で息をして、ソフィアの前に膝をつく。
「二人とも、落ちた。下は見えなかった」
ソフィアは息を吸った。
彼の名を呼んだつもりだった。けれど声になったのか、自分でも分からなかった。
剣帯へ置いた標は、防壁を送ったときに消えている。もう何も届かない。
駆け出したい。
そう思った足元へ、ニコが来た。
「全員、広場へ入ったよ」
ソフィアは、少年の持つ人数表を見た。
この子をもう一度、暗い穴の前に残してはいけない。
「リタ。青い色が、見えにくいの。魔力も半分を切っているわ」
「分かった。結界を狭めよう。合図は色で言わない」
村を覆う光を、中心広場へ寄せる。
トマに支柱を頼み、ニコに人数の再確認を頼む。
採石場から現れた巨大な岩角鬼が、畑を踏み潰して近づいてきた。
リタが弓へ、白布を巻いた矢をつがえる。
ソフィアは杖を握り直した。
彼が帰ってくる場所は、ここにある。
なくしてしまうわけにはいかなかった。
◇アイザック
左手の指が動いた。
右肩は痛い。肋骨も痛い。息は、できる。
生きている。
俺の下で、マティアスが呻いた。
「降りろ……」
「先に言っておく。わざとではない」
傾いた足場を滑り、下の土砂に受け止められたらしい。
俺は男から体をどけた。腰の小さな灯りをつけると、崩れた壁の下を水が流れていた。
「出口は」
「知らん。私は箱を取りに来ただけだ」
「箱?」
男は口を閉じた。
俺は上を見た。登れる足場はない。
「黙っていても、ここで一緒に埋まるだけだ」
マティアスが壁の奥を指す。
耐火箱。その中に、焼けたはずの調達原本を隠したという。
「あれがなければ、灰冠に切り捨てられる。私が払った金も、取引の証拠も……」
「逃げる先は北か」
「グランフェル。使者は、あそこの旧王家鉱山から来た」
位置を覚え、男を自分の左側へ寄せた。右腕を俺の左肩へ回させ、腰を支える。
箱の回収は後だ。今は人を出す。
「水をたどる」
「行き止まりだったら」
「村の木こりが、沢へ抜けると教えてくれた」
トマの言葉と、水音だけを頼りに進んだ。
入口が崩れていても、地下から入れる水路は残っていた。途中で何度も膝をつき、男を引きずる。
やがて、冷たい風が頬へ触れた。
出口の先に、村を守る光が見えた。
◇
「遅いわ」
ソフィは一歩こちらへ来かけ、地面に描いた結界の支点へ戻った。
顔が白い。唇の色も薄い。
「心配をかけた。すまない」
彼女は目を閉じ、すぐに開いた。
「あとで、言いたいことがあるの」
「聞く」
マティアスを現地班へ渡す。
広場の向こうで、家ほどもある岩角鬼が腕を振り上げた。
リタの矢が肩口に刺さっている。白い布が翻る、その下に灰晶の塊が見えた。
「核はあそこ。でも高い。今の腕じゃ届かない」
リタの言うとおりだった。
ソフィが魔物の足元を見る。
「下げれば、いいのね」
「できるか」
「片足だけなら。来る場所を決めて」
俺は崩れた石垣の前へ出た。広場を覆う光は背後に残っている。ソフィが使えるもう一枚は、踏み込む足を滑らせるために使う。
怒鳴って注意を引く。岩角鬼がこちらを向く。
拳を振り下ろすため、右足が前へ出た。
「そこだ!」
足の下へ、斜めの光が差し込まれた。
巨体を支えるほどの壁ではない。踵が、わずかに滑る。
膝が折れ、上体が石垣へ倒れかかる。
俺は残った石段を二段駆け上がった。傾いた肩口の白い布が、腰の高さへ迫る。
踏み込んだ。
右腕を振り上げず、腰を回して刃を押し通す。
灰晶の核に亀裂が走った。
岩角鬼の左手が動く。
俺を叩き潰す影が、地面に広がった。
足元の斜面が消える。
背後に、もう一枚の光が立った。
俺は振り返らなかった。
拳が防壁を打つ。
その一瞬に、刃を最後まで通した。
核が砕けた。
灰色の光が巨体から抜け、魔物は石垣の外へ倒れた。
地面が揺れたあと、耳に残っていた低い振動も止んだ。森の縁では、同じ方角を向いていた影が散り始めていた。
村を見た。
ソフィはまだ立っていたが、杖を持つ手が震えている。
「色が、ほとんど分からないわ。もう、使えない」
「分かった。止めていい」
リタが彼女の肘を支えた。
現地班が広場の柵を固める。少し遅れて、東の道から騎士の旗が見えた。
セドリックと救援隊だ。上位冒険者が外周へ散り、残った魔物を引き受ける。
俺は剣を下ろした。
勝ったのだと分かるまで、もう少し時間がかかった。
◇
マティアスの示した箱は、救援隊が回収した。
原本には本人の署名があり、灰晶の代金、土地を買う計画、偽通達を運ばせた費用までつながった。工房の帳簿や運送の控えと照合し、男自身にも内容を確かめさせた。
男と商会の関係者は、証拠と一緒に王都へ送られた。
裁くのは、そのための仕事をしている人たちだ。
回収した石には、まだ街道整備局の正式印が残っていた。
守るために届けられた物が、そのまま魔物を呼ぶ。別の街や関所へ納めても、同じことができるのではないか。
「同じ納入元の石も、調べてくれ」
俺が頼むと、セドリックは検査対象の欄へ書き加えた。
どこまで流れているかは、まだ分からない。それでも、この工房から次の石が出ることは、もうない。
俺たちは、村で休んだ。
三つの塔には、手配してあった正常な主石が入った。
夜中に起こされる人が減り、トマの家にも夕食の煙が戻った。
ニコが戸口から顔を出し、母親に呼ばれて食卓へ駆けていく。
門に置いてきた老女の椅子も、元の家へ戻った。
ソフィの目に色が戻ったのは、決戦から三日後だった。
短い散歩を許された夕方、交換を終えた結界塔へ二人で歩いた。
「青いわ」
ソフィが、塔の灯りを見上げる。
「昼間は気づかなかった。こんな色だったのね」
俺は彼女の足元を見る。
今の歩幅は、もう俺に合わせて無理をしてはいない。
「言いたいことがある、と言っていたな」
「ええ」
ソフィが俺へ向き直った。
「怖かったわ」
責める言葉より、ずっと胸に残った。
「リタだけが戻ってきて。あなたがどこにいるかも分からなくて。走っていきたかった」
「俺も、戻れないかもしれないと思った」
彼女の指が、外套の縁をつかんだ。
「でも、村の光が見えた。だから、そっちへ進めた」
ソフィが少しだけ笑った。
「わたしの光だったから?」
「ああ」
もう、別の理由へ置き換えたくなかった。
俺は彼女へ体を向ける。
「殿下だからではなく、ソフィだから。次も、俺の隣を頼めるか」
彼女は返事の前に、一度、目元を指で押さえた。
「ええ。わたしも、あなたの隣がいい」
彼女が次の言葉を探す前に、俺はもう一つ言った。
「王都へ戻ったら、休みの日に朝飯でも食いに行かないか。依頼抜きで」
ソフィの手が止まる。
今度は、俺も黙って待った。
「冷める前に、食べ終われるお店を探すわ」
「そこまで急がなくていい」
「今度は、一緒に温かいうちに食べたいの」
彼女が笑った。
塔の灯りが、青紫の目に映っていた。
「返事、変えないでね」
「変えるつもりはない」
「朝になったら、新人との打ち合わせだったと言い直すのかと思って」
これまでの俺には、十分あり得る指摘だった。
少し離れた家から、夕食の匂いがした。帰り道はもう暗いが、急いで歩く必要はない。
「仕事の書類は、置いていく」
ソフィは満足そうにうなずき、今度は自分から俺の袖をつまんだ。
歩きだしても離さなかった。俺も、離してほしいとは言わなかった。
◇
王都へ戻ると、俺の登録証から『暫定』が外れた。
ソフィはEランク。リタはDのままだが、新しいパーティー名簿の三人目に署名した。
「北へ行くなら、あたしも正式に組みたい」
理由を聞くと、リタはしばらく指で机を叩いた。
「兄がいる。ユアンっていうんだ。北方の測量隊から、三か月戻ってない」
俺は地図を机へ広げた。
グランフェル。灰晶の供給元と、消えた測量隊。
ソフィが、その名の下へ指を置く。
「調べましょう。村のようなことが、北でも起きているかもしれない」
「ああ。リタの兄も捜そう」
リタは顔を伏せ、短く「頼む」と言った。
その翌日、エリアナ殿下との面談で、三人で選んだ行き先への正式な調査依頼を受け取った。
旧王家鉱山の異変を調べる仕事。巡察を六十日延長する条件を、俺たちは改めて確認した。
署名の前に、ソフィが予定表の一日を押さえる。
「ここは、休みなの」
姉君は俺を見て、何も聞かずにうなずいた。
「大切なご予定のようですね」
否定はしなかった。
俺とソフィ、エリアナ殿下、立会いのオルガが延長の書面に署名した。三人で受ける調査依頼の方にも、リタと並んで名を記す。
依頼書を受け取ったソフィが、俺を見る。
「一緒に来てくれる?」
「もちろんだ」
彼女が驚いた顔をした。
俺たちは、同じパーティーだ。そこにはもう、答えを待たせる理由はなかった。
リタが、依頼書に添えられた封筒を開いた。
北方支部が旧鉱山で拾った、手帳の一頁だという。
泥に汚れた紙へ目を落とした途端、彼女の顔色が変わった。
「……兄の字だ」
紙を支えるリタの指が震えた。俺は端が折れる前に、下へ手を添えた。
紙の上には、強く押しつけた筆跡が残っていた。
『旧鉱山の結界を、直すな』




