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第9話 メヌリナの木陰

 冒険者ギルドを出た時には、既に日は暮れ始めていた。

 夕日に朱く照らされたポルタムの街は、昼間から続いていた喧騒もすっかり落ち着いており、また違う表情を覗かせる。


(冒険者か……)


 受け取ったギルドタグを翳すと、プレートが夕日を反射してキラキラと輝く。

 そこに刻まれた『三等新芽級』と『ケンジ』の文字……これからはそれがこの世界での俺を示す、身分になるんだ。

 その事を胸に刻むように、ギルドタグを首にかけた。

 単純かも知れないが、それだけで何となく俺という存在がこの世界に馴染んだような気がする。


(今日はもう依頼は受けられないって話だったし、明日から本格的に活動を──)

「──そこちょっと、ごめんよ!」

「えっ、あ、すみません!」


 唐突に聞こえた声に振り返ると、中学生くらいに見える男の子が背中に籠を背負ってギルドの中へと駆けこんで行った。

 一瞬のすれ違いだったが、彼の籠の中に何やら植物が大量に入っているのが見えた。恐らくはそれが、ギルドで受けた彼の依頼だったのだろう事が窺える。


(薬草採取の依頼か。あんな年齢から冒険者やる子も居るんだな……)

「おーい! そこに立たれると邪魔だよ!」

「あっ、はい! すみません!」


 その後も男女問わず、数人の冒険者らしき人達が次々にギルドへと入って行った。

 もうじき日が暮れる時間だ。魔物や野盗の侵入を妨げる為、ポルタムの街の入り口にあった跳ね橋が上げられるのだろう。

 きっとその関係で、この時間帯には依頼帰りの冒険者が集中するのかもしれないな。

 現代日本で言う帰宅ラッシュに近い雰囲気を感じていた俺は、そこで大切な事にハッと気づき、ロードリックさんに教わった『メヌリナの木陰』を目指して一足先に駆けだしていた。


(多分これから宿屋が忙しくなる時間帯の筈だ! 安くてお得な宿なら、客室なんて直ぐ埋まってしまうかもしれないぞ……!)




 交易の中継地として知られるポルタムの街には、それはそれは多くの宿屋がある。

 当然彼等にしてみれば互いがライバルであり、自然と呼び込みにも力が入っているのが、道中でも感じられた。


「──『星見の浮舟』、部屋空いてますよー!」

「──『美食竜のねぐら』、良い肉入ったよ!」

「──酒飲みなら寄ってきな! 『酒樽の枕』、二〇年物解禁だよぉ!」


 景観をアピールする者、料理や酒の質で勝負する者、一口に宿屋と言っても様々らしい。

 中には──


「──あっ! お兄さん、今日はウチで夜を明かさない? かわいい娘、いっぱいいるわよ?」


 と、腕を絡めて胸を当てる等、かなり直接的なアピールをする宿もあるようだ。

 前世なら風営法で一発アウトになりそうな宿だが、流石は文化レベルが中世の異世界。そう言った法律は無いのだろう。

 彼女がアピールする通り、この呼び込みの女性も非常に可愛らしくスタイルも良い。テレビに出れば、一目でファンが何人も付くだろうレベルだ。しかし……


「あ、いいえ。大丈夫です」

「あら、つれないのね? 立たない訳でもないんだし、ここで引いたら男が廃るわよ?」

(立たないんだよ……ッ!!)

「えっと──もう今日の宿は決めてあるんで……」


 正直、これ程の美女に引っ付かれて何の反応も示さない愚息が恨めしい。

 もしも今の俺に性欲があれば、金に余裕がある今間違いなく彼女の誘いに乗っていただろうに……おのれ盗賊、おのれEDソード。創ったのは俺だけど。


「むぅ……残念。また縁があれば、その時はよろしくね! あたしの誘いに乗らないなんて、貴方に興味湧いちゃった♪」


 そう言って女性はすんなり俺の腕を解放すると、手を振ってくれた。

 彼女の言葉に恋愛ゲームのフラグめいたものを感じたが、性欲が殺されていると言うのは恐ろしい物で、今の俺には彼女が商売上手な娘だなとしか思えなかった。


(不味いな……この状態が続けばEDを解除するより前に、本格的に悟りでも開いてしまうんじゃないか……?)


 新たな焦燥を胸に路地を駆ける事、しばらく。俺はロードリックさんから聞いていた『大きな木のシルエットの形をした看板』を見つけ、名前を確認する。


(──『メヌリナの木陰』……ここだな!)


 この世界に来てまだ一日程度の俺が、確実に安全だと言い切れる唯一の宿だ。




「──いらっしゃいませ!」


 ドアを開けると先ず目に入って来たのは、ガヤガヤと賑わう食堂の光景だった。

 丁度飯時なのだろう。男女ともに革製の防具を身に着けた冒険者らしき客達は、それぞれのテーブルに並べられた料理に舌鼓を打っている。

 そんな中、俺の存在に気付いた配膳中の可愛らしい女性が声をかけてくれた。


「初めてのお客さんですよね? お食事ですか? それとも、お泊りですか?」

「あ、泊まりでお願いします」

「はい、受付はあちらのカウンターでお願いします! 空いている部屋は確か……」

「──エルザちゃーん! 先ずは料理持って来てくれー!」

「! すみません、お客さんを待たせておりますので、これで……──直ぐにお運びしまーす!」


 やっぱりこの時間帯は忙しいのだろう。両手に持っていた料理を運ぶ背中を見送るのも程々に、俺は早速受付に向かったのだが……


「──おう、宿泊かい?」

「は、はい。受付ってここで良いんですよね……?」


 案内されたのは厨房前のカウンターだった。

 声をかけて来た主人らしき中年男性は、今まさに料理中で、串に刺した肉を焼いている姿が見える。

 どうやら火加減にかなり気を遣うらしく、手が離せない彼は厨房の奥へと声を張り上げた。


「あぁ、ちょっと待ってろ! おーい、受付の方頼むよ!」

「はいよー!」


 男性の呼びかけに答え、奥の方から小走りでパタパタと駆けて来たのは彼と同じくらいの年齢に見える中年女性だ。

 雰囲気から恐らく夫婦なのだろう。女性は布で手を拭きながらカウンターに立つと、愛想の良い笑顔で接客を始める。


「お待たせしちゃってごめんなさいね! お泊りで良かったかい?」

「はい」

「料金は一拍十リル、食事は一食につき五リルだよ」

「えっと……じゃあ、夕食と明日の朝食分でお願いします」


 そう言ってカウンターの上に二十リルを置くと、女性はそれを手に数えて頷く。

 そして代金をポケットに入れた後、そのまま同じポケットから金属製の鍵を取り出し手渡してくれた。


「これが部屋の鍵だよ。二階に上がって、一番奥の部屋だから間違えないようにね」

(おお……! こんなファンタジーチックな鍵、本当に使えるんだ……!)


 掌ほどの大きさのごつごつしい鍵に小さな感動を覚えていると、女性がふと尋ねて来た。


「ところで、夕食は今直ぐ食べるかい?」


 その問いかけに反応したのか、俺の腹がぐぅと音を立てる。

 ……そう言えば、今日は昼飯も食べてなかったな。


「……お願いします」

「はいよ! 空いてる席に座って、待っときな!」


 カラカラと笑う女性に促されるまま、冒険者たちが賑わう食堂を見渡し……比較的人の少ない、隅の席を選び座る。

 ここを選んだのは俺の知り合いが居ない事もあるが、何よりこの光景を俯瞰できる場所として丁度良いと考えたからだった。

 ……別に人間観察が趣味という訳ではなく、これからの自分の振る舞いの参考にする為のものだったが、その結果判明したのは日本とはあまりにも違う文化があるという事だった。


(見たところ、冒険者は食事中でも自分の武器は近くに置くんだな……少し危ない気もするけど、配膳中の女性も気にしてない辺り、あれがこの世界の冒険者の普通という事らしい)


 剣を腰に下げたままなのは当たり前。中には大剣や槍のような大きな武器を、椅子や机に寄りかけている者もいた。

 どちらかと言えば、アメリカとかの銃社会に近い感覚なのだろう。

 自分の身を自分で守る為の備えとして、武器が当然のように日常に存在する感覚……それは俺が持っていない物であり、今後この世界で生きて行くのであればチート以上に身に付けなければならない物だった。


(……こうして顧みると、俺の姿は彼等からすれば大層不用心に映るんだろうな……)


 何せ今の俺は丸腰だ。剣と鎧は盗まれ、盾も売り払ってしまった。

 ただの白いシャツとスラックスという恰好はこの異世界では浮くし、しかもシャツの中には金貨が入った袋まで持っているのだ。……これは今夜にでも何かしら対策しなければなるまい。

 今更ながらに内心危機感を募らせていると、そんな俺に呼びかける声があった。


「──おまたせ! これが今日の夕食メニューだよ!」

「あ、ありがとうございます」


 声の主は、俺がこの宿に入った際にも声をかけてくれた若い女性だった。確か、他の客からは『エルザ』と呼ばれていたっけ。

 そんな事を振り返っている間にも、彼女は手に持つ盆からいくつかの皿を俺の目の前に置いていく。


(──そう言えば、海外だとこういう時ってチップが要るんだっけ……?)


 昼間の衛兵の事を思い出した俺は、慌てて懐から袋を取り出そうとするが……


「──おっと、ウチはチップは大丈夫だよ! 他のとこは分からないけど、ウチはサービスに対して安いのが売りだからね!」

「あっ、そうなんですね」

「ま、その分ウチじゃお酒は出してないから、代わりに……はい、【ウォーター】!」


 そう言ってエルザがタクトのような小さな杖を振ると、机に置かれたコップの上に水が生まれ、コポコポと注がれていく。


「! 魔法で、水を……」


 初めて生で見る魔法に言い表せない感動を覚え、声が漏れる。

 そんな俺の反応に、エルザは得意げに胸を張った。

 

「ふふん、これが安さの秘密! お酒が飲みたいなら自前でね! それじゃ、ごゆっくり!」


 そう言ってパタパタと小走りに戻っていくエルザを見送り、俺は夕食の皿に向き合う。

 サイコロ状に切られた、いかにも硬そうなパン。底の浅い器に注がれたスープ。

 そして、一口サイズに切り分けられた何かの肉が刺さった串が三本と、木製のコップに魔法で注がれた水……どうやら、これらが今日のメニューらしい。

 漂ってくる匂いに食欲を刺激された俺は早速串を掴み、肉を一切れ口に運ぶ。


(──味付けは塩オンリーって感じか。だけど……空腹だからか、普通に美味いな……!)


 正直、何の肉かは分からなかった。

 癖のない風味は鶏肉に近いようにも感じたが、少し強めの塩気とともに溢れる肉汁の旨味は牛肉を思わせる。

 引き締まった肉質はやや硬く、噛み締めるたびに口いっぱいにガツンとした満足感が広がった。


(くそ……っ! 白米が欲しい……!)


 或いは酒でも良い。

 どうしてこの味にパンなのかと文句が出そうになるのをぐっとこらえ、俺は皿に盛られたサイコロ状にカットされたパンを一つ掴み……


(──えっ、石?)


 そ(・)れ(・)がとんでもなく硬い事に気が付いた。一瞬、投擲用の武器か何かかと思ったくらいだ。しかし──


(……そう言えば、何かで読んだ事がある。昔のパンは別名『黒パン』と言って、それこそ石のように硬かったとか)


 確かスープに付けて食う……んだったか。

 そんなうろ覚えの知識を頼りに、周囲の冒険者たちの様子を観察すると……俺の予想通り、彼等はこの硬いパンをスープにしばらく浸し、ふやかしてから食べているのが分かった。


(パン一つとっても食い方から違う……これが異世界なんだな)


 そう認識を改め、俺は異世界の食文化で空腹を満たすのだった。

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