試される平民
ルーファス・ヴァレンタイン公爵。
その名は、辺境にいたカイルでも知っていた。
帝国に二つしか存在しない公爵家。その若き当主であり、軍事・政治の双方に秀でた秀才。女王の王配候補筆頭とも噂される男。
近くで見ると、噂以上だった。
整った容貌、隙のない立ち姿、そして人を容易に寄せ付けない静かな威圧感。
――苦手だ。
カイルは本能的に思った。
オフィーリアの冷たさとは違う。
こちらは、もっと洗練された貴族の冷たさだった。
「では、使えるところを見せていただきたい」
ルーファスが静かに言った。
口調こそ丁寧だが、歓迎されていないことくらいは分かる。
平民の補佐官。
しかも、女王が自ら拾ってきた男。
面白く思う理由などないだろう。
「何をすれば?」
カイルが問い返すと、ルーファスは机上の資料を差し出した。
「北部地方の徴税報告です」
積み上げられた紙束。
数字、収穫量、人口推移、税率変更。
一目見ただけで頭が痛くなりそうな量だった。
「地方官は“税収改善”を報告しています」
ルーファスは淡々と言う。
「しかし、私は不自然だと思っている」
オフィーリアは何も言わない。
ただ壁際に立ち、腕を組んで二人を見ていた。
試されている。
カイルは小さく息を吐き、資料へ視線を落とした。
数字を追う。
収穫量。
税率。
家畜数。
冬季備蓄。
しばらくして、眉が動いた。
「……おかしい」
ルーファスの目が細まる。
「どこが?」
「全部です」
即答だった。
部屋が静まる。
「収穫量が落ちてるのに税収が落ちてない」
カイルは紙を机へ広げる。
「普通なら減るはずです。増税したなら暴動が起きる」
「実際、起きていない」
「まだ、です」
カイルは指先で数字を辿る。
「代わりに家畜税が異常に増えてる」
沈黙。
「つまり?」
ルーファスが促す。
「農民が払えなくなって、家畜を売らされた」
短く言い切る。
「羊も牛も減ってる。冬越しの手段まで失ってる。来年もっと酷くなります」
ルーファスは無言だった。
だが、その沈黙に圧がある。
カイルは少しだけ居心地悪くなる。
すると。
「根拠は?」
低い声。
「勘ではないのか」
「半分は勘です」
ルーファスの眉が僅かに動く。
「半分?」
「経験です」
カイルは肩を竦めた。
「辺境じゃ珍しくなかったので」
冬になる。
税が上がる。
家畜を売る。
飢える。
死ぬ。
何度も見た。
老人にも教え込まれた。
『数字だけ見る役人ほど愚かなものはない』
『民の暮らしを見ろ』
カイルは資料を閉じた。
「このままだと、来年北部が崩れます」
「理由は」
「家畜がいない」
簡単だった。
「耕す力がなくなる。糞も減る。肥料が減る。収穫も落ちる」
一拍。
「つまり、終わりです」
静寂が落ちた。
最初に動いたのはオフィーリアだった。
「……面白い」
小さな声。
菫色の瞳が、静かにカイルを見ている。
「そこまで見たか」
ルーファスもまた、資料へ目を落としていた。
先ほどまでの冷たさが少し薄れている。
「地方官の報告しか見ていなかった」
ぽつりと漏らす。
認めたくはないが、認めざるを得ない。
そんな声音だった。
カイルは少し驚く。
もっと高圧的な男かと思っていた。
だが、少なくとも有能ではあるらしい。
「陛下」
ルーファスが視線を上げる。
「完全に無能というわけではなさそうです」
失礼だった。
だが、先ほどより少しだけ柔らかい。
オフィーリアは小さく鼻を鳴らす。
「当然だ」
なぜか少し誇らしげだった。
カイルは妙な顔になる。
(何だろう)
(褒められてる……?)
その時だった。
オフィーリアが立ち上がる。
「では次だ」
「……まだあるんですか?」
「当然だ」
女王は平然と言った。
「王宮は甘くない」
カイルは肩を落とす。
徹夜明けである。
もう限界に近い。
しかし。
扉へ向かう直前、オフィーリアが足を止めた。
振り返りもせず、淡々と言う。
「倒れるなよ、カイル」
一瞬、言葉に詰まる。
気遣いだったのか。
命令だったのか。
分からない。
けれど。
少しだけ。
悪くない気分だった。
一方。
その背を見送りながら、ルーファスは静かに考えていた。
平民。
礼儀も家格もない。
頼りない男。
だが。
――民を知っている。
それだけは、確かだった。
「厄介ですね」
小さく呟く。
女王が、気に入る理由も少しだけ理解してしまった。




