公爵家の若き当主
王宮の朝は早い。
もっとも、カイルに言わせれば“朝”ではない。
ほとんど徹夜明けである。
窓の外はようやく陽が昇り始めた頃だというのに、王宮内は既に慌ただしかった。
官僚たちは書類を抱えて廊下を行き交い、兵士たちは交代のため足早に動く。
眠そうな顔をしているのは、どうやら自分だけらしい。
「遅い」
前を歩いていたオフィーリアが振り返りもせず言った。
「……寝てません」
「私もだ」
「二時間寝た人を寝てない側に入れないでください」
返事はない。
却下らしい。
カイルは小さくため息をつきながら後を追った。
やはり歩く速度が速い。
脚の長さの差を理不尽に感じる。
そして何より――目立つ。
女王のすぐ後ろを平民が歩いている。
それだけで、周囲の視線が刺さった。
「……本当に補佐官にしたのか」
「正気か?」
「平民だぞ」
「南区の件で気に入られたらしい」
聞こえるように囁かれている。
悪意というほど露骨ではない。
だが、歓迎されていないことくらいは十分伝わった。
カイルは肩を竦める。
辺境育ちだ。
多少の悪意には慣れている。
――ただ、少し胃は痛い。
やがて、重厚な扉の前でオフィーリアが足を止めた。
「ここだ」
開かれた室内は、昨日の会議室とは違っていた。
円卓ではない。
もっと私的な空間だ。
長机が一つ。地図、書類、統計表。
どうやら少人数会議らしい。
そして。
そこにいた男を見て、カイルは一瞬言葉を失った。
美しい男だった。
長身。
整った顔立ち。
灰銀色の髪をきっちりと撫でつけ、隙のない軍服を纏っている。
年齢は二十代半ばほどだろうか。
貴族らしい威厳がある。
だが、それ以上に。
――冷たい。
印象が、オフィーリアに少し似ていた。
「遅かったですね、陛下」
低く落ち着いた声。
男は立ち上がり、丁寧に礼を取る。
「公爵」
オフィーリアが短く返す。
その呼び方で、カイルは察した。
公爵。
つまり帝国最高位貴族。
しかも若い。
「紹介しよう」
オフィーリアが振り返る。
「ルーファス・ヴァレンタイン公爵」
やはり。
帝国に二つしか存在しない公爵家。
その若き当主。
王配候補筆頭。
噂くらいは、辺境にも届いていた。
若き俊英。
軍事と政治、双方に秀でた完璧な貴公子。
そして。
ルーファスの視線が、ゆっくりカイルへ向く。
静かだった。
だが、その静けさが逆に怖い。
「……こちらが?」
「カイルだ」
「例の平民ですか」
“平民”の部分だけ、ほんのわずかに温度が下がる。
歓迎されていない。
分かりやすすぎた。
ルーファスは数秒カイルを見つめた後、淡々と言った。
「随分と……頼りない」
ぐうの音も出ない。
自覚はある。
剣は使えない。
脚も遅い。
昨夜徹夜で顔色も悪い。
完全に貧弱だった。
「補佐官にするには軽率では?」
静かな声だった。
だが、否定は容赦ない。
「平民です。教育も家格も足りない」
正論だった。
ぐうの音も出ない(二回目)。
カイルが何も言えずにいると、
「私が決めた」
オフィーリアが言った。
短く。
それだけ。
だが、空気が止まる。
「しかし」
「文句があるなら失せろ」
ぴしゃりと言い切った。
静かなのに、鋭い。
ルーファスですら一瞬黙る。
カイルは思う。
(また言った)
この人、本当に口癖なんだな。
ただ。
昨日と同じだった。
また、庇われた。
ルーファスは小さく息を吐く。
「……承知しました」
だが、その視線はまだ冷たい。
「では、せめて使えるところを見せていただきたい」
試されている。
王宮は敵だ。
それを、カイルはようやく理解し始めていた。




