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王宮へ

 女王の馬車は、驚くほど静かだった。


 石畳を進む車輪の音だけが、一定の間隔で耳に届く。


 向かいに座るオフィーリアは、一度も口を開かない。


 黒と金の軍服を纏い、長い脚を組み、窓の外を見ている。


 近くで見ると、余計に現実味がなかった。


 金色の髪は朝日を受けて淡く光り、菫色の瞳は冷たいほど美しい。


 整った顔立ちは、男装の王子のようでいて、誰よりも王らしい。


 怖い。


 それが、カイルの率直な感想だった。


 そして、気まずい。


 自分の服は擦り切れた上着に、何度も繕ったズボン。靴に至っては片方の踵が少し削れている。


 対して相手は女王。


 同じ空間にいていい相手ではない。


「……何だ」


 不意に、オフィーリアが口を開いた。


 カイルは肩を跳ねさせる。


「え?」


「さっきから妙な顔をしている」


 そんなつもりはなかった。


 だが、確かに考えていた。


「……怖い人だなと」


 思わず本音が出た。


 しまった、と口を押さえる。


 相手は女王だ。


 不敬罪でもおかしくない。


 しかし、オフィーリアは怒らなかった。


 ただ、少しだけ眉を上げる。


「そうか」


 それだけだった。


 沈黙。


 気まずい。


 馬車の空気が重い。


 カイルは、逃げるように窓の外を見る。


 王宮が近づいてきていた。


 巨大だった。


 高い城壁、白い塔、黄金の紋章。


 王都のどこからでも見えるその建物は、平民にとって別世界の象徴だった。


「着くぞ」


 短い声。


 馬車が止まる。


 扉が開いた瞬間、空気が変わった。


「陛下!」


「お帰りなさいませ!」


 兵士も侍女も、一斉に頭を垂れる。


 さっきまで無言だったオフィーリアは、一瞬で表情を消した。


 冷たい。


 まるで氷だった。


 カイルは少し驚く。


 あの馬車の中の空気とは違う。


 女王の顔だ。


 オフィーリアは振り返りもせず歩き出した。


「来い」


「は、はい」


 慌てて追いかける。


 だが、速い。


 速すぎる。


(脚、長い……)


 というか、普通に歩いているのに追いつけない。


 カイルは走るのが得意ではなかった。


 幼い頃から外遊びより本を読む方が好きだったし、剣術の稽古など受けたこともない。


 結果として、体力は壊滅的だった。


「……遅い」


 前から声が飛ぶ。


「陛下が速いんです」


「言い訳か」


「事実です」


 オフィーリアが振り返る。


 一瞬。


 ほんの一瞬だけ、菫色の瞳が細くなった気がした。


 笑った?


 いや、気のせいだろう。


 この人が笑う姿など、想像できない。


 廊下に入った途端、空気がまた変わる。


 官僚たちがざわつき始めた。


「……誰だ」


「平民?」


「陛下の後ろを歩いているぞ」


「護衛か?」


「いや、護衛にしては頼りない」


 全部聞こえていた。


 わざとだろう。


 カイルは居心地悪く肩を縮める。


 だが、オフィーリアは歩みを止めない。


 そして、ある男が前に出た。


 豪奢な衣装を纏った中年貴族だ。


「陛下」


 恭しく礼を取る。


 だが、目は笑っていない。


「その者は?」


 オフィーリアの声は平坦だった。


「私が呼んだ」


「……平民では?」


「そうだ」


 男は困惑した。


「なぜ、そのような者を王宮に」


 沈黙。


 オフィーリアは、ゆっくりと男を見た。


 そして。


「文句があるなら、失せろ」


 空気が凍った。


 男の顔が青ざめる。


「……っ、失礼いたしました」


 慌てて頭を下げ、去っていく。


 カイルは固まっていた。


 怖い。


 やっぱり怖い。


 だが。


(……助けられた)


 とも思った。


 オフィーリアはカイルの方を見ないまま言う。


「気にするな」


「え?」


「王宮は、くだらん人間が多い」


 さらりと言う。


 自分の部下たちなのに。


「だが、有能なら使う」


 オフィーリアの足が止まった。


 重厚な扉の前。


 中からざわめきが聞こえる。


「会議だ」


 低い声。


 そして、オフィーリアは初めてカイルを正面から見た。


 菫色の瞳が、真っ直ぐ彼を射抜く。


「お前の案が失敗したら、責任はお前が取れ」


「……え?」


「言っただろう」


 ほんの少しだけ。


 唇が上がった気がした。


「お前を使う、と」


 扉が開く。


 そこには、帝国中枢の重臣たちが並んでいた。


 その最奥。


 王座にも似た席に、一人の老人が座っている。


 誰もが視線を向けていた。


 この国の実権を握る男。


 ――宰相だった。


 そして、カイルはまだ知らない。


 これから先、自分の人生が二度と平穏には戻らないことを。


 ただ一つだけ、確かなことがあった。


(……怖い人だ)


 けれど。


 目が離せない。


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