【8】悲しみと愚かさは少し似ている
ハッピーエンドが好きなのですが、同じくらい悲しい話が好きです。
主人公が明るくても楽しそうでも、根底に悲しみや寂しさが敷き詰められているような。
自分で境遇を選べなかった悲しみ。
誰も手を差しのべてくれない寂しさ。
傷つけようという意図が相手に無いのに、薄皮を削ぐような傷がつく言葉。
ドアマット系ではありません。
直接的に心身に攻撃を受けるような話ではなく、
誰にも明確な悪意がないのに、いつの間にか苦杯を嘗めるような目に遭うとか。
中島みゆきの「エレーン」のような寂寞とした話が好きです。
書く場合は「取り返しがつかなかった」、とするほうが少ないですが
読むときはそちらを読みたいです。
「重いドレスと小鳥の指輪」は取り返しがつかなかったタイプ。
「暗い海に灯りを灯して」「そして鳥は戻ってくる」は取り返しがついた話。
何故、悲しい話が好きなのか。
喜怒哀楽のうち、「哀」だけが自分でどうにかすることが難しい。
月日に晒され薄まることはあっても、無くすことはできない。
身体の中に置かれた悲しみから芽が出て根が生え、
何かが育って、そこに自分の血肉が絡まって、
もう悲しみだけを切り離すことができない。
悲しみがいつの間にか自分の一部になってしまう。
そういう話を読むことで小さな鋏がもらえて、
伸びすぎた細い枝を切ることができる気がしています。
良い悲しい話は、良い鋏がもらえます。
私の中の悲しみの木はオークのようで、
でも愛らしい枝ぶりになってきています。
そうか、そう言えばよかったんだ。
そうか、我慢することはなかったんだ。
そうか、少しくらい投げ返してもよかったんだ。
チョキチョキチョキ
悲しみと愚かは、少し似ています。
人に愚かと言えば悪口で攻撃だけど、自分の愚かさを認めることは違う。
愚かであることはいつも少し悲しく、いつもやり切れない。
愚かであることを自分だけが嗤っていい。
でもずっとそれでいいとも思っていない。
悲しみを切る鋏をもらって、少しずつ剪定がうまくなって
生きていくのが今日も少しラクになります。




