【37】小説です②
琴葉が3年生に進級した日、転校生がやってきた。
「影山綾花」というその子は、とても可愛らしい女の子だった。
漫画の主人公のように大きな目と色白の顏は、周囲から浮くくらいに綺麗だった。
たまたま家の方向が同じで、途中まで一緒に帰ることになった。
何人か付いてきたが、最後まで一緒だったのは琴葉だけ。
綾花の家は新しい大きな二階建ての家だった。
翌日の放課後、綾花がランドセルに教科書をしまって帰り支度をしている姿に、違和感を覚えた。
ランドセルのかぶせの蓋を、大きく開かずに入れにくそうに入れていたからだった。
ふとした拍子に、かぶせの蓋の裏側に大きく書かれた綾花の名前の苗字の部分に縦に二重線が書かれ、隣に「影山」と書いてあるのが見えてしまった。
二重線の下には「川村」と琴葉も読める苗字が書かれていた。
同じ境遇の琴葉にはどういうことかすぐに解かった。
綾花も琴葉と同じように『新しいお父さん』ができたのではないか。
それで琴葉と同じように引っ越してきたのだ。
琴葉が綾花のランドセルの蓋の裏側を見てしまったことに気づいた綾花は、慌てたように言った。
「前の学校で同じ綾花という名前の子と、お別れの記念にランドセルを交換したの」
「そうなのね」
そう答えた琴葉だったが、嘘だと思った。
琴葉のランドセルもピアニカのケースも、同じように名前を消して書き直してある。
上から白いシールを貼って新しい苗字を書いてあったが、透けて前の苗字が見えていた。
嘘だとは思ったけれど、そう聞くことはしなかった。
琴葉も今の苗字は好きではなく、前の苗字に戻りたかったがそうできないことは分かっている。
誰も好んで苗字が変わる子なんていやしない。
そのことがあってから、綾花から一緒に音楽室に行こうとか一緒に帰ろうと言われるようになった。
綾花の家にお呼ばれした琴葉は、家に上がって驚いた。
部屋の中に曲がった階段があって二階へ行くようになっている、とても大きな家だった。
玄関だけで琴葉の家が全部入ってしまいそうだった。
玄関まで迎えに出てくれた綾花の母は、その大きな目が綾花にそっくりだった。
琴葉の母とは何もかもが違っていた。
綾花の部屋に入ると、アップライトのピアノがあって机は白くてお姫様の部屋みたいだった。
途中で綾花の母がケーキを出してくれて、それも琴葉の家とは違っている。
琴葉はゆっくり丁寧にケーキのフィルムを剥がし、綾花をちらりと見て同じようにフィルムを畳んでケーキの向こう側に置いた。
誕生日やクリスマスに大きな丸いケーキはあったけれど、一人分ずつの三角のケーキは初めて食べた。
前もって遊びにいく約束をしていたわけではないから、毎日ケーキがある家なんだと琴葉は思った。
綾花は「去年の誕生日にお父さんに買ってもらったぬいぐるみで、私の宝物なの」と淡い黄色のクマのぬいぐるみを見せてくれた。
クマの名前は「イブリム」だと教えてくれた。
綾花の誕生日はクリスマスイブで、イブに買ってもらったクリーム色のクマだから「イブリム」とお父さんが名前を付けてくれたと言った。
クリスマスイブというのはクリスマスの前日のことだと初めて知った。
そんな素敵な名前のつけ方があるのだと、琴葉はそこでも「自分と違う」と感じた。
綾花は自分の自宅だからか、学校よりもたくさんおしゃべりをした。
「お母さんはぎんざのほすてすで、お父さんと知り合ったんだって。ぎんざのほすてすってどこだろうね」なんてことを教えてくれた。
ほすてすという言葉は琴葉も聞いたことがある。
でもそれは場所ではなく、仕事の名前ではないかと思っていた。
母と引っ越し屋のおじさんだった新しい父との会話から、琴葉はそう感じていた。
「お父さんと知り合ったって、お父さんは綾花ちゃんのお父さんじゃないの?」
そう言うと、綾花は『失敗した』という顔をしたけれど、秘密ねと微笑んだ。
琴葉は、私の「お父さん」もそうだ、とは言えなかった。
あまりにも綾花と琴葉が違っていたから言えなかった。
琴葉の新しいお父さんは「副社長」ではなかったが、綾花の新しいお父さんは本当に副社長なのかもしれない。
家は新しく広くてピアノが部屋にあって、毎日ケーキがあってお母さんが家にいる。
「イブリム」という素敵な名前の、なめらかな肌触りの抱きしめられる大きさのぬいぐるみがいた。
琴葉はそれから綾花の家に行くのは止めた。
公園で遊ぶだけにした。
琴葉に家に行きたいと言われても、連れてくることなどできないからだ。
おやつは無い。
母は、4時半になると化粧をして派手な服を着て仕事に行く。
私が3年生になって弟も1年生になったから2人で留守番だ。
「お父さん」が帰ってくるのは遅い。
テーブルの上のご飯を弟と食べる。
汲み取りトイレの狭い家に、綾花を呼べるわけがなかった。
それからすぐにやってきた琴葉の誕生日に、母にぬいぐるみが欲しいと言ってみた。
クマではなくてもうさぎでもネコでもよかった。
抱きしめられる大きさのぬいぐるみを、琴葉も欲しいと思った。
「ぬいぐるみ? 3年生にもなってまだそんなの欲しいなんて言わないで。新しい筆箱が欲しいって言ってたじゃないの。もう買ってあるからね」
琴葉は自分が新しい筆箱が欲しいと言ったのを思い出した。
赤くて絵の無い筆箱ではなくて、サンリオの鉛筆削りがついていたり、消しゴムを入れるところが別だったりする筆箱が欲しかったのだ。
でも、母が買ってくれたのは、オレンジ色で裏に定規が入るような薄い蓋があるだけの筆箱だった。
サンリオのでもなかった。
少し悲しくはなったが、これで蓋の裏の前の苗字を消してあるのを見なくて済むのだからこれはこれで良かった。
1年経っても書き慣れない、新しい苗字をマジックで書いた。




