【27】無駄な我慢と「ドアマット」
為になる話ではありません。
私は我慢強いところがあります。
あまり意味のない我慢をなんとなく、します。
11月に入って寒くなっているのに、ニ〇リのNクールの布団を我慢して使うとか…。
ああ嫌な予感がしますね、この先読んでも本当に為にならない予感が。
菜箸をうっかり洗って片付けてしまったので、熱いけど指でフライパンから出すとか。
トイレ(L)のノックがそろそろ来るから(S)に呼ばれているけど我慢するとか。
なんか無駄で意味のない我慢をすることを、『娯楽』と捉えているふしがあります。
正体不明の「何か」と常に戦っている気がしています。
その我慢から解放された時の「喜び」を味わいたいがために、
しなくていい我慢をしています。
木枯らし1号が吹く頃まで「冷感布団」を使うことによって得られるものなどなんもないです。
でもそこまで意味なく我慢すると、暖かい布団に包まれた時の喜びが倍になる気がするのです。
もう布団に入ることが何よりの楽しみになって、そのために今日も頑張ったと嬉しくなって、あったかいって幸せだなぁと思いながら眠りにつく。
それもこれも、この前まで「冷感布団」で震えていたからこそです。
ドアマット系の主人公をうまく書けません。
主人公を酷い目に遭わせるのは、たぶんこの「無駄な我慢」と似ている気がするのです。
読み手をハラハラとか胸をぎゅっとさせるような描写を重ねて、最後に「悪」がやっつけられて、めっちゃ素敵で地位のある人が都合よく手つかずで残っていて主人公を幸せにする。
そこに着地するための、Nクール的ドアマットをうまく書けないのです。
私が書こうとすると「しなくていい我慢」になってしまいます。
公爵令嬢で有能なら、ぶらさがり女の1人や2人、どうとでもできたはずでは…。
いくら感情を顔に出さないのが淑女といってもそれはマイナスの感情だけにして、婚約者の前でくらい嬉しいとかそういう表情は出したほうがいいと判断しなかったのは何故か……。
それを「あり」とすると、婚約者側の知能を下げないと話が成立しない気がするのです。
要らない我慢です。
布団は季節に合わせてすぐに変えるのが「有能」のすることです。
どうも自ら進んで「我慢」しているようになってしまうのです。
それを東日本で3人くらい「Nクール布団化現象」と呼んでいると思います。
無駄な我慢を無駄に見せないようにする、でもそれは意味があるのかとなります。
設定として無理のない、過不足のない「ドアマット」の匙加減は案外難しいです。
うまい「ドアマット」が前半に書かれている話は、絶対に面白いです。
それが書ける人は、起承転結の「結」の部分も、走らず丁寧に書いています。
明日から10月です。
目標はNクールの布団カバーを10月半ばまでに取り換えることです。
絶対やります、頑張ります。




