【23】病院外で亡くなること
2年前、養父が突然亡くなりました。
自宅の布団で、夕飯前に。
養父と実母が2人で暮らしていました。
母から電話が来て、119に電話してと伝えて慌てて支度をして、
母の家に向かいました。
途中で電話を掛けたら母が出ましたが、要領を得ず
すぐに消防のかたに代わりました。
現在心肺停止であること、死亡と判断できるのは医師だけなので、
亡くなっていることは確かだけれどそうは言えない感じでした。
搬送先も決まり、もう家を出るところなので
私には病院のほうへ直接行ってくださいとのこと。
養父は延命処置を受けていました。
心肺停止から機械による心臓マッサージで脈が戻り、
ただ家族が到着するまでその状態を続けていたとのこと。
ベッドはほぼ垂直に起こされていて、そこに上半身裸の養父が
座っているかのように管だらけで処置を受けていました。
──直視できない何かを感じました。
養父には実子がいません。
前の結婚でも子供はなかったようでした。
私は一応養父の籍に入っていたので「子」にはなりますが、
こういう「命」の場面で私の判断でいいのかという畏怖。
弟は間に合わない感じで実母は判断ができる状態ではなく、
私の判断で養父の命を止めました。
いろいろな書類にサインをする手が小刻みに震え、
でも私によって養父をこの世に繋いでいたものを終わりにしました。
そこから警察官が到着しました。
自宅で亡くなると、警察による聞き取りと現地調査が、その日のうちにあると知りました。
私は冷静でいたつもりでしたが、「実子ではありません」と、
言わなくていいことを言いました。
遺体は警察署で翌朝司法解剖になるとのことで、
警察署に運ばれました。
その足で自宅に実母と警察官4名と行き、
深夜1時に現場の確認です。
4名の警察官の方々は二手に分かれて家の間取りや窓の位置を記録する人たち、
実母と私を調査する人たち。
警察官は母の言うとおりに養父が横になっていた布団に直接横になります。
「どちらを向いていましたか」
「掛布団はどこまで掛けていましたか」
「テレビはついていましたか」
母の役をする警察官が台所に立ち、母の言うとおりに布団を振り返る、
そんな場面をどんどんデジカメで撮っていきます。
すべて終わったら2時を過ぎていました。
父の居た布団を隣の部屋に片付け、母の布団を敷き、
私は自宅に帰りました。
5時間後にまた来なくてはいけないのに。
私のものが何もない母の家とはいえ、養父の死に直面したばかりの母を置いて何故か私は帰ったのです。
警察署に遺体を迎えにいけるのは葬儀屋だけと警察に言われ、
深夜2時過ぎに葬儀会社を決めました。
24時間対応とはいえ「父親を亡くした娘」的な私に気遣いの言葉をくれました。
司法解剖は11万円でした。
自治体によって違うようです。
ここからずっとお金が小刻みにかかっていきます。
病院、遺体の引き取り保管料、火葬までに意外にかかります。
火葬はかなり先の日になります。
予約がいっぱいというものです。
世知辛い世の中です。
冷凍庫での保管料が1日12,000円。
冷凍庫を持たない葬儀社ですとドライアイス代がかかりますが
ドライアイスの方が高い。
なるほど、知らないことばかり。
ここまではノンストップです。
悩む時間もありません。
ドライアイス高いけど冷凍庫はどういう理屈でその値段なの?
とか考えている暇もありません。
ぼんくら力を最大限に発揮しておりました。
考えない、何も考えない。
差し出される書類にひたすらサインサインサインです。
米粒に写経するような文字で書かれた契約書みたいなのを読みます。
視力が良くてよかったですが、理解力が落ちていましたので適当にサインしています。
病院で亡くなれば、警察による司法解剖がたいていはありません。
深夜に警察官を招待することもありません。
私は病院で最期を迎えたいなと思いました。
大変ですから、本当に……。




