姫
漆黒の騎士が身じろぎするたびに、モルドレッド軍の兵士が、鎧ごと切り裂かれ、地に崩れ落ちる。剣を振るう手も見えないのに、黒い騎士の周囲に、兵士達のバラバラになった屍が増えていく。
突如として戦場に現れたひとりの謎の騎士によって、モルドレッド軍の半数近くが、あっという間に細切れの肉片と化した。赤い雨のように飛び散る血飛沫を浴びても、謎の騎士の鎧は黒いまま。漆黒の鎧は、光とともに、人間の血液をも吸収しているようだった。
アーサー軍はこの機会を逃さなかった。図らずも謎の援軍と挟み撃ちの有利な体制になった彼らは、敵の混乱に乗じて果敢に攻めて斬り込む。
「何だ……いったい何が起きているのだ……」
モルドレッドは混乱していた。少し前までは勝利を確信していたのに、謎の敵の出現によって形勢が逆転してしまった。配下の兵士達は、前後から攻められ、為すすべもなく倒れていく。意を決して謎の黒騎士に斬りかかった兵士たちは、一瞬にして人の形を留めない血と肉の塊になった。
そして程なく、モルドレッドはただひとりアーサーの配下に囲まれた。全滅。彼の軍勢は、大将を残し、全員が死に絶えた。
目の前に黒い騎士がいる。殺されるとモルドレッドが思った時、アーサーが「待て」と叫んだ。
「待ってくれ。誰か知らぬが、その者を殺すのは私の役目。助けて貰った礼も言わぬうちに、失礼かと思うが、手出しは無用だ。頼む」
ギリっと歯ぎしりしたモルドレッドと、息を切らしたアーサーの目が、黒い騎士の後ろに佇む白いドレスの女を捉えた。その瞬間、二人の口から驚愕の言葉が飛び出した。
「グエネヴィア! まさか……」
「モルガン! 何故ここに」
戦場を静寂が覆った。その沈黙を破ったのは女の声だ。清らかで可愛らしく澄んでいるのにも関わらず、何処か妖艶で背筋が泡立つような戦慄を覚える声。誰にも似ていないが、しかし何処かで聞いたことがあるような声……それは夢の中の女……遠い昔に故郷に置いてきた、かつて愛し合った女の……声。
「グエネヴィア? モルガン? それが私の名前なの?」
「違うのか?」
アーサーとモルドレッドの目には、それぞれの想いが篭った女に見える。グエネヴィアはアーサーの愛する妻だ。親友のランスロットに奪われた美しき妃。モルガン・ル・フェイは、モルドレッドの母の妹であり、叔母に当たる妖艶なモルガンへ、彼は特別の感情を抱いていた。
「名前など何でもよい。愛する人よ。迎えに参りました」
女がアーサーへ手を伸ばした。
「私は待つことに疲れました。だからこうしてお迎えに参りました。さあ、私と共に参りましょう」
「グエネヴィア……待っていてくれたと言うのか? ランスロットはどうした」
「ランスロット? さあ、知りませぬ。私にはあなたしか愛する人はいないのです」
「君と共に行こう。我が愛しのグエネヴィア。しかしモルドレットと決着をつけてからだ」
「もしやこの剣はあなたの物でしょうか」
アーサーの前に跪いた女が恭しく捧げた剣。それは失われた筈のエクスカリバーだった。
「 まさか! なぜ君がこの剣を持っている?!」
「ここに参ります途中……時のはざまで見つけました。しかし愛する人よお聞きください。もはやその剣は……」
女の言葉はアーサーの耳に届かなかった。無敵のエクスカリバーが戻ってきたのだ。心が踊り、モルドレッドを殺すことで頭がいっぱいだったよ
そして他の者が見守る中、アーサーとモルドレッドは対峙した。互いの剣がぶつかり合い、揉み合って相手の隙を窺う。よろけたアーサーを攻撃しようと大きく剣を振り上げ、ガラ空きになったモルドレッドの腹に、エクスカリバーが突き刺さった。勢いで背中まで抜け、モルドレッドの口から血がこぼれる。だが、彼の渾身の力を込めた最後の一撃が、アーサーの兜を割り、頭まで届いた。
二人同時にどうと倒れる。モルドレッドは既に事切れていた。女が泣き叫びながらアーサーに駆け寄る。
「ああ……何と言うこと……だから申し上げたではありませんか。エクスカリバーは既に魔力を失い、あなたを守る力も無くなっていたというのに」
「……済まない……君の言葉を聞いていなかった……グエネヴィア……愛しい人……愛している……よくぞ私の元へ帰って来てくれたね」
力なく目を閉じた王の頭から夥しい血が吹き出していた。
「あなた……愛する人よ……大丈夫です。死なせはしない」
女が目配せをすると、ジッと佇んでいた黒い騎士が、瀕死のアーサーを抱え上げようと動いた。咄嗟に、アーサーの配下数人が、王を守ろうと反射的に動き、瞬時に、バラバラに切り刻まれる。事の成り行きに呆然としていたペディヴィアとルーカンが、我に返り、叫ぶ。
「待て! 我らが王をどうするつもりだ!」
「私の城に連れ帰ります」
「なに……城とは……どこにある」
「この世界の終わる処。最果ての城で傷を癒し、私とずっと一緒に暮らすのです」
「何だと……そんなことは許さない……」
「もうよいのだ……」
アーサーが掠れた声でつぶやいた。
「グエネヴィアと共に行こう。アヴァロンの島へ……」
「王よ。この女はグエネヴィア姫ではありませぬ。行先もアヴァロンでは……」
高々と女が笑った。その禍々しい響きに、二人の騎士は思わず後ずさった。
「我はグエネヴィアかも知れぬ。最果ての城はアヴァロンかも知れぬ。そんなことは誰にも分からない。私とて、自分が誰なのか分からないのだから」
女の視線に絡め取られたように、二人は動けなくなった。
「我が姫よ。もうここに用はありませぬ。我らが城へ戻りましょう」
アーサーを抱き上げた暗黒野騎士が、深い処から響いてくるような声で、女に呼びかけた。
女が空中に何か文字を書いた。するとそこに、周囲の景色を切り取ったような大きな四角い穴が現れた。穴の向こうは何処かの森のようだった。
「愛する人よ。もう私を一人にしないで……ずっと一緒に……この世界の終わる処で、刻の果てるまで、ずっと……」
アーサーの耳元で女がささやいている。為す術もなく、ペディヴィアとルーカンが見守るなか、アーサーを抱いた暗黒の騎士と女は、奇妙な穴の向こうへ消えた。
アーサー達が消えたあと、空中に現れた不思議な穴もかき消すように消えてしまった。残されたのは、死体が累々と広がる戦場で、言葉も無く呆然と立つ、二人の騎士だけだった。




