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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第92話 紅組と白組、分かれた隣



 二学期が始まって、数日。


 教室は、少しずつ夏休み明けの浮つきから学校のリズムへ戻っていた。


 けれど、その代わりに別の熱が教室の中へ広がり始めていた。


 体育祭。


 その三文字が、休み時間のたびに誰かの口から出る。


「リレー出たい」


「応援合戦あるかな」


「紅白どっちだろ」


「特進と混合だよな」


「去年、めっちゃ盛り上がったらしい」


 そんな声が、教室のあちこちで交わされていた。


 なつきも例外ではなかった。


 鞄の横で揺れる黒猫を見ながら、何度も考えてしまう。


 春樹くんと同じ組だろうか。


 違う組だろうか。


 同じ組なら、きっと嬉しい。


 でも違う組だったら。


 敵。


 体育祭の間だけとはいえ、応援席が分かれる。


 春樹を堂々と応援できないかもしれない。


 それでも、見てしまう気がする。


 春樹が走る姿。


 春樹が誰かと話す姿。


 春樹が白組の中で、美優や白石祐衣と自然に並んでいる姿。


 そこまで考えて、なつきは慌てて首を横に振った。


 まだ決まっていない。


 決まっていないのに、勝手に想像して勝手に胸を忙しくしている。


「なつき」


 亜衣が隣から小声で言う。


「今、春樹くんと別組になったらどうしようって考えてた?」


「……何で分かるの」


「顔」


「そんなに出てた?」


「出てた」


 亜衣は自信満々に頷いた。


 茜も後ろから少しだけ笑う。


「でも、気になるのは当然よ。今日のホームルームで発表だもの」


「うん」


 そう。


 今日の六時間目。


 体育祭の紅白組分けと、簡単な競技説明が発表される。


 朝から教室中がそわそわしていた。


 圭はいつも以上に落ち着かず、田辺と島中はすでに競技の話で盛り上がっている。


 紅秋は「発表を聞いてから考えろ」と何度も言っているが、圭達は止まらない。


「俺、紅でも白でも応援団やりたい!」


 圭が言う。


 田辺が笑う。


「お前、どっちでもうるさそうだもんな」


「うるさいんじゃない。盛り上げてる」


 島中が肩をすくめる。


「まあ、三浦がいる組は騒がしくなるな」


「褒めてる?」


「半分」


「半分!」


 紅秋が淡々と告げる。


「圭が暴走しないよう、同じ組の人間は大変だろうな」


「紅秋、ひどい!」


「事実だ」


 教室に笑いが広がる。


 なつきも笑った。


 けれど、胸の奥ではずっと別のことを考えていた。


 春樹は、どっちだろう。


 自分は、どっちだろう。


   ◇


 六時間目のホームルーム。


 担任が教室に入ってきた瞬間、空気が一気に変わった。


 全員が分かっていた。


 今日のメインは体育祭。


 いつもなら少しざわつきが残る時間なのに、今日は最初から視線が黒板へ集まっていた。


 担任は少し笑いながら、持っていたプリントを教卓に置いた。


「はい、みんな分かっていると思いますが、今日は体育祭の話をします」


 その一言だけで、教室がざわっと揺れる。


「やっと来た!」


「組分け!」


「紅がいい!」


「白も強そう!」


 圭が前のめりになる。


 紅秋が横で小さく言った。


「落ち着け」


「無理」


「落ち着け」


「はい」


 担任は黒板に大きく書いた。


『体育祭 紅組・白組』


 白いチョークの文字が黒板に並んでいく。


 なつきの胸が、静かに強く鳴った。


「今年も、学科・クラス混合で紅組と白組に分かれます。二年十一組も二つに分かれます。特進科や普通科とも合同になりますので、当日は他学科の人とも協力することになります」


 他学科。


 美優。


 蓮。


 白石祐衣。


 なつきは自然と春樹の背中を見た。


 春樹は黒板を見ている。


 いつも通り落ち着いているように見える。


 けれど、何を考えているのかは分からない。


 担任がプリントを配り始めた。


「名簿を配ります。騒がず確認してくださいね」


 騒がず。


 それは無理だった。


 プリントが前から回ってくるたびに、教室のあちこちで小さな声が上がる。


「え、俺こっち?」


「マジか」


「同じだ!」


「分かれた!」


 なつきの列にもプリントが回ってきた。


 手に取る。


 紙の端が、少しだけ指に引っかかった。


 心臓がうるさい。


 なつきは深呼吸して、名簿を見る。


 紅組。


 そこに、自分の名前があった。


『横田なつき』


 隣の欄を追う。


 伊藤亜衣。


 三浦圭。


 島中。


 田辺。


 紅組。


 なつきは一瞬、ほっとした。


 亜衣がいる。


 圭くんもいる。


 田辺と島中もいる。


 賑やかになりそうだ。


 でも、そのすぐ後に、白組の欄へ目が向いた。


 大國春樹。


 板倉紅秋。


 遠山茜。


 美優。


 白石祐衣。


 蓮。


 なつきの指が止まった。


 春樹くんは、白組。


 自分は、紅組。


 分かれた。


 そして、白組には美優と白石祐衣がいる。


 蓮もいる。


 紅秋も、茜も。


 春樹の近くにいる人達が、白組側に集まっている。


 なつきは、紙を見つめたまま少しだけ息を飲んだ。


「なつき」


 亜衣が小声で呼ぶ。


「うん」


「分かれたね」


「……うん」


 亜衣の名前は紅組にある。


 隣にいてくれる。


 それは嬉しい。


 でも、春樹とは別組。


 しかも、美優と祐衣は春樹と同じ組。


 胸が少しだけ、きゅっとした。


 茜が後ろから静かに言った。


「なつき、大丈夫?」


 茜は白組。


 つまり、春樹側だ。


 なつきは少しだけ振り返り、笑おうとした。


「うん。大丈夫」


 たぶん、少しぎこちなかった。


 茜は何も言わず、ただ優しく頷いた。


 圭が大きく声を出しそうになり、慌てて抑えた。


「俺、紅! なつきと亜衣と一緒!」


 田辺が拳を握る。


「紅組、勝つぞ」


 島中も笑う。


「大國は白か。じゃあ敵だな」


 その言葉で、なつきの胸が少し揺れる。


 敵。


 体育祭の上では、そうなる。


 春樹が白組。


 自分は紅組。


 田辺と島中が春樹に勝つと言う。


 それは体育祭として当然の熱なのに、なつきは少し複雑だった。


 圭がなつきを見る。


「なつき、春樹と敵だけど大丈夫か?」


「圭くん!」


 亜衣がすぐにつっこむ。


「直球すぎ!」


 紅秋も白組側の席から言う。


「圭、余計なことを言うな」


「いや、でも気になるだろ」


「言い方だ」


 春樹がプリントから顔を上げた。


 なつきと目が合う。


 胸が跳ねる。


 春樹は、少しだけ名簿を見た後、いつもの調子で言った。


「横田さん、紅組なんだ」


「う、うん」


「俺、白組」


「うん」


 分かっている。


 でも、春樹の口から聞くと、また少し胸に響いた。


 春樹は少しだけ頷いた。


「体育祭、別だね」


「うん」


 短い会話。


 けれど、教室のざわめきの中で、その二人の間だけ少し静かになったように感じた。


 なつきは小さく笑った。


「負けないように、頑張るね」


 言えた。


 自分でも少し驚いた。


 春樹はなつきを見て、ほんの少し口元を緩めた。


「うん。俺も頑張る」


 その言葉で、胸の痛みが少しだけ和らいだ。


 敵同士。


 でも、嫌な敵ではない。


 お互いに頑張る。


 それでいい。


 そう思えた。


   ◇


 担任が黒板に組分けの概要を書き始めた。


 紅組。


 白組。


 各組の中心になるクラスと、実行委員の流れ。


 競技はまだ仮だが、例年通りならリレー、綱引き、障害物走、借り人競争、応援合戦、全員参加競技があるらしい。


 教室の熱はさらに上がる。


「リレー出る!」


 田辺が言う。


「俺も!」


 島中も手を上げる。


「紅組、走るやつ多いな」


 圭が嬉しそうに言う。


「俺は応援と、出られるなら何か出る!」


 亜衣が笑う。


「圭くん、全部出そう」


「体力はある!」


 紅秋が白組側から言う。


「無理はするな」


「敵なのに心配してくれる紅秋」


「白組でも、圭が倒れたら面倒だ」


「理由!」


 教室が笑う。


 茜は白組の名簿を見ながら、少し考えていた。


「白組は、春樹くん、紅秋くん、蓮くんがいるのね。男子は強そう」


 亜衣がなつきの耳元で小さく言う。


「そして美優ちゃんと祐衣ちゃんも白組」


「……うん」


「大丈夫?」


 亜衣の声は、からかいではなく心配だった。


 なつきは少しだけ名簿を見た。


 白組の中に並ぶ名前。


 大國春樹。


 美優。


 白石祐衣。


 蓮。


 紅秋。


 茜。


 春樹に近い人達。


 白組の準備や応援で、自然と春樹の周りにいる時間が増えるだろう。


 なつきはそれを見ることになる。


 胸がざわつく。


 でも。


「大丈夫」


 なつきはもう一度言った。


 今度は、さっきより少しだけはっきりと。


「亜衣ちゃんもいるし、圭くんもいるし。紅組、楽しそう」


 亜衣は少し驚いたように目を丸くして、それからにこっと笑った。


「そうだね。紅組、絶対うるさいよ」


「うるさいって」


「圭くん、島中くん、田辺くんだよ?」


「……確かに」


 三人で笑った。


 茜も白組側から言う。


「紅組、勢いはありそうね」


 圭がすぐ反応する。


「勢いなら任せろ!」


 田辺も拳を握る。


「力もある」


 島中が笑う。


「勝つ気もある」


 亜衣が続く。


「ツッコミもある!」


 なつきは少し笑ってから、小さく言った。


「私も、応援なら頑張る」


 圭がぱっと振り返る。


「なつきの応援、強いからな!」


「またそれ」


 島中がにやっとする。


「大國相手でも応援できるか?」


 なつきの顔が赤くなる。


 田辺がすぐに島中の肩を叩いた。


「お前、言い方」


「いや、体育祭の話だろ」


 島中は軽く笑う。


 以前なら、その言葉に強い棘を感じたかもしれない。


 けれど今は、少し違った。


 からかいはある。


 でも、空気を壊すほどではない。


 田辺がすぐ止めたこともあって、なつきは深く沈まずに済んだ。


 春樹が静かに言った。


「応援されたら、嬉しいと思う」


 また。


 昼休みに続いて、春樹は同じように言った。


 なつきの胸が跳ねる。


 教室が一瞬、またざわっとする。


 圭が両手で顔を覆う。


「春樹……!」


 紅秋が静かに言う。


「自覚がない」


 茜が小さく微笑む。


 亜衣は完全ににやけている。


 なつきは顔を赤くしながら、黒猫に触れた。


 別組でも。


 敵同士でも。


 応援していいのだろうか。


 春樹が嬉しいと思うなら。


 少しだけ、応援してもいいのだろうか。


   ◇


 ホームルームの後半は、各組で簡単に集まる時間になった。


 正式な種目決めは次回。


 今日は組ごとに顔ぶれを確認し、実行委員候補や応援担当の希望を軽く聞くだけ。


 紅組と白組で教室内の左右に分かれることになった。


 なつきは、亜衣、圭、島中、田辺と一緒に紅組側へ移動する。


 春樹は、紅秋、茜と白組側へ。


 春樹が移動する時、なつきの黒猫が小さく揺れた。


 春樹の視線が、ほんの一瞬そこへ向く。


 そして、なつきを見る。


 目が合う。


 何も言わない。


 でも、その短い視線だけで、なつきは少し落ち着いた。


 別の組になっても、完全に離れるわけではない。


 同じ教室にいる。


 同じ体育祭に向かっている。


 そう思えた。


「紅組集合!」


 圭が小声のつもりで言ったが、普通に大きかった。


 担任がすぐ見る。


「三浦くん、声量」


「すみません!」


 田辺が笑う。


「紅組、最初から騒がしいな」


 島中が肩をすくめる。


「悪くないだろ」


 亜衣が言う。


「紅組、元気担当多すぎ」


「亜衣もだろ」


 圭が返す。


「私はツッコミもできる元気担当」


「便利」


 なつきはその輪の中に座った。


 正直、少し不安だった。


 春樹と別組。


 茜とも別組。


 紅秋とも別組。


 白組には、春樹を支える人達がたくさんいる。


 でも、紅組には亜衣がいて、圭がいて、田辺と島中がいる。


 この組は、この組でかなり騒がしい。


 きっと、寂しがっている暇がないくらい。


「なつき」


 田辺が言った。


「紅組、勝つぞ」


「えっ」


「大國に勝とうぜ」


 島中も笑う。


「そうそう。白組に大國いるなら燃えるだろ」


 なつきは一瞬迷った。


 春樹に勝つ。


 その言葉は、少しだけ胸が痛い。


 でも、体育祭としては自然なこと。


 紅組として頑張るなら、白組に勝つことを目指す。


 それは春樹を否定することではない。


「うん」


 なつきは小さく頷いた。


「紅組も、頑張ろう」


 圭が目を輝かせる。


「いいね! なつきが言った!」


 亜衣も笑う。


「よし、紅組女子の応援力アップ」


「何それ」


「なつきが本気出したら強い」


「だから応援限定?」


「うん」


 島中が軽く笑った。


「じゃあ横田は応援担当だな」


 田辺も頷く。


「似合う」


 なつきは少し赤くなる。


「まだ決まってないよ」


「でも、声出してくれたら力出るわ」


 田辺は悪気なく言った。


 島中も「それはある」と頷く。


 なつきは少し戸惑う。


 春樹を応援したい。


 でも、紅組のみんなも応援したい。


 田辺や島中が本気で頑張るなら、ちゃんと応援したい。


 圭が盛り上げるなら、一緒に笑いたい。


 亜衣と声を出したい。


 それも本当だった。


 春樹への気持ちと、紅組の仲間としての気持ち。


 どちらか一つではない。


 どちらもある。


 それが、少し難しくて、でも面白い。


   ◇


 一方、白組側では、紅秋がすでに冷静に名簿を見ていた。


 春樹は隣で座り、茜がその向かいにいる。


 白組には特進科から美優、白石祐衣、蓮も加わると書かれていた。


 今日は教室にいないが、組としては同じになる。


 茜が名簿を見ながら言う。


「白組、落ち着いたメンバーが多そうね」


 紅秋が頷く。


「春樹、蓮、美優さん、白石さん。確かに」


 春樹は名簿を見る。


「美優と蓮も白」


「白石さんもね」


 茜は少しだけなつきの方を見る。


 紅組側で、亜衣や圭に囲まれているなつき。


 少し緊張しているようだが、笑えている。


 茜はそれを見て、少し安心した。


「なつき、紅組で大丈夫そうね」


 春樹も紅組側を見る。


 黒猫が揺れているのが見えた。


「うん」


 紅秋が春樹を見る。


「気になるか?」


「何が?」


「横田さんが紅組なのが」


 春樹は少し考えた。


「別だなとは思う」


「そうか」


「でも、体育祭だから」


 紅秋は少しだけ口元を緩めた。


「そうだな」


 茜は静かに言った。


「春樹くん、なつきのこと、ちゃんと見てあげてね」


 春樹は茜を見る。


「見てる」


 あまりにも普通に言った。


 紅秋が少しだけ目を伏せる。


 茜は優しく笑った。


「ええ。知ってるわ」


   ◇


 ホームルームが終わる頃には、教室の中に紅組と白組の空気ができ始めていた。


 正式な競技決めはまだ。


 応援団もまだ。


 実行委員もまだ。


 それでも、分かれたことで、気持ちが動き出していた。


 紅組は賑やかだった。


 圭が中心で、島中と田辺が勝負に燃える。


 亜衣がツッコミを入れ、なつきがその中で少しずつ笑う。


 白組は落ち着いていた。


 春樹、紅秋、茜。


 そして後日合流する美優、白石祐衣、蓮。


 静かだけれど、強そうな空気。


 なつきは、自分の席へ戻りながら、白組側の春樹を見た。


 春樹もこちらを見た。


 目が合う。


 今度は、なつきから小さく言った。


「春樹くん」


「何?」


「体育祭、頑張ろうね」


 同じ組ではない。


 でも、同じ体育祭に向かう。


 だから、その言葉が一番自然な気がした。


 春樹は頷いた。


「うん」


 少し間を置いて。


「横田さんも」


 なつきは胸が温かくなった。


「うん」


 黒猫が鞄で揺れる。


 紅組と白組。


 分かれた隣。


 同じ場所には立てないかもしれない。


 でも、見つけ合うことはできる。


 なつきはそう思った。


 体育祭まで、三週間。


 夏休みとは違う、新しい距離の物語が始まった。

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