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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第90話 黒猫を連れて、二学期が始まる

第90話 黒猫を連れて、二学期が始まる


 二学期の朝。


 なつきは、いつもより少し早く目を覚ました。


 カーテンの隙間から差し込む光は、まだ夏の色をしていた。


 けれど、どこか少しだけ違う。


 夏休みの朝の、どこまでも自由に広がっていくような光ではない。


 学校へ向かう日の、少し背筋を伸ばすような光。


 なつきは布団の中で瞬きをして、それからゆっくり起き上がった。


「……今日から、二学期」


 声に出すと、胸の奥が少しだけきゅっとした。


 夏休みが終わった。


 海も。


 夏祭りも。


 宿題会も。


 登校日も。


 全部、昨日までのことになった。


 けれど、終わってしまったという寂しさだけではなかった。


 今日、また教室でみんなに会える。


 春樹に会える。


 そう思うと、胸の中に小さな期待が灯る。


 なつきは制服に袖を通した。


 久しぶりの制服。


 夏休み中も登校日はあったけれど、今日から本当に学校が戻ってくる。


 スカートの感覚。


 ブラウスの襟。


 鞄の重み。


 全部が少し懐かしい。


 机の横に置いた学校鞄を見る。


 黒猫のキーホルダーが、朝の光の中で小さく揺れていた。


 春樹が夏祭りで取ってくれた黒猫。


 海と祭りと宿題会と登校日。


 夏休みの出来事を全部連れてきたみたいな、小さな黒猫。


 なつきは指先でそっと触れた。


「今日もよろしくね」


 小さく言う。


 そして少しだけ笑った。


 黒猫に話しかける自分にも、もう慣れてきた。


 でも、それくらい大事だった。


 鞄を持ち上げると、黒猫が軽く揺れる。


 その音を聞いて、なつきは深呼吸した。


 大丈夫。


 今日から二学期。


 夏休みで少しだけ前に進めた自分のまま、教室へ行く。


   ◇


 校門へ向かう道は、夏休み前より少しだけ賑やかだった。


 同じ制服の生徒達が、あちこちから学校へ向かっている。


 久しぶりに友達に会って、歩きながら話す声。


「宿題終わった?」


「昨日の夜やばかった」


「部活焼けした?」


「旅行どうだった?」


 そんな会話が、朝の空気の中で重なっていた。


 なつきはその中を歩きながら、鞄の黒猫が揺れる感覚を何度も確かめた。


 学校が始まる。


 また日常が戻る。


 でも、その日常は夏休み前とまったく同じではない。


 春樹くんと海へ行った。


 夏祭りで浴衣を見てもらった。


 黒猫をもらった。


 嬉しい、と言えた。


 また行きたい、と言えた。


 その全部を抱えて、今の自分はここにいる。


「なつき!」


 後ろから声がして、なつきは振り返った。


 亜衣だった。


 少し息を弾ませながら走り寄ってくる。


「おはよう!」


「おはよう、亜衣ちゃん」


「黒猫、今日もいる!」


「うん」


「二学期初日から完璧」


「何が?」


「春樹くんが見つけやすい」


「亜衣ちゃん」


 なつきが赤くなると、亜衣は楽しそうに笑った。


「いや、実際本人が言ってたじゃん。見つけやすいって」


「そうだけど……」


「今日、絶対また見るよ」


「見なくていいような、見てほしいような……」


「正直でよろしい」


 亜衣が満足そうに頷く。


 少し遅れて茜も来た。


「おはよう」


「茜ちゃん、おはよう」


「二人とも早いわね」


「なつきが黒猫と登校してるところを見たくて」


「亜衣、それは少し言い方が変よ」


「でもかわいいよね」


 茜は黒猫を見て、優しく微笑んだ。


「ええ。もうなつきの鞄に馴染んでいるわ」


「ありがとう」


 なつきは黒猫に触れた。


「なんか、これがあると落ち着く」


「大事な思い出だからね」


 茜の言葉に、なつきは頷いた。


 大事な思い出。


 その言葉を否定しなくなった自分に、また少し驚く。


 三人で校門をくぐる。


 校舎へ向かう道には、夏休み明け特有の浮ついた空気があった。


 髪が少し伸びた人。


 日焼けした人。


 部活の道具を持った人。


 久しぶりの学校に少し眠そうな人。


 それでも、みんな少し楽しそうだった。


 二年十一組の教室へ近づくと、廊下のざわめきが強くなる。


 教室の中から圭の声が聞こえた。


「終わったって! マジで終わった!」


 田辺の声。


「信用できねぇ」


 島中の笑い声。


「三浦、朝からうるさい」


 紅秋の声。


「圭、声を落とせ」


 なつきは思わず笑った。


 戻ってきた。


 この感じ。


 教室の扉を開けると、夏休み前と同じようで、少しだけ違う空気が広がっていた。


 机。


 椅子。


 黒板。


 窓から入る光。


 クラスメイトの声。


 久しぶりの二年十一組。


 圭がすぐにこちらに気づいた。


「お、なつき! 亜衣! 茜!」


「おはよう、圭くん」


「おはよー!」


 亜衣が返す。


 田辺も手を上げる。


「おはよう、横田」


「おはよう、田辺」


 島中は椅子にもたれながら笑う。


「宿題終わった顔してるな」


「終わったよ」


「優等生かよ」


「頑張ったから」


 なつきが自然にそう言うと、島中が少しだけ目を丸くした。


 それから笑った。


「そっか。頑張ったなら仕方ねぇな」


 亜衣が小声で言う。


「なつき、今のよかった」


「何が?」


「頑張ったから、って自分で言えた」


 なつきは少し赤くなる。


 でも、確かにそうだった。


 以前なら「そんなことない」と言っていたかもしれない。


 でも今は、自分でも頑張ったと言えた。


 圭が黒猫に気づく。


「あ、黒猫! 二学期もいる!」


「うん」


 なつきは黒猫を軽く持ち上げる。


「つけてきた」


「いいじゃん。完全に横田の目印だな」


 田辺が言う。


「目印?」


「ほら、鞄探す時とか」


 なつきは一瞬固まった。


 春樹と同じようなことを言われた。


 見つけやすい。


 なつきの顔が熱くなる。


 亜衣がすぐに反応した。


「田辺くん、今いいこと言った」


「何が?」


「それ、春樹くんも言ってた」


「大國が?」


 田辺が少し驚く。


 島中がにやっとする。


「へぇ」


 なつきは慌てた。


「た、ただ鞄が見つけやすいってだけだから」


「分かってるって」


 島中はそれ以上からかわなかった。


 少し前なら、もっとしつこく何か言ったかもしれない。


 でも今は、軽く笑って終わる。


 その変化も、なつきには分かった。


 紅秋が席から顔を上げる。


「横田さん、宿題は?」


「終わったよ」


「感想文も?」


「うん。春樹くんに少し見てもらった」


 言ってから、少し恥ずかしくなる。


 でも隠さなかった。


 紅秋は頷いた。


「なら安心だな」


「紅秋くんは?」


「終わっている」


「さすが」


 圭が叫ぶ。


「紅秋は最初から終わってそう!」


「最初からではない」


「でも早いだろ」


「計画的にやった」


「それができないから俺たちは苦しんだ」


「自覚があるなら次から直せ」


「来年の俺に言って」


「今の圭が聞け」


 教室が笑いに包まれる。


 なつきも笑った。


 この空気。


 いつもの教室。


 でも、夏休みを越えたことで、少しだけ柔らかくなった気がした。


   ◇


 教室の扉がもう一度開いた。


 春樹が入ってきた。


 なつきの胸が、自然に跳ねる。


 制服姿の春樹。


 やっぱり、学校で見る春樹は特別だった。


 海でも、祭りでも、図書館でも会った。


 でも、教室に入ってくる春樹を見ると、片思いを始めた頃の自分が少し戻ってくる。


 ただ、今はその頃とは違う。


 声をかけられる。


 春樹くん、と呼べる。


 黒猫もつけている。


 なつきは小さく息を吸った。


「おはよう、春樹くん」


 春樹がこちらを見る。


「おはよう」


 視線が、なつきの鞄へ落ちる。


 黒猫。


 なつきの心臓が鳴る。


 春樹は少しだけ頷いた。


「今日もいる」


「うん」


 なつきは黒猫に触れた。


「二学期も一緒」


 言ってから、自分で少し恥ずかしくなった。


 でも春樹は普通に受け止めた。


「いいと思う」


「ありがとう」


「見つけやすい」


 やっぱり。


 なつきは少し笑ってしまった。


「春樹くん、それ好きだね」


「そう?」


「うん。前も言ってた」


「見つけやすいから」


 春樹はいつもの調子で言う。


 それが嬉しかった。


 同じ言葉。


 でも、今日は二学期の教室で聞いた。


 夏休みの思い出が、ちゃんとここへ続いている。


 圭が後ろで小声で言う。


「黒猫、完全に定着」


 亜衣も小声で返す。


「春樹くん公認」


 紅秋が二人を見る。


「余計なことを言うな」


「小声!」


「聞こえている」


 茜が笑いをこらえている。


 春樹は不思議そうにしていた。


「何が?」


 圭は机に突っ伏した。


「春樹、二学期も春樹だ」


 教室にまた笑いが起きる。


 なつきはその笑いの中で、黒猫をそっと撫でた。


   ◇


 始業式は体育館で行われた。


 夏休み明けの体育館は、やはり暑かった。


 大型扇風機は回っている。


 窓も開いている。


 けれど、生徒達の熱気と残暑が混ざり合い、空気は重い。


 終業式の時と似ている。


 でも、あの時は夏休みへ向かう高揚感があった。


 今日は、二学期へ戻ってくる少しだけ重たい空気がある。


 それでも、久しぶりに全校生徒が集まる体育館はざわついていた。


「暑い」


 圭が小声で呟く。


「また始まった」


 田辺が横で笑う。


「始業式も暑いな」


「終業式も暑かった」


「校長先生の話も暑い」


 紅秋が低い声で言う。


「静かに」


「はい」


 女子列では、亜衣がすでに少し危なかった。


「眠い」


 茜が言う。


「まだ始まっていないわ」


「始まる前から眠い」


「生活リズムが崩れている証拠ね」


「正論が痛い」


 なつきは笑いをこらえる。


 体育館の前方に春樹の背中が見えた。


 春樹はいつも通り前を向いている。


 でも終業式の時、少し眠そうになっていたのをなつきは覚えている。


 春樹くんも眠くなる。


 そんな当たり前のことが、今でも少し嬉しい。


 始業式が始まった。


 校歌。


 校長先生の話。


 生活指導の先生の話。


 進路指導の先生の話。


 二学期は行事が多いという話。


 体育祭。


 文化祭。


 中間テスト。


 それらの言葉が出た時、生徒達の間に小さなどよめきが起きた。


 体育祭。


 なつきはその言葉に少し反応した。


 そういえば、二学期には体育祭がある。


 夏休みの間は海や祭りで頭がいっぱいだった。


 でも学校が始まれば、次は学校行事が動き出す。


 体育祭。


 クラス対抗。


 練習。


 応援。


 春樹は運動ができる。


 紅秋もできる。


 圭も体を動かすのが得意そうだ。


 島中や田辺も、体育祭では目立つかもしれない。


 なつきは少しだけ胸がざわついた。


 また、新しい季節が始まる。


 夏休みとは違う、学校の中のイベント。


 春樹とどんなふうに関われるだろう。


 そう思った瞬間、少しだけ楽しみになった。


   ◇


 始業式が終わり、教室へ戻ると、空気は一気に賑やかになった。


「体育祭!」


 圭が最初に叫んだ。


「まだ詳細出てないだろ」


 田辺が言う。


「でも体育祭!」


「お前、元気だな」


「二学期のメインイベントだろ!」


 島中も笑う。


「体育祭は燃えるよな」


 田辺が腕を組む。


「リレーとかあったら出るわ」


「田辺、レスリング部の意地?」


「走るのは別だけどな」


 圭が胸を張る。


「俺、ダンスならいける」


 紅秋が言う。


「体育祭にダンス種目はないだろう」


「応援とかあるかもしれない!」


「それはあるかもしれないな」


 亜衣が女子側で乗る。


「応援団とか楽しそう!」


 茜が冷静に言う。


「まずクラスの種目決めでしょうね」


「なつきは何出る?」


「まだ分からないよ」


「女子は何あるんだろ」


 教室中で体育祭の話が広がり始めた。


 夏休みの余韻から、一気に二学期の行事へ。


 その切り替わりが、学校らしかった。


 担任が教室に戻ってくると、黒板に大きく書いた。


『二学期予定』

『体育祭』

『中間考査』

『文化祭準備』


 教室がざわつく。


「はい、静かに。二学期は行事が多いです。まず近いところでは体育祭。詳しい種目決めは後日ですが、クラスで協力して進めることになります」


 圭が小さくガッツポーズをする。


 紅秋がそれを見てため息を吐く。


 担任は続ける。


「それから、夏休みの課題は今日回収します。忘れた人は……」


 教室の空気が少し凍った。


 何人かが目を逸らす。


 田辺が小声で言う。


「持ってきた。持ってきたぞ」


 島中も鞄を探る。


「ある。大丈夫」


 圭は自信満々に提出物を机に置いた。


「ある!」


 亜衣も隣で誇らしげに言う。


「ある!」


 茜が頷く。


「よかったわね」


 紅秋も圭を見る。


「よく確認したな」


「紅秋のおかげ!」


「自分でも確認しただろう」


「した!」


 なつきも提出物を机に出した。


 読書感想文。


 ワーク。


 プリント。


 全部ある。


 春樹に見てもらった感想文を提出するのは、少しだけ緊張した。


 でも、ちゃんと自分の言葉で書けた。


 だから大丈夫。


 先生の指示で提出物が回収されていく。


 なつきの感想文が自分の手を離れた時、少しだけ胸の中に達成感が広がった。


 夏休みが、本当に終わったのだと思った。


   ◇


 ホームルームの後半、担任が体育祭について軽く話した。


「今年の体育祭は、例年通りクラス対抗で行われる予定です。詳しい種目は次回のホームルームで決めます。実行委員も必要になります」


 その言葉に、教室の視線が自然に茜と紅秋へ向かった。


 亜衣が小声で言う。


「委員長と副委員長に視線が」


 茜は静かに言った。


「まだ決まっていないわよ」


 紅秋も同じく。


「勝手に決めるな」


 圭が笑う。


「でも似合う」


 島中が言う。


「紅秋は実行委員向きだろ」


 田辺も頷く。


「遠山もな」


 茜は少しだけため息を吐いた。


「必要なら考えるけれど、全員で協力するのよ」


 担任がその空気を見て笑う。


「頼もしいですね。まあ、正式には後日決めます」


 体育祭。


 実行委員。


 クラス対抗。


 その言葉が、教室の中に新しい熱を作り始めていた。


 なつきは春樹をちらりと見る。


 春樹は黒板を見ている。


 運動はできる。


 でも、目立ちたがるタイプではない。


 体育祭でどんな姿を見せるのだろう。


 また、動く春樹を目で追ってしまうのだろうか。


 体育の時、ボールを顔面に受けたあの日を思い出して、なつきは少しだけ赤くなった。


 亜衣が小声で言う。


「なつき、今春樹くんの体育祭姿想像した?」


「してない」


「した」


「……少し」


「素直」


 茜が笑いをこらえていた。


   ◇


 始業式の日は午前中で終わった。


 提出物を出し、連絡を聞き、久しぶりの教室でたくさん話して。


 それだけなのに、なつきは少し疲れていた。


 でも、嫌な疲れではなかった。


 教室を出る前、春樹がなつきの方へ来た。


「横田さん」


「うん?」


「感想文、出せた?」


「うん。出せたよ」


「よかった」


「春樹くんのおかげもある」


 言ってから、なつきは少しだけ笑う。


「でも、自分でも頑張った」


 春樹はすぐに頷いた。


「うん」


 その返事が嬉しかった。


 自分の頑張りを、春樹が肯定してくれる。


 それが、なつきの中で少しずつ自信になっていく。


 春樹の視線が黒猫へ落ちる。


「黒猫、二学期もいるね」


「うん」


「見つけやすい」


 なつきは思わず笑った。


「もう三回目くらいだよ、それ」


「そう?」


「うん」


「でも本当に見つけやすい」


「じゃあ、見つけてね」


 言ってから、なつきは一瞬止まった。


 また言ってしまった。


 でも、前にも言った。


 春樹は少しだけ頷いた。


「うん。見つける」


 その短い言葉が、胸に静かに落ちる。


 夏休み最後の日にも聞いた。


 そして、二学期の教室でも聞けた。


 見つける。


 鞄の黒猫を。


 自分を。


 そう思ってしまうのは、少し都合がよすぎるかもしれない。


 でも、今はそれでよかった。


 亜衣が少し離れたところで、何か言いたそうにしている。


 圭も同じ。


 紅秋が二人を見ている。


 茜は優しく微笑んでいる。


 いつもの教室。


 でも、夏休み前よりずっと温かい。


   ◇


 校門までの帰り道は、みんなでまとまって歩いた。


 圭が体育祭の話をしている。


「俺、応援系あったらやりたい!」


 紅秋が言う。


「まず種目を確認してからだ」


「でも盛り上げ役は必要だろ」


「それは否定しない」


 圭は嬉しそうに笑う。


「紅秋が認めた!」


 亜衣も乗る。


「圭くん、応援団似合いそう」


「だろ?」


 田辺が言う。


「俺は競技で出たいな」


 島中も頷く。


「リレーとか燃える」


 茜が冷静に言う。


「まずは全員の得意不得意を確認しないとね」


「茜ちゃん、もう委員の顔」


「まだ決まってないわ」


 なつきはその会話を聞きながら、春樹の隣を少しだけ歩いていた。


 夏休みの間、外で何度も並んで歩いた。


 海。


 祭り。


 図書館。


 でも、学校の帰り道で並ぶのはまた違う。


 春樹が言う。


「体育祭」


「うん?」


「横田さん、何出る?」


「まだ分からない。運動は得意じゃないし」


「そう?」


「春樹くんみたいにはできないよ」


「俺も全部できるわけじゃない」


「でもバスケとか、すごかった」


 なつきは以前の昼休みバスケを思い出す。


 春樹がコートを走っていた姿。


 紅秋や蓮とパスを回していた姿。


 思い出すだけで、少し胸が跳ねる。


 春樹は首を傾げる。


「そう?」


「うん。かっこよかった」


 言った。


 なつきは自分で言ってから、顔が熱くなる。


 かっこよかった。


 かなり直球だった。


 春樹は少しだけ目を瞬かせた。


「ありがとう」


 短い返事。


 でも、受け取ってくれた。


 なつきは小さく頷いた。


「うん」


 亜衣が前方から振り返った。


 完全に聞こえていた顔だった。


 なつきは目を逸らす。


 あとで絶対に言われる。


 でも、今は言えたことの方が大きかった。


 春樹のことを、かっこよかったと言えた。


 それは夏休みを越えたなつきの、新しい一歩だった。


   ◇


 校門の外で、駅組と地元側へ分かれる。


 春樹、蓮、美優、祐衣とは今日は校内で会わなかったが、駅方面へ向かう春樹達とはここで別れる。


 蓮と美優は特進棟から来て合流していた。


 美優がなつきの黒猫を見て笑う。


「黒猫、学校でもつけてるんだ」


「うん」


「かわいいね」


「ありがとう」


 祐衣も柔らかく言う。


「とても似合っています」


「ありがとう、祐衣さん」


 蓮が春樹を見る。


「春樹が取ったやつだよね」


「うん」


 春樹は普通に頷く。


 なつきは少し照れる。


 美優はその様子を見て、少しだけ目を細めた。


 でも何も言わなかった。


 ただ、柔らかく笑っていた。


「じゃあ、またね」


 美優が言う。


「またね」


 祐衣も会釈する。


「また」


 蓮も軽く手を上げる。


 春樹がなつきを見る。


「また明日」


 なつきは胸が跳ねた。


 明日。


 二学期が始まったから、また明日も会える。


 夏休み中は、予定を決めないと会えなかった。


 でも学校が始まれば、明日も教室で会える。


 その当たり前が、とても嬉しかった。


「うん。また明日、春樹くん」


 春樹は頷いて、駅の方へ歩いていく。


 なつきはその背中を見送った。


 隣に亜衣が来る。


「なつき」


「何?」


「かっこよかった、言ったね」


「……聞こえてた?」


「ばっちり」


「無理」


「無理じゃない。最高だった」


 茜も微笑む。


「ちゃんと自然に言えていたわ」


「自然だったかな」


「ええ」


 なつきは黒猫に触れた。


 胸がまだ少し熱い。


 でも、嫌じゃない。


 むしろ、少し誇らしかった。


 二学期初日。


 黒猫をつけて登校して。


 春樹に気づいてもらって。


 感想文を提出して。


 体育祭の話が始まって。


 春樹に、かっこよかったと言えた。


 夏休みが終わっても、ちゃんと前に進める。


 そう思えた。


   ◇


 帰り道、なつきは空を見上げた。


 まだ暑い。


 まだ夏の雲が残っている。


 でも、学校は二学期に入った。


 季節は少しずつ次へ向かっている。


 体育祭。


 新しい行事。


 新しい教室の空気。


 夏休みで近づいた距離を、今度は学校の中でどう育てていくのか。


 少し不安もある。


 でも、楽しみの方が大きかった。


 黒猫が鞄の横で揺れる。


 小さな黒猫は、夏休みの思い出を連れて、二学期の教室へ入った。


 そして、これからもきっと、なつきの隣で揺れ続ける。


 君の隣を目指す夏は、今日で一区切り。


 でも。


 君の隣を目指す日々は、ここからまた始まる。


 二学期。


 体育祭。


 教室。


 春樹の隣。


 なつきは黒猫をそっと撫でて、少しだけ前を向いた。

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