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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第89話 夏休み最後の日、黒猫は明日を待っている


 夏休み最後の日。


 なつきは机の前に座り、積み上げた宿題をじっと見つめていた。


 ワーク。


 プリント。


 読書感想文。


 商業科の課題。


 夏休みのはじめに見た時は、果てしなく遠い山のように見えたもの。


 けれど今、そのほとんどには終わった印がついている。


 読書感想文は清書済み。


 春樹に見てもらった言葉を大事にしながら、自分の文章で書ききった。


 ワークも、ところどころ見直しは必要だけれど、提出できる形にはなっている。


 茜の言葉通り、未来の自分は少し救われたらしい。


「……終わった」


 なつきは小さく呟いた。


 言葉にすると、体から力が抜けた。


 夏休みの宿題が終わった。


 それだけのことなのに、胸の中には小さな達成感があった。


 もちろん、自分一人の力だけではない。


 茜に予定を立ててもらった。


 亜衣と一緒に励まし合った。


 圭が騒いでくれて、紅秋が現実へ引き戻してくれた。


 春樹が隣で、短く、でも確かに支えてくれた。


 そして、黒猫が鞄で揺れていた。


 なつきは机の横に置いた学校鞄を見る。


 黒猫のキーホルダーがついている。


 祭りの日、春樹が取ってくれたもの。


 夏休みの特別な時間を、そのまま日常へ持ってきたような小さな黒猫。


 明日から、二学期。


 この黒猫をつけて、また教室へ行く。


 そう思うと、胸が少し高鳴った。


 夏休みが終わるのは寂しい。


 海も、祭りも、図書館の宿題会も、全部もう過ぎてしまった。


 でも、学校が始まることが少し楽しみでもある。


 そんなふうに思える自分に、なつきは少し驚いていた。


 スマホが震えた。


 グループチャットだった。


 圭からだ。


『終わった!!!!!』


 すぐに亜衣が返す。


『私も終わったーーー!!!!!』


 紅秋。


『本当に全部確認したのか?』


 圭。


『した!たぶん!』


 紅秋。


『たぶんをやめろ』


 茜。


『提出物リストと照合して』


 亜衣。


『今からします』


 なつきは思わず笑った。


 最後の最後までこの調子だ。


 圭と亜衣が騒ぎ、紅秋と茜が現実を見せる。


 その光景が、画面越しでもはっきり浮かんだ。


 蓮からも返信が来る。


『俺も終わった。明日から二学期だね』


 美優。


『早いね。夏休み、あっという間だった』


 祐衣。


『読書感想文、なんとか終わりました』


 春樹。


『終わった』


 なつきは春樹の短い一言を見て、少し笑った。


 春樹らしい。


 でも、その「終わった」に、なぜか安心する。


 なつきも返信した。


『私も終わったよ』


 すぐに亜衣から個別メッセージ。


『なつき、感想文完成おめでとう!』


『ありがとう。亜衣ちゃんもお疲れ様』


『未来の私、救われた』


『よかった』


『でも夏休み終わるのやだ』


 なつきはその文字を見て、少しだけ手を止めた。


 同じ気持ちだ。


『分かる。ちょっと寂しい』


 亜衣。


『でも春樹くんに会えるよ』


 なつきは顔が熱くなる。


『それは……うん』


『素直!』


 続けて茜からも個別メッセージが届いた。


『宿題、お疲れ様。よく頑張ったわね』


 なつきは胸が温かくなった。


『茜ちゃんのおかげだよ』


『なつき自身も頑張ったのよ』


 その言葉に、なつきは少しだけ目を伏せる。


 春樹も同じように言ってくれた。


 横田さんが頑張った。


 その言葉を少しずつ受け取れるようになっている。


『うん。頑張った』


 なつきはそう返信した。


 自分でそう言えたことが、少し嬉しかった。


   ◇


 昼過ぎ。


 最後の確認会として、なつきは茜と亜衣と駅前のカフェで会うことになった。


 本当は宿題の確認だけなら家でもできる。


 でも、夏休み最後の日に三人で少し話したかった。


 それは、亜衣も茜も同じだったらしい。


 駅前は、夏休み最後の日らしい空気があった。


 学生が多い。


 どこか名残惜しそうに歩く人。


 最後の買い物をしている人。


 宿題らしきプリントを広げている人。


 夏の終わりと、学校の始まりが混ざったような空気。


 カフェに入ると、すでに亜衣が席を確保していた。


 机の上には、宿題の束。


 そして飲み物。


「なつき!」


「亜衣ちゃん、宿題持ってきたんだ」


「最終確認」


「えらい」


「茜ちゃんに言われたから」


 少し遅れて茜も来た。


「二人とも、もう始めてる?」


「まだ!」


 亜衣が元気よく言う。


 茜は少しだけ呆れて笑った。


「では始めましょう」


 三人で提出物を確認する。


 ワーク。


 プリント。


 読書感想文。


 商業科の課題。


 なつきは一つずつチェックしていった。


 亜衣は途中で何度か「これ何だっけ」と言い、茜に説明される。


「亜衣、このプリントは?」


「あ、それ終わった!」


「丸つけは?」


「……今します」


「持ってきていてよかったわね」


「茜ちゃん、神」


「確認不足よ」


「はい」


 なつきは笑いながら、自分の読書感想文を取り出した。


 表紙をつけ、名前も書いた。


 あとは提出するだけ。


「なつきの感想文、完成したんだよね」


 亜衣が言う。


「うん」


「春樹くんに見てもらったやつ?」


「少しだけね」


「どうだった?」


「いいと思うって言ってくれた」


 言ってから、少し照れる。


 でも、もう隠さなかった。


「あと、横田さんっぽいって」


 亜衣が両手で顔を覆った。


「春樹くん、ほんとそういうとこ」


「何が?」


「刺さる言葉を普通に言う」


 茜も微笑む。


「なつきにとっては、とても大きい言葉だったでしょうね」


「うん」


 なつきは感想文の表紙を撫でた。


「自分の言葉で書けた気がした」


「それが一番よ」


 茜が言った。


「感想文は上手く書くことより、自分が何を感じたかを書くことが大事だから」


「うん」


 なつきは黒猫のついた鞄を足元に置いた。


 黒猫が少しだけ揺れる。


 亜衣がそれに気づく。


「黒猫も明日から学校だね」


「うん」


「春樹くん、また気づくよ」


「もう気づいてるけど」


「二学期初日にも気づくことが大事」


「またそれ」


 茜が笑う。


「でも、二学期初日って特別よね」


「うん」


 なつきは頷いた。


「夏休みの思い出を持って教室に戻る感じがする」


 海。


 夏祭り。


 宿題会。


 登校日。


 全部が、この黒猫に少しずつ重なっている。


 明日、それを持って教室に入る。


 春樹に会う。


 そう思うと、夏休みが終わる寂しさの中に、少しだけ期待が混ざった。


   ◇


 その頃、男子側でも夏休み最後の確認会が開かれていた。


 場所は駅ビルのフードコート。


 春樹、紅秋、圭、蓮の四人。


 圭は机の上に宿題を広げ、両手を上げていた。


「終わった!」


 紅秋が冷静に言う。


「だから確認をする」


「終わったって言ったのに」


「終わったと思って抜けているのが一番危ない」


 蓮が笑う。


「紅秋、最後まで頼りになるね」


「必要なことをしているだけだ」


 圭が蓮を見る。


「蓮、宿題終わった?」


「うん」


「さすが特進」


「特進関係あるかな」


「ある!」


 春樹は静かに自分の提出物を確認していた。


 紅秋が聞く。


「春樹は?」


「終わった」


「見直しは?」


「した」


「感想文は?」


「終わった」


 圭が驚く。


「春樹、淡々としすぎ」


 蓮が笑う。


「春樹は昔からこういう感じ」


「焦らないの?」


 圭が聞く。


 春樹は少し考えた。


「早めにやったから」


「正論!」


 紅秋が圭を見る。


「圭も早めにやれば、焦らずに済む」


「来年の俺に言って」


「今の圭が聞け」


「はい」


 春樹はスマホを見る。


 グループチャットでは、なつきが「私も終わったよ」と送っていた。


 春樹はその文字を見て、少しだけ頷いた。


 横田さんも終わった。


 感想文も、ちゃんと書けたのだろう。


 図書館で見た文章を思い出す。


 小さな言葉や出来事が積み重なることで、人は少しずつ前を向けるようになる。


 横田さんらしい言葉だと思った。


 春樹はそれを、素直にいいと思った。


「春樹」


 蓮が声をかける。


「何?」


「明日から学校だね」


「うん」


「楽しみ?」


 春樹は少し考えた。


「うん」


 圭が反応する。


「お、即答!」


「学校、嫌じゃない?」


「嫌じゃない」


「春樹、二学期も楽しみ?」


「うん」


 紅秋が少しだけ口元を緩めた。


「夏休みで、教室に戻る理由が増えたのかもしれないな」


 春樹は首を傾げる。


「理由?」


 蓮が笑う。


「黒猫とか?」


 春樹は少しだけ黙った。


 圭がにやにやする。


「あー、横田さんの黒猫」


 紅秋がすぐに言う。


「茶化すな」


「まだ茶化してない!」


 春樹は普通に言った。


「黒猫、見つけやすい」


 圭が机に突っ伏した。


「春樹、ほんと春樹」


 蓮は楽しそうに笑っている。


「でも、ちゃんと見てるってことだよね」


 春樹は少しだけ考えた。


「うん」


 紅秋はその返事を聞いて、何も言わなかった。


 ただ、少しだけ穏やかな顔をした。


   ◇


 夕方。


 なつきはカフェから帰り、部屋で明日の準備をしていた。


 制服。


 提出物。


 筆記用具。


 上履き。


 鞄。


 黒猫。


 明日は二学期始業式。


 夏休みが本当に終わる。


 なつきは提出物を鞄に入れながら、何度もリストを確認した。


 茜の影響だ。


 忘れ物をしたくない。


 せっかく終わらせた宿題を、提出できないなんて絶対に嫌だった。


 鞄の横では、黒猫が揺れている。


 なつきはそれを指で軽く撫でた。


「明日もよろしくね」


 黒猫に話しかけてから、自分で少し笑ってしまう。


 でも、本当にそんな気持ちだった。


 この黒猫があると、少し勇気が出る。


 春樹との思い出が、手元にある気がする。


 スマホが震えた。


 春樹からだった。


 なつきは少しだけ息を整えてから開く。


『宿題、終わった?』


 なつきは笑った。


 グループで言ったけれど、個別でも聞いてくれた。


『うん。全部確認したよ』


 春樹。


『よかった』


 その短い言葉だけで、胸が温かくなる。


『春樹くんも?』


『終わった』


『さすが』


『普通』


 なつきは思わず笑った。


『春樹くんの普通はすごいよ』


 送ってから、少し照れる。


 でもすぐに返信が来る。


『そう?』


『うん』


 少し間が空いた。


 そして、春樹からまた一通。


『明日ね』


 たった三文字。


 でも、なつきの胸は静かに満たされた。


 明日ね。


 明日、教室で会える。


 夏休みの外の時間ではなく、二学期の学校で。


 黒猫をつけた鞄で。


 なつきはゆっくり返信した。


『うん。明日ね、春樹くん』


 送信。


 画面を見つめながら、なつきは少しだけ笑った。


 夏休みが終わる寂しさはある。


 でも、明日が楽しみだと思える。


 それがとても不思議だった。


   ◇


 夜。


 なつきは布団に入る前に、部屋の灯りを少し落とした。


 鞄は机の横に置いてある。


 黒猫が静かに揺れている。


 明日の朝、この鞄を持って学校へ行く。


 教室に入る。


 亜衣と茜に会う。


 圭が騒ぐ。


 紅秋が注意する。


 田辺と島中が宿題の話をする。


 美優や蓮、祐衣ともまたどこかで会う。


 そして、春樹に会う。


 黒猫に気づいてくれるかもしれない。


 また「見つけやすい」と言うかもしれない。


 それだけで、なつきは少し笑ってしまった。


 この夏休み、本当に色々あった。


 終業式。


 図書室。


 女子会。


 男子組の名前呼び。


 宿題会。


 海。


 水着。


 春樹の「似合ってる」。


 夏祭り。


 浴衣。


 黒猫。


 花火。


 登校日。


 そして、夏休み最後の日。


 思い返すと、胸の奥がいっぱいになる。


 全部が大きな出来事だったわけではない。


 小さな会話。


 短い返事。


 歩幅を合わせてくれたこと。


 気づいてくれたこと。


 ありがとうと言えたこと。


 嬉しいと言えたこと。


 その一つ一つが積み重なって、今のなつきがいる。


 遠くから見ているだけだった春樹の隣に、少しずつ近づいている。


 まだ、隣に並べているとは言えない。


 春樹はまだ、なつきを「横田さん」と呼ぶ。


 でも、その呼び方も、もう前と同じではない気がする。


 なつきは布団の中で目を閉じる。


 明日から二学期。


 夏休みで得たものを、教室へ持っていく。


 黒猫と一緒に。


 春樹に会える明日へ向かって。


 なつきは小さく呟いた。


「明日ね」


 それは、春樹への返事のようでもあり、自分への約束のようでもあった。


 君の隣を目指す夏は、終わろうとしている。


 でも、物語は終わらない。


 明日からまた、教室で新しい一歩が始まる。

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