第9話 好きな人と行く日の服
土曜日の午後。
水戸駅の改札前は、休日らしい人の流れで賑わっていた。
家族連れ。
買い物帰りの人。
友達同士の高校生。
駅ビルへ向かう人。
電車を待つ人。
制服ではない服を着た生徒たちは、学校で見る時とは少しだけ違って見える。
横田なつきは、駅ビルの入口近くで、スマホを握りながら立っていた。
今日の目的は、来週のクラス交流会の買い物。
ひたちなか海浜公園でのバーベキュー。
その当日に使うものや、服、小物を見に行くことになっていた。
メンバーは三人。
なつき。
遠山茜。
伊藤亜衣。
最初に言い出したのは亜衣だった。
『どうせなら女子だけで買い物行かない?』
そのメッセージが班のグループに送られてきた時、なつきは少し驚いた。
亜衣とは同じクラスで、最近少しずつ話すようになっていた。
でも、休日に一緒に買い物へ行くほどではなかった。
だから、嬉しさよりも先に緊張が来た。
茜も一緒なら行ける。
そう思って返事をした。
そして今。
なつきは改札前で、そわそわしながら二人を待っている。
今日の服は、白いブラウスに淡いピンクのカーディガン、膝丈のスカート。
悩んだ。
かなり悩んだ。
ただの買い物なのに。
交流会当日の服を見るだけなのに。
それでも、頭のどこかにはずっと春樹がいた。
大國春樹。
同じ班。
ひたちなか海浜公園。
バーベキュー。
写真係。
当日、何を着て行けばいいのか。
それを考えるだけで、なつきの胸は落ち着かなくなる。
「なつき」
声がして振り返ると、茜が歩いてきていた。
紺色のワンピースに、薄いグレーのカーディガン。
いつも通り落ち着いていて、でも休日らしく柔らかい。
「茜ちゃん、かわいい」
「会って最初がそれ?」
「だってかわいい」
「ありがとう。なつきも似合ってる」
「ほんと?」
「うん。春っぽい」
なつきは少しだけ嬉しくなって、カーディガンの袖口を指で触った。
「今日、変じゃないかなって心配だった」
「変じゃない」
「子どもっぽくない?」
「なつきらしい」
「それは褒めてる?」
「褒めてる」
「ならよかった」
茜は少しだけ笑った。
その時、後ろから明るい声が飛んできた。
「お待たせー!」
振り返ると、伊藤亜衣が手を振りながら近づいてきていた。
亜衣の私服は、学校の時よりずっと華やかだった。
明るめのトップスに、短すぎないスカート。
髪はゆるく巻いていて、耳元には小さなアクセサリーが揺れている。
派手すぎない。
でも、ちゃんと目を引く。
亜衣らしい服だった。
「亜衣ちゃん、おしゃれ……」
なつきは思わず言った。
亜衣はぱっと笑う。
「ありがと。なつきも今日めっちゃ可愛いじゃん」
「えっ」
「そのピンク似合ってる。ふわふわしてて、なつきっぽい」
「ふわふわ……」
「褒めてる褒めてる」
「本当?」
「本当。ね、茜」
「似合ってると思う」
茜にも言われて、なつきの頬が少し熱くなった。
亜衣はそんななつきを見て、にやっとする。
「その感じ、当日もいいんじゃない?」
「当日?」
「交流会。大國もいるし」
なつきの心臓が跳ねた。
「な、なんでそこで大國くんが出るの!?」
「え、だって同じ班じゃん」
「そうだけど」
「同じ班の男子に可愛いって思われたら嬉しくない?」
「そ、それは……」
言葉が詰まる。
嬉しい。
嬉しいに決まっている。
でも、それを亜衣の前で認めるのは恥ずかしい。
茜は横で何も言わずに見ている。
助けてくれる気配はない。
むしろ、少しだけ面白がっている気もする。
「亜衣」
茜がようやく口を開いた。
「最初から飛ばしすぎ」
「あ、ごめんごめん。なつきが分かりやすいからつい」
「分かりやすいって言わないでぇ……」
なつきは両手で頬を押さえた。
亜衣は笑った。
「大丈夫。可愛いから」
「それで全部許されると思ってる?」
「思ってる」
「強い」
茜が短く言った。
三人は駅ビルの中へ入った。
休日の店内は明るく、どこも人が多かった。
雑貨店。
服屋。
文房具店。
カフェ。
小さなアクセサリーショップ。
歩いているだけでも、あちこちから色が飛び込んでくる。
亜衣は慣れた様子で先頭を歩きながら、店を指差した。
「まず服見る?」
「服から?」
なつきが聞くと、亜衣は真顔で振り返った。
「当日のテンションは服で八割決まる」
「そんなに?」
「そんなに」
「でもバーベキューだよ?」
「だからこそ。可愛いけど動ける服が必要なの」
亜衣は指を一本立てた。
「汚れても泣かない。動きやすい。でも写真に残っても後悔しない。これが大事」
「写真……」
なつきは思わず反応した。
班の写真係。
春樹に「任せる」と言われた役割。
当日はきっと、たくさん写真を撮る。
自分も写るかもしれない。
春樹と同じ写真に入るかもしれない。
そう考えた瞬間、なつきの胸がまた忙しくなる。
「今、想像したでしょ」
亜衣が言った。
「してない」
「嘘」
「……ちょっとだけ」
「正直でよろしい」
亜衣は楽しそうに笑った。
茜は隣でため息をつきながらも、止めなかった。
最初に入った服屋は、明るくて春物がたくさん並んでいた。
薄い色のシャツ。
動きやすそうなパンツ。
カーディガン。
ワンピース。
帽子。
なつきは服を見るのは好きだったが、自分で選ぶのは得意ではなかった。
可愛いと思っても、自分に似合うか分からない。
着てみたいと思っても、少し勇気がいる。
亜衣はその点、迷いが少なかった。
「なつき、これ」
亜衣が淡い水色のブラウスを持ってくる。
「え、可愛い」
「でしょ。これに白っぽいスカートか、動きやすいパンツ合わせたらいい感じ」
「でもバーベキューで白は汚れない?」
「そこはエプロン持っていくとか」
「エプロン?」
「可愛いじゃん。なつきがエプロンして野菜配ってたら」
亜衣は少し声を落として続けた。
「大國、見そう」
「見ないよ!」
「なんで言い切れるの」
「大國くんはそういうの見ないと思う」
「いや、大國って意外と見てるよ」
亜衣の言葉に、なつきは動きを止めた。
「そうなの?」
「うん。聞いてないふりして聞いてるし、見てないふりして見てるタイプ」
「見てないふりして……」
「この前もさ、図書委員の日にあたしが返却本の分類間違えてて、何も言わないから気づいてないと思ったの。でも後で『それ違う棚』って言われて。見てたんだ、って」
「そうなんだ」
「なつきのことも、たぶん見てるよ」
「えっ」
なつきの声が裏返った。
亜衣は笑う。
「たぶんね」
「たぶんで心臓止めないで」
「ごめんごめん」
茜が近くの棚から服を見ながら言った。
「でも、大國くんは観察力はありそう」
「茜ちゃんまで」
「事実として」
「その事実、今はちょっと困る」
なつきは胸を押さえた。
春樹が見ている。
本当にそうなら嬉しい。
でも、困る。
嬉しいのに、困る。
変な顔をしていないか。
失敗していないか。
ボールを顔面に当てた姿まで見られていたのではないか。
思い出して、また顔が熱くなる。
「なつき、顔赤い」
亜衣が言う。
「暑いだけ」
「店内、そこまで暑くないよ」
「心が暑いの」
「名言っぽい」
「違うよぉ……」
三人で笑いながら、服を選んでいく。
茜は落ち着いた色のシャツを手に取った。
「私はこれかな」
「茜ちゃん、似合いそう」
なつきが言うと、亜衣も頷く。
「茜はきれいめが合うよね。でも交流会なら少しカジュアルでもいいかも」
「カジュアル……」
「ほら、こういうの」
亜衣が柔らかい素材のパンツを合わせる。
茜は少し考える。
「動きやすそうではある」
「でしょ。バーベキューだし」
「でも私、当日たぶん委員長として点呼とか確認するから、あまり崩しすぎない方が」
「真面目」
「役割だから」
「でもそういうとこ、茜っぽくて好き」
亜衣がさらっと言った。
茜が少しだけ目を瞬かせる。
「急に何」
「いや、思ったから」
「……ありがとう」
茜が少し照れているように見えて、なつきは思わず笑った。
「茜ちゃん、照れてる」
「照れてない」
「今のは照れてた」
「なつきに言われると納得いかない」
「なんで!?」
亜衣が楽しそうに笑う。
三人でいる空気は、思っていたよりずっと心地よかった。
亜衣は明るい。
でも、無理に引っ張るだけではない。
なつきが迷っていると、選択肢を出してくれる。
茜が堅くなりすぎると、少し崩してくれる。
茜は茜で、亜衣の勢いを適度に止める。
その間で、なつきは少しずつリラックスしていった。
服をいくつか試着したあと、なつきは薄い水色のブラウスと、動きやすいベージュのスカートを候補にした。
亜衣はそれを見て、満足そうに頷く。
「これ、めっちゃいい」
「本当?」
「うん。清楚だけど固すぎない。なつきっぽい」
「バーベキューで浮かない?」
「浮かない。むしろ写真映えする」
「写真……」
「大國と同じ写真に写るかもしれないし」
「亜衣ちゃん!」
「ごめんって」
亜衣は笑いながら両手を上げた。
茜が横から言う。
「でも、写真に残るのは事実よ」
「茜ちゃんまで」
「だから、気に入った服なら買ってもいいと思う」
「うん……」
なつきは鏡の前で自分を見る。
水色のブラウスは、普段の自分より少しだけ大人っぽく見えた。
でも、背伸びしすぎている感じはない。
春樹は、こういう服を見て何か思うだろうか。
似合ってる、なんて言うはずはない。
たぶん、気づいても何も言わない。
でも、もし少しでも見てくれたら。
その想像だけで、胸がくすぐったくなる。
「これにする」
なつきは小さく言った。
亜衣が笑う。
「決まり」
服を買ったあと、三人は雑貨店へ移動した。
日焼け止め。
ウェットティッシュ。
髪留め。
絆創膏。
小さなポーチ。
亜衣は次々と必要そうなものを挙げていく。
「バーベキューって油はねるし、手汚れるし、ウェットティッシュは絶対いる」
「なるほど」
なつきが頷く。
「あと日焼け止め。海浜公園、外広いから焼けるよ」
「私、日焼け止め忘れそう」
「じゃあ今買っとこ」
「うん」
茜はその横で、実用的なものを淡々と選んでいた。
「絆創膏も一応持っていくわ」
「茜ちゃん、保健委員みたい」
「委員長だから」
「委員長って絆創膏持つの?」
「なつきが転びそうだから」
「私のため!?」
「半分」
「もう半分は?」
「田辺くん」
「納得」
亜衣が吹き出した。
「田辺、絶対なんかやるよね」
「肉焼いて火傷とか?」
「火起こしで張り切りすぎるとか」
「島中も調子乗りそう」
「二人でうざ絡みしそうだよね」
亜衣が言うと、なつきは少しだけ苦笑した。
「たぶん来るよね、うちの班に」
「来ると思う」
茜が即答する。
「島中くんは意図的に。田辺くんは無自覚に」
「それ、すごく分かる」
なつきは小さく笑った。
島中は、春樹と同じ班になったことを面白く思っていないように見えた。
田辺は、ただいつも通りなつきに絡みに来るだけかもしれない。
でも、結果的に邪魔になる。
当日もきっとそうだ。
少し不安になる。
けれど、茜と亜衣がいると思うと、何とかなる気もした。
「大丈夫」
亜衣が軽く言った。
「島中たちが来たら、あたしが適当に流すから」
「亜衣ちゃん、頼もしい」
「うざ絡み対応は慣れてる」
「慣れてるんだ」
「うん。島中って基本悪いやつじゃないけど、調子に乗ると面倒じゃん」
亜衣はさらっと言った。
なつきは少し驚いた。
亜衣は島中グループとも普通に話す。
だから、もっと島中寄りなのかと思っていた。
でも、ちゃんと見ている。
「島中くんのこと、そう思うんだ」
「思うよ。明るいし、中心にいるけど、全部が全部正しいわけじゃないし」
亜衣は日焼け止めを棚から取りながら続けた。
「特になつき相手だと、ちょっと距離近い」
なつきは言葉に詰まった。
茜が静かに亜衣を見る。
「気づいてたの?」
「そりゃ気づくよ。なつき、困ってる時あるし」
「私、そんなに分かりやすい?」
「うん。でもなつきだけの問題じゃないよ。島中が詰めるの早い」
亜衣の言葉は軽くなかった。
いつもの明るい声なのに、少しだけ真面目だった。
「嫌なら嫌って言っていいんだよ」
亜衣が言った。
その言葉は、茜が何度も言ってくれたものと似ていた。
でも、亜衣の口から聞くと、少し違って響いた。
島中とも話せる亜衣。
男子とも女子とも自然に接する亜衣。
その亜衣がそう言う。
だからこそ、少し背中を押された気がした。
「うん」
なつきは小さく頷いた。
「ありがとう」
「いいよ。なつき、流されやすそうだし」
「そこは否定できない」
「でも最近、ちょっと言えるようになってるよね」
「え?」
「この前の簿記の授業とか。島中に『私も少しは頑張ったよ』って言ってたじゃん」
「聞いてたの?」
「聞こえた」
「恥ずかしい」
「よかったよ、あれ」
亜衣はにっと笑った。
「なつき、ちゃんと自分の言葉で言ってた」
なつきは胸が少し温かくなった。
自分では、うまく言えたか分からなかった。
でも、亜衣がそう言ってくれるなら、少しだけ自信にしてもいいのかもしれない。
買い物を一通り終えると、三人は駅ビル内のカフェへ入った。
午後の店内は混んでいたが、少し待って窓際の席に座ることができた。
なつきはアイスミルクティー。
茜はホットティー。
亜衣は期間限定の甘そうなフラペチーノを選んだ。
「亜衣ちゃん、それすごいね」
なつきが言うと、亜衣は満足そうに笑った。
「疲れた時は甘いの」
「まだそんなに歩いてないよ」
「服選びは頭使うから」
「たしかに」
茜が紅茶を一口飲みながら言った。
「なつきの服選びは特に頭を使った」
「茜ちゃん!?」
「だって何度も『これは大國くんにどう見えるかな』って顔をしていたから」
「してない!」
「してた」
「してたね」
亜衣も即答した。
なつきはテーブルに額をつけたくなった。
「二人ともひどい」
「ひどくないよ。可愛かった」
亜衣はストローをくるくる回しながら言った。
その目が、少しだけいたずらっぽくなる。
「で、さ」
「……はい」
「聞いていい?」
「何を?」
「なつきって、大國のこと好きなの?」
時間が止まった。
なつきは本当にそう感じた。
カフェのざわめき。
グラスの氷が揺れる音。
店員の声。
駅のアナウンス。
全部が一瞬だけ遠くなる。
茜は紅茶を飲む手を止めた。
でも、驚いてはいない。
いつか聞かれると思っていたのかもしれない。
なつきは、目の前のミルクティーを見つめた。
氷が浮いている。
ストローが少し傾いている。
そのどうでもいい細部ばかりが目に入った。
「え、えっと」
声が出た。
でも、続かない。
好き。
そう言えばいい。
茜にはもう知られている。
自分でも分かっている。
でも、亜衣に言うのは初めてだ。
亜衣は春樹と普通に話す。
図書委員で一緒。
駅まで一緒に帰ることもある。
春樹の愚痴聞き相手にもなっている。
そんな亜衣に、自分の気持ちを言うのは、少し怖かった。
亜衣は黙って待っていた。
からかうような顔ではない。
少しだけ真剣な顔。
なつきは膝の上で手を握った。
「……うん」
小さく答えた。
それだけで、胸がいっぱいになった。
「好き、です」
なぜか敬語になった。
亜衣は少し目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「そっか」
「うん」
「やっぱり」
「やっぱりって……」
「見てれば分かるよ」
「そんなに?」
「うん。でも、嫌な分かりやすさじゃない」
亜衣はストローから口を離した。
「大國を見る時のなつき、すごく丁寧なんだよね」
「丁寧?」
「うん。がつがつしてないっていうか。見たいけど邪魔したくない、話したいけど困らせたくない、みたいな感じ」
なつきは何も言えなかった。
当たっていた。
自分でも言葉にできなかった気持ちを、亜衣がさらっと言葉にした。
春樹を見たい。
でも、邪魔したくない。
話したい。
でも、困らせたくない。
だからいつも立ち止まってしまう。
「でもさ」
亜衣は少し身を乗り出した。
「大國って、別に話しかけられるの嫌いなわけじゃないと思うよ」
「そうかな」
「うん。あいつ、自分からはあんまり行かないけど、来た人を雑に扱うタイプじゃないし」
あいつ。
亜衣が春樹をそう呼ぶ距離に、少しだけ胸がちくっとした。
でも、亜衣の声には恋の色はなかった。
少なくとも、なつきにはそう聞こえた。
「図書委員の時も、あたしが愚痴ってると、ずっと聞き流してる感じなんだけど、変なところでちゃんと返すんだよ」
「うん」
「だから、なつきが話しかけたら、普通に返すと思う」
「でも、私、うまく話せない」
「うまく話さなくていいんじゃない?」
亜衣は言った。
「なつきはなつきの話し方でいいと思うよ」
その言葉に、なつきの胸が少し震えた。
うまく話さなくていい。
なつきの話し方でいい。
そんなふうに言われると、少し泣きそうになる。
茜が静かに頷いた。
「私もそう思う」
「茜ちゃん……」
「なつきが無理に亜衣みたいに話したら、たぶん転ぶ」
「会話で転ぶの?」
「転ぶ」
亜衣が笑った。
「それ分かる。なつきはふわっと行って、でも時々ちゃんと言う方が可愛い」
「二人とも、褒めてる?」
「褒めてる」
「もちろん」
なつきは頬を赤くしながら、ミルクティーを飲んだ。
冷たさが喉を通って、少しだけ落ち着く。
「亜衣ちゃんは」
なつきは少し迷ってから聞いた。
「大國くんのこと、どう思ってるの?」
聞いた瞬間、自分でも少し怖くなった。
でも、聞きたかった。
亜衣は春樹と距離が近い。
自然に話す。
駅まで一緒に帰ることもある。
それがなつきにはずっと気になっていた。
亜衣は一瞬きょとんとして、それから「あー」と笑った。
「なるほど。そこ気になるよね」
「ご、ごめん」
「謝らなくていいよ」
亜衣はストローを指で挟んで、少し考えた。
「大國は、話しやすい変なやつ」
「変なやつ?」
「うん。静かなのに、聞いてる。無口なのに、たまに正論で刺してくる。あと、見た目より面倒見いい」
「うん」
「でも、恋愛とかはないかな」
なつきは思わず顔を上げた。
亜衣ははっきり言った。
「ない。大國は友達っていうか、図書委員仲間。あと、愚痴の壁」
「壁?」
「聞いてくれる壁」
「それ、ひどくない?」
「褒めてるよ。ちゃんと聞いてくれる壁って貴重」
茜が冷静に言う。
「壁ではなく聞き役と言った方がいいと思う」
「それだ」
亜衣は笑った。
「だから、なつきが心配してるような感じではないよ」
心配してるような感じ。
そこまで見抜かれていて、なつきはまた顔が熱くなる。
「そんなに出てた?」
「出てた」
「うん」
茜まで頷く。
なつきは両手で顔を覆った。
「もう隠すの無理だね……」
「無理だね」
「無理ね」
「即答しないでぇ」
三人で笑った。
笑いながら、なつきは少しだけ肩の力が抜けていくのを感じた。
亜衣は恋敵ではない。
少なくとも、今は。
それが分かっただけで、胸の中の小さな棘が少し抜けた気がした。
もちろん、春樹の周りにはまだ他の人がいる。
美優。
白石結衣。
その名前を思い出すと、別のざわつきがある。
でも、今は目の前の亜衣が笑ってくれている。
それだけで少し安心できた。
「ただ」
亜衣が少しだけ真面目な顔になった。
「大國、わりと鈍いと思う」
「鈍い?」
「うん。なつきの気持ち、今のままだと気づかないかも」
「それは……そうだと思う」
なつきは小さく頷いた。
春樹に気づいてほしいかと言われると、分からない。
気づかれたら恥ずかしい。
でも、気づかれないのも寂しい。
矛盾している。
「だから、少しずつでいいから話した方がいいよ」
亜衣は言った。
「挨拶とか、本の感想とか。交流会なら写真撮る時に声かけるとか」
「写真……」
「そう。なつき、班の写真係なんでしょ?」
「うん」
「それ、かなりチャンスだよ」
「チャンス?」
「大國に『撮るよ』って声かけられるじゃん。『こっち向いて』とか言えるじゃん」
「こっち向いて……」
想像しただけで、なつきは顔が熱くなった。
春樹にカメラを向ける。
こっち向いて、と言う。
春樹がこちらを見る。
写真を撮る。
無理かもしれない。
かなり無理かもしれない。
でも、やってみたい。
なつきはミルクティーのグラスを両手で包んだ。
「できるかな」
「できる」
亜衣が言う。
「私、絶対変な声になる」
「なってもいいじゃん」
「よくないよ」
「大國、変な声くらいで嫌いにならないよ」
「嫌いになるとか言わないで」
「ごめんごめん」
茜が静かに言った。
「なつき、たぶん当日は緊張すると思うけど」
「うん」
「緊張しても、逃げなければいい」
「逃げなければ」
「そう」
その言葉は、なつきの胸に残った。
緊張しないようにするのは無理だ。
でも、逃げないことなら、少しだけ頑張れるかもしれない。
買い物を終えて駅の外へ出る頃には、夕方の光が少し柔らかくなっていた。
水戸駅前の人通りはまだ多い。
なつきの手には、今日買った服の袋と、日焼け止めや小物の入った袋があった。
荷物は少し重い。
でも、気持ちは軽かった。
女子三人で買い物をした。
服を選んでもらった。
ガールズトークをした。
亜衣に、春樹が好きだと打ち明けた。
それは、なつきにとって大きな出来事だった。
「今日はありがとう」
なつきは二人に言った。
「服選んでくれて」
「楽しかったよ」
亜衣が笑う。
「当日、絶対それ着てきてね」
「うん」
「大國が何も言わなくても、心の中で『似合う』って思ってるかもしれないから」
「またそういうこと言う」
「可能性はある」
茜が言った。
「茜ちゃんまで!」
「でも、期待しすぎないこと」
「はい……」
なつきは苦笑した。
亜衣が駅の方を見ながら言う。
「じゃあ、当日までに作戦会議だね」
「作戦?」
「なつきが大國とちゃんと話す作戦」
「そんな作戦立てるの?」
「立てるよ。恋は準備大事」
「亜衣ちゃん、恋愛強そう」
「別に強くないよ。人の恋なら言えるだけ」
「それ、分かる」
茜が頷く。
「自分のことになると難しい」
「茜ちゃんも?」
「私は今のところ対象外」
「茜の恋バナもいつか聞きたい」
「話すことができたらね」
三人は笑った。
その笑い声が、夕方の駅前のざわめきに混ざっていく。
なつきは袋を持ち直しながら、胸の中でそっと思った。
当日が楽しみだ。
怖いけど。
緊張するけど。
でも、楽しみだ。
春樹と同じ班で。
茜がいて。
亜衣がいて。
紅秋もいて。
きっと島中と田辺はうざ絡みしてくる。
それでも。
今日買った服を着て、ちゃんと行きたい。
逃げずに。
自分の言葉で話したい。
駅前の風が、なつきの髪を少しだけ揺らした。
袋の中の水色のブラウスが、薄い紙に包まれている。
好きな人と行く日の服。
そう思っただけで、胸がふわっと温かくなる。
なつきはその袋を大事に抱えた。
交流会まで、あと少し。
その日が来るのが、少し怖くて。
でも、それ以上に、待ち遠しかった。




