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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第65話 夏休みの入口



 期末テストが終わってから数日。


 教室には、解放感と不安が同居していた。


 テストは終わった。


 それは間違いない。


 けれど、本当の意味で終わったとはまだ言えない。


 なぜなら。


 答案が返ってくるからだ。


「今日、返却だよな」


 三浦が朝から机に突っ伏していた。


 いつものように騒ぐ元気はある。


 けれど、声にはどこか怯えが混ざっている。


「返却だな」


 田辺が答える。


「やめろ。現実を口にするな」


「お前が聞いたんだろ」


「聞いたけど答えてほしくなかった」


「めんどくせぇな」


 島中が椅子にもたれながら言った。


「俺はもう覚悟決めた」


 三浦が顔を上げる。


「島中、強い」


「いや、補習なければ勝ちだろ」


「それな!」


 田辺が深く頷いた。


「補習さえなければ勝ち」


「点数じゃない」


「夏休みを守れるかどうか」


「戦いの基準が低いわね」


 茜が静かに言った。


 その一言に、三浦、田辺、島中の三人が同時に黙る。


 亜衣がなつきの前の席で両手を合わせていた。


「神様」


「急に?」


 なつきが聞く。


「赤点だけは回避させてください」


「亜衣ちゃん、昨日も言ってた」


「昨日から祈ってる」


「勉強した分、信じようよ」


「信じたい。でも答案って怖い」


 亜衣は机に額をつけた。


「返ってこなければ平和なのに」


 茜が言う。


「返ってこないと成績が出ないわ」


「成績も出なくていい」


「それは困るでしょう」


「困るけど怖い」


 なつきは苦笑しながら、自分の机に視線を落とした。


 笑っているけれど、なつき自身も緊張していた。


 期末テストは、自分なりに頑張った。


 勉強会に参加した。


 図書館でも勉強した。


 夜に復習もした。


 分からないところは春樹に聞いた。


 茜にも教えてもらった。


 亜衣と一緒に単語も覚えた。


 その全部が、ちゃんと点数に出ているだろうか。


 もし、思ったよりできていなかったら。


 もし、頑張ったのに結果が出なかったら。


 そう考えると、胸が少しだけ重くなる。


 教室の扉が開いた。


 春樹が入ってくる。


 なつきは自然に顔を上げた。


「おはよう、春樹くん」


「おはよう」


 春樹はいつも通りだった。


 答案返却の日でも、表情はあまり変わらない。


 その落ち着きが少し羨ましい。


「今日、返ってくるね」


「うん」


「緊張する」


「横田さん、頑張ってたから」


 春樹は短く言った。


 それだけ。


 でも、なつきの胸は少しだけ軽くなった。


「うん」


 なつきは小さく頷いた。


「ありがとう」


「うん」


 春樹は自分の席へ向かう。


 その背中を見送りながら、なつきは少しだけ息を吐いた。


 頑張ってたから。


 春樹は、そう言ってくれた。


 結果が出る前に、努力を見てくれていた。


 それが嬉しかった。


 ホームルームが終わり、一時間目。


 最初に返ってきたのは簿記だった。


 先生が答案の束を持って入ってきた瞬間、教室全体がざわついた。


「来た」


 三浦が低く言う。


「ラスボスかよ」


 田辺が返す。


「俺にとってはラスボス」


 島中が小声で言う。


「簿記はまだまし。数学が怖ぇ」


「全部怖い」


 亜衣が呟く。


 先生が教卓へ立ち、答案を机に置く。


「はい、期末テストを返します。全体的には、勉強した人としていない人の差がかなり出ました」


 その言葉だけで、教室の空気が重くなった。


 三浦が机に手をつく。


「差……」


 紅秋が小声で言う。


「自業自得だ」


「今言わないで」


 先生は続けた。


「ただ、前回より伸びた人も多かったです。提出物や復習の成果が出た人もいます」


 なつきの胸が少しだけ鳴った。


 前回より伸びた人。


 自分もそうであってほしい。


 先生が名前を呼び始める。


 一人ずつ前へ行き、答案を受け取る。


 戻ってきた生徒達の反応は様々だった。


 小さくガッツポーズする人。


 顔を伏せる人。


 隣に点数を見せて笑う人。


 無言で答案を裏返す人。


「伊藤」


「はい!」


 亜衣が妙に元気よく立ち上がった。


 緊張をごまかす声だった。


 答案を受け取り、席へ戻る。


 そっと点数を見る。


 数秒。


 亜衣の肩が震えた。


「……生きた」


 小さな声。


 なつきが身を乗り出す。


「亜衣ちゃん?」


 亜衣は答案を胸に抱えた。


「赤点回避!」


 声は小さめだったが、喜びは大きかった。


 三浦が後ろから拍手する。


「伊藤、生還!」


「生還!」


 亜衣も小さく拳を握る。


 茜が微笑んだ。


「よかったわね」


「茜ちゃんのおかげ!」


「あなたも頑張ったからよ」


「うう、優しい……」


 亜衣は本当に泣きそうな顔をした。


 次に島中が呼ばれる。


「島中」


「はい」


 島中は前へ行き、答案を受け取る。


 席へ戻って点数を見る。


 表情が止まる。


 田辺が小声で聞いた。


「どうだ」


 島中はゆっくり親指を立てた。


「補習なし」


「よし!」


 田辺が小さく拳をぶつけた。


「お前もまだだろ」


「俺もいく」


 田辺が呼ばれ、答案を受け取る。


 戻ってくる。


 点数を見る。


 そして、静かに息を吐いた。


「守った」


 島中と田辺は無言でハイタッチした。


 三浦がそれを見て言う。


「青春かよ」


「お前も続け」


 島中が笑う。


「怖ぇよ」


 三浦が呼ばれる。


「三浦」


「はい……」


 さっきまでの元気が消えた。


 三浦は処刑台へ向かうように前へ歩き、答案を受け取る。


 先生が何か小さく言った。


 三浦は真顔で頷き、席へ戻った。


 答案を見る。


 沈黙。


 教室中の何人かが、なぜか三浦を見ていた。


 三浦はゆっくり立ち上がった。


「……生きた」


 その瞬間、周囲から小さな拍手が起きた。


「三浦、生還!」


「ギリギリ?」


「ギリギリでも勝ちだ!」


「勝ちなのか?」


「勝ちだ!」


 三浦は両手を上げた。


 紅秋がため息を吐く。


「次はギリギリを狙うな」


「はい! 紅秋先生!」


「先生ではない」


 教室に笑いが広がる。


 なつきも笑った。


 みんなの反応を見ているうちに、少しだけ緊張が和らいでいた。


 でも、自分の番が近づくにつれ、また胸が強く鳴り始める。


「遠山」


「はい」


 茜は落ち着いて答案を受け取る。


 席へ戻って点数を見る。


 表情は変わらない。


 でも、ほんの少しだけ安心したように見えた。


「どう?」


 亜衣が小声で聞く。


「大丈夫」


「茜ちゃんの大丈夫は強い」


「普通よ」


「普通が強い」


 次に紅秋。


 春樹。


 二人とも淡々と受け取り、淡々と戻ってくる。


 三浦がその様子を見て呟いた。


「強者の帰還」


 田辺が頷く。


「顔色変わらねぇ」


 島中が言う。


「別世界だな」


 紅秋が聞いていたのか、少しだけ振り返る。


「勉強したからだ」


 三人は同時に目を逸らした。


 そして。


「横田」


 名前を呼ばれた。


 なつきは立ち上がる。


 足元が少しふわふわした。


 教卓までの距離が、いつもより長く感じる。


 先生は答案を手渡しながら、少しだけ表情を緩めた。


「横田さん、よく頑張りましたね。前回よりかなり良くなっています」


 その言葉で、なつきの胸が跳ねた。


「ありがとうございます」


 答案を受け取り、席へ戻る。


 まだ点数は見ていない。


 紙を裏返す手に、少し力が入る。


 深呼吸。


 そして、見る。


 数字が目に入った。


 なつきは一瞬、声が出なかった。


 前回より上がっていた。


 思っていたよりも。


 ちゃんと。


 頑張った分が、数字になっていた。


「なつき?」


 亜衣が小声で呼ぶ。


「どうだった?」


 なつきはゆっくり顔を上げた。


「上がってた」


「ほんと!?」


「うん」


「やったじゃん!」


 亜衣が小声で喜ぶ。


 茜も嬉しそうに微笑んだ。


「よかったわね」


「うん……」


 なつきは答案を見つめる。


 赤ペンで丸がついている。


 間違えたところもある。


 でも、解けたところもたくさんある。


 春樹に教えてもらった形式の問題も、ちゃんとできていた。


 その事実が、胸にじんわり広がっていく。


 努力が報われるというのは、こんな感じなのかもしれない。


 そう思った。


 休み時間になると、教室は一気に騒がしくなった。


「補習回避!」


「生きた!」


「点数は言わない!」


「でも生きた!」


 三浦が騒ぎ、田辺と島中が笑う。


 亜衣は答案を大事そうにしまっている。


「亜衣ちゃん、見せないの?」


 なつきが聞く。


「見せない。でも赤点じゃない」


「それが大事だね」


「うん!」


 なつきも答案をそっと見返した。


 まだ胸が熱い。


 その時、春樹が近づいてきた。


「横田さん」


「うん?」


「どうだった?」


 なつきは少しだけ答案を見せた。


「前より上がってた」


 春樹は答案を見る。


 そして、少しだけ頷いた。


「頑張ったね」


 その一言で、なつきの胸がいっぱいになる。


 テスト期間中、何度も聞いた言葉。


 でも、結果が出た後に聞くと、また違った。


「春樹くんのおかげだよ」


 なつきは自然にそう言った。


 本当にそう思った。


 春樹が教えてくれたから。


 分からないところを見てくれたから。


 何度も「できてる」と言ってくれたから。


 だから頑張れた。


 でも、春樹は首を横に振った。


「違うよ」


 短い言葉。


 なつきは顔を上げる。


 春樹は少しだけ考えるように間を置いた。


 それから、静かに言った。


「横田さんが頑張ったからだよ」


 教室のざわめきが、少し遠くなった気がした。


 なつきは何も言えなかった。


 春樹は特別なことを言ったつもりはないのかもしれない。


 でも、なつきには大きすぎる言葉だった。


 自分が頑張ったから。


 そう言ってもらえた。


 教えてもらっただけじゃない。


 支えられただけじゃない。


 自分で頑張ったことを、春樹が見てくれていた。


「……ありがとう」


 声が少し震えた。


 春樹はいつも通り頷く。


「うん」


 亜衣が少し離れたところで口元を押さえている。


 茜は静かに微笑んでいた。


 三浦は何か言いたそうにしていたが、紅秋に肩を掴まれて黙っていた。


 島中と田辺も、それを見て少しだけ笑い、自分達の答案へ視線を戻した。


 なつきは答案をそっと机に置いた。


 数字以上に、春樹の言葉が胸に残っている。


 横田さんが頑張ったからだよ。


 それは、期末編の長い時間が報われた瞬間だった。


 二時間目、三時間目と、他の答案も返ってきた。


 教室はそのたびに小さく騒いだ。


 亜衣は全科目赤点を回避し、最後には本当に泣きそうになっていた。


「生きた……私、生きた……」


「よかったわね」


 茜が言う。


「茜ちゃん、ありがとう……」


「次はもう少し早めに始めましょう」


「はい……」


 三浦もギリギリながら補習を回避した。


「俺は夏休みを守った!」


「次は守る前に余裕を持て」


 紅秋が言う。


「はい!」


 島中と田辺も補習なし。


 二人はまた小さくハイタッチした。


「守ったな」


「守った」


「部活も夏もある」


「勉強会、意味あったな」


「認める」


 そんな会話が聞こえてきて、なつきは少し笑った。


 クラス全体が少しずつ明るくなっていく。


 もちろん、全員が満足しているわけではない。


 悔しそうな顔をしている生徒もいる。


 もっとできたと言う声もある。


 でも、大きな山を越えたという空気は確かにあった。


 期末テスト。


 答案返却。


 補習回避。


 点数アップ。


 笑い声。


 ため息。


 全部が夏休み前の教室らしかった。


 午前中の授業が終わる頃には、教室の緊張はかなり解けていた。


 明日は終業式。


 その言葉が、だんだん現実味を帯びてくる。


 夏休みが来る。


 本当に。


 なつきは答案を鞄へしまう前に、もう一度だけ点数を見た。


 そして、春樹の言葉を思い出す。


 頑張ったね。


 横田さんが頑張ったからだよ。


 なつきは答案を丁寧にクリアファイルへ入れた。


 これはただの点数じゃない。


 この数週間の自分の一歩だ。


 春樹くんに近づきたいと思って始まった勉強会。


 でも、終わってみれば、それだけではなかった。


 自分で頑張ること。


 友達に支えられること。


 努力が少し形になること。


 その全部を知れた。


「なつき」


 亜衣が声をかける。


「今日、帰りに何か買って帰ろ」


「お祝い?」


「赤点回避記念」


「いいね」


 茜が微笑む。


「でも明日は終業式よ。忘れ物しないように」


「そこ現実に戻す?」


「大事でしょう」


 三人で笑う。


 窓の外では、梅雨の雲が少しだけ薄くなっていた。


 夏休みは、もうすぐそこまで来ている。


 なつきはその光を見ながら、そっと胸の中で思った。


 期末編が終わる。


 そして次は。


 夏が始まる。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


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これからも、一歩ずつ距離を縮めていくなつきたちを温かく見守っていただけたら嬉しいです。


次回も、ぜひお付き合いください!

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