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『君の隣を目指して』  作者: 伊佐波瑞樹


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第6話 知らない春の隣



 土曜日の朝。


 水戸の空は、薄く白んでいた。


 平日の朝とは違って、外の音が少しだけ遅い。


 車の音も、通学する自転車の音も、学校へ向かう生徒たちの声もない。


 代わりに、遠くから聞こえる鳥の声と、近所の家の玄関が開く音が、ゆっくりと朝の空気に混ざっていた。


 横田なつきは、自分の部屋のベッドの上で、膝を抱えて座っていた。


 膝の上には、一冊の本。


 昨日、図書室で借りた本だった。


 大國春樹が選んでくれた本。


 短編集。


 普段あまり本を読まないなつきでも読みやすいようにと、春樹が選んでくれた一冊。


 昨日から何度も表紙を見ている。


 本棚に置いたり、机の上に置いたり、鞄から出したり、またしまったり。


 読む前から、もう何度も触っていた。


 それだけで少し緊張する。


 ただの本なのに。


 図書室の蔵書で、誰でも借りられる本なのに。


 なつきにとっては、ただの本ではなかった。


 春樹が読んだ本。


 春樹がすすめてくれた本。


 そして、読み終わったら感想を聞かせて、と言ってくれた本。


 感想を言う。


 それは、次に春樹と話す理由になる。


 そう思うと、ページを開く手にも力が入ってしまう。


「……読む」


 なつきは小さく呟いた。


 誰に聞かせるわけでもない。


 自分に言い聞かせるように。


 ベッドの上に座り直し、背中をクッションへ預ける。


 カーテンの隙間から入る朝の光が、本の表紙に淡く落ちていた。


 なつきは深呼吸を一つして、ゆっくりページを開いた。


 最初の一編は、高校生の女の子が主人公の話だった。


 教室で目立つわけではないけれど、毎日誰かを見ている女の子。


 彼女は、好きという言葉を使わない。


 ただ、相手の仕草を覚えている。


 席を立つ時に椅子を静かに引くところ。


 ノートを取る時に少し首を傾けるところ。


 窓の外を見る時間が決まっているところ。


 小さな癖を、一つずつ覚えていく。


 なつきは、最初は感想を考えながら読もうとしていた。


 春樹に何を言えばいいか。


 どこが面白かったと言えばいいか。


 読みやすかった、だけでは薄いかな。


 登場人物に共感した、だと少し真面目すぎるかな。


 そんなふうに、頭のどこかで春樹への感想を組み立てようとしていた。


 けれど、数ページ進むと、その考えは少しずつ薄れていった。


 物語の女の子が、好きな人を見ている。


 それが、あまりにも自分に近かったから。


 遠くから見ているだけ。


 話しかける勇気がない。


 相手が誰かと自然に話しているのを見ると、胸が少し痛む。


 でも、それを誰かのせいにはできない。


 自分が動けないだけだから。


 なつきはページをめくる手を止めた。


 部屋の中は静かだった。


 机の上には、昨日学校で使ったノート。


 椅子の背もたれには制服のブラウス。


 鞄は床に置かれている。


 窓の外では、風に揺れる木の葉が少しだけ音を立てていた。


「……似てる」


 声に出してから、なつきは少し恥ずかしくなった。


 自分に似ている。


 そう思った。


 物語の女の子が、好きな人を見ているだけだったところ。


 何かきっかけがないと話しかけられないところ。


 相手の小さな言葉だけで、一日が変わってしまうところ。


 全部、少しずつ自分に重なった。


 春樹は、この話を読んでどう思ったのだろう。


 なつきは本を見下ろした。


 春樹がこの本を選んだ理由。


 たぶん、深い意味はない。


 普段本を読まないなつきにも読みやすそうだから。


 短編集だから。


 学校の話だから。


 それだけかもしれない。


 でも、なつきは勝手に考えてしまう。


 もしかして、春樹はこういう静かな話が好きなのかな。


 登場人物の気持ちがゆっくり動く話。


 大きな事件はないけれど、胸の奥に残る話。


 もしそうなら。


 少しだけ、春樹の好きなものに触れられた気がする。


 なつきはもう一度ページを開いた。


 朝の光が、少しずつ部屋の中へ広がっていく。


 読み慣れていないから、早くは読めない。


 何度も同じ行に戻る。


 知らない言葉があると、そこで少し止まる。


 でも、嫌ではなかった。


 むしろ、そのゆっくりした時間が心地よかった。


 春樹はいつも、こんなふうに本を読んでいるのだろうか。


 ページの中に入って、外の音が少し遠くなる感じ。


 急がなくていい感じ。


 誰かに合わせなくていい感じ。


 なつきは、春樹が図書室で本を読んでいる姿を思い出した。


 窓際。


 西日。


 静かな横顔。


 一年前、そこから始まった気持ち。


 あの時は、ただ眺めているだけでよかった。


 いや、よかったわけではない。


 本当は、話しかけたかった。


 でも、話しかけられないから、眺めるしかなかった。


 それを「これでいい」と自分に言い聞かせていた。


 けれど、今は違う。


 簿記を教えてもらった。


 体育で走る春樹を見た。


 図書室で本を選んでもらった。


 少しずつ、春樹の知らない部分を知っていく。


 知るたびに、好きが増える。


 その分、知らない部分も見えてくる。


 伊藤亜衣。


 桐谷蓮。


 篠崎美優。


 春樹の周りには、なつきが知らない人たちがいる。


 春樹と自然に話せる人たち。


 同じ電車で帰る人たち。


 春樹の昔を知っている人たち。


 そのことを考えると、胸の奥が少しだけ重くなる。


 でも、だからといって逃げたくはなかった。


 もっと知りたい。


 知って、近づきたい。


 怖いけれど。


 なつきは本を読み進めた。


 一編目を読み終えた時、時計は十時を過ぎていた。


 思ったより時間が経っている。


 なつきは本を閉じ、ベッドの上でしばらくぼんやりした。


 感想。


 春樹に言う感想。


 何を言えばいいだろう。


 面白かった。


 読みやすかった。


 主人公に共感した。


 でも、共感したなんて言ったら、自分の気持ちまでばれてしまいそうだ。


 好きな人を見ているだけの女の子に共感した。


 そんなこと、春樹に言えるはずがない。


「難しい……」


 なつきはベッドの上でごろりと横になった。


 本を胸に乗せる。


 天井を見上げる。


 白い天井。


 照明。


 少しずれたカーテンの隙間。


 休日の部屋。


 いつもなら、スマホを見たり、動画を見たり、ぼんやり昼まで過ごすことも多い。


 でも今日は、本の余韻が残っていた。


 春樹と話すために読み始めたのに、今はそれだけではなくなっている。


 本の中の女の子のことが気になる。


 次の話も読みたい。


 それが少し嬉しかった。


 春樹が好きなものを、自分も少し好きになれた気がしたから。


 スマホが震えた。


 ベッドの横に置いていたスマホを手に取る。


 茜からだった。


『起きてる?』


 なつきは少し笑った。


『起きてるよ』


 すぐに返信が来る。


『本、読んだ?』


 なつきは胸の上の本を見た。


『一話だけ読んだ』


『どうだった?』


 なつきは少し考えてから打った。


『なんか、ちょっと刺さった』


 送信。


 数秒後。


『でしょうね』


 なつきは思わず笑った。


『なんで分かるの?』


『なつきに合いそうな本だったから』


『茜ちゃんも読んだことあるの?』


『少しだけ。図書室で見たことがある』


『すごいね』


『大國くんも、なつきに合うと思って選んだのかもね』


 その文字を見て、なつきの指が止まった。


 春樹が、なつきに合うと思って選んだ。


 そんなこと、あるだろうか。


 ただ短くて読みやすいから選んだだけかもしれない。


 でも、もし。


 もし少しでも、なつきのことを考えて選んでくれたのなら。


 胸が温かくなる。


 なつきはスマホを握ったまま、しばらく動けなかった。


 その後、茜からまたメッセージが来た。


『午後、駅の方に行かない?』


『駅?』


『買いたいものがある。ついでに気分転換』


 なつきは窓の外を見た。


 晴れている。


 外へ出るには、ちょうどいい日かもしれない。


 本を読み続けるのもいい。


 でも、このまま部屋にいると、春樹のことを考えすぎて頭がいっぱいになりそうだった。


『行く』


 なつきは返信した。


『じゃあ十三時に水戸駅南口』


『了解』


『遅れないで』


『たぶん』


『たぶんは禁止』


『頑張ります』


 なつきはスマホを置いて、ゆっくり起き上がった。


 本を机の上に置く。


 表紙をそっと撫でる。


「続きは帰ってから」


 小さく言って、なつきはクローゼットを開けた。


 休日の水戸駅は、学校帰りとは少し違う顔をしていた。


 平日の夕方は制服姿の生徒が多い。


 電車通学の生徒たちが改札へ向かい、駅ビルの中には部活帰りの高校生や買い物帰りの人が混ざる。


 けれど、土曜日の午後は、家族連れや友達同士、買い物客が多かった。


 駅の中には人の声が重なり、改札前では待ち合わせをする人たちがスマホを見ながら立っている。


 なつきは南口の近くで、少しだけ早めに着いていた。


 珍しく。


 自分でも少し驚く。


 今日の服は、白いブラウスに薄いベージュのカーディガン、膝丈のスカート。


 髪は軽く整えた。


 学校ではないから、少しだけ気分が違う。


 でも、心のどこかにまだ本の余韻が残っていた。


 手提げバッグの中には、春樹にすすめられた本が入っている。


 外で読むかどうかは分からない。


 でも、持ってきてしまった。


 本を持っているだけで、少しだけ春樹に近い気がした。


「なつき」


 声がして振り返る。


 茜が歩いてきた。


 休日の茜は、学校より少し柔らかい雰囲気だった。


 紺色のワンピースに、薄い上着。


 眼鏡はいつもと同じだけれど、制服ではないだけで少し大人っぽく見える。


「茜ちゃん、かわいい」


「急に何」


「いや、私服かわいいなって」


「ありがとう。なつきも似合ってる」


「ほんと?」


「うん。春っぽい」


「嬉しい」


 なつきは素直に笑った。


 茜は少しだけ照れたように視線を逸らす。


「今日はどこ行くの?」


「駅ビルで文房具を見たい。それから少し服も」


「おしゃれだ」


「文房具はおしゃれじゃない」


「でも茜ちゃんが選ぶとおしゃれそう」


「何それ」


 二人は並んで歩き始めた。


 水戸駅周辺は、なつきにとって馴染みのある場所だった。


 地元だから、何度も来ている。


 学校帰りにも寄ることがある。


 でも、今日は少しだけ違う。


 春樹たち電車通学組は、毎日ここを通っているのだろう。


 改札。


 ホームへ続く階段。


 駅のベンチ。


 コンビニ。


 自動販売機。


 自分には休日の買い物場所でも、春樹にとっては毎日の通り道なのかもしれない。


 そう思うと、駅の景色まで少し違って見えた。


「また考えてる」


 茜が言った。


「うん」


「大國くん?」


「まだ名前出してないよ」


「顔」


「もう顔で全部ばれるんだね」


「今さら」


 なつきは苦笑した。


 二人は駅ビルの中へ入る。


 文房具店で、茜はノートとペンをじっくり選んだ。


 なつきは隣で、かわいい付箋やシールを見ていた。


 春らしい花柄の付箋。


 淡い色のマーカー。


 読書用のしおり。


 しおりの棚の前で、なつきは足を止めた。


 そういえば、本に挟むしおりを持っていない。


 昨日借りた本には、適当なレシートを挟んでいた。


 それでもいいのだけれど、せっかくならしおりが欲しい。


 なつきは棚から、一つのしおりを手に取った。


 淡い桜色のしおりだった。


 小さな花びらの模様が入っている。


「それ買うの?」


 茜が聞いた。


「うん。本読む用に」


「いいんじゃない」


「春樹くんにすすめられた本に使うの、ちょっと重いかな」


「しおりくらいで重いなら、恋愛小説は全部重いわよ」


「そうかな」


「そう」


 茜はあっさり言った。


 なつきは少し笑って、そのしおりを買うことにした。


 文房具店を出た後、二人は服を見て、雑貨を見て、駅の中のカフェへ入った。


 なつきはアイスミルクティー。


 茜はホットの紅茶。


 窓際の席に座ると、駅前の人の流れが見えた。


 休日の午後。


 人が多い。


 でも、学校の教室とは違うざわめきだった。


「本、持ってきてるんでしょ」


 茜がカップを置きながら言った。


 なつきは驚いた。


「なんで分かるの?」


「バッグを何度も気にしてる」


「そんなに?」


「うん」


 なつきは観念して、バッグから本を取り出した。


 茜は表紙を見て、小さく頷く。


「それ、大國くんが選んだ本?」


「うん」


「読んでみて、どうだった?」


「まだ一話だけだけど……なんか、静かな話だった」


「うん」


「大きな事件があるわけじゃないのに、胸に残る感じ。主人公の女の子が、好きな人をずっと見てるの。本人は何も言わないんだけど、目で追ってるところとか、話しかけたいけど言えないところとか……ちょっと、分かるなって思った」


 言ってから、なつきは少し恥ずかしくなった。


 でも、茜はからかわなかった。


 ただ、静かに聞いている。


「大國くんは、どうしてこれをすすめたんだろうって考えた」


「聞いてみれば?」


「無理」


「感想を言う時に」


「無理だよ。『どうしてこの本を私にすすめたの?』なんて聞けない」


「聞けると思うけど」


「茜ちゃん基準ではね」


 なつきはストローを指で回した。


 氷がカランと音を立てる。


「でも、ちょっと嬉しかった。大國くんが読んだ本を、私も読んでるって思ったら」


「うん」


「同じ言葉を読んだんだなって。大國くんもこの場面を読んだのかなとか、この文章で止まったのかなとか。そんなこと考えたら、なんか……近い気がした」


「実際、少し近づいてると思う」


「そうかな」


「少なくとも、去年のなつきよりは」


 その言葉に、なつきは小さく頷いた。


 去年の自分。


 図書室の外から春樹を見ていただけの自分。


 声をかけるどころか、同じ本を借りることすらできなかった自分。


 そこから考えれば、今は少しだけ進んでいる。


 簿記を教えてもらった。


 本を選んでもらった。


 感想を言う約束をした。


 それは、少し前のなつきには考えられなかったことだ。


「でも」


 なつきは視線を落とした。


「知れば知るほど、知らないことも増えるんだね」


「そうね」


「伊藤さんとか、桐谷くんとか、美優さんとか。大國くんの周りにいる人たちを見ると、私って全然外側なんだなって思う」


「外側から内側へ行く途中なんじゃない?」


「途中……」


「最初から内側にいる人もいる。幼馴染とか、同じ電車の友達とか。でも、途中から近づく人もいる」


「私も?」


「なつき次第」


 茜の言葉は、優しくも厳しかった。


 なつきはミルクティーの中の氷を見つめた。


 透明な氷が少しずつ溶けていく。


 時間がかかる。


 でも、ちゃんと変わっていく。


 自分もそうなれるだろうか。


 少しずつ。


 ゆっくりでも。


 春樹の近くへ。


「頑張る」


 なつきは小さく言った。


 茜は頷いた。


「うん」


 カフェを出る頃には、午後の光が少し傾き始めていた。


 駅の外へ出ると、風が少しだけ冷たくなっている。


 買ったしおりをバッグにしまい、なつきは本を抱え直した。


 駅前の通路には、休日の人の流れが続いている。


 親子連れ。


 友達同士の高校生。


 買い物袋を持った人。


 改札へ向かう人。


 その中に、制服ではない知っている姿があるとは思っていなかった。


「……あ」


 なつきは足を止めた。


 少し先。


 駅ビルの入口近く。


 二人の女子が立っていた。


 一人は、なつきも見たことがある。


 篠崎美優。


 特進二組。


 春樹の幼馴染。


 肩くらいの髪を風に揺らしながら、スマホを片手に誰かと話している。


 休日の服装は、淡い色のカーディガンにロングスカート。


 学校で見るよりも、少し柔らかい印象だった。


 美優は可愛い。


 派手ではない。


 でも、自然に目を引く。


 なつきは、美優を見るたびに胸が少しだけざわつく。


 春樹の幼馴染。


 その言葉が、どうしても美優の周りに見えない輪郭を作ってしまう。


 そして、今日。


 美優の隣には、もう一人の女の子がいた。


 黒髪の、落ち着いた雰囲気の子だった。


 髪は肩より少し長く、綺麗に整えられている。


 服装はシンプルで、白いブラウスに薄い青のスカート。


 派手ではない。


 それなのに、視線が止まる。


 立ち方が綺麗だった。


 話を聞く時、少しだけ首を傾ける仕草。


 笑う時に、声を大きくしないところ。


 言葉を選んでいるような、静かな雰囲気。


 なつきは、その子を見た瞬間、なぜか春樹の横顔を思い出した。


 似ているわけではない。


 顔立ちも、雰囲気も、性別も違う。


 でも、空気が少しだけ重なった。


 静かで。


 落ち着いていて。


 騒がしい場所の中でも、自分の輪郭を崩さない感じ。


 春樹が図書室で本を読んでいる時の空気。


 それに、少しだけ似ている気がした。


「茜ちゃん」


 なつきは小さく呼んだ。


「うん」


「あの子、美優さんだよね」


「そうね。特進二組の篠崎さん」


「隣の子は?」


 茜は少し目を細めた。


「たぶん、白石さん」


「白石さん?」


「白石結衣さん。特進二組。成績上位で、確か図書委員だったと思う」


 図書委員。


 その言葉が、なつきの胸を小さく叩いた。


 図書委員。


 春樹と同じ。


 特進の図書委員。


 美優の友達。


 黒髪で、静かで、春樹と空気が少し重なる子。


 なつきは本を抱える手に力を入れた。


「そうなんだ」


 声が少しだけ小さくなる。


 茜が横を見る。


「大丈夫?」


「うん」


 大丈夫。


 またそう言った。


 でも、胸の奥は少しだけざわついていた。


 美優が笑う。


 白石結衣も、静かに笑う。


 二人の間には、特進二組の友達同士らしい自然さがあった。


 そこへ、春樹がいたわけではない。


 ただ、美優と白石を見かけただけ。


 それだけなのに、なつきはなぜか胸が落ち着かなかった。


 白石結衣。


 まだ話したこともない。


 春樹と話しているところを見たわけでもない。


 なのに。


 その子の静かな雰囲気が、春樹と少しだけ重なった。


 それが怖かった。


 自分とは違う。


 亜衣とも違う。


 美優とも違う。


 春樹の近くに立っても、不自然ではなさそうな人。


 そう思ってしまった。


「行こうか」


 茜が言った。


「うん」


 なつきは頷いた。


 二人はそのまま駅前を歩き出す。


 美優と白石の横を通るわけではない。


 少し離れた道を選んだ。


 なつきは一度だけ振り返った。


 白石結衣は、美優の話を聞きながら、静かに笑っていた。


 その笑い方が、春樹の隣に置いても違和感がないように見えた。


 胸が、ほんの少しだけ痛む。


 なつきはまだ知らなかった。


 その女の子が、これから春樹と同じ図書委員として関わっていくことを。


 春樹への小さな好意を、ゆっくり恋へ変えていくことを。


 そして、自分の片想いにとって、初めて本当の意味での恋の相手になることを。


 知らないまま。


 でも、何かを感じ取ったように。


 なつきはバッグの中の本をそっと抱え直した。


 春樹が選んでくれた本。


 今の自分と春樹を、ほんの少しだけつないでくれているもの。


 それを離さないように。


 なつきは春の駅前を、茜と並んで歩いていった。

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