第44話 決勝の景色
準決勝終了から三十分。
グラウンドにはまだ熱気が残っていた。
球技大会。
男子フットサル決勝。
昼を過ぎた太陽は高く、校庭へ初夏の光を降り注いでいる。
遠くでは女子テニスの表彰が行われていた。
体育館からはバスケの歓声も聞こえる。
学校全体が祭りみたいだった。
けれど。
十一組の周囲だけは少し違った。
浮かれているようで。
浮かれていない。
笑っているようで。
どこか緊張している。
決勝。
その言葉の重みをみんな理解していた。
「すげぇな」
三浦が言った。
「決勝だぞ」
島中はベンチへ腰掛けたままだった。
右足には氷嚢。
保健室で応急処置を受けて戻ってきたばかりだ。
先生からは安静。
当然出場禁止。
分かっている。
分かっているのに。
悔しかった。
「お前なら出てたのにな」
三浦がぽつりと言う。
島中は笑った。
乾いた笑いだった。
「当たり前だろ」
少しだけ間。
そして。
「決勝だぞ」
その声は小さかった。
「俺が一番出たかった」
風が吹く。
三浦は何も言わなかった。
田辺も。
紅秋も。
みんな分かるからだ。
悔しい。
その一言では足りないくらい悔しいことを。
「なぁ」
三浦が言う。
「ん?」
「俺だったら泣いてる」
「うるせぇ」
「マジで」
「お前は泣け」
「泣かねぇよ」
「じゃあ黙れ」
少しだけ笑いが起きる。
田辺も肩を揺らしていた。
島中も笑う。
でも。
すぐに視線はコートへ戻る。
そこには春樹がいた。
準備運動をしている。
軽く走る。
足首を回す。
ボールを蹴る。
相変わらず表情は変わらない。
「ムカつくな」
島中が言った。
「何が?」
三浦が聞く。
「なんであいつ平気なんだよ」
「分かる」
即答だった。
紅秋まで頷いている。
「決勝だぞ?」
島中が言う。
「普通緊張するだろ」
「するな」
田辺が頷く。
「俺なら胃が痛い」
「お前いつも痛そうだけどな」
「それは言うな」
また笑いが起きた。
そんな会話をしながらも。
島中の視線は春樹から離れない。
準決勝。
あのプレー。
思い出すだけで意味が分からない。
「なぁ」
島中が言う。
「ん?」
「昔からあんな感じなのか?」
質問は三浦達へ向けられていた。
だが。
答えたのは別の人物だった。
「いや」
蓮だった。
いつの間にか近くへ来ていた。
「昔はもっと酷い」
「は?」
島中が固まる。
三浦も固まる。
「酷い?」
「負けず嫌いだったからな」
蓮は笑う。
「負けると機嫌悪かった」
「マジで?」
「マジ」
「想像できねぇ」
「俺も今はできない」
蓮自身がそう言った。
周囲から笑いが起きる。
「でも」
蓮は春樹を見る。
「勝負事になると今でも変わらん」
少しだけ。
本当に少しだけ。
懐かしそうな顔だった。
島中は黙る。
そしてもう一度春樹を見る。
静かだ。
落ち着いている。
だが。
本当は違うのかもしれない。
あの中には。
まだ熱いものが残っているのかもしれない。
一方。
なつき達も別の場所で盛り上がっていた。
「ねぇ」
亜衣が言う。
「何?」
茜が振り向く。
「大國くんってモテると思う?」
なつきが固まった。
「ぶっ!」
思わず変な声が出る。
亜衣が笑った。
「ほら!」
「な、何が!?」
「分かりやすっ!」
茜まで吹き出している。
「ちがっ!」
「違わない」
「違わないね」
即答だった。
なつきの顔が熱くなる。
「だって急に!」
「いや聞きたくなるじゃん」
亜衣は本気だった。
「今めちゃくちゃ目立ってるし」
「それはそう」
茜も頷く。
「たぶん今一番有名かも」
「やめてよ」
なつきは両手で顔を隠した。
心臓がうるさい。
好きな人の話をされるだけで苦しい。
しかも本人が近くにいる。
余計に無理だった。
そんな三人の少し後ろ。
美優と祐衣もコートを見ていた。
「春樹って」
祐衣が言う。
「昔からあんな感じなの?」
美優が少し考える。
「どんな感じ?」
「目立たないのに」
一拍。
「気付くと一番目立ってる」
美優は吹き出した。
「あー」
納得したらしい。
「それは昔から」
「やっぱり」
「本人は嫌がるけどね」
「嫌なんだ」
「目立つの」
祐衣は少し驚く。
準決勝の姿からは想像できなかった。
あれだけ目立っていたのに。
「でも」
美優は笑う。
「勝負事になると別」
祐衣は再びコートを見る。
春樹。
静かな横顔。
どこにでもいそうな男子生徒。
それなのに。
誰よりも目を引く。
不思議な人だった。
その時。
決勝開始十分前のアナウンスが流れた。
グラウンドがざわつく。
観客が増える。
他クラスの生徒も集まる。
「大國ってあいつ?」
「準決勝で五点決めたらしい」
「マジで?」
「見てなかった!」
「決勝見ようぜ!」
噂が広がっていく。
ざわめきが大きくなる。
そして。
選手達が整列を始める。
決勝。
その舞台が。
ゆっくりと整い始めていた――。
★
先生の笛が鳴る。
決勝戦開始。
歓声がグラウンドへ広がった。
相手チームも強い。
準決勝まで勝ち上がっただけはある。
整った守備。
素早い寄せ。
無駄のないパス回し。
開始直後から緊張感のある展開になった。
「来るぞ!」
「寄せろ!」
「右だ右!」
コートの中で声が飛ぶ。
春樹は中央付近にいた。
視線だけが動く。
味方。
相手。
空いている場所。
全てを確認しているようだった。
相手も当然警戒している。
準決勝で暴れた選手だ。
放置するはずがない。
「二枚付いてるな」
蓮が呟いた。
美優も頷く。
「うん」
実際その通りだった。
春樹が動けば一人。
ボールを持てば二人。
完全にマーク対象になっている。
「大変そう」
祐衣が言う。
しかし。
美優は首を傾げた。
「そうかな」
「え?」
「むしろ春樹はその方が好きかも」
なつきが思わず振り向く。
美優はコートを見たまま続けた。
「一人空くから」
次の瞬間だった。
春樹へボールが入る。
すぐに二人が寄る。
囲まれる。
だが。
春樹は突破しなかった。
ワンタッチ。
そのまま横へ流す。
空いていた味方へ。
「え?」
なつきが目を瞬かせる。
フリー。
完全に。
味方が抜け出す。
そのままシュート。
ゴール。
一点目。
一瞬の静寂。
そして。
「うおおおおお!!」
歓声が爆発した。
「今の何!?」
「パス!?」
「見えてたのか!?」
周囲がざわつく。
なつきも驚いていた。
春樹は何もしていないように見えた。
だが。
一番大事な仕事をしていた。
相手を引き付けた。
そして空いた場所へ出した。
それだけ。
なのに。
試合が動いた。
「なるほど」
蓮が笑う。
「始まったな」
その言葉の意味を。
周囲はまだ理解していなかった。
試合再開。
相手チームも焦り始める。
だが。
焦れば焦るほど。
春樹が見えてしまう。
春樹へ二人。
空く味方。
パス。
突破。
シュート。
二点目。
再び歓声。
「まただ!」
「なんなんだあいつ!」
「全部見えてるぞ!」
他クラスの生徒まで騒ぎ始める。
グラウンド全体がざわついていた。
島中も思わず前のめりになる。
悔しい。
でも。
目が離せない。
春樹は派手じゃない。
ドリブルで五人抜きするわけでもない。
だが。
試合の流れを全部握っていた。
「俺なら」
島中が呟く。
三浦が聞き返す。
「ん?」
「俺なら自分で行く」
三浦は少し考えた。
そして頷く。
「だろうな」
「だよな」
二人とも笑う。
田辺も聞いていた。
「でも」
田辺が言う。
「だから勝ってるんじゃね?」
島中は黙った。
反論出来ない。
実際そうだったからだ。
春樹は目立ちたいわけじゃない。
勝ちたいだけ。
だから一番勝てる方法を選ぶ。
それだけ。
その事実が。
少しずつ島中の中へ入っていく。
一方。
なつきは別の意味で苦しかった。
かっこいい。
本当に。
かっこいい。
ボールを持っている時も。
持っていない時も。
味方へ指示を出す時も。
全部。
目が離せない。
「顔」
茜が言った。
「え?」
「すごい顔してる」
亜衣が吹き出す。
「恋する乙女だ」
「違う!」
「違わない」
「違わないね」
即答だった。
なつきは顔を押さえる。
でも。
否定しきれなかった。
その時だった。
春樹がボールを受ける。
今度はゴール前。
二人。
三人。
相手が集まる。
完全包囲。
誰もがパスを予想した。
だが。
春樹は踏み込んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
相手の重心をずらす。
狭い隙間を通す。
そして。
シュート。
ネットが揺れた。
三点目。
一瞬遅れて歓声が爆発する。
「うわあああああ!!」
「今の通す!?」
「意味分からん!」
「やばいだろ!」
グラウンドが揺れる。
なつきも思わず立ち上がっていた。
胸が熱い。
苦しい。
嬉しい。
目が離せない。
そして。
相手チームの表情が変わり始めていた。
焦り。
苛立ち。
そして。
少しずつ。
危うい色が混ざり始める。
それを見ていた蓮が小さく眉をひそめた。
「……あー」
美優が聞く。
「どうしたの?」
「嫌な流れ」
蓮は短く答えた。
視線の先では。
相手チームの一人が春樹を睨んでいた――。
★
相手チームの空気が変わっていた。
三点差。
残り時間はまだある。
逆転不可能ではない。
だが。
試合の流れは完全に十一組だった。
春樹がいる。
それだけで。
コート全体が動く。
右へ流れれば右が活きる。
左へ寄れば左が空く。
前へ出れば後ろが空く。
相手は追い掛けている。
だが。
追い付けない。
春樹が一歩先にいる。
そんな試合だった。
「くそっ!」
相手選手が叫ぶ。
焦りが声に出ていた。
ベンチからも指示が飛ぶ。
「止めろ!」
「大國を止めろ!」
「二枚行け!」
歓声の中でも聞こえる。
それほど春樹が目立っていた。
なつきは両手を握り締めていた。
気付けば声を出している。
「頑張って……」
自分でも聞こえないほど小さな声。
けれど。
確かに口から零れていた。
その隣で。
茜は少し笑う。
「完全に応援してるね」
「だ、だって!」
「うん」
茜は頷いた。
優しい顔だった。
「知ってる」
なつきは返事が出来なかった。
顔が熱い。
胸が苦しい。
それでも視線は春樹から離れない。
その時だった。
春樹が再びボールを受ける。
中央。
相手陣内。
観客席がざわつく。
来る。
そんな空気だった。
春樹は前を見る。
味方が走る。
空いたスペースがある。
次の瞬間。
相手が飛び込んだ。
明らかに遅いタイミング。
ボールではない。
足だった。
「おい!」
誰かが叫ぶ。
春樹の身体が大きく揺れる。
バランスが崩れる。
そして。
転倒。
砂が舞った。
一瞬。
グラウンドから音が消えた。
なつきの心臓が止まりそうになる。
「春樹くん!」
思わず叫んでいた。
周囲も騒然となる。
「おい!」
「何やってんだ!」
「危ねぇだろ!」
あちこちから声が飛ぶ。
亜衣が立ち上がる。
「はぁ!?」
本気で怒っていた。
「今絶対ボールじゃないじゃん!」
茜も顔をしかめる。
「酷い……」
島中も立ち上がっていた。
足の痛みも忘れたように。
「ふざけんな」
低い声だった。
三浦が驚く。
田辺も驚く。
だが。
誰も何も言わない。
島中が怒る理由が分かるからだ。
春樹は。
今。
自分達のために戦っている。
その春樹が。
削られた。
腹が立たないはずがない。
先生の笛が鳴る。
ファウル。
当然だった。
観客席からもブーイングが飛ぶ。
「ひどっ!」
「今の駄目だろ!」
「最低!」
女子達の声も聞こえる。
グラウンド全体がざわついていた。
そんな中。
春樹は地面へ手を付く。
ゆっくり立ち上がる。
膝に砂。
腕にも少し擦り傷。
痛みはあるだろう。
だが。
表情は変わらなかった。
「大丈夫か!」
先生が聞く。
「大丈夫です」
短い返事。
なつきは思わず息を吐く。
良かった。
本当に。
良かった。
美優も小さく肩の力を抜いた。
祐衣も同じだった。
だが。
二人とも気付いていた。
春樹の目。
その奥が。
少しだけ変わったことに。
蓮も見ていた。
そして。
苦笑する。
「あーあ」
小さな声。
美優が振り向く。
「何?」
「終わった」
「何が?」
蓮はコートを見る。
春樹を見ている。
そして。
ぽつりと言った。
「相手が」
その意味を。
まだ誰も理解していなかった。
春樹はボールを置く。
静かだった。
怒鳴らない。
睨まない。
文句も言わない。
ただ。
立っている。
風が吹く。
白線の砂が流れる。
観客席も少しずつ静かになっていく。
その静寂の中で。
春樹はゆっくり前を向いた。
そして。
再開の笛が鳴る。
その瞬間。
春樹が動いた。
今までより速く。
今までより鋭く。
観客席からどよめきが起こる。
なつきは思わず息を呑む。
春樹の背中が。
さっきまでより少しだけ大きく見えた――。
★
春樹が動いた瞬間。
グラウンドの空気が変わった。
それは大声でも、怒鳴り声でもない。
誰かを威圧するような仕草でもない。
ただ。
速かった。
さっきまでより。
ずっと。
ボールを受ける前から、春樹はすでに次の場所を見ていた。
相手が寄る。
一人。
二人。
それでも春樹は慌てない。
足元でボールを止める。
一拍。
ほんの一拍。
その静けさが、逆に怖かった。
相手が踏み込む。
春樹はボールを引いた。
相手の足が空を切る。
次の瞬間。
春樹はその横をすり抜けていた。
「うわっ……!」
相手の声が漏れる。
観客席がざわめく。
春樹は止まらない。
次の相手が来る。
春樹は前を向いたまま、ボールだけを横へ逃がす。
体は逆。
相手の重心がずれる。
抜く。
三人目。
春樹は今度は抜かなかった。
味方を見た。
右。
完全に空いている。
パス。
鋭い。
けれど優しい。
受け手がそのまま蹴れる位置。
「いけ!」
十一組の誰かが叫ぶ。
フットサル組の男子がシュートを打つ。
ネットが揺れた。
追加点。
一瞬の沈黙。
そして。
「うおおおおおおお!!」
歓声が爆発した。
「またパス!」
「今の見えてたのかよ!」
「大國やばい!」
「完全に試合作ってる!」
グラウンドが揺れる。
なつきは両手を胸の前で握っていた。
声が出ない。
出したいのに、出ない。
春樹がすごすぎて。
格好良すぎて。
胸の中がいっぱいになっていた。
さっき倒された。
危なかった。
怖かった。
なのに春樹は立って。
何も言わずに。
プレーで返している。
それがたまらなかった。
亜衣はまだ怒っていた。
「今の点、見た!?」
「見たわ」
茜が答える。
「もう一点どころじゃないよ。あと五点くらい取ってほしい」
「気持ちは分かるけれど、落ち着いて」
「落ち着けない!」
亜衣の声に周囲が笑う。
でも、笑いながらもみんな同じ気持ちだった。
春樹にやり返してほしい。
暴力ではなく。
怒鳴るのでもなく。
圧倒的なプレーで。
試合再開。
相手チームの顔が変わっていた。
焦り。
苛立ち。
恐怖に近い戸惑い。
春樹を止められない。
そう分かり始めていた。
ボールが動く。
相手は春樹を避けるようにパスを回す。
だが。
春樹はそれすら読んでいた。
相手の視線。
体の向き。
パスを出す足。
そのわずかな変化を拾うように動く。
カット。
歓声。
春樹がボールを持つ。
相手が寄る。
今度は三人。
完全に囲みに来ていた。
それでも春樹は止まらない。
ボールを前へ出す。
一人目を抜く。
二人目を引き付ける。
三人目が寄る。
その瞬間。
後ろへ落とす。
味方が走り込む。
シュート。
またゴール。
「決まったあああ!」
「十一組!」
「大國!」
歓声がさらに大きくなる。
島中はベンチで固まっていた。
悔しい。
悔しい。
悔しい。
何度も胸の中で繰り返す。
でも。
目が離せない。
自分なら、あそこで抜きに行った。
自分なら、あそこで打った。
自分なら。
自分なら。
そのたびに、答えが出る。
春樹の方が正しい。
勝つための選択をしている。
誰よりも冷静に。
誰よりも広く見て。
誰よりも静かに。
試合を支配している。
「なんなんだよ……」
島中が呟いた。
三浦が隣で言う。
「すげぇよな」
「ムカつくくらいな」
「分かる」
「でも」
島中は唇を噛んだ。
「すげぇ」
その言葉を言うのに、少しだけ時間がかかった。
でも、言った。
認めた。
自分の口で。
三浦は笑った。
「だな」
田辺も腕を組みながら頷く。
「あいつ、目立ちたいわけじゃねぇんだな」
島中は黙る。
田辺は続けた。
「勝ちたいだけなんだろ」
その言葉は、島中の胸に深く刺さった。
勝ちたいだけ。
それは、自分と同じようで。
まったく違った。
自分は、見てほしかった。
なつきに。
クラスに。
自分がすごいと。
春樹よりも上だと。
見せたかった。
でも春樹は。
たぶん違う。
見せたいからではない。
勝つために動いている。
だから味方を使える。
だから自分で決めることにこだわらない。
だから強い。
島中は悔しそうに笑った。
「嫌なやつだな」
三浦が聞く。
「大國が?」
「違う」
島中は小さく首を振った。
「俺が」
三浦は何も言わなかった。
ただ隣に座っていた。
試合はさらに進む。
春樹がボールを持つたびに、グラウンドがざわつく。
他クラスの生徒も完全に引き込まれていた。
「大國来た!」
「また行くぞ!」
「止められるのか!?」
相手チームも必死だった。
プライドもある。
決勝まで来たチームだ。
簡単には諦めない。
春樹を止めるために、また体を寄せる。
だが、さっきのような危ないプレーはできない。
先生の目もある。
観客の目もある。
何より。
春樹の静けさが怖かった。
怒っていない。
でも、許していない。
そんな感じだった。
春樹は一度、味方へパスを出す。
そのまま自分は走る。
戻ってきたボールを受ける。
ワンタッチ。
シュート。
ゴール。
ネットが揺れる。
歓声が上がる。
春樹は表情を変えない。
ただ自陣へ戻る。
その背中に、十一組の声が飛ぶ。
「大國ー!」
「すげぇ!」
「そのままいけ!」
なつきも。
今度は声が出た。
「大國くん!」
春樹が一瞬だけ振り向いた。
本当に一瞬。
でも。
なつきには分かった。
聞こえた。
届いた。
春樹は小さく頷いた。
たぶん誰にも分からないくらい。
でも、なつきには見えた。
胸が熱くなる。
泣きそうだった。
美優もそれを見ていた。
少しだけ目を細める。
祐衣も気づいていた。
なつきの声に春樹が反応したことを。
祐衣は静かにコートを見る。
表情は変わらない。
でも、その指先がタオルを少しだけ握り締めていた。
試合時間は残りわずか。
点差は大きく開いていた。
だが、十一組の集中は切れない。
春樹が切らせなかった。
「戻って」
「右空く」
「無理しない」
短い声。
フットサル組の男子たちは、それに従う。
急造のチームではない。
だが、春樹が入ったことで、違うチームになっていた。
誰かが無理に目立つのではない。
全員が、勝つために動く。
その中心に春樹がいた。
そして。
最後のプレー。
相手の攻撃。
春樹がカット。
歓声。
残り数秒。
春樹は前へ出る。
相手が寄る。
一人。
二人。
春樹は抜ける。
ゴール前。
全員が思った。
打つ。
しかし。
春樹は打たなかった。
横へ。
最後まで走っていた味方へ。
パス。
シュート。
ゴール。
同時に。
試合終了の笛。
ピーーーーーッ!
一瞬。
静寂。
そして。
グラウンドが爆発した。
「優勝だあああああ!!」
「十一組!」
「勝った!」
「大國ー!」
「やばすぎ!」
歓声。
拍手。
叫び声。
砂埃。
空へ突き上がる拳。
フットサル組の男子たちが春樹へ駆け寄る。
肩を叩く。
抱きつく。
春樹は少し困っている。
「重い」
「うるせぇ!」
「お前のおかげだろ!」
「最後決めたの俺じゃない」
「そういう問題じゃねぇ!」
笑いが起きる。
泣きそうな顔の男子もいる。
先生も笛を首から下げたまま笑っていた。
「よくやった!」
十一組の応援席も大騒ぎだった。
亜衣は両手を上げて跳ねている。
「勝った! 勝ったよ!」
茜も珍しく大きく拍手していた。
「すごかったわね」
「うん!」
なつきは声が震えていた。
「すごかった……」
それしか言えなかった。
好き。
かっこいい。
嬉しい。
誇らしい。
全部が胸の中で混ざって、言葉にならない。
美優は静かに拍手していた。
でも表情は柔らかい。
「お疲れ、春樹」
まだ届かない距離で、小さく呟く。
祐衣も拍手をしていた。
その目は春樹を追っている。
静かで。
真剣で。
少しだけ熱を帯びていた。
蓮は腕を組んで笑っている。
「相変わらずだな」
三浦が興奮したまま蓮へ詰め寄る。
「だから先に言えって!」
「何回言うんだよ」
「何回でも言うわ!」
蓮は笑った。
「でもさ」
「何だよ」
「春樹、最後自分で決めなかっただろ」
三浦は少し黙る。
そして、コートを見る。
春樹は仲間たちに囲まれている。
最後のゴールを決めた男子が、何度も春樹に頭を下げていた。
春樹は困ったように首を振っている。
「勝つためなら」
蓮が言った。
「あいつ、自分が目立つかどうか気にしないんだよ」
三浦は静かになった。
島中も、その言葉を聞いていた。
胸の奥が痛かった。
でも。
その痛みは嫌なものだけではなかった。
春樹がこちらへ歩いてくる。
砂で少し汚れた膝。
額の汗。
少し赤くなった腕。
それでも表情はいつも通り。
島中は、ベンチから春樹を見上げた。
「勝ったな」
島中が言う。
「うん」
春樹が答える。
「俺の代わり、ちゃんとやったじゃん」
「島中くんが準決勝まで行ったから」
「は?」
島中が目を丸くする。
春樹は続けた。
「俺は途中から出ただけ」
「……お前」
「最初から出てたのは島中くん達だろ」
その言葉に。
島中は何も言えなくなった。
胸の奥が詰まる。
悔しい。
まだ悔しい。
でも。
それ以上に。
負けたと思った。
人として。
何かで。
「ムカつくな」
島中は呟いた。
春樹は首を傾げる。
「何が?」
「そういうとこだよ」
「?」
春樹は分かっていない顔をしている。
その顔がまたムカつく。
でも。
島中は笑った。
ようやく。
少しだけちゃんと笑えた。
「次は俺が出る」
「うん」
「で、俺が決める」
「うん」
「覚えとけ」
「分かった」
短いやり取り。
それだけ。
けれど。
その場にいた十一組の空気が少しだけ変わった。
島中が、春樹へ真正面から言った。
次は俺が出る。
それは。
負け惜しみではなく。
宣言だった。
なつきはその光景を見ていた。
胸が熱い。
春樹がすごかった。
島中も悔しそうだった。
三浦も叫んでいた。
田辺も紅秋も笑っていた。
美優も。
祐衣も。
蓮も。
みんながその場にいた。
球技大会。
ただの学校行事。
でも。
今日のこの景色は、きっと忘れない。
なつきはそう思った。
青い空。
白いライン。
砂埃。
歓声。
優勝の余韻。
そして。
汗を拭きながら少し困ったように笑う春樹。
その姿が。
あまりにも眩しかった。
なつきは胸の奥で、そっと呟く。
やっぱり。
好きだ。
言葉には出せない。
まだ。
でも。
その気持ちは、今までよりずっとはっきりしていた。
グラウンドに、十一組の歓声がいつまでも響いていた。




