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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第41話 春樹と蓮


「第二回戦――二年十一組対、二年特進一組」


 先生の声が、マイクを通して体育館に響いた。


 その瞬間、空気が跳ねた。


 ただの組み合わせ発表ではなかった。


 商業科の二年十一組。


 特進科の二年一組。


 普段なら校舎も違い、授業の進み方も違い、休み時間に顔を合わせることも少ない二つのクラスが、バスケのコートでぶつかる。


 しかも、その中心には。


 大國春樹と桐谷蓮がいる。


「来たあああああ!」


 三浦の声が、誰よりも早く体育館に響いた。


 その声に、十一組の応援席から笑いと歓声が起きる。


「三浦、声でかい!」


「いや、これは叫ぶだろ!」


「桐谷チームだぞ!」


 田辺も腕を組みながら、口元を少し上げていた。


「面白くなってきたな」


 紅秋は靴紐を軽く確認しながら、静かにコートを見ている。


「相手、強いと思う」


「だよな」


 三浦がすぐ頷く。


「特進って勉強だけじゃないのかよ」


「桐谷くんがいる時点で、そうではないでしょう」


 紅秋の言葉は冷静だった。


 けれど、その声音にも少しだけ熱があった。


 春樹は、何も言わなかった。


 ただコートの向こうを見ていた。


 その視線の先には、蓮がいる。


 蓮は特進一組のメンバーたちと話しながら、こちらに気づくと軽く手を上げた。


 笑っている。


 いつものように。


 でも、その笑顔は、ただの友達に向けるものとは少し違っていた。


 楽しみにしている顔だった。


 なつきは応援席で、その二人を見ていた。


 胸が高鳴る。


 自分の女子バスケの試合とは違う緊張だった。


 自分がコートに立つわけではない。


 けれど、心が落ち着かない。


 春樹が試合をする。


 蓮と。


 あの蓮と。


 春樹の昔からの友達。


 美優と一緒に、春樹の知らない時間をたくさん持っている人。


 軽くて、明るくて、よく喋る。


 でも、ただ明るいだけではない。


 春樹のことをよく見ている。


 春樹が言葉にしないことまで、少し分かっているような人。


 その蓮が、春樹と戦う。


 なつきは手元のタオルをぎゅっと握った。


「なつき」


 隣から亜衣が声をかける。


「大丈夫?」


「うん」


「顔、さっき自分の試合前より緊張してる」


「してるかも」


「正直」


 亜衣は笑った。


「でも分かる。これは見たい」


 茜も静かに頷く。


「大國くんと桐谷くん、普段とは違う顔が見られそうね」


「うん」


 なつきは小さく頷いた。


 普段とは違う顔。


 その言葉だけで、胸がさらに忙しくなる。


 体育館の中央では、前の試合の片付けが進んでいた。


 得点板がリセットされる。


 ボールが審判役の先生へ渡される。


 次の試合のメンバーが、それぞれコート脇へ集まっていく。


 十一組側。


 春樹。


 三浦。


 田辺。


 紅秋。


 そして補助メンバー数人。


 特進一組側。


 蓮。


 それから、背の高い男子。


 眼鏡をかけた細身の男子。


 運動部らしき日焼けした男子。


 特進と聞くと、勉強ばかりの印象を持ってしまう。


 けれど、コートに立つ彼らは普通に動けそうだった。


 いや、むしろ強そうに見える。


「特進一組、普通に強そうじゃん」


 亜衣が呟く。


「そうね」


 茜も目を細める。


「桐谷くんだけではなさそう」


「だよね」


 なつきは蓮を見る。


 蓮は仲間に何かを言っていた。


 口元は笑っている。


 でも、目はコートを見ている。


 春樹と同じように、全体を見ている。


 その姿に、なつきは少し驚いた。


 蓮はいつも明るくて軽い。


 でも、試合前の蓮は違う。


 軽さの奥に、ちゃんと集中がある。


 笑っているのに、緩んでいない。


 その感じが、少し春樹に似ている気がした。


 いや。


 違う。


 似ているというより。


 二人は、お互いを知っている。


 だから、同じ場に立つと空気が変わるのかもしれない。


「大國ー!」


 三浦が春樹の肩を叩く。


「作戦!」


「うん」


「桐谷どうすんの?」


「止める」


「シンプル!」


 田辺が笑う。


「止められるのか?」


 春樹は少しだけ蓮を見た。


「簡単ではない」


 その言葉に、三浦の目が丸くなる。


「春樹が簡単じゃないって言った」


「相手が蓮だから」


「それ、強いってこと?」


「強い」


 春樹ははっきり言った。


 なつきの胸が跳ねる。


 春樹が、相手をちゃんと強いと言った。


 それだけで、蓮がどれほどの相手なのか伝わる。


 紅秋が静かに言う。


「桐谷くんは、速い?」


「速い」


「パスは?」


「見る」


「シュートは?」


「入る」


「全部では?」


 三浦が不安そうに言う。


 春樹は少し考えた。


「全部ではない」


「よかった」


「でも、判断が早い」


「それは嫌だな」


 田辺が腕を回す。


「じゃあ、俺はゴール下固める」


「うん」


 春樹は頷いた。


「三浦は走る」


「任せろ」


「紅秋は外」


「分かった」


「無理に蓮を追わない。動かされたら負ける」


 紅秋が頷く。


「了解」


 三浦が真剣な顔をした。


「春樹」


「何」


「お前、足は?」


 空気が少しだけ変わる。


 春樹は短く答えた。


「大丈夫」


「それ一番信用できない」


「痛みは少ない」


「ならまあ」


 田辺も見る。


「無理すんなよ。マジで」


「うん」


「うん、じゃねぇんだよな」


 三浦が言う。


「俺らもいるからな」


 春樹は少しだけ目を瞬かせた。


 それから、短く答える。


「分かってる」


 その返事に、三浦は満足そうに頷いた。


「よし」


 なつきは、そのやり取りを見て胸が温かくなった。


 みんなが春樹を心配している。


 そして春樹も、ちゃんとそれを受け取っている。


 前よりも少しだけ、クラスの中で春樹の立ち位置が変わった気がした。


 ただ静かに本を読んでいる男子ではない。


 勉強を教えてくれる男子でもない。


 同じチームで戦う男子。


 みんなが頼りにして、みんなが心配する人。


 大國春樹は、二年十一組の中で少しずつ存在感を増していた。


 特進一組側から蓮が歩いてきた。


 手にはボール。


 軽くドリブルしながら、十一組側の近くまで来る。


「三浦ー」


「おう、桐谷!」


 三浦がすぐ反応する。


「勝った方がジュースな!」


 蓮が笑った。


「勝手に決めんな」


「じゃあ水」


「安くなっただけだろ」


「スポドリ?」


「そこじゃない」


 周囲から笑いが起きる。


 三浦は完全に楽しそうだった。


「いやー、燃えるな。特進一組」


「こっちも商業科とやれるの楽しみにしてるよ」


「それ、余裕?」


「いや、本音」


 蓮は笑いながらも、春樹へ視線を向けた。


「春樹いるしな」


 春樹も蓮を見る。


「蓮もいる」


「お、言うじゃん」


「事実」


「そういうとこだよ」


 蓮は楽しそうに笑った。


 それから少しだけ声を落とす。


「足は?」


「平気」


「嘘だな」


「試合だから」


 その返しに、蓮は一瞬だけ黙った。


 そして、少しだけ口元を上げる。


「そういうとこも昔からだな」


「何が」


「止まる気ないとこ」


「止まる時は止まる」


「自分で決めた時だけだろ」


 春樹は否定しなかった。


 ただ、蓮を見ていた。


 短い沈黙。


 周囲の声が少し遠く感じる。


 なつきは息を飲んだ。


 友達同士の会話。


 でも、今の二人の間には、ただ仲が良いだけではない何かがあった。


 競争心。


 信頼。


 昔からの積み重ね。


 負けたくない気持ち。


 それらが、言葉少なに交差している。


 蓮がボールを軽く指先で回した。


「手加減なしな」


 春樹はすぐ答える。


「最初からしない」


「だよな」


 蓮は笑う。


「じゃあ、後で」


「うん」


 それだけ言って、蓮は特進一組側へ戻っていった。


 その後ろ姿を、春樹は少しだけ見ていた。


 なつきは、その横顔から目が離せなかった。


 春樹が静かに燃えている。


 島中と一対一をした時とは違う。


 あの時は、怒りだった。


 静かだけれど、確かに怒っていた。


 でも今は違う。


 もっと澄んでいる。


 もっと前向きで。


 もっと、楽しそうで。


 春樹はきっと、この試合を楽しみにしている。


 なつきはそう思った。


 応援席の隣に、美優が座った。


 いつの間にか、なつきのすぐ近くだった。


「隣、いい?」


「あ、はい」


 なつきは少し緊張して頷いた。


 美優は応援席に腰を下ろし、コートを見る。


 表情は穏やかだが、目はちゃんと二人を追っていた。


「本当に当たっちゃったね」


 美優が言う。


「はい」


「春樹と蓮の試合、久しぶりに見るかも」


「久しぶり?」


「うん。中学の時も体育で何回か見たけど、高校では初めてかな」


 なつきは美優を見る。


 また、自分の知らない時間。


 でも、今は前ほど胸が沈まなかった。


 聞きたいと思った。


 知りたいと思った。


「二人とも、昔からあんな感じなんですか?」


「どんな感じ?」


「なんか……仲いいのに、負けたくなさそう」


 美優は少し笑った。


「うん。まさにそう」


 その答えに、なつきも少し笑う。


 美優は続けた。


「春樹は分かりにくいけど、蓮相手だと結構負けず嫌い出るんだよ」


「大國くんが?」


「うん」


「ちょっと意外です」


「でしょ。でも、春樹って自分から勝ちたいって言わないだけで、負けてもいいとは思ってない」


 なつきはコートの春樹を見る。


 確かに。


 春樹は、勝ちたいとは言わない。


 でも、負けてもいいとは思っていない。


 昨日の島中との一対一を思い出す。


 あの静かな圧倒。


 あれも、春樹の負けず嫌いだった。


 でも、蓮相手だときっと違う。


 壊すためではなく。


 競うため。


 楽しむため。


 そして、勝つため。


「蓮は?」


 なつきは聞いた。


「桐谷くんも、負けず嫌いですか?」


「蓮は見たまま」


 美優は笑った。


「負けたくないって普通に言うタイプ」


「あ、分かります」


「でも、春樹には特に負けたくないと思う」


「どうしてですか?」


「ずっと近くにいたからじゃないかな」


 美優は少しだけ遠い目をした。


「小学校の頃から、二人は何かと競ってたよ。走るのも、ドッジボールも、テストも、給食の牛乳をどっちが早く飲むかとか」


「牛乳」


 なつきは思わず笑った。


 春樹が牛乳を早く飲む競争をしているところが想像できない。


 美優も笑う。


「春樹、そういうの興味なさそうに見えるでしょ」


「はい」


「でも、蓮が絡むと乗る時があるの」


「大國くんが?」


「うん。で、勝つと普通の顔してる」


「分かる気がします」


「負けると?」


「え?」


「負けると、もっと普通の顔をする」


 美優の言葉に、なつきは少しだけ考えた。


 もっと普通の顔。


 それはきっと、悔しさを隠す顔だ。


「分かりにくいですね」


「分かりにくいよ」


 美優は頷く。


「でも、蓮は分かるんだと思う」


 その言葉が、なつきの胸に静かに落ちた。


 蓮は分かる。


 春樹が分かりにくく隠す悔しさを。


 春樹が言わない負けず嫌いを。


 春樹が本当は楽しみにしていることを。


 美優も分かっている。


 その距離は、やっぱり遠い。


 でも、今はそれをただ羨ましいと思うだけではなかった。


 今から見る試合で、春樹の新しい顔を知れる。


 なつきはそう思った。


「横田さん」


 美優が言う。


「はい」


「今日、春樹のこと応援してあげてね」


 なつきの心臓が跳ねた。


「私が、ですか?」


「うん」


「でも、篠崎さんもいますし」


「私も応援するよ」


 美優は自然に言った。


「でも、横田さんの声もたぶん届くと思う」


 なつきは言葉を失った。


 春樹に。


 自分の声が。


 届く。


 そう言われた気がした。


「……届きますかね」


「届くよ」


 美優は迷わず言った。


「春樹、見てないようで聞いてるから」


 なつきはコートを見る。


 春樹は三浦たちと最後の確認をしている。


 遠い。


 でも、届くかもしれない。


 自分の声が。


 頑張って、と。


 その一言が。


 なつきはタオルを握り直した。


「応援します」


 美優は微笑んだ。


「うん」


 その時、体育館の奥から大きな声が上がった。


「特進一組ー!」


「桐谷ー!」


 特進科側の応援だった。


 蓮が軽く手を上げる。


 すると十一組側も負けじと声を出す。


「十一組ー!」


「大國ー!」


「三浦ー!」


「田辺ー!」


「板倉ー!」


 三浦が応援席へ向かって両手を振った。


「もっと声出せー!」


「お前が出しすぎ!」


 亜衣が叫ぶ。


 体育館に笑いが広がる。


 でも、その笑いの中にも熱がある。


 試合前の熱。


 誰もが期待している。


 春樹と蓮。


 商業科と特進科。


 仲間同士。


 ライバル同士。


 その全部が重なって、体育館の空気をさらに熱くしていた。


 審判役の先生が笛を鳴らした。


「両チーム、整列!」


 声が響く。


 春樹たちがコート中央へ向かう。


 蓮たちも向かう。


 向かい合う二つのチーム。


 三浦はにやにやしている。


 田辺は真剣な顔。


 紅秋は静かに相手を見ている。


 春樹は落ち着いている。


 蓮は笑っている。


 でも、目は本気だった。


「お願いします!」


 両チームが礼をする。


 拍手。


 歓声。


 なつきは胸の前で両手を握った。


 亜衣が隣で言う。


「始まるね」


「うん」


 茜が静かに言う。


「よく見ておきましょう」


「うん」


 美優も小さく呟いた。


「二人とも、怪我しないでよ」


 その声は、応援というより祈りに近かった。


 審判がボールを持つ。


 中央へ。


 ジャンプボール。


 春樹と特進一組の背の高い男子が向かい合う。


 蓮は少し後ろで構えている。


 春樹が一瞬だけ蓮を見る。


 蓮も春樹を見る。


 言葉はない。


 でも、何かが交わった。


 体育館の音が、一瞬だけ遠くなる。


 なつきは息を止めた。


 審判の腕が動く。


 ボールが高く上がった。


 春樹が跳ぶ。


 歓声が爆発する。


 ボールが高く舞い上がる。


 体育館中の視線が一点へ集まった。



 相手のセンターも跳ぶ。


 指先が触れる。


 弾かれたボールが十一組側へ流れた。


「よし!」


 三浦が飛び込む。


 歓声。


 試合開始直後から体育館の熱量が一段上がった。


「いけー!」


「十一組ー!」


「特進ー!」


 両クラスの応援がぶつかり合う。


 三浦がドリブルで前へ出る。


 相手もすぐに寄る。


 その瞬間だった。


「左」


 春樹の声。


 三浦が反射的にパスを出す。


 紅秋。


 さらに田辺。


 ゴール下。


 シュート。


 得点。


「うおおおお!」


 十一組応援席が爆発した。


 三浦が拳を握る。


「よっしゃあ!」


「今のいい!」


 田辺も叫ぶ。


 体育館に拍手が響く。


 試合開始わずか数十秒。


 だが、その一本だけで分かる。


 十一組は仕上がっている。


 何度も練習した連携。


 何度も放課後に積み上げた形。


 春樹の視野。


 三浦の突破力。


 紅秋の判断。


 田辺の強さ。


 全部が噛み合っていた。


 なつきは思わず前のめりになる。


「すごい……」


「うん」


 美優も頷いた。


「いい入り方」


 だが。


 相手も特進一組だった。


 蓮がボールを受ける。


 ゆっくり。


 本当にゆっくり前へ出る。


 急がない。


 慌てない。


 まるで周りの時間だけが速いみたいに。


 蓮だけ違うリズムで動いていた。


「来るぞ」


 田辺が構える。


 三浦も前へ出る。


 蓮は笑った。


 そのまま一歩。


 右へ。


 三浦が反応する。


 次の瞬間。


 蓮は左へ抜けていた。


「えっ!?」


 三浦の声。


 歓声。


 ざわめき。


 体育館が揺れる。


 速い。


 というより。


 消えたように見えた。


 蓮はそのままゴール下へ侵入する。


 田辺が立ちはだかる。


 だが。


 シュートではない。


 横。


 外。


 味方。


 パス。


 得点。


 特進一組応援席が歓声を上げた。


「桐谷ー!」


「ナイス!」


「今のやば!」


 なつきも息を飲む。


 今のは何だったのだろう。


 速かった。


 でも、それだけじゃない。


 相手を見て。


 味方を見て。


 一瞬で選んだ。


 春樹と少し似ている。


 でも違う。


 春樹は静かに全体を見る。


 蓮は動きながら全体を見る。


 そんな印象だった。


「上手いでしょ」


 美優が少し誇らしそうに言う。


 なつきは頷いた。


「うん」


 本当に上手い。


 そして。


 少しだけ。


 かっこいいと思った。


 春樹とは違う種類の格好良さ。


 周りを巻き込む明るさ。


 楽しそうにプレーする姿。


 それでも真剣な目。


 だから応援席が盛り上がる。


 試合はそのまま進む。


 十一組が一点。


 特進一組が一点。


 さらに一点。


 さらに一点。


 どちらも譲らない。


 歓声が止まらない。


 ボールが動くたびに声が上がる。


「ナイス!」


「戻れ!」


「いけー!」


 体育館全体が試合に引き込まれていた。


 三浦が走る。


 田辺が押し込む。


 紅秋が繋ぐ。


 春樹が指示を出す。


 特進一組も負けない。


 蓮が流れを作る。


 仲間が応える。


 互角。


 本当に互角だった。


 その時だった。


 蓮が再びボールを持つ。


 三浦が前へ出る。


「今度は抜かれねぇ!」


 蓮が笑った。


「頑張れ」


「煽るな!」


 周囲から笑いが起きる。


 だが次の瞬間。


 蓮が動いた。


 右。


 左。


 身体を沈める。


 浮く。


 切り返す。


 三浦がついていく。


 だが。


 一歩だけ遅れる。


「うわっ!」


 蓮が抜けた。


 歓声。


 その動きは。


 なつきには少し違って見えた。


 バスケなのに。


 どこかサッカーみたいだった。


 足で相手を外すような。


 身体ごと流れを変えるような。


 そんな動き。


 春樹も気づいたらしい。


 視線が蓮へ向く。


 蓮はそのままゴール下まで行き。


 得点。


 そして振り返った。


「どうよ」


 三浦が息を切らしながら言う。


「何だ今の」


 蓮が笑う。


「だから言ったろ」


「何を!」


「バスケも出来るけど」


 一拍。


 体育館の視線が集まる。


 蓮は楽しそうに続けた。


「サッカーの方が得意」


 一瞬。


 沈黙。


 そして。


「今言うなぁぁぁ!!」


 三浦が叫んだ。


 体育館が爆笑に包まれる。


「嘘だろ!」


「サッカーなの!?」


「今の確かに!」


「だから足さばきか!」


 あちこちから声が上がる。


 なつきも思わず笑った。


 美優は額に手を当てている。


「そういうとこある」


「本当なんですか?」


「本当」


 美優は苦笑した。


「昔からサッカーの方が好きだった」


「知らなかった」


「春樹も知ってるよ」


 なつきはコートを見る。


 春樹は少しだけ呆れた顔をしていた。


 でも。


 ほんの少しだけ笑っている。


 蓮らしい。


 そう思っているように見えた。


 試合は続く。


 点差は開かない。


 むしろ。


 さらに激しくなる。


 田辺がゴール下で競る。


 汗が飛ぶ。


 肩がぶつかる。


 三浦が走る。


 紅秋が繋ぐ。


 蓮が崩す。


 春樹が読む。


 互いに引かない。


 そして。


 なつきは気づく。


 春樹が少しずつ前へ出始めている。


 最初は指示中心だった。


 周りを活かしていた。


 でも今は違う。


 蓮がいる。


 だからなのか。


 少しずつ。


 春樹自身が勝負へ行こうとしている。


「大國くん……」


 なつきが小さく呟く。


 春樹がボールを持つ。


 蓮が前へ出る。


 体育館がざわつく。


 来る。


 誰もがそう思った。


 春樹。


 蓮。


 真正面。


 初めての一対一。


 歓声が消える。


 みんな息を止める。


 春樹が動く。


 蓮も動く。


 ぶつかる。


 抜く。


 抜かせない。


 その攻防だけで体育館の温度が上がる。


 なつきの心臓も速くなる。


 春樹が笑っているように見えた。


 本当に少しだけ。


 楽しそうに。


 蓮も同じだった。


 だから分かった。


 これはただの試合じゃない。


 ずっと一緒にいた二人だからできる勝負。


 負けたくない。


 でも。


 相手がいるから楽しい。


 そんな試合だった。


 そして。


 気付けばスコアは並んでいた。


 同点。


 十一組。


 特進一組。


 同点。


 残り時間は少ない。


 体育館の熱気は最高潮へ向かう。


 誰も座っていない。


 応援席の生徒たちも立ち上がっている。


 三浦は息を切らしている。


 田辺の肩も上下している。


 紅秋の額にも汗が浮かぶ。


 蓮は笑っている。


 春樹は静かだ。


 でも。


 目だけが熱い。


 残り時間。


 わずか。


 次の一本で流れが決まる。


 体育館中が、それを理解していた。


 なつきはタオルを握りしめる。


 美優もコートを見ている。


 亜衣も。


 茜も。


 全員が。


 息を呑んでいた。


 そして。


 試合は、最後の勝負へ向かっていく――。



 同点。


 残り時間、わずか。


 体育館の空気は張り詰めていた。


 さっきまで飛び交っていた歓声も、今は少し減っている。


 みんな叫びたい。


 応援したい。


 でも、それ以上に見たいのだ。


 この勝負を。


 最後まで。


 見届けたい。


 十一組。


 特進一組。


 どちらも譲らない。


 どちらも本気だ。


 体育館の熱気が天井近くに溜まり、少し息苦しいほどだった。


 なつきはタオルを握ったまま、コートを見つめていた。


 心臓がうるさい。


 自分が試合をしているわけではない。


 それなのに。


 春樹がボールを持つたびに胸が跳ねる。


 蓮が動くたびに息を飲む。


 応援席の全員が同じだった。


 目が離せない。


 ただ、それだけだった。


 コートでは。


 春樹がボールを持っていた。


 蓮が前へ出る。


 二人の距離は近い。


 けれど近すぎない。


 お互いに、お互いを知っている距離。


 春樹が動く。


 蓮が反応する。


 一歩。


 二歩。


 春樹は無理に抜かなかった。


 視線だけでコートを見る。


 左。


 右。


 田辺。


 紅秋。


 三浦。


 全員の位置を確認する。


「来いよ」


 蓮が笑った。


 春樹は答えない。


 だが。


 次の瞬間。


 春樹が踏み込んだ。


 歓声。


 蓮も動く。


 止める。


 だが。


 春樹は抜かない。


 そのまま横へ。


 パス。


 三浦。


「任せろ!」


 三浦が叫ぶ。


 そのままドリブル。


 突破。


 しかし相手も追う。


 囲まれる。


 だが。


「右!」


 春樹の声。


 三浦が迷わず出した。


 紅秋。


 受ける。


 冷静。


 ワンテンポ。


 さらに田辺。


 ゴール下。


 シュート。


 入る。


「うおおおおお!!」


 十一組応援席が揺れた。


 三浦が拳を振り上げる。


「よっしゃあ!」


 田辺も叫ぶ。


 紅秋も珍しく小さく拳を握った。


 なつきも立ち上がっていた。


「やった!」


 思わず声が出る。


 春樹は小さく息を吐いた。


 その顔に少しだけ笑みが浮かぶ。


 だが。


 まだ終わらない。


 残り時間はある。


 特進一組も諦めていない。


「戻れ!」


 蓮の声。


 全員が走る。


 速い。


 本当に速い。


 さっきまで疲れていたはずなのに。


 誰も足を止めない。


 蓮がボールを受ける。


 コート中央。


 残り時間。


 あと少し。


 蓮がドリブルする。


 一回。


 二回。


 三回。


 春樹が前へ出る。


 体育館が静かになる。


 まただ。


 また二人だ。


 なつきは息を止めた。


 蓮が笑う。


「楽しいな」


 春樹が少しだけ口元を上げた。


「そうだな」


 なつきは目を見開いた。


 春樹が。


 笑った。


 ほんの少し。


 でも確かに。


 楽しそうに。


 その瞬間。


 蓮が動く。


 右。


 左。


 フェイント。


 春樹がついていく。


 抜かせない。


 蓮がさらに踏み込む。


 春樹も離れない。


 歓声。


 悲鳴。


 どよめき。


 体育館全体が揺れる。


 そして。


 蓮が跳んだ。


 シュート。


 高い放物線。


 全員が見上げる。


 リング。


 ボール。


 一瞬の沈黙。


 そして。


 ぱさっ。


 入った。


 特進一組応援席が爆発する。


「桐谷ー!」


「うおおおお!」


「ナイス!」


 同点。


 再び。


 同点。


 三浦が頭を抱える。


「マジかよ!」


 田辺も笑ってしまう。


「入れやがった!」


 紅秋が息を吐いた。


「すごい」


 春樹は何も言わなかった。


 ただ。


 蓮を見ていた。


 蓮も笑う。


 楽しそうに。


 本当に楽しそうに。


 なつきは思った。


 この二人。


 ずっとこうだったのかもしれない。


 小学校も。


 中学校も。


 勝ったり負けたり。


 競ったり。


 笑ったり。


 そうやって一緒に育ってきたのかもしれない。


 少しだけ。


 羨ましかった。


 その距離が。


 その時間が。


 でも。


 今は見ていられる。


 前よりも。


 ちゃんと。


 残り時間。


 あと十数秒。


 最後の攻撃。


 十一組ボール。


 三浦が受ける。


 春樹を見る。


 田辺を見る。


 紅秋を見る。


 全員が動く。


 春樹も走る。


 歓声。


 応援。


 叫び声。


 全部が重なる。


 そして。


 最後。


 春樹がボールを受けた。


 コート中央。


 蓮が前にいる。


 残り時間はない。


 ここで決まる。


 誰もがそう思った。


 なつきも。


 美優も。


 亜衣も。


 茜も。


 全員が。


 春樹を見る。


 春樹は。


 蓮を見る。


 そして。


 ほんの一瞬。


 視線を外した。


 右。


 三浦。


 空いている。


 パス。


 三浦が受ける。


「えっ!?」


 応援席から声が漏れた。


 春樹じゃない。


 三浦。


 だが。


 三浦は迷わなかった。


 春樹が出した。


 だから打つ。


 それだけだった。


 シュート。


 高く。


 高く。


 そして―――


 リングに当たった。


 一回。


 二回。


 三回。


 全員が見上げる。


 落ちる。


 外れた。


 同時に。


 試合終了の笛。


 ピーーーーーーッ!


 体育館が静まり返った。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ。


 そして。


 特進一組応援席から歓声が上がる。


 勝者。


 特進一組。


 一点差。


 たった一点。


 たったそれだけ。


 十一組は負けた。


 なつきは思わず息を吐いた。


 悔しい。


 自分が試合をしていないのに。


 悔しい。


 でも。


 それ以上に。


 すごかった。


 そう思った。


 三浦は膝に手をついている。


「くそぉぉぉ」


 田辺も天井を見上げる。


「惜しい」


 紅秋は静かに息を吐いた。


 春樹は。


 笑っていた。


 悔しそうだった。


 でも。


 笑っていた。


 蓮が近付く。


「惜しかったな」


「そうだな」


「最後、お前なら打つと思った」


 春樹は少しだけ肩をすくめた。


「三浦が空いてた」


 三浦が顔を上げる。


 目を丸くしている。


「春樹……」


「任せた」


「外したけど!」


「惜しかった」


「うわぁぁぁ!」


 三浦が頭を抱える。


 周囲が笑う。


 蓮も笑う。


 春樹も少し笑う。


 それを見て。


 なつきの胸が温かくなった。


 勝負は終わった。


 勝ったのは蓮。


 負けたのは春樹。


 でも。


 どちらも負けていない気がした。


 そんな試合だった。


 そして。


 二人は自然に拳を合わせた。


 小さく。


 静かに。


 でも確かに。


「またな」


 蓮が言う。


「うん」


 春樹が答える。


 それだけ。


 それだけなのに。


 体育館の空気が少しだけ柔らかくなる。


 なつきはその光景を見ていた。


 胸の奥が温かい。


 少し悔しい。


 でも。


 それ以上に。


 素敵だと思った。


 そんな時だった。


 なつきが春樹のところへ行こうと立ち上がった瞬間。


 体育館入口。


 一人の女子生徒が立っていた。


 特進科の制服。


 長い黒髪。


 静かな瞳。


 そして。


 迷いなく春樹を見ている。


 その姿に。


 美優が小さく目を見開いた。


「……あ」


 蓮も気づく。


 春樹も。


 振り返る。


 女子生徒は少しだけ息を整え。


 そして。


 春樹へ向かって歩き出した。


「大國くん」


 静かな声。


 でも。


 なつきの耳には、はっきり届いた。


 知らない女の子。


 でも。


 春樹を知っている声だった。


 なつきの胸が、少しだけざわついた。


 そして。


 球技大会の熱気が残る体育館に。


 新しい風が吹き始めようとしていた―――。

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