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『君の隣を目指して』  作者: 伊佐波瑞樹


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第34話 同じコートの先に



 テスト返却のざわめきが、ようやく少し落ち着き始めた頃だった。


 二年十一組の教室には、どこか気の抜けたような空気が流れていた。


 中間テストが終わった。


 返却も始まった。


 泣いた者もいる。


 笑った者もいる。


 机に突っ伏した者もいれば、答案を何度も見直して小さく拳を握った者もいた。


 横田なつきは、そのどれもを少しずつ経験した気がしていた。


 簿記の点数が上がった。


 春樹に報告した。


 図書室で褒めてもらった。


 新しい本も借りた。


 その余韻は、まだ胸の奥に残っている。


 朝、教室へ入る時も、鞄の中に入っている本の重さを少しだけ意識した。


 ただの本なのに。


 大國くんが選んでくれた本。


 そう思うだけで、いつもの通学路も少し違って見えた。


 でも。


 学校という場所は、いつまでもひとつの余韻に浸らせてはくれない。


 テストが終われば、次の行事がやってくる。


 返却が落ち着けば、次のざわめきが教室を満たす。


 それが高校生活なのかもしれない。


 その日の六時間目。


 ホームルームの時間。


 担任が教室へ入ってきた時、二年十一組はいつも通りの緩いざわめきの中にあった。


 三浦圭が前の席で、返却された数学の答案をまだ裏返したまま封印している。


 伊藤亜衣がそれを見て笑っている。


 遠山茜は配布プリントをきちんと机の端に揃えている。


 板倉紅秋は静かにノートを閉じている。


 大國春樹は、窓際で本をしまっていた。


 その姿を、なつきは気づけば少しだけ見ていた。


 春樹が本を閉じる動き。


 机の中へしまう手。


 何でもない動作なのに、目が追ってしまう。


「なつき」


 隣から茜の声。


「はい」


「顔」


「え?」


「見てた」


「……見てない」


「嘘が下手」


 なつきは頬を押さえた。


 亜衣が反対側から小声で笑う。


「なつき、テスト終わってから分かりやすさ増したよね」


「増してないよ」


「増した」


「増してない」


「大國くんに褒められたから?」


「亜衣ちゃん!」


 思わず声が少し大きくなり、前の席の三浦が振り返った。


「何? 褒められた?」


「何でもない!」


「横田が焦ってる」


「三浦くん、前見て」


 茜が即座に言う。


「はい」


 三浦は素直に前を向いた。


 そのタイミングで担任が教卓に立つ。


「はい、静かに」


 声がかかると、教室のざわめきが少しずつ引いていった。


 担任は出席簿を置き、黒板の横に貼られた年間行事予定をちらりと見る。


 それから、少しだけ楽しそうに言った。


「中間考査も終わったので、次の行事の話をします」


 教室の空気が変わった。


 テスト返却の話ではない。


 課題の話でもない。


 行事。


 その言葉だけで、何人かの男子が顔を上げる。


 三浦は露骨に目を輝かせた。


「球技大会です」


 担任がそう言った瞬間。


 二年十一組の教室は、一気にざわついた。


「来た!」


「球技大会!」


「何やんの?」


「サッカーある?」


「バスケある?」


「女子は?」


「テニスしたい!」


「バレーじゃね?」


 声があちこちから飛ぶ。


 テストの時とは違うざわめき。


 返却の時とは違う熱。


 教室の温度が、少しだけ上がったようだった。


 なつきは思わず背筋を伸ばす。


 球技大会。


 体育祭ほど大きな行事ではない。


 でも、クラス対抗で種目ごとに競う、梅桜高校の恒例行事らしい。


 一年生の時にもあった。


 ただ、その時のなつきは、あまり目立たないように参加していた。


 運動が得意な方ではない。


 ボール競技は特に、少し苦手意識がある。


 体育の授業で春樹のバスケを見ていて、ボールを顔面に当てた記憶がまだ新しい。


 思い出しただけで、少し恥ずかしくなる。


「種目は、男子がバスケとフットサル。女子がバスケとテニス」


 担任がプリントを配りながら言った。


 女子バスケ。


 なつきの胸が、少しだけ鳴った。


 バレーではない。


 テニスもある。


 でも、バスケもある。


 バスケ。


 春樹が出るかもしれない種目。


 いや、男子はバスケとフットサルだから、春樹がどちらを選ぶかはまだ分からない。


 でも、前に体育で見た春樹の動きは、明らかにバスケ向きだった。


 走る。


 パスを出す。


 シュートを決める。


 目立とうとしていないのに、自然と目を引く。


 あの時の姿を思い出して、なつきは少しだけ頬が熱くなる。


 亜衣が横から小声で言った。


「なつき、今バスケって聞いて反応したでしょ」


「してない」


「した」


「してない」


 茜が静かにプリントを見ながら言う。


「男子バスケ、大國くん出そうね」


 なつきは返事に詰まった。


「……出そう、だね」


「見たい?」


「え」


 亜衣がにやにやする。


「見たいよね?」


「それは……クラスの応援として」


「はいはい」


「亜衣ちゃん」


 担任が黒板に種目を書いていく。


 男子バスケ。


 男子フットサル。


 女子バスケ。


 女子テニス。


 クラス内で希望者を取り、人数調整をして出場者を決めるらしい。


「バスケとフットサルは同時間帯になる場合があります。女子種目も同様です。応援に行く人は、タイムテーブルを後で確認してください」


 同時間帯。


 その言葉が、なつきの胸に少し引っかかった。


 男子バスケとフットサルが被る。


 つまり、島中がフットサルに出て、春樹がバスケに出た場合。


 両方を見ることは難しいかもしれない。


 なつきがぼんやり考えていると、前方で男子たちの声が大きくなった。


「俺フットサル!」


「俺も!」


「島中はフットサルだろ?」


 島中良が椅子にもたれながら笑った。


「まあ、フットサルかな」


「島中、サッカーできるもんな」


「できるってほどじゃねぇけど」


 そう言いながらも、島中の声には自信があった。


 島中は運動ができる。


 陽キャグループの中心で、そういう場面では自然に目立つ。


 フットサルを選ぶのも納得だった。


 一方で、三浦はすぐに手を上げた。


「俺バスケ!」


「三浦はバスケっぽい」


 亜衣が言う。


「俺のスピードが火を噴く」


「体育館で火を噴かないで」


 茜が返す。


 田辺守も腕を組みながら言った。


「俺もバスケかな。フットサルよりバスケの方が体使えるし」


「田辺、リバウンド強そう」


 三浦が言う。


「任せろ」


 紅秋は少し考えてから言った。


「僕もバスケでいい」


「板倉も?」


「人数的に必要なら」


「紅秋はパス回し上手そうだな」


 春樹がぽつりと言った。


 紅秋は少しだけ春樹を見る。


「春樹は?」


「バスケ」


 短い返事だった。


 なつきの胸が、はっきり跳ねた。


 やっぱり。


 春樹はバスケ。


 三浦、紅秋、田辺、春樹。


 男子バスケ。


 その並びが決まっただけで、なつきの中に小さな期待が膨らんでいく。


 見たい。


 今度は、ちゃんと見たい。


 前みたいにボールを顔面に受けるのではなく。


 春樹の試合を、ちゃんと応援したい。


 その気持ちが、思っていたより強かった。


「大國もバスケか」


 島中の声がした。


 少し離れたところから、春樹を見る。


「まあ、頑張れば?」


「うん」


 春樹は淡々と返した。


 島中は軽く笑う。


「俺はフットサルで点取るわ」


「そう」


「反応薄いな」


「頑張って」


「……おう」


 春樹は本当にただ応援しただけのようだった。


 でも島中は、どこか面白くなさそうに見える。


 春樹は張り合ってこない。


 それが島中にとっては、いつも少し苛立つのだろう。


 なつきはその空気に気づき、少しだけ緊張した。


 でも、すぐに女子側の話が始まる。


「女子はどうする?」


 茜がプリントを見ながら言った。


「バスケとテニス」


 亜衣は迷わず言う。


「バスケやりたい」


「亜衣ちゃん、即答」


「テニスも楽しそうだけど、バスケの方が盛り上がりそうじゃん」


「私は……テニスかなぁ」


 なつきは小さく言った。


 運動が苦手な自覚がある。


 バスケはボールが速い。


 走る。


 ぶつかる。


 シュートも難しい。


 テニスも簡単ではないが、バスケよりは何とかなる気がした。


 すると亜衣がすぐに顔を近づけた。


「なつき、バスケやろうよ」


「えっ」


「一緒に」


「私、バスケ苦手だよ」


「知ってる」


「知ってるのに?」


「だから練習する」


 なつきが困っていると、茜がプリントを確認しながら言った。


「人数を見る限り、バスケの方が足りなさそうね」


「茜ちゃんまで」


「私はバスケでもテニスでもどちらでもいい」


「茜ちゃん、運動もそこそこできるもんね」


「得意ではないけど、ルールを守って動くことはできる」


「それがすごい」


 亜衣が笑う。


「なつき、バスケ一緒にやろ」


「でも……」


 なつきは視線を泳がせる。


 バスケ。


 同じ体育館。


 男子バスケ。


 春樹。


 教え合い。


 もし、練習で春樹に少しだけ教えてもらえたら。


 そんな考えが浮かんで、慌てて頭の中で消そうとした。


 でも、消えない。


 むしろ大きくなる。


 春樹にバスケを教えてもらう。


 勉強を教えてもらった時とは違う距離。


 体育館。


 ボール。


 汗。


 シュート。


 想像しただけで、胸が忙しくなる。


「なつき?」


 亜衣が覗き込む。


「今、何か想像した?」


「してない」


「した顔」


「してない」


 茜が静かに言う。


「大國くんもバスケだから?」


「茜ちゃん!」


 声が大きくなり、近くの女子が振り返る。


 なつきは慌てて口を押さえた。


 亜衣が肩を震わせて笑っている。


「なつき、分かりやすい」


「もう……」


「でも、いいじゃん。苦手でも練習すればいいし」


「うん」


「前みたいにボール顔面は避けよう」


「それ言わないで」


「ごめん。でも今回はちゃんと見よう。大國くんじゃなくてボール」


「う……」


 亜衣の言葉に、なつきは何も言えなかった。


 その通りすぎる。


 春樹を見るのも大事。


 でも、自分の試合ではボールを見なければいけない。


 茜が少しだけ口元を緩める。


「なつき、バスケにしなさい」


「命令?」


「提案」


「提案に聞こえない」


「人数も必要だし、練習すれば少しはできるようになるわ」


「少しは?」


「最初から活躍しようとしなくていい」


 その言葉に、なつきは少しだけ肩の力を抜いた。


 活躍しなくてもいい。


 最初からうまくなくてもいい。


 テストの時もそうだった。


 最初から完璧ではなかった。


 問題文を最後まで読むところから始めた。


 バスケも、もしかしたら同じなのかもしれない。


 いきなりシュートを決めなくてもいい。


 ボールを取る。


 パスを出す。


 走る。


 できることから。


「……じゃあ、バスケにする」


 なつきが言うと、亜衣が嬉しそうに手を叩いた。


「よし!」


「本当に大丈夫かな」


「大丈夫。私と茜がいる」


「頼もしい」


「あと、男子バスケ勢に教えてもらうのもあり」


 亜衣がわざとらしく言った。


 なつきは顔が熱くなる。


「亜衣ちゃん」


「誰とは言ってない」


「言ってるようなものだよ」


 茜が静かに言う。


「練習は必要ね。女子だけでも昼休みに少しやりましょう」


「うん」


 なつきは頷いた。


 怖いけれど、少し楽しみだった。


 種目決めは、思ったよりも早く進んだ。


 男子バスケには春樹、三浦、紅秋、田辺を中心に数人。


 男子フットサルには島中と陽キャグループの男子数人。


 女子バスケにはなつき、茜、亜衣を含む女子数人。


 女子テニスには運動部の女子や、バスケよりテニスがいいという生徒が入った。


 黒板に名前が並んでいく。


 自分の名前が「女子バスケ」の欄に書かれた瞬間、なつきは少しだけ背筋が伸びた。


 横田なつき。


 女子バスケ。


 そこに自分の名前がある。


 もう逃げられない。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 ホームルームが終わった後も、教室は球技大会の話で盛り上がっていた。


「フットサル、絶対勝つわ」


 島中が男子たちと笑っている。


「相手、スポーツ特待とか来たら終わるけどな」


「いや、うちもいけるっしょ」


「島中いるし」


「まあ、点は取る」


 その声は自信に満ちている。


 一方で三浦は、バスケメンバーを集めてやけに張り切っていた。


「作戦会議しようぜ!」


「まだ早い」


 紅秋が言う。


「早くない。勝つには準備が必要」


「それは正しいけど、まずルール確認」


「板倉が真面目」


「球技大会だからね」


 田辺はボールを持っているわけでもないのに、リバウンドの動きをしていた。


「俺、ゴール下な」


「田辺はそこだよな」


 三浦が頷く。


「春樹は?」


「空いてるところ」


「ざっくり」


「必要なところ」


「春樹らしい」


 春樹はいつも通りだった。


 けれど、バスケの話になると、少しだけ雰囲気が違う気がした。


 目立つつもりはない。


 でも、ちゃんと考えている。


 コートの中で何をするか。


 誰がどこにいるか。


 そういうことを、自然に見ているような静かさだった。


 なつきはそれを見て、また少し胸が高鳴る。


 その時だった。


「横田」


 島中の声。


 なつきは肩を少しだけ固くした。


 振り返ると、島中が近づいてきていた。


 いつもの笑顔。


 でも、どこか自信ありげな顔。


「なに?」


「球技大会、俺フットサル出るからさ」


「うん」


「応援来いよ」


 予想していなかったわけではない。


 でも、実際に言われると、なつきは少し困った。


 応援。


 フットサル。


 島中。


 男子バスケ。


 春樹。


 タイムテーブルがどうなるかはまだ分からない。


 でも、もし被ったら。


 なつきは、春樹の試合が見たい。


 その気持ちははっきりしていた。


「時間が合えば」


 なつきはそう答えた。


 曖昧に。


 すると島中は少し笑った。


「時間合わせればいいじゃん」


「え?」


「俺の試合、見に来いって」


 少し強い言い方だった。


 亜衣が横からすぐに入る。


「島中、まだタイムテーブル出てないじゃん」


「だから出たら来ればいいって話」


「なつきも女子バスケあるし」


「終わってからでよくね?」


 茜が静かに言った。


「男子バスケとフットサルは同時間帯になる場合があると先生が言っていたわ」


 島中は茜を見る。


「遠山、細かいな」


「大事なことだから」


「まあ、被ったら?」


 島中はなつきへ視線を戻す。


「俺の方来いよ」


 その言葉に、なつきの胸が少し冷える。


 冗談のようで、冗談に聞こえない。


 自分の方へ来るのが当然。


 そう思っているような声。


 なつきは言葉を探した。


 困っていると、三浦が明るく割って入った。


「島中、フットサルはフットサルで観客いるだろー」


「三浦には聞いてない」


「俺は男子バスケ宣伝部長だからな」


「何それ」


「女子バスケメンバーは男子バスケも応援に来てほしい」


「は?」


 三浦は笑っている。


 でも、その笑い方は少しだけ空気を変えるためのものだった。


「だって同じバスケ組じゃん。女子も男子も」


 その言葉に、なつきは少し救われた。


 同じバスケ組。


 なつきが春樹の試合を見たい理由を隠すための、ちょうどいい言葉。


 亜衣もすぐに乗った。


「そうそう。私たち女子バスケだし、男子バスケも見たいよね」


「ね、なつき」


「うん」


 なつきは頷いた。


 島中の顔が少しだけ固くなる。


「ふーん」


 その声は、納得していない。


「大國の応援?」


 なつきの心臓が跳ねた。


 言葉にされると、息が詰まる。


 周りの空気も少しだけ変わる。


 春樹は少し離れたところで、こちらを見ていた。


 聞こえているかもしれない。


 なつきは顔が熱くなりそうになる。


 でも、ここで黙ると余計に変になる。


「クラスの応援」


 なつきは言った。


「男子バスケも、女子バスケも、フットサルも」


 自分でも少し驚くほど、ちゃんと言えた。


 島中は目を細める。


「優等生みたいな答え」


「何それ」


 亜衣がすぐに返す。


「普通でしょ」


「まあいいけど」


 島中は肩をすくめた。


「とりあえず、俺の試合も見に来いよ」


 それだけ言って、島中は自分のグループへ戻っていった。


 なつきは小さく息を吐いた。


 思ったより緊張していた。


 手のひらが少し汗ばんでいる。


「なつき、大丈夫?」


 亜衣が聞く。


「うん」


「今の、よく言えたわよ」


 茜が言った。


「そうかな」


「クラスの応援。いい返しだった」


 三浦も頷く。


「俺の男子バスケ宣伝部長もよかっただろ」


「それは助かった」


 亜衣が言う。


「お、褒められた」


「調子に乗らない」


「はい」


 なつきは少し笑った。


 笑えたことで、胸の緊張が少しだけほどける。


 でも、島中の言葉はまだ少し残っていた。


 大國の応援?


 そう聞かれた瞬間、否定しきれなかった自分がいる。


 実際、春樹を見たい。


 応援したい。


 それは本当だった。


 でも、それを島中に言う必要はない。


 まだ、誰にでも言えることではない。


 放課後。


 黒板の球技大会種目表は、まだ消されずに残っていた。


 女子バスケの欄に、自分の名前。


 男子バスケの欄に、春樹の名前。


 同じ「バスケ」という文字の中に並んでいるわけではないのに、なつきにはそれが少し特別に見えた。


 鞄を持って帰る準備をしていると、春樹が近くを通った。


 なつきは反射的に声をかけそうになり、少し迷う。


 でも、今日の図書室でのことを思い出した。


 頑張ってたから。


 春樹は、なつきの努力を見てくれた。


 なら、今度は自分も。


 春樹のバスケを、ちゃんと応援したい。


「大國くん」


 声をかけると、春樹が立ち止まった。


「うん」


「あの」


「何?」


「バスケ、出るんだね」


「うん」


「すごそう」


「まだ何もしてない」


「でも、体育の時、上手だったから」


 言ってから、なつきは少し照れた。


 見ていたことが伝わってしまう。


 いや、前にボール顔面事件があったから、見ていたことはもう知られているかもしれない。


 春樹は少しだけ考えて言った。


「横田さんもバスケ?」


「うん。たぶん、足引っ張るけど」


「たぶん?」


「かなり?」


「練習すればいい」


「うん」


 そこで会話が終わりそうになった。


 でも、春樹はもう一言続けた。


「シュート、教えようか」


 なつきの時間が止まった。


 教えようか。


 シュートを。


 春樹が。


 なつきに。


「え」


 声が小さく出る。


 春樹は普通の顔で言った。


「昼休みとか、体育館使えるなら」


「いいの?」


「うん」


「大國くん、男子の練習もあるでしょ?」


「少しなら」


 なつきの胸が、一気に熱くなる。


 少しなら。


 その言葉が、今のなつきには十分すぎた。


 春樹にバスケを教えてもらえる。


 勉強の次は、バスケ。


 また一つ、春樹との時間ができる。


「あ、ありがとう」


「うん」


「私、本当に下手だけど」


「最初はそんなもの」


「ボール顔面に当てるけど」


「それは避けよう」


 春樹が真面目に言う。


 なつきは思わず笑ってしまった。


「うん。避けたい」


「ボールを見る」


「はい」


 それは、亜衣にも言われたことだった。


 でも春樹に言われると、また違う。


 緊張するのに、嬉しい。


 怖いのに、楽しみ。


「じゃあ」


 春樹が言った。


「タイミング合ったら」


「うん」


 春樹は短く頷き、自分の席へ戻っていった。


 なつきはその場に少しだけ立ち尽くした。


 胸が、うるさい。


 うるさすぎる。


 後ろから亜衣がそっと近づいてきた。


「聞いた?」


「……聞いた」


「シュート教えてくれるって?」


「うん」


「なつき」


「何?」


「生きてる?」


「ぎりぎり」


 亜衣は吹き出した。


 茜も近づいてくる。


「良かったわね」


「うん」


「ただし」


「ただし?」


「本当に練習するのよ。見惚れるだけじゃなく」


「……はい」


 なつきは頷いた。


 それは本当に大事だった。


 春樹に教えてもらう。


 嬉しい。


 でも、それだけではだめだ。


 球技大会は、自分も出る。


 自分も頑張る。


 テストの時と同じように。


 今度はコートで。


 ふと、なつきは黒板を見る。


 女子バスケ。


 男子バスケ。


 フットサル。


 テニス。


 まだ始まってもいない球技大会が、急に楽しみになっていた。


 不安もある。


 島中のこともある。


 美優や蓮がどう関わってくるかも、まだ知らない。


 春樹のバスケを見た時、自分がどうなるのかも分からない。


 でも。


 今はただ、胸が高鳴っている。


 新しい行事。


 新しい練習。


 新しい春樹。


 そして、自分が少しずつ前へ進めるかもしれない時間。


 なつきは鞄を肩にかけた。


 廊下へ出る前に、もう一度だけ春樹の方を見る。


 春樹は紅秋と短く何かを話していた。


 バスケのことだろうか。


 その横顔を見て、なつきは小さく拳を握った。


 応援したい。


 でも、見ているだけじゃなくて。


 自分も頑張りたい。


 球技大会編は、こうして始まった。

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