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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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200/201

第200話 君の隣を目指して



 正式設置の移行確認期間、最終日の朝。


 梅桜高校の上には、雲一つない青空が広がっていた。数日前まで空に残っていた薄い雲も消え、朝の光が校舎の窓へまっすぐ差し込んでいる。中庭の木々は弱い風を受けて揺れ、葉の隙間からこぼれた光が地面の上でゆっくり形を変えていた。


 特別な日に見えるほど、学校は静かではない。


 昇降口では、今日提出するはずだった課題を忘れた男子生徒が友人へ必死に言い訳をしている。その近くでは朝練を終えた女子生徒たちが髪を直しながら笑い、階段へ続く廊下では教師が走り出した一年生を呼び止めていた。購買へ急ぐ生徒もいれば、眠そうな顔で欠伸をしながら教室へ向かう生徒もいる。


 いつもの朝だった。


 十一組ラボにとって大きな一区切りの日でも、学校全体から見れば、今日も昨日の続きとして始まっている。


 なつきは昇降口で上履きへ履き替えると、鞄を肩へ掛け直した。


 今日で、第二実習室への案内について続けてきた移行確認期間が終わる。


 放課後には学校側から正式な管理移行完了の報告を受ける予定になっていた。その後、十一組ラボだけで、この案内について最後のおかえり会をする。


 正式設置活動としては、今日で一区切り。


 五日前にその日を自分たちで決めた時より、今朝の方がずっと現実味があった。


 それでも、なつきの足は中央棟二階の案内へ向かわなかった。


 もう、朝確認のために見に行く必要はない。


 学校側が確認する。状態に異常があれば記録され、必要なら十一組ラボへ届く。それが特別な試みではなく、学校の日常として動き始めている。


 以前なら、見に行かないことそのものに少し罪悪感があった。自分たちが作ったのだから、自分たちが見なければならないような気がしていた。


 今は違う。


 見に行かなくても、あると知っている。


 誰かへ渡したからこそ、そこから離れられる。


 その感覚が、残りの日々の中で少しずつ身体へ馴染んでいた。


「おはよう」


 階段の手前で声がして振り返ると、春樹が立っていた。


「おはよう」


「今日だね」


「うん」


 それだけで、何の話か分かる。


 春樹も一度だけ中央棟の奥へ目を向けたあと、なつきの隣へ並んだ。


「春樹、歩いた?」


 最終日までに、一人ずつ利用者として案内を使う。数日前、茜の提案で決めたことだった。


「昨日」


「どうだった?」


「まだ言わない」


「何で?」


「最終おかえり会で話すって決めたでしょう」


「真面目」


「なつきも詳しく言ってない」


「普通だった、とは言った」


「それ以上は?」


「秘密」


「同じじゃん」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 なつきが案内を一人で歩いたのは、一区切りの日を決めた日の放課後だった。


 記録用紙も、観察者もいない。どこへ視線を向けたかを気にせず、ただ青い案内を見て、分かれ道を曲がり、第二実習室へ着いた。


 感想は、本当に「普通」だった。


 けれど、その普通が嬉しかった。


 何度も条件を変え、試し、迷い、戻った先にあったものが、利用者に感動してもらうための案内ではなく、「特に困らず目的地へ着ける」という日常だった。


 それが、今のなつきにはとても十一組ラボらしく思えた。


「今日、寂しい?」


 春樹が尋ねた。


 なつきはすぐに答えず、階段を一段ずつ上がりながら自分の中を確かめた。


「寂しいよ。でも、前みたいに終わらないでって思ってない」


「うん」


「終わっていいと思ってる」


 口にすると、胸の奥が少しだけ熱くなった。


 五日前に決めた言葉を繰り返しているのではない。今朝の自分が、本当にそう感じている。


「春樹は?」


「僕も。終わってほしくないっていうより、ちゃんと終わらせたい」


「何か変な感じだね」


「何が?」


「終わらせたいって言ってるのに、嫌じゃない」


 春樹は少し考え、窓の外へ目を向けた。


「続くものが分かったからじゃない?」


「案内?」


「それも。十一組ラボも」


 春樹は一度言葉を止めた。


「僕たちも」


 なつきは少し笑った。


「それ、今日最後にもう一回聞こうかな」


「何を?」


「本当に続ける予定あるのって」


「朝から確認する?」


「大事だから」


「ある」


 返事が早かった。


 なつきは思わず春樹を見る。


「早い」


「前にも答えた」


「今日は最終日だから変わってるかもしれない」


「変わってない」


 春樹は少し照れたように目を逸らしたが、声ははっきりしていた。


「良かった」


「なつきは?」


「ある」


「早い」


「真似した」


 二人はまた笑った。


 恋人になったからといって、未来の正解が分かったわけではない。卒業後にどうなるのかも、いつまで今と同じように会えるのかも、まだ決まっていない。


 それでも、分からないままで「続けたい」と言える。


 以前のなつきなら、続く保証を探したかもしれない。


 今は、保証よりも、こうして言葉を交わせることの方を信じたいと思えた。


 教室の前で別れる時、なつきは何となく春樹を呼び止めた。


「春樹」


「何?」


「放課後ね」


「うん」


「最後のおかえり会、ちゃんと来てね」


「行くよ」


「知ってる」


「じゃあ何で言ったの」


「言いたかっただけ」


 春樹は少し困ったように笑い、それから小さく頷いた。


「なつきもね」


「行く」


 それぞれの教室へ入る。


 いつもの朝だった。


 けれど今日は、その「いつも」が少しだけ大切に見えた。


 終わりを意識すると、今まで当たり前だった時間へ輪郭が生まれる。


 それは寂しさだけではなかった。


 ここまで普通に続いてきた時間を、ようやく自分で見つけられるようになったということでもあった。


     ◇


 午前の授業は驚くほど普通に進んだ。


 教師の説明を聞き、ノートを取り、指名されれば答える。休み時間には友人の話へ混ざり、次の授業の準備をする。


 十一組ラボのことばかり考えていた時期には、授業中でも案内の文字や色が頭から離れないことがあった。利用者から届いた一枚の意見が気になり、次の休み時間まで待つことさえ難しかった日もある。


 今は、放課後に大切な時間が待っていると分かっていても、目の前の授業へ戻れる。


 考える場所がある。


 話せる人がいる。


 今すぐ答えを出さなくてもいい。


 それを知ったことで、なつきの日常は少し広くなった。


 三時間目と四時間目の間。


 前の席の女子生徒が振り返った。


「今日なんだっけ?」


「何が?」


「案内のやつ。最後の日」


 以前、学校側だけの朝確認について話した相手だった。


「移行確認は今日まで」


「じゃあ、本当に卒業?」


 なつきは少し笑った。


「案内から?」


「うん」


「今日、みんなで一区切りにする」


「寂しい?」


「寂しい」


「でも嬉しそう」


「それもある」


 女子生徒は少し考えたあと、何でもないことのように言った。


「じゃあ卒業でいいじゃん」


「まだ言う?」


「だって、嫌で辞めるんじゃないんでしょう」


「うん」


「できるようになったから離れるんじゃん」


 なつきは少しだけ目を見開いた。


 できるようになったから離れる。


 学校側だけで管理できるようになった。


 案内が自分たちなしでも続けられるようになった。


 だから毎朝そこにいなくていい。


「それ、良いかも」


「何が?」


「卒業って言い方」


「やっと認めた」


「でも十一組ラボは卒業しない」


「細かい」


「大事」


 女子生徒が笑ったところで、次の授業を知らせるチャイムが鳴った。


 なつきはノートを開きながら、今の言葉を胸の中で繰り返した。


 できるようになったから離れる。


 離れることは、見捨てることではない。


 必要なくなることとも違う。


 任せられるようになった。


 そのことを認める。


 それが今日、自分たちがしようとしていることなのかもしれない。


     ◇


 昼休み。


 十一組ラボの教室へ入ると、全員がいつもより早く集まっていた。


 机の中央には、学校共有用の正式ファイルと、十一組ラボで保存する記録ファイルが並んでいる。以前は試作品や素材、意見用紙、比較記録が机いっぱいに広がっていたが、今は驚くほどすっきりしていた。


 減った。


 でも、なくなったわけではない。


 必要なものへ形を変えた。


 それを昨日までの整理で、全員が少しずつ理解している。


「全員歩いた?」


 島中が開口一番に尋ねた。


「感想は最終おかえり会まで秘密じゃなかった?」


 美優が笑う。


「歩いたかどうかくらい良いだろ」


「私は歩いた」


 茜が答える。


「僕も」


 蓮が頷いた。


 美優、田辺、紅秋も続き、春樹となつきも手を上げた。


 最後に島中が自分を指す。


「俺も」


「じゃあ全員」


 紅秋が確認した。


「感想は放課後ね」


「分かってる」


 島中はそう言いながらも、明らかに話したそうだった。


 田辺が横から見る。


「今言うなよ」


「言わない」


「顔が言ってる」


「最近みんな顔で判断しすぎ」


「お前が分かりやすい」


 いつものやり取りに笑いが起きた。


 その笑い声を聞きながら、なつきは少し不思議な気持ちになる。


 最後の日だからといって、急に全員がしんみりするわけではない。


 島中は島中で、田辺は田辺だ。


 茜も、美優も、蓮も、紅秋も、春樹も。


 いつものまま。


 だから良かった。


「昼は特に作業なし」


 紅秋が言った。


 島中が驚いた顔をする。


「本当に?」


「学校側の最終確認は放課後。資料も全部渡してある」


「じゃあ何する?」


「ご飯食べる」


「十一組ラボなのに?」


「昼休みだから」


 田辺が即答した。


 美優が笑いながら島中を見る。


「何かしないと落ち着かない?」


 島中は少し考え、机の上にある二冊のファイルへ目を向けた。


「前ならそうだったかも。でも今日は、何もしなくて良い気がする」


 その返事に、誰も大げさな反応はしなかった。


 ただ田辺だけが少し笑った。


「ようやく休めるな」


「お前、俺を何だと思ってる」


「進行役じゃないのに進める人」


「悪口?」


「半分」


 笑いが広がった。


 昼休みの教室では、その後、本当に案内の話をほとんどしなかった。


 昨日の授業。


 購買で売り切れていたパン。


 次の小テスト。


 部活動。


 教師の妙な口癖。


 島中がデザートを忘れ、田辺のプリンを狙って断られる。


「一口」


「嫌だ」


「友達だろ」


「だから何」


「正式設置活動最終日だぞ」


「俺のプリンと何の関係がある」


「最終日の思い出として」


「お前の思い出に俺のプリンを使うな」


 茜が笑い、美優も「活動は終わっても食欲は終わらないんだね」と追い打ちをかける。


「終わらせる予定ない」


 島中が返す。


 春樹が小さく笑った。


「どこかで聞いた」


 なつきも春樹を見る。


「私たちの話?」


「多分」


「島中に取られた」


「食欲に使われたけど」


 二人で笑う。


 八人の声が教室へ重なる。


 この時間も残る。


 何か大きな決定をしたわけでも、重要な意見が届いたわけでもない。


 ただ同じ場所で昼食を食べ、くだらない話をして笑う。


 それでも、十一組ラボにとっては十分な時間だった。


 何もない日に集まってもいい。


 そう言える場所になった。


 活動がなくても、ここへ来る理由がある。


 それは、案内を正式設置できたことと同じくらい、なつきにとって大きな変化だった。


     ◇


 午後の授業が終わった。


 帰りのホームルームが済むと、教室には椅子を引く音や鞄のファスナーを閉める音が重なり、部活動へ急ぐ生徒たちが次々に廊下へ出ていった。


 なつきも鞄を持って教室を出る。


 十一組ラボへ向かう途中、中央棟二階の最初の青い案内が見えた。


 今日は立ち止まらない。


 それでも自然に目が向く。


 青い丸。


 大きな矢印。


 第二実習室。


 数人の生徒がその前を通る。


 一人は案内へ目を向け、そのまま右へ曲がった。もう一人は前を歩く友人についていき、案内そのものはほとんど見なかった。


 誰も十一組ラボを探さない。


 誰も「この案内を作った人は誰だろう」と考えていないように見える。


 それでいい。


 なつきは、今ならそう思える。


 ラボの教室へ入ると、紅秋と美優が先に来ていた。


 その後、蓮、茜、田辺、島中、春樹が集まる。


 八人が揃ったところで、担当教師と施設管理担当の職員が教室へ入ってきた。


 島中がわずかに姿勢を正す。


 その様子を見て、田辺が小声で言う。


「緊張してる?」


「してない」


「顔」


「今日はそれ禁止」


 田辺は少し笑い、それ以上は言わなかった。


 施設管理担当の職員が学校管理用ファイルを机へ置く。


「最終確認結果から伝えます」


 教室の空気が静かになった。


「移行確認期間中、設置状態に重大な異常はありませんでした。中継案内の反射については継続管理項目として引き継ぎ済みです。黄色い三角についても、注意表示に見えるという意見を記録したうえで、現状維持と再検討条件を学校管理資料へ残しています」


 紅秋が確認する。


「意見箱と教師経由の共有方法も?」


「引き継ぎ済みです。十一組ラボへ相談する条件も記録されています」


「日常確認と定期確認の担当は?」


 蓮が尋ねる。


「施設管理側で決定しました。異常時の一時撤去、再確認、再設置の手順も共有済みです」


 美優がファイルを見る。


「素材が変更された場合は?」


「再確認します」


「窓周辺の条件が変わった場合も?」


「同様です」


 蓮はそこで少しだけ表情を緩めた。


 以前なら、すべて自分たちで確認しなければ安心できなかった。


 今は、学校側が同じ基準を使って答えている。


 それだけで十分だった。


「学校側だけで、今後も維持できると判断しましたか?」


 蓮が最後に尋ねた。


「はい」


 職員ははっきり答えた。


「今日をもって、移行確認期間を終了します。明日からは通常管理です」


 教室が静かになった。


 誰もすぐには拍手しない。


 何度も待った。


 試した。


 直した。


 戻った。


 申請した。


 照会へ答えた。


 学校へ渡した。


 そして今。


 正式に、その先へ進むことが決まった。


「本当に」


 島中が小さく尋ねる。


「学校管理?」


「はい」


 施設管理担当の職員が頷く。


 島中は一度口を閉じ、大きく息を吐いた。


「そっか」


 笑っている。


 でも、目元が少しだけ赤い。


 田辺が横顔を見る。


 今日は何も言わない。


「十一組ラボの皆さん」


 担当教師が続けた。


「お疲れさまでした」


 短い言葉だった。


 それなのに、なつきの胸へ強く入った。


 これまで教師たちは何度も「まだ確認が必要」「そこは学校側の判断」「結果が出てから」と言った。


 その言葉に焦ったことがある。


 待つことを嫌った日もある。


 どうして今すぐ進めないのかと、不満を感じたこともある。


 今。


「お疲れさまでした」


 そう言われる場所まで来た。


「ありがとうございました」


 紅秋が代表して頭を下げる。


 他の全員も続いた。


「こちらこそ」


 施設管理担当の職員が少し笑った。


「最初は、一枚の案内にここまで資料が増えるとは思いませんでした」


「俺もです」


 島中がすぐ答える。


「お前は途中から増やしてた側だろ」


 田辺が小声で突っ込み、担当教師まで笑った。


「でも、その資料があるから引き継げました」


 職員は学校管理用ファイルへ手を置いた。


「今の形だけを渡されても、学校側では判断できないことが多かったと思います。なぜこの素材なのか。なぜこの位置なのか。どんな意見があり、どんな条件なら見直すのか。そこまで残してくれたことが一番助かりました」


 なつきは、昨日まで何度も話した言葉を思い出す。


 理由を残す。


 正解集ではない。


 その考えが、本当に学校側へ届いている。


「次に誰かが変えたいと言ったら」


 なつきが尋ねた。


「変えていいですか?」


 職員は少し笑った。


「必要なら、確認して変えます」


「今の形を守るんじゃなく?」


「形ではなく、必要な機能を守ります」


 なつきはゆっくり頷いた。


 それを聞きたかった。


 今の青。


 今の黄色。


 今の文字。


 今の配置。


 その形自体が永遠に正しいわけではない。


 別の困りが出るかもしれない。


 学校の環境が変わるかもしれない。


 利用する人も変わる。


 その時。


 また考える。


「それなら」


 島中が言った。


「本当に渡せます」


 職員が島中を見る。


「今まで渡していなかった?」


「渡してました。でも」


 島中は少し照れたように笑った。


「気持ちが今日追いつきました」


 担当教師が声を上げて笑う。


「遅いな」


「すみません」


「でも、追いついたならいい」


 その会話で、教室の空気が少し緩んだ。


 学校側からの最終報告が終わる。


 学校管理用ファイルの表紙へ、移行完了の日付が記入された。


 紅秋が確認する。


 なつきも横からその数字を見る。


 ただの日付。


 でも、きっと忘れない。


「では、学校管理用は預かります」


 職員がファイルを持ち上げた。


 以前なら、誰かが一瞬止めたかもしれない。


 今日は誰も止めない。


 島中も、そのファイルが教室から出ていくのを黙って見ていた。


 扉の前で、担当教師が一度振り返る。


「ここからは、十一組ラボの時間だな」


 紅秋が頷いた。


「はい」


「ちゃんと終わらせろよ」


「先生、聞かないんですか?」


 島中が言う。


「聞いてほしい?」


「少し」


「じゃあ後で教えろ」


「来ないんですか?」


「お前たちのおかえり会だろ」


 教師は少しだけ笑った。


「自分たちでやれ」


 扉が閉まる。


 八人だけが残った。


 しばらく誰も話さなかった。


 教室の窓から夕方の光が差し込み、机の上へ長い影を落としている。外では運動部の掛け声が聞こえ、廊下を通る生徒の話し声が時々入ってくる。


 学校管理用のファイルは、もうない。


 机の中央に残っているのは、十一組ラボで保存する一冊だけだった。


「本当に終わった」


 島中が言った。


 田辺が横から訂正する。


「一区切り」


「そうだった」


 島中は少し笑った。


「今日はそれ大事だな」


「やっと覚えた」


「前から覚えてる」


「使えてなかった」


「田辺、今日優しくない」


「これでも優しい」


 小さな笑いが起きる。


 その笑いを待ってから、紅秋が黒板の前へ立った。


「じゃあ始めるね」


 全員が自然に紅秋を見る。


「第二実習室案内、正式設置活動。最終おかえり会」


 紅秋は黒板へ四つの項目を書いた。


『利用者として歩いてみて』


『良かったこと』


『困ったこと』


『残ったこと』


 最後に少し離して、


『ここで一区切りにしていいか』


 なつきが提案した言葉だった。


 こうして黒板へ書かれると、いよいよ最後なのだと実感する。


「最初は、利用者として歩いた感想から」


 紅秋が席へ戻った。


「言いたい人から」


 一瞬、誰も手を上げない。


 それから茜が笑った。


「言い出した私から」


「お願いします」


 島中も少し姿勢を正す。


 茜は机の上で手を組み、何度か言葉を探してから話し始めた。


「私は、案内を作ったことを忘れるのは無理だった」


「それはそう」


 美優が笑う。


「でも途中から、何が正しいか探すのをやめられた」


 全員が静かに聞く。


「最初の青を見て、分かれ道で中継を見て、黄色を見た。いつもだったら『どれが先に見えたか』『どこで止まったか』って考えてたと思う。でも今回は途中から考えなくなった」


「感想は?」


 美優が尋ねる。


「楽だった」


 茜は少し笑った。


「案内を評価しなくていいから。正しいか間違ってるかを決めなくていい。それが一番、利用者に近かった気がする」


 なつきは静かに頷いた。


 茜がずっと残してきたこと。


 違うものを、急いで一つへまとめない。


 それが最後まで茜自身の中にも残っている。


 次は美優。


「私は、窓のところで透明板を思い出した」


「今はないのに?」


 島中が尋ねる。


「だからだよ」


 美優は少し懐かしそうに笑った。


「最初は、あれが一番良いと思ってた。でも今は全然違う形になってるでしょう」


「うん」


「なのに、私が透明板で残したかったものはなくなってない気がした」


「窓を塞がない?」


 なつきが聞く。


「それも。景色や光を全部奪わずに、必要な案内だけ置くこと」


 美優は一度窓の方へ目を向けた。


「自分の案が採用された、じゃなかったんだなって思った。考えたことが、別の形に残った」


 それは、昨日までの記録整理で何度も確かめたことだった。


 形から消えても、声や役割がなくなったわけではない。


 蓮は、「戻れる道を見た」と話した。


「自分は場所を知ってるから迷わない。でも、途中であえてまっすぐの方を見た」


「わざと?」


 島中が反応する。


「確認じゃないから歩いてない。ただ見ただけ」


「危ない」


「何が」


 少し笑いが起きる。


「最初の頃は、案内を見落とす人がいること自体が失敗だと思ってた。でも今回は、見落としても危険な場所へ行かず、教室名を見れば違うと分かることを思い出した」


「今は?」


 茜が尋ねる。


「人は見落とす。僕も見落とす。だから、見落とさせないことだけを目標にするより、戻れることの方が大事」


 蓮は少しだけ笑った。


「利用者として歩いて、もう一度それが分かった」


 田辺はしばらく考えたあと、少し困ったように言った。


「俺は、何もなかった」


「感想なし?」


 島中が聞く。


「違う。何も問題を探さなかった」


 田辺は自分でも少し可笑しそうに笑った。


「誰かが進めたがると、俺は止める側だったでしょう」


「主に俺」


「主にお前」


「はい」


「だから案内を見る時も、どこかに止める理由がないか探す癖がついてたのかもしれない。でも今回は探さなかった。着いた。それで終わった」


「普通?」


 なつき。


「普通」


 田辺は頷く。


「多分、それが良かった」


 紅秋は「管理する人のことを考えずに歩けたこと」を挙げた。


「今までは、剥がれないか、記録できるか、学校側で維持できるかって考えてた。でも利用者として歩いた時は、そんなこと考えなくてよかった」


「任せた?」


 島中が尋ねる。


「うん」


「寂しかった?」


 紅秋は少し考え、笑う。


「少し。でも安心の方が大きかった」


「やっぱり便利」


「もうそれ島中だけの言葉じゃないね」


 笑いが起きる。


 春樹は少し長く考えてから話し始めた。


「僕は、黄色が最後まで一つの意味に見えなかった」


「どういうこと?」


 なつきが尋ねる。


「作った側だから、『到着後の確認』って分かる。でも、注意に見えるって言った人のことも覚えてる」


「うん」


「歩いて黄色を見た時、僕には確認に見えた。でも同時に、別の人には違うんだろうなとも思った」


「困った?」


「前なら困ったかもしれない」


 春樹は少し笑った。


「今回は、決めなくていいと思った」


 なつきの胸が少し温かくなる。


 春樹がずっと残したかったもの。


 意味は一つではない。


 同じものが、同じ意味に見えるとは限らない。


 その考えが、単なる活動中の発言ではなく、春樹自身の考え方になっている。


「島中は?」


 田辺が促した。


 島中は待ってましたと言わんばかりに姿勢を正したが、すぐには話さなかった。


「俺、途中で止まりたくなった」


「どこ?」


 美優。


「中継」


「問題?」


 蓮の反応が少し早い。


「違う。見た瞬間、いっぱい思い出した」


 島中は笑った。


「透明板も、白い紙も、薄灰色も、枠が光った日も。だから見ようと思えば、いくらでも見られた」


「でも?」


 田辺。


「止まらなかった」


 島中は少し誇らしそうだった。


「利用者として歩くって決めたから」


 教室に小さな笑いが起きる。


「それで第二実習室まで着いた時、もう直さなくていいって思った」


 笑いが止まり、全員が島中を見る。


「ずっと?」


 なつきが尋ねる。


「いや」


 島中はすぐに首を横へ振った。


「今は」


 その二文字を、以前の島中なら付けられなかったかもしれない。


「今、俺が何か見つけるために直さなくていい。誰かが困ったら、また考える。それまでは置いておいていい」


 田辺が小さく息を吐いた。


「待てるようになったな」


「最後くらい素直に褒めろよ」


「褒めてる」


「本当?」


「本当」


 島中は少し照れたように笑った。


「じゃあ、ありがとう」


 田辺もほんの少しだけ笑う。


 最後はなつき。


 全員の視線が集まる。


「私は前に言った通り、普通だった」


「それだけ?」


 島中が聞く。


「最初はそれだけだと思ってた」


 なつきは黒板ではなく、教室にいる七人の顔を見ながら続けた。


「でも今考えると、普通に着いた時、すごく嬉しかったんだと思う」


「案内が良かったから?」


 美優。


「それもある。でも、私たちのことを考えなくても着けるから」


 みんなの表情が少し変わる。


「この案内を使う人は、私たちが何回試したか知らなくていい。誰が透明板を考えたかも、島中が何回待たされたかも知らなくていい」


「そこは知ってほしい」


 島中が言い、笑いが起きる。


「知らなくていいの」


「はい」


「私が最初の意見で怖くなったことも、春樹が意味を一つに決めないって言ったことも、田辺が何度止めたかも、紅秋がどれだけ記録したかも知らなくていい」


 なつきは一度言葉を止めた。


 声が少し震えているのが、自分でも分かった。


「でも、その人が普通に第二実習室へ着く中に、全部少しずつ入ってる」


 教室が静かになる。


「それが、嬉しかった」


 言葉にした瞬間、目の奥が熱くなった。


 泣きたいわけではない。


 でも。


 ここまで来た。


 その実感が急に近くなる。


 春樹がなつきを見ている。


 何も言わない。


 今は、それでいい。


 紅秋は少し待ってから、次の項目へ進んだ。


     ◇


「じゃあ、良かったこと」


 紅秋の言葉に、最初は島中が勢いよく手を上げた。


「正式設置できた」


「一番分かりやすい」


 田辺が笑う。


「いいだろ。最初に言いたかった」


 そこから、たくさんの言葉が出た。


 利用者から「前より行きやすくなりました」と声が届いたこと。


 学校側へ管理を渡せたこと。


 案内を見た生徒が別の生徒へ場所を教え、案内の意味が人へ残ったこと。


 意見が一件も来ない日も、問題なく日常が続いたこと。


 十一組ラボの誰かがいなくても、案内が機能したこと。


 良かったことは、成功した結果だけではなかった。


「失敗しても戻れた」


 蓮が言った。


「それも良かったと思う」


「失敗したことが?」


 島中が尋ねる。


「失敗を終わりにしなかったこと」


「それなら分かる」


 美優は透明板を思い出しながら、「採用されなかった案が、全部無駄にならなかったこと」を挙げた。


 茜は、「違う意見を違うまま残せたこと」と答えた。


 田辺は少し笑いながら、「途中で誰かが止めても、前ほど空気が悪くならなくなったこと」と言った。


「最初はなってた?」


 島中が尋ねる。


「お前が不満そうだった」


「喧嘩じゃない」


「今は?」


「待つ」


「なら良い」


 笑いが起きる。


 紅秋は「正式設置の条件を自分たちだけで決めなかったこと」を挙げた。


「学校側に何度も確認されて、そのたびに時間が掛かったけど、結果的には学校へ渡せる形になった」


「待たされた」


 島中。


「必要だった」


 紅秋。


「今は分かる」


「なら良かった」


 春樹は「意見を一つの正解へまとめなかったこと」を挙げた。


 なつきは、最後にもう一つだけ加えた。


「良いっていう声も、ちゃんと残せたこと」


 全員が少しだけこちらを見る。


「途中、私、困った声ばっかり待ってるみたいになってたから。でも、使えた、安心した、前より良かったって声も、同じくらい次の判断に必要だった」


 美優が頷いた。


「正式設置後の記録にも入れたね」


「うん」


 良かったことを見る。


 それは自分たちを褒めるためだけではない。


 何を残すべきかを知るためでもある。


 次は、困ったこと。


 こちらも、たくさんあった。


 最初の強い意見。


 見つけてもらえなかった表示。


 情報を増やしすぎた試作。


 色で自分を選ばされるように感じた利用者。


 分かれ道。


 素材。


 反射。


 申請。


 学校との照会。


 待つこと。


 意見が来ない日の不安。


 正式設置後にも残った、黄色い三角への違和感。


「一番困ったの何?」


 島中が尋ねる。


 田辺はすぐ答えた。


「お前」


「ひどい」


 教室に大きな笑いが起きる。


「いや、でも本当に」


 田辺は笑いながら続けた。


「お前が進めたがるから、止めるの大変だった」


「ごめん」


「でも、お前がいなかったら進まなかった」


 数日前にも聞いた言葉。


 今日は少し違って聞こえた。


「だから」


 田辺は島中を見る。


「困ったことと、いらなかったことは違う」


 島中が少し黙った。


「それ」


「何?」


「今日一番好きかも」


「勝手に残せ」


「残す」


 美優が笑い、茜も小さく頷いた。


 困ったから消す。


 ではない。


 必要なものが、いつも使いやすいとは限らない。


 人も。


 意見も。


 案も。


 同じだった。


     ◇


 そして。


『残ったこと』


 ここで、少し時間が掛かった。


 答えが多すぎたから。


 美優には、「作る側に見えていても、使う側には見えないことがある」が残った。


 蓮には、「見落としゼロではなく、戻れる仕組み」が残った。


 茜には、「まとめることと、一つにすることは違う」が残った。


 田辺には、「進む人と止める人、その両方が必要」が残った。


 島中には、「結果だけでなく理由を残す」が残った。


 紅秋には、「完成していなくても、渡せるところまで来たら渡せる」が残った。


 春樹には、「同じものが、同じ意味に見えるとは限らない」が残った。


 なつきには、「形にならなくても、受け取った声がなくなったわけではない」が残った。


 数日前に一度言葉にしたもの。


 でも。


 今日はそれだけではなかった。


「俺、もう一個ある」


 島中が言った。


「何?」


「待つ」


 田辺が吹き出す。


「とうとう自分で言った」


「本当に残ったから」


 島中は笑った。


「前よりは」


「少し?」


 なつきが聞く。


「かなり」


「強気」


「最後だから」


 茜も一つ追加した。


「私は、気持ちを一つに選ばなくていいって残ったかも」


「どういうこと?」


 美優が尋ねる。


「嬉しいか寂しいか。どっちかじゃなくていい」


 なつきはゆっくり頷いた。


 今日、まさにそうだった。


「私も。終わって嬉しいし、寂しい」


「両方?」


「両方」


 紅秋は黒板の『残ったこと』の下へ、小さく書き足した。


『両方あっていい』


 島中がその文字を見て笑う。


「これ、学校の管理記録には入らないね」


「ラボだから」


 紅秋。


「ここに残ればいい」


「それ好き」


 茜。


「私も」


 なつき。


 誰かへ提出するためではない。


 正式な書類でもない。


 でも、自分たちに必要な言葉なら、ここへ残せばいい。


 十一組ラボは、いつの間にかそういう場所にもなっていた。


     ◇


 最後。


 黒板の右端。


『ここで一区切りにしていいか』


 誰もすぐには答えなかった。


 これまでの三つとは違う。


 感想ではない。


 決定。


 だから、紅秋も誰かを指名しない。


 全員が自分で考える。


 美優が最初に手を上げた。


「私は、いい」


 声は静かだった。


「使わなかった案も含めて、残したかったものは残ったと思う」


 蓮も手を上げる。


「僕も。機能維持基準も学校側へ渡せた。問題が起きた時に戻れる場所もある」


 茜。


「私も。違う意見を残したまま終われるから」


 田辺。


「俺も。ここから先まで続ける理由を無理に作る方が不自然だと思う」


 島中は少し笑った。


「前の俺なら、それ聞いたら怒る」


「今は?」


 田辺。


「賛成」


 島中ははっきり答えた。


「今は、終わらせていい」


 紅秋も頷く。


「私も」


 春樹。


「僕も」


 残るのは。


 なつき。


 全員の視線が集まる。


 なつきは黒板を見る。


 良かったこと。


 困ったこと。


 残ったこと。


 今日まで。


 全部。


 ここにある。


 そして、黒板へ書かれていないものも、自分の中には残っている。


 最初の意見を受け取った時の怖さ。


 春樹との距離が変わるたびに感じた不安。


 誰かと違うものを見た時の戸惑い。


 待つことを覚えた時間。


 答えを一つにしなくてもいいと知った日。


「私も」


 声は、思っていたよりしっかり出た。


「ここで一区切りにしていいと思う」


 紅秋がゆっくり頷いた。


「全員一致」


 島中が少しだけ笑う。


「終わる?」


 紅秋も笑った。


「正式設置活動は、今日で終了」


 その瞬間。


 誰も歓声を上げなかった。


 すぐに拍手する人もいなかった。


 八人が、それぞれ同じ言葉を受け取る時間があった。


 終わった。


 ここまで。


 終わった。


 少しして、島中が一度だけ手を叩いた。


 田辺が笑いながら続く。


 茜。


 美優。


 蓮。


 紅秋。


 春樹。


 なつき。


 小さな拍手が教室へ広がった。


 誰か一人へ向けたものではない。


 自分たちへ。


 よくやった。


 多分、その代わり。


 拍手が止まったあと。


 島中の目から、一滴だけ涙が落ちた。


「あ」


 なつきが声を出しかける。


「言うな」


「まだ何も言ってない」


「顔が言ってる」


 田辺が笑う。


「お前、泣くなら資料捨てる時だと思ってた」


「今は別」


「泣いてるじゃん」


「うるさい」


 島中は笑いながら袖で目元を拭った。


 その姿を見て、茜も少し目を潤ませる。


 美優は笑っているのに、声が少し震えていた。


 紅秋も、蓮も、田辺も。


 いつもと同じように見えて、少しだけ違う。


 春樹を見ると、その目元も少し赤かった。


 なつきは、自分の目にも涙が溜まっていることに気づいた。


 泣きたくなかったわけではない。


 泣かなければならないとも思っていない。


 ただ、出る。


 それでいい。


「なつき」


 春樹が小さく呼んだ。


「何?」


「泣いてる」


「春樹も」


「少し」


「便利?」


「今は違う」


 なつきは涙のまま笑った。


 春樹も笑った。


 嬉しい。


 寂しい。


 安心した。


 終わった。


 続いてほしい。


 全部。


 同じ場所にあっていい。


 そのことを、もう知っている。


 紅秋は黒板の一番下へ日付を書き、その隣へゆっくり記した。


『正式設置活動 一区切り』


 島中が気づく。


「完了じゃないんだ」


「学校管理は続くから」


 紅秋。


「うん」


「ラボも続く」


「うん」


「必要なら戻る」


「うん」


「だから一区切り」


 島中は満足そうに頷いた。


「それがいい」


     ◇


 おかえり会が終わっても、誰もすぐには帰ろうとしなかった。


 机を片付ける必要もほとんどない。


 資料は整理済み。


 正式ファイルは学校へ渡った。


 残すものも決まった。


 だから八人は、しばらく何もせず教室にいた。


 窓の外では夕陽が少しずつ低くなり、校庭から聞こえる声も変わっていく。


「写真撮る?」


 茜が言った。


「八人?」


 美優。


「教室も入れたい」


「誰が撮る?」


「先生呼ぶ?」


 島中。


「職員室にいるかな」


「聞いてみる」


 担当教師を呼び、八人は黒板の前へ並んだ。


 黒板には、


『良かったこと』


『困ったこと』


『残ったこと』


『両方あっていい』


『正式設置活動 一区切り』


 今日の言葉が残っている。


「もっと寄れ」


 教師がスマートフォンを構えながら言った。


「全員入らない」


「島中が広い」


 田辺。


「俺のせい?」


「横」


 田辺が島中の肩を押す。


 茜が笑い、美優が「蓮、もう少し前」と手招きする。


 紅秋は黒板の文字が隠れない位置を気にしている。


「紅秋、写真でも進行する?」


 島中。


「気になるから」


「今日くらい普通に」


「島中が言う?」


 また笑いが起きる。


 なつきは春樹の隣へ立った。


 偶然ではない。


 自然に。


 そこを選んだ。


 肩が少し触れる。


 春樹がこちらを見る。


 なつきも見返し、小さく笑う。


「撮るぞ」


 教師が言った。


「三、二、一」


 シャッター音。


 一枚。


「もう一枚」


「今の駄目?」


 島中。


「お前、目閉じた」


「何で分かるんですか」


「見えた」


「もう一回!」


 教室に笑い声が広がる。


 二枚目。


 今度は全員が笑っていた。


 整った写真ではない。


 島中は少し前へ出ているし、田辺は笑いながら呆れた顔をしている。茜と美優は肩がぶつかり、紅秋は最後まで黒板が隠れていないか気にしている。


 春樹となつきは隣にいる。


 それでいい。


 写真が残る。


 でも、残るのは写真だけではない。


 今日ここにいたこと。


 何を話したか。


 どう笑ったか。


 その全部が、それぞれ違う形で残っていく。


「先生も入りません?」


 なつきが尋ねた。


「俺はいい」


「何で?」


 島中。


「十一組ラボじゃない」


「でも関係者」


「管理側」


「案内みたいに役割分け?」


 教師が笑った。


「最後までそれか」


「便利なんで」


 結局、職員室にいた別の教師へ頼み、担当教師も入った写真を一枚だけ撮った。


 その写真では、島中がやはり少し前へ出すぎている。


「これ採用」


 茜。


「何で?」


「らしいから」


「もっと綺麗なのあるだろ」


 春樹が小さく言った。


「正解集じゃないから」


 一瞬。


 教室が静かになる。


 そのあと、今日一番大きな笑いが起きた。


 最後まで。


 こうして。


 今までの言葉が。


 別の場所へ。


 残っていく。


     ◇


 帰る前。


 八人は一度だけ、第二実習室への案内を見に行くことにした。


 確認ではない。


 撤去でもない。


 ただ見る。


 最初の青い案内の近くへ行く。


 八人全員で固まれば通行の邪魔になるため、自然に壁側へ分かれた。


「これ、最初からあったみたい」


 茜が言った。


「最初はなかった」


 島中。


「知ってる」


「今は?」


 美優が尋ねる。


 蓮が答える。


「学校のもの」


 その言葉に、紅秋も小さく頷いた。


「行こうか」


 最初の案内を過ぎる。


 右へ曲がる。


 渡り廊下。


 大きな窓。


 中継。


 青い丸。


 左向きの矢印。


 以前なら、誰かが反射の角度を見た。


 端が浮いていないか確かめた。


 今日は誰もしない。


「島中」


 田辺が呼ぶ。


「何?」


「止まるなよ」


「止まってない」


「見てる」


「見るくらいいいだろ」


「今日は利用者確認じゃないからいいけど」


「なら言うなよ!」


 笑いながら左へ曲がる。


 第二実習室前。


 黄色い三角。


 教室名。


 到着後の確認。


 八人が着く。


「着いた」


 島中が言った。


 なつきは思わず笑う。


「私も同じこと言った」


「一人で歩いた時?」


「うん」


「俺も言った」


「一人で?」


「誰もいないと思って」


 田辺が笑う。


「案外みんな言ってそう」


 美優。


「到着確認」


 蓮。


「黄色い三角いらない?」


 島中が言った。


 全員が一瞬止まる。


 田辺がゆっくり島中を見る。


「今、直す?」


 島中は大きく首を横へ振った。


「直さない!」


 全員が笑った。


 本当に最後まで島中は島中だった。


 でも。


 最初と同じではない。


「誰かが困ったら?」


 なつきが聞く。


「また考える」


 島中はすぐ答えた。


「今は?」


「置いとく」


「よし」


 田辺が笑う。


 その短いやり取りだけで、なつきには十分だった。


「じゃあ帰ろうか」


 紅秋が言う。


 八人は第二実習室前を離れた。


 誰も、振り返らなかった。


 なつきも。


 今日は振り返らない。


 見なくても。


 明日もある。


 それを知っているから。


     ◇


 校門を出たところで、十一組ラボのメンバーはそれぞれの帰り道へ分かれた。


「また明日」


 茜が言う。


「また明日」


 美優。


「明日、ラボ集まる?」


 島中。


 田辺がすぐ答える。


「休むって言ってただろ」


「休むけど、おかえり会だけなら」


「もう来る気満々じゃん」


「十一組ラボは終わってない」


「はいはい」


 笑いながら。


 みんな。


 別れていく。


 また明日。


 それがいい。


 大きな別れではない。


 一区切り。


 だから。


 明日がある。


 なつきと春樹は並んで歩き始めた。


 夕方の空は薄い橙色に染まり、住宅街へ伸びる道の先には長い影が落ちている。何度も歩いた帰り道だったが、学校を出た時の気持ちはいつもより少し軽く、同時に少しだけ胸の奥が空いたようでもあった。


 しばらくは、何も話さなかった。


 その沈黙も。


 もう怖くない。


 人通りが少なくなる。


 なつきの手が春樹の手へ近づく。


 今日はどちらからともなく、ほとんど同じタイミングで指先が触れた。


 そのまま握る。


「終わったね」


 なつきが言った。


「うん」


「寂しい」


「うん」


「嬉しい」


「うん」


「両方」


 春樹が少し笑った。


「選ばなくていい」


「茜」


「残った」


「本当に」


 二人は歩く。


 今日。


 たくさんの言葉が残った。


 なつきはつないだ手を見てから、少し先の道へ視線を戻した。


「春樹」


「何?」


「最初の頃」


「うん」


「私、春樹の隣にいるの、こんなに普通になると思ってなかった」


「普通?」


「良い意味」


「うん」


「最初は、隣にいるだけでいろいろ考えてた」


「今は?」


「今も考える」


「同じじゃん」


「でも違う」


「何が?」


 なつきは少し笑う。


「前は、隣に行っていいか考えてた」


 春樹の表情が少し変わった。


「今は?」


 なつきは、つないだ手を少し強くした。


「隣にいる」


 春樹が笑う。


「うん」


「でも」


 なつきは前を見る。


「これで終わりじゃない」


「何が?」


「隣」


「うん」


「今はいる。でも、これからも」


 胸が少し緊張する。


 それでも、言う。


「目指したい」


 春樹はすぐには返事をしなかった。


 なつきは待った。


 もう、その沈黙を怖がらない。


 夕方の風が制服の袖を揺らす。遠くで車が通り、住宅の庭から夕食らしい匂いが少しだけ流れてきた。


「僕も」


 春樹が言った。


「何を?」


「なつきの隣」


 胸が熱くなる。


「今いるよ」


「だから」


 春樹は少し照れながらも、こちらを見る。


「今いるから、もう目指さなくていいとは思わない」


「どうして?」


「隣って、場所だけじゃないって話したでしょう」


「うん」


「話せること。待てること。分からないって言えること。変わった時に、また話すこと」


 春樹はつないだ手を見る。


「そういうのを、続けたい」


 なつきの目が少し熱くなる。


「それ、今日一番好きかも」


「島中みたい」


「違う」


「でも言い方」


「春樹の方が好き」


 春樹の顔が赤くなる。


「何それ」


「そのまま」


「急だね」


「最終日だから」


「正式設置の」


「関係ない」


 二人で笑った。


 少し歩く。


 笑いが落ち着いてから、なつきはもう一つだけ尋ねた。


「春樹」


「何?」


「これから変わること、あると思う?」


「あると思う」


 返事は思ったより早かった。


「怖い?」


「少し」


「私も」


「でも」


 春樹は立ち止まらず、歩きながら言った。


「変わったら話したい」


「うん」


「今と違う気持ちになったら、それも言いたい」


 なつきは一瞬だけ胸が強く締まるのを感じた。


 怖い言葉でもある。


 ずっと同じだと保証する言葉ではないから。


 でも。


 春樹は続ける。


「黙って、勝手に答えを決めたくない」


 なつきはゆっくり息を吐いた。


 それなら。


 怖いだけではない。


「私も」


「うん」


「変わったら話す」


「うん」


「嫌なことも?」


「うん」


「嫉妬も?」


「……うん」


「間があった」


「そこは恥ずかしい」


 なつきは笑う。


「私も言う」


「何を?」


「嫉妬」


「本当に?」


「多分」


「不明?」


「そこ島中」


 二人でまた笑った。


 続けるということは。


 同じ形を守り続けることではない。


 変わらない約束を作ることでもない。


 変わった時に、また話せること。


 そこへ戻れること。


 案内に残したかったものと、よく似ている。


「なつき」


「何?」


「さっきから考えてる顔」


「分かる?」


「最近は少し」


「また少し」


「便利」


 なつきは笑った。


「考えてた」


「何を?」


「隣」


「また?」


「大事だから」


 最初に思っていた「君の隣」は、場所だった。


 近づきたい。


 話したい。


 同じ時間を過ごしたい。


 春樹の隣へ行くことが、目標のように感じていた。


 でも今は違う。


 隣は場所だけではない。


 同じ答えを持つことでもない。


 違うものを見て、違うことを思う日がある。


 それでも話す。


 待つ。


 聞く。


 必要なら戻る。


 離れたら、また近づく。


 その繰り返し。


 だから。


 隣へ着いたら終わりではない。


 今ここにいても、目指していい。


「春樹」


「何?」


「私、好き」


 春樹の足が少しだけ遅くなった。


「急だね」


「言いたかった」


「うん」


「春樹は?」


「好き」


 返事が早くて、なつきは思わず笑った。


「早い」


「もう何回も答えてるから」


「慣れた?」


「少しは。でも、照れるのは変わらない」


「顔見てもいい?」


「今もう見てるでしょう」


「見てる」


「じゃあ聞かないで」


 春樹は困ったように笑いながら少し視線を逸らした。その横顔が赤くなっているのを見つけて、なつきは嬉しくなる。付き合い始めた頃と比べれば、二人とも好きという言葉を口にできるようになった。それでも、その言葉が何でもないものになったわけではない。


 慣れることと、大切ではなくなることは違う。


 何度言っても照れる。何度聞いても嬉しい。それなら、これから先も言いたい時に言えばいいのだと思った。


「なつき」


「何?」


「僕も、もう一回言っていい?」


「何を?」


 分かっているのに聞くと、春樹は少しだけ眉を下げた。


「そういうところ、ずるい」


「何が?」


「分かってるのに聞く」


「聞きたいから」


 春樹は小さく息を吐いたあと、今度は目を逸らさなかった。


「好き」


 さっきと同じ二文字なのに、なつきの胸へ入ってくる感覚は少し違った。


 一回目は返事だった。


 二回目は、春樹から言いたくて言った言葉だった。


「私も」


「うん」


「好き」


 春樹が笑った。


 なつきも笑う。


 数時間前まで、十一組ラボの教室ではみんなで泣いていた。今は帰り道で笑っている。寂しかった気持ちがなくなったわけでも、一区切りを迎えたことを忘れたわけでもない。


 嬉しい。


 寂しい。


 安心する。


 名残惜しい。


 春樹が好き。


 明日も会いたい。


 どれか一つを選ばなくていい。


 茜が最後のおかえり会で言ったことが、こんなところにも残っている。


 交差点が近づくにつれて、住宅街を歩く人の数は少しずつ減っていった。西の空にはまだ夕焼けの色が残っているが、家々の窓には明かりが灯り始めている。自転車で帰る中学生が二人の横を通り過ぎ、少し先の家からは夕食を作る匂いが漂ってきた。


 何度も歩いた道だった。


 告白する前にも歩いた。


 好きだと分かってからも歩いた。


 付き合い始めてからも、何度も同じ道を歩いている。


 道路の形はほとんど変わっていない。


 変わったのは、自分たちだった。


「春樹」


「何?」


「帰りたくないって言ったら困る?」


 春樹は少し考えた。


「少し」


「やっぱり」


「でも、僕も少し帰りたくない」


 なつきは思わず笑った。


「じゃあ困ってるの同じじゃん」


「うん」


「どうする?」


「帰る」


「現実的」


「明日も学校あるから」


「そうだけど」


「それに」


 春樹は少しだけなつきの手を強く握った。


「明日も会えるでしょう」


 その言葉に、なつきの中で何かが静かに落ち着いた。


 今日が最終話のような一日だからといって、何もかも今日の中へ詰め込まなくていい。


 正式設置活動は今日で一区切りになった。


 でも明日も学校がある。


 十一組ラボもある。


 春樹もいる。


 自分もいる。


「明日、島中来ると思う?」


「来る」


「即答」


「休むって言ってたけど」


「おかえり会だけならって言ってた」


「絶対来るね」


「多分、最初にいる」


「紅秋より?」


「それは分からない」


 二人は声を出して笑った。


 活動が終わった翌日、十一組ラボで何を話すのかは決めていない。新しい課題もない。正式設置について急いで考えることもない。


 それでも、たぶん誰かが来る。


 何もなければ、何もない話をする。


 それでいい。


 十一組ラボは、いつの間にか何かを解決するためだけの場所ではなくなっていた。


 困った時に考えられる場所。


 迷った時に戻れる場所。


 何もない時でも、帰ってこられる場所。


 その意味でも、「おかえり会」という名前は今になってさらに似合っている気がした。


 交差点の手前まで来る。


 ここから先は、それぞれの家へ向かう道が分かれる。


 以前なら、この場所が近づくたびになつきは少しだけ歩調を緩めていた。別れたくないことを知られるのが恥ずかしくて、でももう少し一緒にいたくて、その両方の間で迷っていた。


 今日は、少しだけ歩調を緩めた。


 隠さなかった。


「遅くなった」


 春樹が言う。


「何が?」


「歩くの」


「分かった?」


「最近は少し」


「それも少しなんだ」


「全部分かるって言ったら嘘になるから」


 なつきは一瞬だけ春樹を見つめ、それから笑った。


「それ、好き」


「また?」


「うん。分からないって言えるところ」


「前はあんまり言えなかった」


「知ってる」


「なつきも」


「私も?」


「分からないと、すぐ答え探してた」


「知ってる」


「自分で言うんだ」


「今日もう何回も振り返ったから」


 二人は交差点の端で立ち止まった。


 人通りは少ないが、完全に二人きりではない。少し離れたところを会社員らしい男性が歩き、信号の向こうでは買い物袋を持った女性が自転車を押している。


 なつきはつないでいた手を離した。


 手のひらへ夕方の空気が触れる。


 少し寂しい。


 でも、もう不安ではない。


「また明日」


 春樹が言った。


「うん。また明日」


「十一組ラボで?」


「その前に朝会うかも」


「そうだね」


「じゃあ、また明日じゃなくて」


「何?」


「また朝」


 春樹は少し笑った。


「細かい」


「大事」


「誰かと同じこと言ってる」


「今日言った」


 二人で笑う。


「じゃあ」


 春樹が言った。


「また朝」


「うん。また朝」


 春樹が自分の道へ歩き出す。


 なつきも反対側へ向きを変えた。


 数歩進んだところで、何となく気になって振り返る。


 春樹も、ほとんど同じタイミングで振り返っていた。


 目が合う。


 二人とも少し驚いて、それから笑った。


 春樹が片手を上げる。


 なつきも手を上げる。


 言葉はもう要らなかった。


 今度こそ、前を向く。


 夕暮れの道が続いている。


 第二実習室への案内は、明日も梅桜高校にある。


 朝になれば学校側の担当者が確認し、必要な時には利用者が青い案内を見つける。分かれ道には中継があり、目的地の前には黄色い三角がある。


 今の形が、ずっと変わらないとは限らない。


 いつか別の利用者から、今までとは違う意見が届くかもしれない。


 設備が変わるかもしれない。


 校舎の使われ方が変わるかもしれない。


 その時は、また誰かが考える。


 十一組ラボかもしれない。


 学校側かもしれない。


 まだ顔も知らない後輩かもしれない。


 その人は記録を開く。


『これは正解集ではありません。迷った時、理由へ戻るための記録です。』


 そこから始めればいい。


 今の案内を守るためではない。


 今までと同じ答えを出すためでもない。


 誰かが何を見て、何に困り、何を試し、なぜ今の形になったのか。その理由を受け取って、自分たちの条件でもう一度考えるために。


 十一組ラボが残したかったのは、完成した答えではなかった。


 考え直せる場所だった。


 そして、それは案内だけの話ではない。


 島中は、進むことだけが前へ行くことではないと知った。待つことも、理由があれば前へ進むための行動になる。


 田辺は、止めるだけではなく、進む人がいるから動けることも認めた。困る相手と、いらない相手は同じではない。


 美優の透明板は採用されなかった。それでも、窓を塞ぎすぎず、周囲を奪わないという考えは最後の案内へ残った。


 蓮は、見落としをなくすことより、見落としても戻れる仕組みを選んだ。


 茜は、違う意見を急いで一つへまとめなくなった。嬉しさと寂しささえ、どちらかに決める必要はない。


 紅秋は、完成するまで抱え込むのではなく、渡していいところまで来たら渡すことを選んだ。


 春樹は、同じものが同じ意味に見えるとは限らないことを受け入れ、自分の気持ちも少しずつ言葉へ変えられるようになった。


 そして、なつきは。


 全部の声へ、そのまま答えなくてもいいことを知った。


 採用しなかった意見も。


 形から消えた案も。


 答えを出せなかった迷いも。


 なくなったわけではない。


 理由の中に残る。


 次の形の中に残る。


 人の中にも残る。


 最初の頃、なつきは春樹の隣へ行きたかった。


 それは本当に、場所としての隣だった。


 もっと話したい。


 近くにいたい。


 同じ景色を見たい。


 自分だけが遠くにいるように感じるのが嫌だった。


 だから、隣を目指した。


 今はもう、春樹の隣にいる。


 帰り道で手をつなぐ。


 十一組ラボでは自然に近くへ座る。


 写真を撮る時も、考えなくても隣へ立つ。


 けれど、それで終わりではなかった。


 隣とは、同じ場所に立つことだけではない。


 相手が考えている間を待つこと。


 分からないと言えること。


 自分には違って見えると伝えること。


 嫌だったことも、嬉しかったことも話せること。


 変わった時に、黙って一人で答えを決めないこと。


 少し離れてしまったら、また近づこうとすること。


 たぶん、そういうもの全部を含んでいる。


 だから、今隣にいても。


 これからも目指していい。


 むしろ、隣にいるからこそ目指し続けるのかもしれない。


 明日。


 春樹と何を話すかは分からない。


 十一組ラボで何が起こるかも分からない。


 案内に新しい意見が来るかもしれないし、何も起こらないかもしれない。


 その先。


 卒業。


 進路。


 学校の外。


 もっと先。


 何が変わるか。


 今は分からない。


 でも。


 分からないことを、以前ほど怖いとは思わない。


 答えがないから終わりではない。


 迷ったら話せる。


 必要なら戻れる。


 また考えられる。


 それを、この場所で何度も経験した。


 なつきは夕焼けの残る空を見上げた。


 今日、正式設置活動は一区切りになった。


 明日から、学校の案内は十一組ラボの手を離れて日常の中へ入っていく。


 十一組ラボも、次に何をするかはまだ決まっていない。


 それでも明日になれば、きっと教室の扉は開く。


 誰かが先に来ている。


「おかえり」


 そう言う人がいるかもしれない。


 なつきもまた、そこへ帰る。


 そして。


 春樹にも会う。


 今日と同じ位置に立てるとは限らない。


 明日は少し違うかもしれない。


 来年はもっと違うかもしれない。


 それでいい。


 変わるたびに、もう一度近づけばいい。


 夕方の道を、なつきは一人で歩いていた。


 けれど、もう一人だけで答えを決めなくていいと知っている。


 誰かの声を聞ける。


 自分の声も渡せる。


 違えば話せる。


 待てる。


 戻れる。


 そして、また歩き始められる。


 少し先で、家々の明かりが一つずつ増えていく。


 なつきも自分の家へ向かって歩き続けた。


 足取りは、急いでいない。


 立ち止まってもいない。


 ただ、自分の速度で前へ進んでいる。


 明日へ。


 その先へ。


 まだ知らない未来へ。


 そして、何度でも。


 君の隣を目指して。

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