第14話 写真の中の今日
翌日は日曜日だった。
目を覚ました時、横田なつきは少しだけぼんやりした。
天井を見る。
見慣れた自分の部屋。
カーテンの隙間から差し込む朝の光。
枕元のスマホ。
いつもと変わらない休日の景色。
なのに。
昨日があまりにも濃すぎて、目覚めた瞬間だけ、自分がどこにいるのか分からなくなった。
「……あ」
思い出す。
ひたちなか海浜公園。
バーベキュー。
観覧車。
四班。
春樹。
美優。
そして最後の帰り道。
胸の奥が少しだけちくりとした。
同時に、少しだけ温かくもなった。
嬉しかったことと苦しかったことが混ざっている。
昨日はそんな一日だった。
なつきは布団の中でスマホを手に取る。
時刻は午前七時十二分。
休日にしては少し早い。
本当なら二度寝してもいい。
けれど。
なつきは迷わず写真フォルダを開いた。
昨日撮った写真。
一枚目。
バス乗車前の班写真。
二枚目。
火起こしをする春樹。
三枚目。
紙皿を並べる茜。
四枚目。
トングを振る亜衣。
五枚目。
焼きそばを混ぜる紅秋。
六枚目。
少し笑っている春樹。
「……」
また見てしまった。
何度見たか分からない写真。
なのに、まだ見てしまう。
春樹は普段ほとんど笑わない。
いや、笑わないわけではない。
でも大きく感情を表に出さない。
だからこそ。
昨日撮れた一枚は特別だった。
なつきは画面を少し拡大する。
煙の向こう。
少しだけ口元が緩んでいる。
ほんの一瞬。
たぶん亜衣か紅秋が何か言った時。
偶然撮れた写真。
でも。
自分が撮った。
その事実だけで胸が温かくなる。
そして。
すぐ後に思い出してしまう。
『春樹、帰るよ』
美優の声。
なつきはスマホを胸に乗せた。
昨日の最後。
校門。
春樹と美優。
並んで歩く後ろ姿。
自然な距離。
自然な会話。
自然な名前呼び。
何度思い出しても胸が苦しくなる。
「はぁ……」
ため息が漏れた。
でも。
昨日の茜の言葉も思い出す。
『今日のことが消えるわけじゃないわ』
そうだ。
美優がいても。
春樹と話したことは消えない。
観覧車で楽しいと言い合ったことも消えない。
写真も残っている。
なのに。
心はそんなに単純じゃなかった。
嬉しい。
苦しい。
好き。
羨ましい。
全部が一緒になっている。
恋って面倒だな。
なつきは枕に顔を埋めた。
数秒後。
スマホが震えた。
通知。
四班グループ。
伊藤亜衣。
『おはよー』
『筋肉痛』
朝から元気だった。
なつきは思わず笑う。
続いて紅秋。
『おはよう』
『俺も少し筋肉痛』
そのあと。
茜。
『おはよう』
『今日は休みだからゆっくりして』
なつきは自然と口元が緩んだ。
四班のグループができてからまだ日が浅い。
でも。
昨日を経て少しだけ距離が近くなった気がする。
なつきは返信を打つ。
『おはよう』
『写真整理終わったよ』
即座に亜衣。
『早すぎ』
『絶対朝から見てたでしょ』
『見てない』
『嘘つけ』
図星だった。
なつきが慌てていると。
今度は新しい通知が入る。
大國春樹。
『おはよう』
なつきの心臓が止まりそうになった。
「えっ」
声が出た。
春樹。
春樹が。
グループで。
おはようと言った。
ただそれだけ。
ただそれだけなのに。
なつきの心拍数は一気に上がる。
亜衣も反応した。
『レア』
『大國が朝から喋った』
紅秋。
『確かに』
春樹。
『そこまで?』
亜衣。
『そこまで』
紅秋。
『そこまで』
茜。
『そこまで』
春樹。
『ひどい』
なつきは思わず吹き出した。
ベッドの上で一人笑う。
昨日までなら想像できなかった。
春樹がグループでやり取りしている。
しかも。
少しだけ楽しそうだった。
なつきは返信した。
『おはよう』
それだけ。
本当はもっと書きたい。
でも無理だった。
心臓がもたない。
朝食を終えた後。
なつきは自室で再び写真整理を始めた。
昨日は疲れていて最低限しかできなかった。
今日はフォルダ分け。
班写真。
バーベキュー。
遊園地。
観覧車。
細かく分類していく。
途中。
春樹の写真だけで十枚以上あることに気付いた。
「……」
多い。
明らかに多い。
紅秋より多い。
茜より多い。
亜衣より多い。
理由は分かっている。
好きだから。
でも認めると恥ずかしい。
スマホを置きたくなる。
けれど。
消したくはなかった。
全部大事だった。
昼前になると。
今度は茜から個人メッセージが届いた。
『起きてる?』
『起きてる』
『大丈夫?』
短い文章。
でも意味は分かった。
昨日のことだ。
美優のことだ。
なつきは少し考えてから返した。
『まだ少しだけ落ち込んでる』
既読。
数秒。
返信。
『正直でよろしい』
思わず笑ってしまう。
『だって仕方ない』
『仕方ない』
『可愛かった』
『うん』
『春樹くんと距離近かった』
『うん』
『昔の話してた』
『うん』
送っていて苦しくなる。
茜はしばらく返信しなかった。
数十秒。
そして。
『でも』
『なつきは昨日頑張った』
短い文章。
それだけ。
なのに。
なつきは少しだけ泣きそうになった。
頑張った。
昨日。
逃げなかった。
話しかけた。
写真も撮った。
楽しいと言えた。
確かに頑張った。
それは事実だった。
スマホを握ったまま。
なつきは小さく目を閉じた。
午後。
亜衣から通話が来た。
五分だけ。
と言いながら二十分続いた。
『で?』
『何が』
『大國』
『だから何が』
『好き度上がった?』
『……』
『沈黙は肯定』
『亜衣ちゃん』
『はい』
『昨日は苦しかった』
少しだけ声が弱くなる。
『うん』
『でも楽しかった』
『うん』
『だから余計苦しい』
電話の向こうで。
亜衣は少しだけ黙った。
いつもより静かだった。
『それ』
『うん』
『恋だね』
なつきは返事ができなかった。
恋。
分かっている。
ずっと前から。
一年生の頃から。
図書室で本を読んでいた春樹。
その姿を見て好きになった。
でも。
最近はもっと違う。
遠くから見ているだけじゃない。
話したい。
近づきたい。
知りたい。
隣にいたい。
そんな気持ちが増えている。
『なつき』
『うん』
『焦らないでね』
『……』
『美優さんは強敵だけど』
『強敵って言うな』
『だって強敵じゃん』
それは否定できなかった。
『でも』
亜衣の声が少し柔らかくなる。
『昨日の大國、楽しそうだった』
『え?』
『あたし見てた』
『ほんと?』
『うん』
『観覧車も』
『バーベキューも』
『横田さんって結構喋るんだね、って顔してた』
なつきの心臓が跳ねた。
『そんな顔してた?』
『してた』
『ほんとに?』
『たぶん』
『たぶん!?』
亜衣が笑う。
なつきも笑ってしまう。
気付けば。
昨日の苦しさが少しだけ薄くなっていた。
夕方。
春樹から通知が届いた。
個人ではない。
グループだった。
『写真ありがとう』
添付。
班写真。
そして続く。
『これ良かった』
送られてきたのは。
観覧車前の五人の写真だった。
なつきは画面を見つめた。
春樹が選んだ。
この写真を。
理由は分からない。
ただの記念かもしれない。
でも。
嬉しかった。
亜衣が即反応する。
『センスいい』
紅秋。
『俺も好き』
茜。
『いい写真ね』
なつきは。
しばらく返信できなかった。
胸がいっぱいだった。
結局。
数分後。
『私も好き』
それだけ送った。
春樹から返信はない。
でも。
既読はついた。
それだけで十分だった。
窓の外を見る。
夕焼け。
少しずつ夜になる空。
昨日の今頃。
校門で美優を見た。
苦しかった。
今も少し苦しい。
でも。
昨日の一日は消えていない。
今日も消えていない。
スマホの中には写真がある。
グループには会話が残っている。
思い出もある。
そして。
明日がある。
月曜日。
また学校だ。
また春樹に会える。
それだけで。
少しだけ前を向ける気がした。
なつきはスマホを胸に抱きながら、小さく笑った。
恋は苦しい。
でも。
きっと、それだけじゃない。
そう思える休日だった。




