第118話 答案用紙の向こうで、君を見つける
中間考査初日の朝。
なつきは、目覚ましが鳴る少し前に目を覚ました。
まだ部屋の中は薄暗かった。
カーテンの隙間から差し込む朝の光も、いつもより頼りなく見える。
布団の中で目を開けたまま、しばらく天井を見つめた。
今日だ。
中間考査。
昨日まで何度も問題を解いた。
簿記の仕訳も、英語の長文も、分からないところを一つずつ確認した。
春樹にも教えてもらった。
祐衣にも英語を見てもらった。
亜衣や茜とも問題を確認した。
圭や田辺や島中達と、図書室で何度も机を囲んだ。
やるだけのことはやった。
そう思う。
けれど、胸の奥にはまだ落ち着かないものがあった。
考査が始まった瞬間、全部忘れてしまったらどうしよう。
問題文を見て頭が真っ白になったら。
数字を逆に書いたら。
昨日まで解けていた問題が、急に分からなくなったら。
考え始めると、不安は次から次へと出てきた。
なつきはゆっくり起き上がる。
机の横には、いつもの鞄。
その横に黒猫のキーホルダーが揺れている。
春樹が取ってくれた黒猫。
体育祭で、何度も見つけてもらった黒猫。
最近は、朝この黒猫を見るだけで少し落ち着けるようになっていた。
なつきはそっと指先で触れた。
「今日も、よろしくね」
小さく呟く。
考査の日に黒猫が何かを解いてくれるわけではない。
もちろん、答えを教えてくれるわけでもない。
それでも、ここまで頑張ってきた時間を思い出させてくれる。
春樹が「大丈夫」と言ってくれたこと。
自分で解けた問題が増えたこと。
先生に、途中式が良くなったと褒められたこと。
それらを思い出すための、小さな目印だった。
◇
朝食を食べても、なつきの緊張は完全には消えなかった。
いつも通りの味のはずなのに、少しだけ薄く感じる。
時計を何度も確認する。
忘れ物がないか、鞄の中を二回確認した。
筆箱。
消しゴム。
予備のシャープペン。
定規。
考査範囲表。
念のため入れた単語帳。
簿記ノート。
全部ある。
それでも玄関を出る前に、もう一度確認した。
「大丈夫」
自分に言い聞かせる。
「ちゃんとやった」
昨日、亜衣に言った言葉。
春樹にも聞かれた言葉。
ちゃんとやった。
だから、今はそれを信じるしかない。
外へ出ると、朝の空気は少し冷たかった。
体育祭の頃より季節が進んでいる。
道を歩く生徒達も、いつもより口数が少なかった。
単語帳を見ながら歩く人。
友達と問題を出し合う人。
何も見ずに、ただ前を向いて歩く人。
みんな同じように緊張している。
それが分かると、少しだけ安心した。
自分だけではない。
◇
校門の近くで、亜衣を見つけた。
亜衣もなつきに気づいて、少しだけ手を上げた。
「おはよう」
「おはよう、亜衣ちゃん」
「眠れた?」
「一応。でも朝早く起きた」
「私も。夢で英単語に追いかけられた」
「どんな夢?」
「スペル間違えるたびに巨大化するの」
なつきは思わず笑った。
「怖い」
「怖かった。しかも茜ちゃんが横で『落ち着いて覚えれば大丈夫』って言ってた」
「夢の中でも茜ちゃんらしい」
「でしょ?」
二人で笑った。
少しだけ緊張がほどける。
「なつきは?」
「夢は見なかったけど、起きてからずっと簿記のこと考えてた」
「仕訳?」
「うん。逆に書いたらどうしようって」
「大丈夫だよ。あれだけやったし」
「うん」
「私も隣の方にいるし」
「席は決まってるけどね」
「気持ちの隣」
亜衣が笑った。
なつきも小さく笑う。
「ありがとう」
校舎へ近づくにつれ、考査の緊張がまた戻ってくる。
でも、隣に亜衣がいる。
それだけで、少し心強かった。
◇
二年十一組の教室は、朝から異様に静かだった。
普段なら、圭の声や誰かの笑い声が先に聞こえる。
けれど今日は、教室の外までページをめくる音が聞こえてきた。
なつきが入ると、圭は自分の席で問題集を見ていた。
しかも、ちゃんと問題文を最初から最後まで読んでいるようだった。
田辺もノートを見直している。
島中は単語帳を片手に、眉間へしわを寄せていた。
紅秋はいつも通り落ち着いている。
茜も静かに教科書を開いていた。
「おはよう」
なつきが言うと、みんな少しだけ顔を上げた。
「おはよう」
圭の声が珍しく小さい。
亜衣が驚いた。
「圭くん、静か」
「考査の日だから」
「緊張してる?」
「してる」
圭は素直に答えた。
「簿記の問題、見た瞬間全部飛びそう」
田辺が言う。
「飛びそうになったら、一回問題文読め」
「分かってる」
島中も単語帳を閉じる。
「俺も最初の五分が怖いな」
紅秋が静かに言った。
「最初に焦るな。解ける問題からやればいい」
「分かってるけど、紅秋が言うと先生みたい」
圭が言う。
「今日は先生でもいい」
「頼もしい」
教室に小さな笑いが起きた。
いつものような大きな笑いではない。
でも、その笑いで空気が少しだけやわらかくなった。
なつきは席へ着き、鞄を机の横へ掛けた。
黒猫が小さく揺れる。
自然に教室の扉を見る。
まだ春樹はいない。
少しだけ胸が落ち着かない。
「待ってる?」
亜衣が小声で聞いた。
「うん」
なつきは素直に答えた。
「今日、ちゃんと見つけたい」
「うん」
「考査前に一回、春樹くんの顔見たら落ち着く気がする」
亜衣は優しく笑った。
「すぐ来るよ」
◇
教室の扉が開いた。
紅秋と春樹が入ってくる。
なつきはすぐに顔を上げた。
春樹も教室へ入った瞬間、こちらを見た。
視線が黒猫へ落ちる。
それから、なつきへ戻る。
「おはよう」
「おはよう、春樹くん」
「今日もいる」
「うん」
「見つけた」
いつもの言葉。
それだけで、胸の奥に溜まっていた緊張が少しだけほどけた。
「私も、春樹くん見つけた」
「うん」
春樹はなつきの顔を少し見た。
「緊張してる?」
「うん。かなり」
「大丈夫」
短い言葉。
昨日も言ってくれた。
それでも、今日聞くとまた違った。
「本当に?」
「うん。できてた」
なつきは黒猫に触れた。
「春樹くんがそう言うなら、少しだけ信じられる」
「少し?」
「まだちょっと怖いから」
「それでいい」
「怖くても?」
「うん。解けばいい」
春樹らしい答えだった。
怖くなくなるまで待つのではなく。
怖くても、目の前の問題を一つずつ解く。
それでいい。
「うん」
なつきは頷いた。
「やってみる」
春樹も頷く。
「うん」
圭が少し離れた席から、小声で言った。
「春樹、俺にも大丈夫って言って」
春樹は圭を見る。
「大丈夫」
「早い」
「問題文を読む」
「そこまでセット!?」
教室にまた小さな笑いが起きた。
圭は笑いながらも、少し安心したようだった。
◇
朝のホームルーム。
担任が教室に入ると、いつもの空気は完全に考査のものへ変わった。
「おはようございます。本日から中間考査です」
教室全体が少しだけ固くなる。
「机の中を空にしてください。鞄は椅子の下か、指定された場所へ。筆記用具以外はしまうこと」
生徒達が一斉に動く。
教科書を鞄へ入れる音。
ノートを閉じる音。
椅子を少し引く音。
なつきも簿記ノートを閉じた。
最後に、春樹の矢印が残るページを一度だけ見た。
その横にある、自分で書き足した説明。
大丈夫。
もう、ノートを見なくても思い出せる。
なつきはノートを鞄へしまった。
黒猫が揺れる。
担任が考査の注意を説明する。
「問題用紙が配られても、開始の合図までは裏返したまま。名前の書き忘れに注意。時間配分を考えてください」
圭が口を結んで頷いている。
島中も深く息を吐いた。
田辺はシャープペンの芯を確認する。
亜衣がなつきの方を見た。
小さく拳を握る。
頑張ろう。
声には出さない。
でも伝わった。
なつきも小さく拳を握り返した。
◇
一時間目。
簿記。
問題用紙が前から配られてくる。
なつきの机にも、裏返した紙が置かれた。
白い紙。
表には、何が書いてあるか分からない。
その分からなさが、余計に怖い。
心臓が大きく鳴る。
教室が静まり返る。
先生が時計を見る。
「では、始めてください」
一斉に紙が返される音。
なつきも問題用紙を表へ向けた。
最初のページ。
仕訳問題。
思っていたより普通だった。
でも、安心するのは早い。
名前を書く。
受験番号を確認する。
最初の問題を読む。
商品を売り上げ、代金の一部を現金で受け取り、残額を掛けとした。
現金。
売掛金。
売上。
なつきは深呼吸した。
問題文を最後まで読む。
金額を確認する。
仕訳を書く。
一問目。
書けた。
二問目。
備品を購入し、手数料を含めて現金で支払った。
手数料。
費用。
借方。
なつきの中で、春樹の声が蘇る。
――まず、何が増える。
――費用は借方。
落ち着いて書く。
三問目。
少し迷う。
数字が複数ある。
最初に全部を処理しようとせず、条件へ線を引く。
ここ。
ここ。
分ける。
紅秋が圭に言っていた言葉も思い出す。
一気に処理しない。
条件を分ける。
書く。
問題を進める。
五問目で、手が止まった。
貸倒引当金。
考査範囲には入っていた。
でも、少し苦手だったところ。
心臓が速くなる。
分からない。
完全には。
なつきは一度、問題から目を離した。
窓の外を見るわけではない。
ただ、視線を机の端へ落として呼吸を整える。
焦らない。
解ける問題から。
担任も言っていた。
春樹も言っていた。
なつきは五問目の横へ小さく印をつけ、次へ進んだ。
六問目。
解ける。
七問目。
少し計算が必要。
落ち着けばできる。
問題を進めるうちに、最初の緊張が少しずつ薄れていった。
目の前の数字だけを見る。
周囲のペンの音も気にならなくなる。
なつきは、今まで解いた問題を思い出しながら、一つずつ答案を埋めた。
◇
半分ほど時間が過ぎた頃。
なつきは、さっき飛ばした五問目へ戻った。
貸倒引当金。
問題文をもう一度読む。
決算整理前。
売掛金残高。
設定率。
差額補充法。
言葉を一つずつ確認する。
差額。
今ある金額と、必要な金額の差。
なつきは計算用紙へ数字を書いた。
必要な引当金。
すでにある引当金。
引く。
差額。
仕訳。
貸倒引当金繰入。
貸倒引当金。
書けた。
合っているかは分からない。
でも、何も書けないままではなかった。
それが嬉しかった。
その時、ふと斜め前の春樹の背中が目に入った。
春樹は静かに問題を解いている。
顔は見えない。
もちろん話すこともできない。
でも、同じ教室で、同じ考査を受けている。
それだけで少し落ち着いた。
春樹も頑張っている。
亜衣も。
茜も。
圭も。
田辺も。
島中も。
紅秋も。
みんな、自分の答案と向き合っている。
なつきはもう一度、問題へ視線を戻した。
◇
「残り十分です」
先生の声が教室に響く。
なつきは最後の問題まで解き終えていた。
ここから見直し。
名前。
書いてある。
金額。
桁が間違っていないか。
貸借。
逆になっていないか。
一問ずつ確認する。
三問目。
少し怪しい。
計算をやり直す。
合っている。
五問目。
貸倒引当金。
もう一度計算。
たぶん合っている。
最後の総合問題。
金額を転記した場所。
一つ、数字が違っていることに気づいた。
「あ……」
声には出さない。
すぐに消して書き直す。
見直してよかった。
残り五分。
もう一度、答案全体を見る。
全部埋まっている。
空欄はない。
そのことに、胸が少し熱くなった。
完璧かは分からない。
でも、最後まで解いた。
諦めなかった。
「終了です。筆記用具を置いてください」
なつきはシャープペンを机へ置いた。
張り詰めていた糸が、一気にほどける。
肩から力が抜けた。
答案用紙が後ろから前へ集められていく。
自分の答案が手元から離れる。
もう直せない。
少し不安になる。
でも、やった。
ちゃんとやった。
◇
答案が回収された瞬間、教室中に大きなため息が広がった。
「終わった……」
圭が机へ突っ伏す。
声は小さいが、全身で言っていた。
田辺も肩を回す。
「疲れた」
島中は天井を見上げる。
「五問目、何だった?」
「言うな」
圭が顔を上げる。
「今は答え合わせしたくない」
「珍しく正しい」
紅秋が言う。
「終わった科目をすぐ確認しても、次へ悪影響が出ることがある」
「そう。それ」
「俺が言ったからだろ」
亜衣がなつきの方へ椅子を寄せる。
「どうだった?」
「全部は自信ないけど、最後まで解けた」
「すごい」
「空欄はなかった」
「それだけでも大きいよ」
茜も振り返る。
「途中、落ち着いていたように見えたわ」
「五問目で止まったけど、一回飛ばした」
「良い判断ね」
なつきは少し笑った。
「春樹くんが、解けるところからって言ってたから」
亜衣がにやっとしそうになったが、今日はすぐにからかわなかった。
「うん。ちゃんと使えたね」
「うん」
その時、春樹が振り返った。
「どうだった?」
「最後まで解けた」
「うん」
「一問、難しかったけど、戻ったら書けた」
「よかった」
「合ってるかは分からない」
「でも書けた」
「うん」
春樹は小さく頷く。
「できてる」
その言葉に、なつきの胸が温かくなる。
「ありがとう」
春樹はなつきの顔を少し見た。
「緊張、少し減った?」
「うん。始まったら、思ったより大丈夫だった」
「そっか」
「春樹くんは?」
「普通」
「普通?」
「うん」
紅秋が横から言う。
「春樹の普通は参考にならない」
圭も同意する。
「春樹、絶対できてる顔してる」
「そう?」
「そう!」
教室に少しだけ笑いが戻った。
◇
二時間目は国語だった。
簿記ほどの緊張はなかったが、考査は考査だった。
文章を読み、設問に答える。
漢字。
文法。
記述。
なつきは簿記が終わった安心で気を抜かないよう、もう一度深呼吸した。
春樹の「解けばいい」という言葉を思い出す。
一問ずつ。
文章を読む。
聞かれていることを確認する。
書く。
国語は、簿記とは違う難しさがある。
答えが数字のようにはっきり見えない。
でも、自分の言葉で書ける問題もあった。
記述問題で少し迷い、本文へ何度も戻った。
誰の気持ちなのか。
何をきっかけに変化したのか。
なつきは、ふと最近読んでいる本を思い出した。
大きな出来事ではなく、少しずつ距離が変わる物語。
言葉の間。
沈黙。
行動。
そういうものから気持ちを読み取る。
それは、春樹と話している時にも似ている。
春樹の言葉は短い。
でも、何もないわけではない。
その短さの中に、ちゃんと気持ちがある。
なつきは本文の一文へ線を引き、記述を書いた。
◇
午前の考査が終わる頃には、教室全体がかなり疲れていた。
今日は午前中で終了。
明日以降も考査は続く。
解放されたようで、完全には解放されていない。
担任が帰りのホームルームで言う。
「今日は帰宅後、明日の科目を軽く確認して、早めに休んでください。初日が終わって気が抜けないように」
圭が小さく呻く。
「まだ続く」
田辺が笑う。
「当たり前だろ」
島中も鞄へ問題集を入れる。
「今日は英語と数学か」
紅秋が言う。
「帰ったら一時間ずつ確認。長くやりすぎるな」
「紅秋、予定表作って」
「自分で作れ」
「冷たい」
「自立しろ」
みんなが笑う。
なつきも鞄を持ち上げた。
黒猫が揺れる。
初日が終わった。
まだ結果は分からない。
でも、思っていたより自分は落ち着いて解けた。
そのことが嬉しかった。
◇
教室を出る前、春樹がなつきの机の横へ来た。
「横田さん」
「うん?」
「今日は、もう簿記見なくていい」
「答え合わせしない方がいい?」
「うん。次」
「英語と数学」
「うん」
なつきは少し笑った。
「春樹くん、先生みたい」
「紅秋にも言われた」
「どう思った?」
「普通」
「やっぱり普通なんだ」
春樹の口元が少しだけ緩む。
なつきも笑った。
「でも、ありがとう」
「うん」
「朝、大丈夫って言ってくれたのも」
「うん」
「本当に、少し落ち着いた」
春樹はなつきを見た。
「明日も言う?」
胸が跳ねる。
「言ってくれるの?」
「必要なら」
なつきは黒猫に触れた。
「必要」
少しだけ恥ずかしかった。
でも、素直に言えた。
「明日も、言ってほしい」
春樹は頷く。
「分かった」
その短い約束だけで、明日の朝が少し怖くなくなった。
◇
昇降口へ向かう廊下。
考査初日を終えた生徒達の声が、いつもより少し疲れて響いている。
「簿記終わった」
「国語の記述何書いた?」
「答え合わせやめよう」
「明日数学だよ」
そんな声があちこちから聞こえる。
なつきは亜衣と茜と歩いていた。
少し後ろには春樹と紅秋。
圭達は前で、今日の反省を話している。
「なつき」
亜衣が言う。
「初日、お疲れ」
「亜衣ちゃんも」
「どう? 昨日より不安減った?」
「うん。まだ明日もあるけど」
「でも、今日ちゃんとできたもんね」
「うん」
なつきは頷いた。
「ちゃんとできた」
茜が微笑む。
「良い顔をしているわ」
「そう?」
「ええ。朝よりずっと落ち着いている」
なつきは窓の外を見た。
昼の光。
いつもの校庭。
体育祭の白線はもうない。
でも、その時に得た勇気は残っている。
紅組の前列で声を出した自分。
借り人競争で春樹に見つけてもらった自分。
図書室で、自分で問題を解けるようになった自分。
全部が、今日の答案用紙の前にいた。
自分一人で受けた考査。
でも、そこへ辿り着くまでに、たくさんの人が隣にいてくれた。
◇
校門を出る前。
春樹がなつきを呼んだ。
「横田さん」
「うん?」
「今日、見つけた」
「朝の黒猫?」
「それも」
「それも?」
春樹は少し考えた。
「考査が終わった時、笑ってた」
なつきは少し驚いた。
自分では気づかなかった。
「私、笑ってた?」
「うん」
「そっか」
「最後までできた顔」
胸が温かくなる。
春樹は、考査中ではなく。
終わったあとの自分を見つけてくれていた。
「春樹くんも」
「何?」
「終わった時、少しだけ安心した顔してた」
「そう?」
「うん。見つけた」
春樹は少しだけ黙った。
そして、ほんのわずかに口元を緩めた。
「そっか」
「うん」
考査初日。
答案用紙の前では、一人だった。
でも、終わったあとに顔を上げれば、春樹がいた。
亜衣がいた。
茜がいた。
みんながいた。
それだけで、明日も頑張れる気がした。
「また明日」
春樹が言う。
「うん。また明日、春樹くん」
「明日も、大丈夫」
なつきは少し笑った。
「まだ今日だけど」
「先に言った」
「ありがとう」
黒猫が鞄の横で揺れる。
中間考査はまだ続く。
不安も、緊張も、まだ終わらない。
でも、今日一日を越えられた。
それなら、明日も一問ずつ進めばいい。
焦らずに。
最後まで。
答案用紙の向こうで春樹を見つけることはできない。
けれど、顔を上げた時に見つけられる人がいる。
その安心を胸に、なつきは帰り道へ足を踏み出した。




