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『君の隣を目指して』――図書室、帰り道、教室――。少しずつ距離を縮めていく、高校生たちの等身大の青春ラブストーリー。  作者: 伊佐波瑞樹


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第117話 考査前夜、まだ隣にいられる理由


 中間考査まで、あと二日。


 二年十一組の教室には、朝からいつもとは違う緊張が漂っていた。


 誰かが笑えば、いつもより少しだけ短く終わる。


 机の上には、教科書だけでなく問題集や単語帳が積まれている。


 朝のホームルームが始まる前から、ノートを開いている生徒も多かった。


 教室後方の窓は少しだけ開いていて、秋へ向かい始めた風がカーテンを揺らしている。


 体育祭の頃より、ほんの少し涼しい。


 校庭に引かれていた白線は、もう完全に消えていた。


 あれほど大きく響いていた歓声も、今は遠い。


 代わりに教室へ満ちているのは、紙をめくる音。


 シャープペンを走らせる音。


 小声で単語を確認する声。


 そして、時々漏れる重いため息だった。


「無理かもしれない」


 圭が机に額をつけたまま言った。


 紅秋は問題集から顔を上げなかった。


「まだ考査は始まっていない」


「始まる前だから無理を感じてる」


「始まってから感じるよりいい」


「良くない」


 田辺が隣の席から笑う。


「でも三浦、前よりやってるだろ」


「やってる」


「なら大丈夫じゃねぇの」


「やってるからこそ、自分が分かってないことが分かってきた」


 島中が小さく頷いた。


「それは分かる」


「だろ?」


「ただ、三浦の場合は問題文を最後まで読むだけでも前進だ」


「島中まで!」


 亜衣が笑いをこらえながら単語帳を閉じた。


「圭くん、図書館勉強会の成果は出てるよ」


「本当?」


「前より問題に向き合ってる」


「褒められた」


「でも声は抑えて」


「はい」


 教室の空気が少しだけやわらぐ。


 なつきも笑いながら、自分の簿記ノートへ目を落とした。


 何度も解き直した仕訳。


 春樹が最初に描いてくれた矢印。


 その横には、なつき自身が後から書き足した説明が増えている。


 現金が増える。


 費用は借方。


 売上は貸方。


 手数料が引かれる時は、実際に受け取る金額を確認する。


 最初は、春樹の字だけだった。


 でも今は、自分の字も増えた。


 自分で解いて。


 間違えて。


 直して。


 もう一度解いて。


 そうして、少しずつ自分のノートになっている。


「なつき」


 隣から亜衣が覗き込んだ。


「今日も矢印ページ?」


「うん。でも今日は自分のメモも見てる」


「おお」


 亜衣は少しだけ嬉しそうに目を細めた。


「成長したね」


「そうかな」


「うん。前は春樹くんが書いたところばっかり見てた」


「それは……」


 なつきの頬が熱くなる。


 否定しようとして、やめた。


「……うん」


「認めた」


「でも、今は本当に復習してるよ」


「分かってる」


 亜衣は笑った。


「春樹くんの矢印から始まって、今はなつきのノートになってる」


 その言葉に、なつきは少し黙った。


 自分でも、同じことを思っていた。


 春樹がきっかけをくれた。


 でも、解くのは自分。


 分かるようになるのも、自分。


 春樹は何度もそう言ってくれた。


 ――横田さんが解いた。


 最初は、照れくさくて。


 そんなことない、春樹くんのおかげだと思っていた。


 もちろん、春樹のおかげでもある。


 でも今は、少しだけ分かる。


 春樹は、自分で進んだことを、自分のものとして受け取ってほしかったのだ。


「うん」


 なつきはノートを見ながら言った。


「少し、自分のになってきたかも」


 亜衣は満足そうに頷いた。


「よし」


   ◇


 教室の扉が開いた。


 春樹と紅秋が入ってくる。


 なつきは、いつものように自然に顔を上げた。


 黒猫へ触れる。


 もう、春樹を探すことは特別な動作ではなくなっていた。


 朝、教室に来ているかを見る。


 姿を見つける。


 目が合う。


 それだけで、一日の始まりが少し落ち着く。


 春樹もこちらを見る。


 視線が黒猫へ落ちる。


「おはよう」


「おはよう、春樹くん」


「今日もいる」


「うん」


「見つけた」


「私も、春樹くん見つけた」


 いつものやり取り。


 圭が横で小さく息を吐いた。


「もう完全に朝の恒例」


 田辺が小声で笑う。


「いいんじゃねぇの」


 島中も頷く。


「聞いてる方が慣れてきた」


 紅秋は春樹の隣で鞄を机へ置いた。


「慣れるべきかは分からないがな」


「何が?」


 春樹が首を傾げる。


 紅秋は返事を諦めたようにため息を吐いた。


 春樹は自分の席へ着く前に、なつきのノートへ視線を落とした。


「復習してる」


「うん」


「昨日の問題?」


「それと、その前のも」


「どう?」


「最初より分かる」


 なつきは少しだけ迷ってから、ノートを春樹の方へ向けた。


「見てくれる?」


「うん」


 春樹は立ったままノートを見た。


 自分で書き足した説明。


 解き直した仕訳。


 間違えたところの印。


 春樹はしばらく黙っていた。


 なつきは少し緊張する。


 でも、その沈黙に以前ほど怯えなくなった。


 春樹は考えている。


 ちゃんと見ている。


 そのことを知っているから、待てる。


「分かりやすい」


 春樹が言った。


「本当?」


「うん。自分の言葉になってる」


 胸が、ゆっくり温かくなる。


「……嬉しい」


「うん」


「春樹くんの矢印から始まったけど」


「でも今は横田さんのノート」


 亜衣が横で小さく目を見開いた。


 なつきは、すぐには返事ができなかった。


 春樹は何でもないことのように言う。


 けれど、なつきには大きかった。


「うん」


 ようやく頷く。


「私のノート」


 春樹も頷いた。


「うん」


   ◇


 朝のホームルームでは、考査当日の注意事項が伝えられた。


 机の中を空にすること。


 筆記用具以外はしまうこと。


 遅刻しないこと。


 体調管理をすること。


 当たり前の話なのに、担任の口から聞くと現実味が増す。


「明日は前日です。夜遅くまで詰め込みすぎないこと。睡眠不足で実力を出せなければ意味がありません」


 圭が小声で呟く。


「夜遅くまでやる予定だった」


 紅秋が即座に返す。


「やめろ」


「でも不安」


「朝やれ」


「起きられるかな」


「寝ろ」


「そこから?」


 田辺が笑いをこらえる。


 担任が黒板へ大きく書いた。


『前日は、確認。新しいことを増やさない』


 茜が真面目にノートへ写す。


 亜衣はそれを見て、小声で言った。


「茜ちゃん、注意事項も写すの?」


「大事でしょう?」


「大事だけど、先生より先生」


 美優がいたら笑いそうだな、と、なつきはふと思った。


 今日はまだ特進棟から来ていない。


 放課後の勉強会には、蓮と一緒に顔を出すと言っていた。


 祐衣は図書委員の当番。


 最近、放課後の図書室へ行くと、自然にみんなが集まる。


 以前は春樹と二人きりになれるかもしれない場所だった。


 今は、春樹も祐衣も、亜衣も茜も、圭達もいる場所になった。


 少し寂しいような。


 でも、それ以上に嬉しい。


 春樹との距離だけでなく、みんなとの距離も近くなっている。


 なつきは、そういう変化も好きだった。


   ◇


 一時間目は簿記だった。


 先生は考査範囲の総まとめとして、少し長めの問題を黒板に書いた。


「今日は、考査と同じように時間を決めて解きます。まずは自力で。質問は最後にまとめて受けます」


 教室に緊張が走る。


 問題用紙が配られる。


 なつきは一枚受け取り、机の上へ置いた。


 文章が長い。


 条件も多い。


 一瞬だけ、頭の中が真っ白になりそうになる。


 でも、深呼吸した。


 問題文を最後まで読む。


 条件を分ける。


 何が増える。


 何が減る。


 費用。


 売上。


 現金。


 一つずつ。


 春樹は斜め前にいる。


 でも、今は見ない。


 これは自分で解く時間。


 春樹もきっと、そう思っている。


 なつきは問題文へ線を引いた。


 最初の仕訳。


 次。


 途中で迷う。


 手数料。


 どちら側だったか。


 ノートの矢印を思い出す。


 費用は借方。


 書く。


 次の問題。


 計算が合わない。


 一度消す。


 もう一度。


 時計の針が進む。


 教室の中には、ペンを走らせる音だけが響いていた。


 圭も今日は静かだった。


 田辺も眉を寄せている。


 島中は一度天井を見てから、また問題用紙へ戻った。


 亜衣は唇を結び、茜は落ち着いて順番に解いている。


 なつきは自分の呼吸を整えた。


 焦らない。


 分からないところだけに囚われない。


 できるところから。


 最後の問題までたどり着いた頃、先生が言った。


「あと三分です」


 教室に、小さな緊張が走る。


 なつきは見直す。


 貸借が逆になっていないか。


 金額は合っているか。


 数字の転記ミスはないか。


「終了」


 ペンを置く。


 なつきは息を吐いた。


 全部解けた。


 合っているかは分からない。


 でも、途中で諦めなかった。


 それだけで、少し嬉しかった。


 先生が前から解答を説明する。


 一問目。


 合っている。


 二問目。


 合っている。


 三問目。


 一部違う。


 四問目。


 合っている。


 最後。


 合っている。


 なつきの胸が、少しずつ熱くなる。


 全部ではない。


 でも、ほとんど合っていた。


 以前なら、最初の長い問題文を見ただけで、怖くなっていたかもしれない。


「横田さん」


 授業が終わる直前、先生がなつきの机の横で足を止めた。


 なつきは少し緊張して顔を上げる。


「途中式と整理の仕方、良くなりましたね」


「えっ」


「考えた跡が分かります。このまま続けてください」


「はい」


 先生はそれだけ言って前へ戻った。


 なつきは一瞬、動けなかった。


 周囲の数人がこちらを見る。


 亜衣が嬉しそうに笑う。


 茜も小さく頷いた。


 田辺が「やるじゃん」と小声で言い、島中も少しだけ親指を上げた。


 圭は自分の答案を見ながら言った。


「なつき、すごい」


 春樹は斜め前から振り返った。


 目が合う。


 なつきは少しだけ笑った。


 春樹も小さく頷く。


 言葉はない。


 でも、分かった。


 よかった。


 そう言われた気がした。


   ◇


 休み時間になると、亜衣がすぐに隣へ来た。


「なつき!」


「うん」


「先生に褒められた!」


「うん」


「ちゃんと喜んで」


 なつきは少し照れながらも、頷いた。


「嬉しい」


「よし」


 茜も近くへ来る。


「本当に良かったわ。前より落ち着いて解けていたでしょう?」


「うん。最初は怖かったけど、問題文を分けたら少しずつ見えた」


「勉強会の成果ね」


「うん」


 春樹が席から立ち、なつきの方へ来た。


「どうだった?」


「一問だけ少し違った。でも、ほとんど合ってた」


「うん」


「先生にも褒めてもらえた」


「聞こえた」


「……嬉しかった」


 春樹は頷く。


「俺も」


 なつきの胸が跳ねる。


「春樹くんも?」


「うん。横田さんができると、嬉しい」


 何度か言ってくれた言葉。


 それでも、毎回ちゃんと胸に届く。


「ありがとう」


「うん」


 圭が遠くから声を抑えて言った。


「また春樹がなつきに優しい」


 春樹は圭を見る。


「圭も一問目合ってた」


「見てた!?」


「うん」


 圭の表情が一気に明るくなる。


「春樹、俺のことも見つけてた!」


 教室に笑いが起きる。


 なつきも笑った。


 春樹は、本当に周りを見ている。


 自分だけではない。


 でも、そのことが今は嬉しかった。


 春樹が優しいのは、自分にだけだからではない。


 春樹自身が、そういう人だから。


 その中で、自分へ向けてくれる言葉もある。


 それでいい。


   ◇


 昼休み。


 教室の空気は、午前中の模擬問題の結果で少しにぎやかになった。


「俺、一問目だけ合ってた」


 圭が何度も言う。


 田辺が苦笑する。


「一問目だけで一日持たせる気か」


「成功体験は大事」


 島中も自分の答案を見ながら言った。


「でも、俺も思ったより取れてた」


 紅秋が頷く。


「勉強会が無駄ではなかったな」


「紅秋が褒めた」


「事実を言っただけだ」


 亜衣が英語の単語帳を開きながら言う。


「午後の英語もこの調子でいきたいね」


 茜が頷く。


「最後の確認が大事ね」


 なつきは弁当を食べながら、春樹が持っていた本を思い出した。


 全部読み終わった。


 感想を聞いた。


 自分が選んだから読んだと言ってくれた。


 そして、自分の本も残り少し。


 今夜には読み終わりそうだった。


「春樹くん」


「何?」


「今日、帰ったら本、最後まで読むね」


「うん」


「明日、感想話したい」


「うん。聞く」


「春樹くんも、もう少し感想考えておいてね」


「宿題」


「そう。感想の宿題」


 春樹は少しだけ笑った。


「分かった」


 亜衣が横で言う。


「考査前に本の感想宿題も増えてる」


「息抜き」


 なつきが言うと、亜衣は笑った。


「いい息抜きだね」


   ◇


 昼休みの後半、美優と蓮が教室へやってきた。


 美優は少し疲れたような顔で英語のプリントを持っている。


「無理」


 圭が顔を上げる。


「仲間?」


「仲間」


 美優は圭と一瞬だけ共感し合った。


 蓮が苦笑する。


「二人とも、まだ始まってないよ」


「始まる前が一番怖い」


 美優が言う。


 圭が強く頷く。


「分かる!」


 祐衣も少し遅れてやってきた。


 図書委員の仕事前に、英語プリントの確認をするためらしい。


「こんにちは」


「祐衣さん」


 なつきが声をかける。


「今日、放課後も英語お願いしていい?」


「もちろんです」


 祐衣は頷いた。


 美優が祐衣の隣へ座る。


「私もお願いします」


「一緒に頑張りましょう」


 春樹は美優と祐衣を見て、それからなつきへ視線を戻した。


 ただそれだけ。


 でも、なつきには分かった気がした。


 今日もいる。


 見つけている。


 そんな小さな確認。


 なつきは黒猫に触れた。


   ◇


 放課後の図書室は、ほぼ満席だった。


 考査直前。


 いつもはあまり来ない生徒まで、問題集や単語帳を持って集まっている。


 カウンターでは祐衣が忙しそうに本の返却処理をしていた。


 なつき達は、奥の机をいくつか使うことになった。


 今日は、考査前最後の大きな勉強会。


 紅秋が小声で全体へ伝える。


「今日は新しい範囲へ手を出さない。今までやったところの確認だけ」


 茜も頷く。


「間違えた問題を解き直しましょう」


「新しいこと増やさない」


 圭が担任の言葉を復唱する。


「そうだ」


 田辺が問題集を開く。


「じゃあ俺、この前間違えたやつ」


 島中も同じように付箋のページを開いた。


 春樹はなつきを見る。


「横田さんは?」


「今日の模擬問題、間違えた一問」


「うん」


「それを解いて、それから英語」


「分かった」


 勉強が始まる。


 図書室の静けさ。


 周囲の生徒達の息遣い。


 ページをめくる音。


 なつきは今日間違えた一問を見た。


 手数料の計算。


 途中で金額を取り違えた。


 問題文を読み直す。


 条件へ線を引く。


 計算する。


 書く。


 今度は、合っている気がした。


「春樹くん」


「うん」


「見て」


 春樹がノートを見る。


 なつきは待つ。


 沈黙。


 でも怖くない。


 春樹は頷いた。


「合ってる」


「よかった」


「原因、分かった?」


「うん。最初に金額を一つ飛ばしてた」


「なら大丈夫」


 なつきは少し笑った。


「これで簿記、最後の確認にしていいかな」


「うん。あとは夜に軽く見るだけ」


「分かった」


「早く寝る」


「春樹くんまで先生みたい」


「大事」


「うん」


 春樹は問題集へ戻る。


 なつきはその横顔を見た。


 考査前の緊張。


 でも、春樹が隣にいる。


 それだけで少し落ち着く。


   ◇


 英語の確認では、祐衣が合流した。


 なつき、亜衣、茜、美優、祐衣が同じ机へ座る。


 長文を区切る。


 主語と動詞を探す。


 単語の意味を確認する。


「ここ、前の文を受けてますか?」


 なつきが聞くと、祐衣は頷いた。


「はい。だから、この代名詞はこの内容です」


「そっか」


 美優が隣で言う。


「祐衣、ここも」


「はい」


 亜衣が単語帳を見ながら呻く。


「覚えたはずなのに抜ける」


 茜が言う。


「今抜けたなら、考査前に戻せるわ」


「茜ちゃん、前向き」


「今はそれしかないでしょう?」


 みんなで小さく笑う。


 なつきは祐衣へ視線を向けた。


「祐衣さん」


「はい?」


「本の話、考査終わったら三人でしようね」


 祐衣はすぐに頷いた。


「楽しみにしています」


「祐衣さんのおすすめも」


「何冊か考えてあります」


「もう?」


「はい」


 祐衣は少しだけ照れたように笑った。


「横田さんと大國くんが好きそうな本を、少し」


 なつきの胸が温かくなる。


 自分と春樹。


 二人に合いそうな本を、祐衣が考えてくれている。


 そのことが嬉しかった。


「ありがとう」


「いえ。私も楽しいので」


 祐衣との距離も、確かに縮まっていた。


   ◇


 勉強会が終わる頃には、空が暗くなり始めていた。


 図書室の窓には、室内の明かりが淡く映っている。


 圭は机へ突っ伏しそうになりながらも、最後まで問題を解いた。


「終わった」


 紅秋が時計を見る。


「今日はここまで」


「本当に?」


「本当だ」


 圭は静かに両手を上げた。


 田辺が笑う。


「お疲れ」


 島中も問題集を閉じる。


「ここまでやったら、あとは寝るだけだな」


「寝る前に軽く確認」


 紅秋が言う。


「現実」


「でも今日は聞く」


 圭は素直に頷いた。


 みんな、それぞれ疲れている。


 でも、少しだけ晴れやかな顔をしていた。


 やるだけやった。


 完全ではない。


 不安もある。


 でも、ここまで積み重ねたものがある。


 なつきもノートを閉じた。


 春樹が隣で言う。


「横田さん」


「うん?」


「大丈夫」


 急に言われて、なつきは目を瞬かせた。


「何が?」


「考査」


「……本当に?」


「うん。できてる」


 その言葉に、胸の奥が静かに温かくなる。


 なつきは黒猫へ触れた。


「春樹くんがそう言うなら、少し安心する」


「うん」


「でも、春樹くんも頑張ってね」


「うん」


「明日も見つける」


 なつきは少し笑って言った。


 春樹は頷く。


「俺も」


 短い約束。


 考査の日も。


 教室の中で。


 きっと、最初に春樹を見つける。


 春樹も黒猫を見つける。


 それだけで、少し落ち着ける気がした。


   ◇


 図書室を出ると、廊下には夜へ向かう静けさが降りていた。


 窓の外はもう薄暗い。


 教室の明かりがところどころ残っている。


 考査前の学校。


 いつもより遅くまで残っている生徒達。


 誰もが少し不安で。


 それでも、明日に向けて歩いている。


 なつきは春樹の隣に近い場所を歩いた。


 亜衣と茜もいる。


 圭達の笑い声が少し前から聞こえる。


 祐衣は図書室の片付けへ戻った。


 美優と蓮は途中で特進棟へ寄ると言って別れた。


 それぞれが、自分の考査へ向かっている。


「なつき」


 亜衣が隣で言う。


「不安?」


「少し」


「私も」


「でも、前より大丈夫」


「うん」


 亜衣は笑った。


「なつき、ちゃんとやったもんね」


「うん」


 なつきは頷いた。


「ちゃんとやった」


 自分で言えた。


 春樹がその言葉を聞いて、少しだけこちらを見る。


 なつきも春樹を見る。


 目が合う。


 黒猫が揺れる。


 春樹が小さく頷く。


 なつきも頷き返す。


 考査前夜。


 不安は消えない。


 でも、分からないところを一つずつほどいてきた。


 自分で解けることを増やした。


 友達と笑った。


 本の話もした。


 そして、春樹と同じ時間を積み重ねた。


 それなら、明日もきっと大丈夫。


 君の隣を目指す道は、考査の前でも変わらない。


 急がずに。


 焦らずに。


 今できることを、一つずつ。


 なつきは黒猫をそっと撫でながら、夕方の校舎を春樹たちと歩いていった。

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