第111話 休日の駅前で、いつもと違う君を見つける
日曜日の朝。
なつきは、いつもより少し早く目を覚ました。
学校がある日ではない。
制服を着る必要もない。
ホームルームも授業もない。
それなのに、胸の奥は平日の朝よりずっと落ち着かなかった。
今日は、図書館で勉強会。
そのあと、少しだけカフェで体育祭のお疲れ会。
名目は勉強会だ。
中間考査に向けた、ちゃんとした予定。
けれど、なつきにとってはそれだけではなかった。
春樹が来る。
亜衣も、茜も、圭も、田辺も、島中も、紅秋も。
蓮も、美優も、白石祐衣も来る。
体育祭で紅組と白組に分かれていたみんなが、今度は同じ場所に集まる。
なつきは布団の上でしばらく座ったまま、ぼんやりと窓の外を見た。
朝の光がカーテンの隙間から入っている。
体育祭の日の朝とも違う。
学校へ行く朝とも違う。
休日の、少しだけ特別な朝。
机の横の鞄には、黒猫のキーホルダーがついている。
今日は学校用の鞄ではなく、少し小さめのバッグに付け替えた。
春樹が見つけてくれる黒猫。
自分が春樹を見つけるための、少しだけ勇気をくれる黒猫。
なつきはそっと指先で触れた。
「今日も、よろしくね」
小さく呟くと、胸の緊張が少しだけやわらいだ。
◇
服を選ぶだけで、思ったより時間がかかった。
勉強会だから、派手すぎるのは違う。
でも、休日に春樹に会う。
学校ではない場所で会う。
そう思うと、何でもいいとは思えなかった。
なつきはクローゼットの前で何度も迷った。
白っぽいブラウス。
淡い色のカーディガン。
動きやすいスカート。
派手ではない。
けれど、少しだけ休日らしい。
鏡の前に立ってみる。
「……変じゃないかな」
誰に聞くわけでもなく呟く。
春樹は、たぶん服について細かく何か言うタイプではない。
けれど、見つけてくれるかもしれない。
黒猫だけでなく、いつもと少し違う自分を。
そう思うと、また顔が熱くなった。
バッグの中には、筆記用具、ノート、簿記の問題集、英語のプリント、昨日の本。
春樹が選んでくれた本も入れた。
勉強会なのに本まで持っていくのは、少し荷物が増える。
でも、感想を話す約束をした。
短くてもいいから。
その約束が、なつきには大切だった。
準備を終えて家を出ると、朝の空気はやわらかかった。
休日の道は、平日より少し静かだ。
車の音も、人の声も、どこかゆっくりしている。
なつきは駅へ向かいながら、何度もバッグの黒猫を確認した。
ちゃんとついている。
ちゃんと揺れている。
それだけで、少し安心できた。
◇
集合場所は、水戸駅の改札近く。
なつきが着いた時、まだ集合時間の十五分前だった。
早すぎたかな、と思った。
けれど、落ち着かなくて家を早く出てしまったのだから仕方ない。
休日の水戸駅は、平日の通学時間とは違う空気だった。
制服姿の高校生もいるけれど、私服の人の方が多い。
家族連れ。
買い物へ向かう人。
部活の遠征らしいジャージ姿の学生。
スーツケースを持った人。
駅の構内には、電車の到着を知らせる音と、人の足音が重なっている。
なつきは集合場所の柱の近くに立った。
バッグを両手で持つ。
黒猫が揺れる。
周囲を見渡す。
まだ誰も来ていない。
少しだけ緊張する。
学校ではない場所でみんなを待つ時間は、いつもと違って落ち着かなかった。
特に、春樹を待つ時間は。
「なつき!」
背後から声がした。
振り返ると、亜衣が手を振って歩いてきていた。
休日らしい明るい服装で、いつもの制服姿より少し大人っぽく見える。
「亜衣ちゃん」
「早いね」
「亜衣ちゃんも」
「楽しみで早く来た」
「私も」
二人で顔を見合わせて笑った。
亜衣はなつきを上から下まで見て、にやっとする。
「いいじゃん」
「え?」
「服。かわいい」
なつきの頬が一気に熱くなる。
「そ、そう?」
「うん。春樹くん、見つけると思う」
「そこに繋げないで」
「繋がるでしょ」
亜衣は笑いながら、なつきのバッグについた黒猫を見る。
「黒猫もいるね」
「うん」
「完全装備」
「装備って」
「春樹くん発見装備」
「だから」
なつきは恥ずかしさで黒猫を隠すように触れた。
でも、隠したいわけではない。
今日も、春樹に見つけてもらいたい。
その気持ちは、もう否定できなかった。
少しして、茜が来た。
落ち着いた私服姿で、手にはしっかり参考書が入っていそうなバッグ。
「おはよう」
「茜ちゃん、おはよう」
「二人とも早いのね」
「楽しみだったから」
亜衣が言う。
茜は微笑む。
「勉強会を楽しみにできるのは良いことね」
「カフェもあるから」
「やっぱり」
三人で笑う。
その笑い声が、休日の駅前に小さく混ざった。
◇
次に来たのは圭だった。
遠くからでも分かった。
声が大きいからではない。
いや、半分くらいは声が大きいからだった。
「おはよう!」
まだ少し離れているのに聞こえた。
亜衣がすぐに手を上げる。
「圭くん、図書館行く前から声量」
「今日は外だからセーフ!」
「図書館ではアウトだからね」
「分かってる!」
圭は私服でも圭だった。
明るい色のパーカーに、動きやすそうなパンツ。
体育祭の余韻がまだ体から抜けていないような元気さだった。
少し遅れて、田辺と島中も来た。
田辺は落ち着いた服装で、島中は少しラフな格好をしている。
「おはよう」
田辺が言う。
「おはよう」
なつきが返すと、島中が少しだけなつきを見た。
「横田、休日だと雰囲気違うな」
「えっ」
「いや、変とかじゃなくて」
田辺がすぐに島中を肘で小突く。
「言い方」
「分かってるって。似合ってるって意味だよ」
なつきは少しだけ照れた。
「あ、ありがとう」
亜衣がにやにやする。
「島中くん、褒め方が不器用」
「うるせぇ」
圭が大きく頷く。
「なつき、確かに休日感ある!」
「圭くん、それ褒めてる?」
「褒めてる!」
茜が静かに笑った。
紅組の空気が、休日の駅前にもそのまま来たようだった。
なつきは少し安心した。
学校ではない場所でも、みんなはみんなだった。
◇
しばらくして、紅秋と春樹が並んで現れた。
なつきの胸が、分かりやすく跳ねた。
春樹の私服。
学校では見られない姿。
落ち着いた色のシャツに、シンプルな上着。
派手ではない。
でも、春樹らしい。
すっきりしていて、静かで、少しだけ大人っぽい。
なつきは一瞬、言葉を忘れた。
「なつき」
亜衣が小声で言う。
「見すぎ」
「見てない」
「見てる」
「……見てた」
正直に言うと、亜衣は満足そうに頷いた。
春樹が近づいてくる。
「おはよう」
「お、おはよう、春樹くん」
声が少し上ずった。
春樹の視線が、なつきのバッグの黒猫へ落ちる。
「今日もいる」
「うん」
「見つけた」
いつもの言葉。
でも、休日の駅前で聞くと、また違う響きだった。
なつきは胸を押さえたくなるのをこらえながら、小さく笑った。
「私も、春樹くん見つけた」
春樹は頷く。
「うん」
圭が口元を押さえて震えていた。
「休日でもこれ……」
田辺が低く言う。
「抑えろ」
「分かってる!」
島中が笑う。
「もう定番だな」
紅秋はため息を吐いた。
「春樹、図書館では声量だけでなく距離感にも気をつけろ」
「距離感?」
「いや、お前はそのままでもいいのかもしれないが」
「どっち?」
「難しい」
紅秋が珍しく少し悩んでいた。
なつきはそれを見て、思わず笑った。
◇
蓮、美優、白石祐衣は少し遅れて到着した。
蓮は爽やかな私服で、いつもよりさらに特進科らしい落ち着いた雰囲気があった。
美優は明るい色の服で、駅前の空気に自然に馴染んでいる。
祐衣は淡い色のワンピースにカーディガンを合わせていて、図書室にいる時とはまた違う柔らかさがあった。
「おはよう!」
美優が手を振る。
「ごめん、少し遅れた?」
「まだ時間前だよ」
蓮が笑う。
「美優が服で迷ってた」
「蓮、言わなくていい!」
美優が少し赤くなる。
祐衣が穏やかに微笑む。
「でも、とても似合っていますよ」
「祐衣に言われると安心する」
美優はそう言ってから、なつきを見た。
「横田さん、おはよう。今日の服、かわいいね」
「えっ、ありがとう。美優さんもすごく似合ってる」
「本当? よかった」
なつきは美優を見て、少しだけ胸が揺れた。
美優はやっぱり明るくて、自然で、春樹の近くに立つことに違和感がない。
けれど、以前ほど苦しくはなかった。
それよりも、美優とこうして普通に褒め合えたことが嬉しかった。
祐衣もなつきへ微笑む。
「横田さん、黒猫も一緒なんですね」
「うん」
「大國くん、すぐ見つけられそうです」
なつきの顔が熱くなる。
春樹は普通に頷いた。
「見つけた」
「もう見つけてましたね」
祐衣が少しだけ笑う。
美優が春樹を見る。
「春樹、相変わらずだね」
「そう?」
「うん」
蓮も笑った。
「休日でも春樹は春樹だね」
春樹は少し首を傾げた。
その様子に、みんなが笑った。
休日の駅前。
学校とは違う場所。
それなのに、この空気は確かにいつものみんなだった。
◇
全員が揃ったところで、図書館へ向かうことになった。
水戸駅前の人通りを抜け、歩道を並んで歩く。
人数が多いので、自然にいくつかの小さな列に分かれた。
前の方に圭、田辺、島中、蓮。
圭が何か話し、田辺が突っ込み、島中が笑い、蓮が穏やかにまとめている。
少し後ろに亜衣、茜、美優、祐衣。
女子同士で服や体育祭の話をしている。
なつきはその輪に入りつつ、春樹とも近い位置を歩いていた。
紅秋は春樹の隣で、全体の様子を見ている。
「休日にこの人数で歩くと、なんか遠足みたい」
亜衣が言う。
美優が笑う。
「勉強会だけどね」
「圭くんは遠足気分だよ」
「聞こえてる!」
前から圭の声が飛ぶ。
「声量!」
亜衣が即座に返す。
通行人が少しだけこちらを見る。
圭が慌てて口を押さえた。
「すみません」
田辺が笑う。
「図書館前に練習できてよかったな」
島中も言う。
「声量調整のな」
みんなで笑う。
なつきも笑いながら、横を歩く春樹を見た。
春樹も少しだけ笑っている。
その小さな笑みを見つけられることが、嬉しかった。
「春樹くん」
「何?」
「今日、何教えてもらおうかな」
「簿記」
「やっぱり?」
「苦手って言ってたから」
「うん。苦手」
「あと英語」
「英語も?」
「中間ある」
「現実」
なつきが言うと、春樹は少しだけ口元を緩めた。
「現実」
「春樹くん、紅秋くんみたい」
「そう?」
「うん」
紅秋が横から言った。
「現実を見せる役が増えるのは良いことだ」
亜衣が振り返る。
「紅秋くん、今日も現実担当?」
「必要だろう」
「必要だけど重い」
茜が笑う。
「でも、今日は本当に勉強会だからね」
「分かってるよー」
美優が明るく言う。
「私も数学見てもらいたいし」
蓮がすぐに言う。
「美優はまず問題文を最後まで読もう」
「読んでる!」
「途中で雰囲気で解き始めるでしょ」
「う」
祐衣が控えめに笑う。
「私も英語を少し確認したいです」
「祐衣さん、英語得意そう」
なつきが言うと、祐衣は首を横に振る。
「読むのは好きですが、文法は時々不安になります」
「そうなんだ」
「はい。なので、一緒に確認できたら嬉しいです」
「うん。私も」
少しずつ、勉強会らしい話になっていく。
でも、その中にも笑いがあった。
なつきは思った。
体育祭でできた輪が、こうして別の形で続いている。
紅組でも白組でもなく、同じ中間考査へ向かう仲間として。
◇
図書館へ近づくにつれ、自然と声は少し落ち着いていった。
圭もさすがに声量を抑え始めた。
亜衣がそれを見て、満足そうに頷く。
「圭くん、えらい」
「図書館だから」
「分かってるじゃん」
「俺だって成長する」
田辺が笑う。
「体育祭からか?」
「そう!」
島中が小声で言う。
「体育祭で声出しすぎて、逆に抑えることを学んだんだな」
「深い!」
「深くねぇよ」
図書館の建物が見えてきた。
静かな外観。
大きな窓。
入口の前には、休日らしく親子連れや学生の姿がある。
なつきは少し緊張した。
学校の図書室とは違う。
公共の図書館。
そして、今日はみんなと一緒。
勉強会。
春樹が隣にいる。
なつきはバッグの黒猫に触れた。
春樹がそれを見る。
「緊張?」
「少し」
「勉強?」
「それもあるけど……」
なつきは少しだけ笑った。
「休日にみんなでいるの、まだ慣れない」
「うん」
「春樹くんは?」
「少し」
「春樹くんも?」
「人、多いから」
「あ、そっか」
春樹は人混みが得意な方ではない。
それを思い出す。
「大丈夫?」
「うん」
「無理しないでね」
春樹はなつきを見た。
「横田さんも」
「うん」
短い会話。
でも、支え合うような温かさがあった。
◇
図書館の入口で、全員が一度止まった。
紅秋が小声で言う。
「ここからは静かに」
圭が真剣に頷く。
「了解」
亜衣が小さく笑う。
「圭くんが一番真面目な顔してる」
「図書館だから!」
「小声でえらい」
蓮が全体を見て言う。
「席、空いてるといいね」
茜が頷く。
「人数が多いから、まとまって座れない場合は分かれましょう」
祐衣が言う。
「自習スペースなら、奥の方が比較的静かかもしれません」
「さすが祐衣」
美優が笑う。
「図書館似合う」
祐衣は少し照れたように微笑む。
なつきはその横顔を見て、やっぱり綺麗だなと思った。
けれど、もう苦しくはない。
祐衣は祐衣。
なつきはなつき。
春樹との距離も、祐衣との距離も、それぞれ少しずつ変わっていけばいい。
春樹が入口の前で、なつきを見る。
「行こう」
「うん」
なつきは頷いた。
図書館の自動ドアが開く。
外のざわめきが少し遠ざかり、静かな空気が流れ込んでくる。
紙の匂い。
低い話し声。
ページをめくる音。
休日の図書館。
ここから、中間考査へ向けた勉強会が始まる。
そして、なつきにとってはもう一つ。
春樹と、みんなと、日常の中で少しずつ距離を重ねる時間が始まる。
黒猫がバッグの横で小さく揺れた。
なつきはその揺れを感じながら、春樹たちと一緒に図書館の中へ足を踏み入れた。




