第3話:【遭遇】異世界に不時着。とりあえず目の前の獣人を轢きかける
「……道幅が狭い。そこをどいてくれないか。業務の邪魔だ」
「は、はいぃぃっ!?」
目の前に立ちはだかる、巨大な白い鉄の塊。
そこから発せられた低く平坦な声に、私――狼族の獣人ミオは、情けない声を上げて腰を抜かしたまま固まっていた。
死ぬ。絶対に死ぬ。
だって、私の鼻先わずか数センチのところに、とてつもなく巨大な「鉄の壁」が迫っているのだ。
丸みを帯びた銀色の装飾。その奥でギラギラと光る、二つの巨大な目。
そして、ヴルルルルル……と、地鳴りのような低い唸り声(アイドリング音)を上げている。
間違いなく、凶悪な未知の魔獣だ。
借金取りのゴロツキどもから必死で逃げていたら、いきなり森の中から凄まじい速度でこれが飛び出してきたのだ。
あまりの恐怖に、私のふさふさの尻尾は股の間に完全に巻き込まれ、ピンと立っていた狼の耳はペタンと頭に張り付いている。
「お、おい! なんだこの鉄の魔獣は!?」
「どこから現れやがった!?」
私を追いかけていた三人組のゴロツキたちも、突然現れた謎の巨大物体に恐れをなして足を止めていた。
「……おい。そこの柄の悪い三人組」
鉄の魔獣の横っ腹。
四角い透明な窓がウィーンと下がり、そこから一人の人間の男が顔を出した。
黒い髪に、黒い瞳。
そして、この世のすべての労働に絶望したような、死んだ魚の目をしている。
「あ、あれは……魔獣使いか!?」
「ちっ、人間じゃねえか! おい、そこの獣人は俺たちの獲物だ! 横取りする気なら容赦しねえぞ!」
ゴロツキのリーダー格が、威勢よく剣を抜き放ち、鉄の魔獣――トラックのフロントバンパーをガンガンと叩いた。
ガンッ! ガンッ!
「降りてきやがれ! この鉄の箱から引きずり出してやる!」
私は震える声で叫んだ。
「に、逃げて……! その人たち、血も涙もない悪党なの! あなたまで殺されちゃう!」
通りすがりの一般人が巻き込まれるのは見過ごせない。
そう思ったのだが。
男は、死んだ魚の目のまま、低く冷たい声で言った。
「……ボディを叩くな」
「あぁん?」
「そこに傷がついたら、板金塗装代でお前たちの臓器を売ることになるぞ。やめろ。俺は仕事中だ」
「ふざけやがって! なに寝言言ってやがる!」
ゴロツキの男が、さらに力任せに剣を振り下ろす。
しかし、キィンッ! という甲高い音が響き、剣の方が無惨に折れ曲がってしまった。
「なっ!? 俺の特注の魔剣が!? この鉄の箱、どんだけ硬てぇんだ!」
「……警告はしたぞ。それと、歩行者が車道を塞ぐのは道路交通法違反だ。直ちに退去しろ」
「わけのわからねえ言葉を使ってんじゃねえ! ええい、魔法だ! 魔法でこいつごと焼き払え!」
ゴロツキたちが一斉に呪文を詠唱し始める。
手元に火球が生まれ、男と魔獣に向けて放たれようとした、その瞬間だった。
男が、手元のハンドルの中央を、無造作にパーンと叩いた。
ファアアアアアアアアアアアアアアアンッッッ!!!!!!
「ぎゃあああああああああああっ!?」
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
森全体を揺るがすほどの、凄まじい爆音が鳴り響いた。
それは、ドラゴンすらも逃げ出すような、大音量のクラクション。
耳のいい獣人である私でさえ、脳髄を直接揺さぶられるような衝撃に、両耳を塞いで地面に伏せた。
「あぎゃあああ! 耳が、耳がぁぁぁ!」
「だめだ! こいつ、とんでもねえ高位の音響魔法を無詠唱で放ってきやがる!」
「ば、化け物だぁぁぁぁっ! 逃げろぉぉぉっ!」
武器を放り出し、ゴロツキたちは蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。
あっという間に、周囲には再びエンジン音だけが残される。
「……ふぅ。最近の歩行者はマナーがなってないな。教習所からやり直してほしいものだ」
男は短くため息をつき、窓から顔を出して私を見下ろした。
「……おい。そこのケモ耳。いつまで道で寝ているつもりだ。発進できないだろうが」
「ひゃいっ!」
私は弾かれたように立ち上がった。
足の震えが止まらないが、なんとかお辞儀をする。
「あ、あのっ! た、助けていただいて、ありがとうございます! おかげで命拾いしました!」
「……助けた覚えはない。進路を塞がれていたから、クラクションを鳴らしてどかしただけだ」
男は一切の感情を交えずにそう答えた。
助けた自覚がない? あんな恐ろしい悪党どもを、一瞬で追い払っておいて?
「あ、あの……私はミオと言います。狼族のミオです! あなたは……?」
「轟 駆だ。轟運輸のトラックドライバーをしている」
「とどろき……? トラック……どらいばー……?」
聞いたことのない職業だった。
魔獣使いの一種だろうか。それにしても、この「とらっく」と呼ばれる鉄の魔獣は異様すぎる。
「ミオと言ったな。なぜあんな連中に追われていたんだ」
「うっ……それは……」
私は少し視線を泳がせた。
「……実は、私、元々は行商人をやってたんですけど。ちょっと、その、商売に失敗しちゃって。故郷の村を担保に借金をしちゃって……それで、追われてたんです」
「……金にがめついタイプか。面倒そうだな」
「がめついって言わないでください! 行商人なら利益を追求するのは当然です!……まあ、今回は大赤字で夜逃げ中なんですけど」
ははは、と私が力なく笑うと、駆と名乗った男は、じっと私を見つめた。
その死んだ魚のような目が、何かの査定をするように光った気がした。
「……元行商人ということは、この辺りの地理には詳しいのか」
「え? ええ、まあ。あちこち回っていたので、近隣の街や街道のルートなら、頭に入ってますけど……」
「街までの道程、所要時間、治安状況。すべて正確に案内できるか?」
「できますけど……それが何か?」
駆は、ガチャリと音を立てて、トラックの助手席のドアを開けた。
「ちょうどいい。ナビを探していたところだ」
「なび……?」
「道案内だ。俺は今日付けで異動になったばかりでな。この世界の地図を持っていない。次の目的地までのルート案内を、お前に依頼したい」
「えっ? あ、はい。道案内くらいなら、命を助けてもらったお礼に……って、え?」
私は、開かれたドアの向こう側の空間を見た。
鉄の魔獣の、お腹の中。
革張りの椅子。見たこともない光る計器類。そして、強烈に漂う、油と鉄の匂い。
「……さあ、乗れ。出発するぞ」
駆が、無表情のまま私を促す。
「の……乗る?」
「そうだ。そこに座れ。そして俺に道を指示しろ」
「えっ、ちょ、待ってください! この鉄の魔獣の中に!? 食べられちゃうじゃないですか!」
「食べない。これはただのいすゞのエルフだ。早く乗れ。納期が遅れる」
「いすずのえるふ!? なんですかその悪魔みたいな名前! 絶対に魂を吸い取られるやつですよね!?」
「……吸い取らない。冷暖房完備で快適だぞ。いいから乗れ」
「嫌です! 借金取りに捕まるより、得体の知れない魔獣に飲み込まれる方が絶対に嫌ですぅぅぅぅ!」
私は全力で後ずさりしようとした。
しかし、借金取りから逃げ回っていたせいで体力が限界だったのか、足がもつれて尻餅をついてしまう。
「……チッ。手のかかるナビだ」
駆は運転席からヒョイと降りてくると、私の首根っこを掴んで、そのままひょいっと持ち上げた。
「ぎゃあっ! 何するんですか! 放して! 放せぇぇぇっ!」
「大人しくしろ。運賃は無料にしてやるから」
「無料とかそういう問題じゃなーーーいっ!」
私の悲痛な絶叫が森に響き渡る中。
情け容赦なく、私はトラックの助手席へと放り込まれ、ガチャン! と重厚なドアが閉められたのだった。




