第29話:【空中戦】「上空からの飛来物(フン)は塗装に悪い」トラック、空を飛ぶ
ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!
新しいヘブンズ・オイルが行き渡ったディーゼルエンジンが、メルカディアの広場に凶暴な咆哮を響かせた。
しかし、相手は天界の女神アリアリアが封印を解いた、世界を滅ぼす災厄――『厄災の邪竜』である。
『ギャオオオオオオオン! 愚かな人間よ! その鉄の箱ごと、我が業火で灰と化せぇぇぇっ!』
邪竜が大きく顎を開き、街一つを丸ごと蒸発させるほどの極大ブレスを放った。
太陽すらも凌駕するような、赤黒く燃え盛る『滅びの業火』が、純白の2トントラックに向かって一直線に降り注ぐ。
「か、駆さぁぁぁぁぁぁん!!」
私は広場の端から、絶望の悲鳴を上げた。
いくら駆さんのトラックが頑丈でも、あんな巨大な火柱に包まれたら、中の人間は蒸し焼きになってしまう。
広場の石畳が一瞬にしてドロドロのマグマと化し、周囲の空気が熱で蜃気楼のように歪んだ。
しかし。
業火の渦の中心で、駆さんはただ淡々とダッシュボードのスイッチを操作していた。
「……エアコン、内気循環モード。設定温度18度」
ピッ。
トラックの車内は、外の地獄のような熱波とは無縁の、快適で涼しい風で満たされていた。
そして、トラックのボディ全体を覆う『対神格結界コーティング』が、邪竜の極大ブレスをドーム状に弾き返し、車体には一切の熱もダメージも通していない。
『な……っ!?』
ブレスを吐き終えた邪竜の六つの目が、信じられないものを見るように見開かれた。
ドロドロに溶けた広場の中央で、純白のトラックが傷一つなく鎮座しているのだ。
「ば、馬鹿な……!? 我の『滅びの業火』が、ただの箱に完全に防がれただと!?」
邪竜の驚愕をよそに、駆さんは死んだ魚の目で、フロントガラスにこびりついた『火山灰』を睨みつけていた。
「……ミオ! さっさと助手席に乗れ!」
「えっ!?」
「灰が熱でボディに焼き付く前に、水洗いしなければシミになる! 洗車場(水辺)を探すから、ナビをしろ!」
「こんな状況で洗車場の心配ですかぁぁぁっ!?」
私はツッコミを入れながらも、ドロドロに溶けた石畳を必死に避けて走り、トラックの助手席に飛び乗った。
車内は天国のように涼しかったが、私の背中は冷や汗でびっしょりだ。
「よし。シートベルトを締めろ」
駆さんはシフトレバーを『D』に入れた。
「待て! 逃がさんぞ、鉄の箱よ!」
邪竜が、トラックが動き出したのを見て激昂し、巨大な尻尾を鞭のように振るってきた。
ビルを真っ二つにするほどの一撃が、トラックの側面に迫る。
「ひぃっ! 尻尾が来ます!」
「……死角からの幅寄せか。危ないだろう」
駆さんはハンドルを素早く切り返し、アクセルを踏み込んだ。
トラックは軽快な動きで巨大な尻尾を紙一重でかわし、そのまま邪竜の足元をすり抜けるように走り出した。
「おのれぇぇぇっ! ちょこまかと! ならば……!」
邪竜は、地上での素早い動きについていけないと悟ったのか、六枚の巨大な翼を大きく羽ばたかせた。
ドバサァァァァァァッ!!
凄まじい突風が巻き起こり、邪竜の巨体が上空へと舞い上がる。
「ははははっ! 地を這うだけの箱め! 空へ逃げれば手出しはできまい! 上空から安全に、灰の雨と業火を降らせてやるわぁぁぁっ!」
邪竜は街の上空数百メートルの高さに陣取り、再び顎を開いて魔力を溜め始めた。
空からの一方的な絨毯爆撃。
地上の乗り物にとって、それは絶対的な死を意味する。
「か、駆さん! 飛んでいっちゃいましたよ! あんな高さから攻撃されたら、避けられません!」
私はフロントガラスから上空の邪竜を見上げ、顔を青ざめさせた。
しかし、駆さんは一切の動揺を見せず、チッと舌打ちをしただけだった。
「……鳥のフン爆撃か。上空からの飛来物は、塗装に一番ダメージを与えるんだ。まったく、腹立たしい」
「フン爆撃じゃなくて、ドラゴンのブレスですよ! 早く逃げないと!」
「……逃げる? 俺の愛車をこんなに汚しておいて、そのまま空へ逃げられるとでも思ったか」
駆さんは、ハンドルの右奥にある、普段は絶対に触らない『青いカバーに覆われたスイッチ』に手を伸ばした。
「えっ……駆さん、またその怪しいスイッチ……?」
「……異世界転生管理局のクソ女神が、地形の悪い魔界への納品用に搭載した『フライト・ユニット』だ。車検には絶対に通りそうもないが、緊急事態だ。使うぞ」
パカッ。
駆さんが青いカバーを開け、中のスイッチを力強く押し込んだ。
『ホバー・モード、起動。四輪、垂直展開(VTOL)モードへ移行』
機械的なアナウンスと共に。
ガシャン! ガシャン! と、トラックの四つのタイヤが、車体に対して垂直になるように『真横』に倒れたのだ。
「な、なに!? タイヤが外れちゃいましたよ!?」
「外れていない。推力偏向ノズルになっただけだ」
ズゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
横倒しになった四つのタイヤのホイール部分から、目も眩むような青白い『ジェット噴射』が下に向かって放たれた。
「うおおおおおおおおっ!?」
強烈なG(重力加速度)が私の体をシートに押し付ける。
2トンの純白のトラックが、広場の瓦礫を吹き飛ばしながら、完全に重力を無視して『空へと舞い上がった』のだ。
「いやあああああああああああああっ! 飛んだぁぁぁぁっ! トラックが空を飛んでるぅぅぅぅっ!」
「騒ぐな、ミオ。空中は車線がないから、ある意味走りやすい。……目標をセンターに捕捉」
駆さんは、まるでただの高速道路を走っているかのように、空飛ぶトラックのハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。
トラックは急上昇し、上空にいる厄災の邪竜へと真っ直ぐに突進していく。
* * *
一方、上空の邪竜は、地上に向かってブレスを放とうとしていたところだった。
『さあ、消し炭になれ……って、なにぃぃぃぃっ!?』
邪竜の六つの目が、信じられない光景を捉えた。
自分が標的としていた地上の白い鉄の箱が、青白い炎を噴き出しながら、自分と同じ高度まで一気に上昇してきたのだ。
「ば、馬鹿な! 人間の乗り物が、魔法の翼もなしに空を飛ぶだと!?」
『……上空だからといって、安全圏だと思うなよ』
トラックの外部スピーカー(メガホン)から、駆さんの氷のように冷たい声が響いた。
「この塗装の汚れ、きっちり弁償(落とし前)してもらうからな」
駆さんが、空中でアクセルをさらに踏み込む。
トラックは、邪竜の顔面に向かって、ミサイルのような速度で突進を開始した。
「おのれぇぇぇっ! 舐めるなぁぁぁっ!」
邪竜が迎撃のために、無数の魔法陣を空中に展開し、雷や氷の槍を放つ。
しかし、駆さんは空飛ぶトラックを、まるで戦闘機のように巧みに操り、スピンやバレルロール(横転)を駆使してすべての魔法を回避していく。
「ひぃぃぃぃぃっ! 回る! 景色が回ってますぅぅぅ!」
助手席の私は、完全に遊園地の絶叫マシンの何倍もの恐怖を味わっていた。
空中でトラックが逆さまになっているのだ。シートベルトがなければ、間違いなく天井に叩きつけられている。
「……空中戦は少し風圧がうるさいな。窓を閉めておいて正解だった」
駆さんは無表情のまま、邪竜の懐へと飛び込んだ。
「……まずは、その鬱陶しい羽(障害物)から落とす」
トラックが、邪竜の巨大な六枚の翼の一つに急接近する。
「小癪な! 叩き落としてくれるわ!」
邪竜が翼を振りかざし、トラックを打ち落とそうとするが。
「……対神格結界バンパー、出力最大。当たり屋アタックだ」
ドゴォォォォォォォォンッ!!!
トラックのフロントバンパーが、邪竜の翼の根元に時速100キロオーバーで激突した。
結界コーティングされた2トンの質量の前には、邪竜の強靭な骨格すらも意味を成さない。
バキィィィィィィッ!!
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
邪竜の絶叫が天空に響き渡った。
巨大な翼の一枚が、根元からへし折れ、空を舞って地上へと落下していく。
「あばばばばば……竜の羽を……トラックの体当たりで……」
私は完全に思考を放棄し、白目を剥きかけていた。
「……よし。まずは一枚。残りの羽もむしり取って、地上に引きずり下ろしてやる」
駆さんは死んだ魚の目に狂気の炎を宿らせ、再び空飛ぶトラックを急旋回させた。
メルカディアの街の上空で繰り広げられる、空飛ぶ2トントラックと厄災の邪竜という、神話にも残らないようなデタラメな空中戦。
洗車を台無しにされた社畜ドライバーの怒りは、天界の女神の切り札すらも、ただの「障害物」として粉砕しようとしていた。




