第28話:【飛来】厄災の邪竜が街を襲撃。しかし洗車したばかりの車体に灰が……
ゼピュロスの商業都市メルカディアの空が、不自然な闇に包まれていた。
真昼だというのに、まるで皆既日食のように太陽の光が遮られているのだ。
一方、街の裏手にある広大な旧領主の開拓地にやってきた私と村人たちは、目の前に広がる光景に歓声を上げていた。
「おおおっ! なんて豊かな土じゃ! すぐ横には澄んだ小川まで流れておる!」
「森の果実の木もあるわ! ここなら、すぐにでも村を再建できるぞ!」
獣人の村人たちは、トラックの荷台から降りて新しい大地を踏みしめ、涙を流して喜んでいた。
悪徳不動産屋のバロンから、駆さんが「物理的な圧力」で金貨100枚という破格の値段で買い叩いた……いや、譲り受けたこの土地は、まさに理想の新天地だった。
「よかったぁ……。これでみんな、安心して暮らせるね」
私も胸をなでおろした。
借金取りから逃げ回り、帝国軍に焼き殺されそうになった日々が嘘のようだ。
すべては、あのデタラメで無愛想な運送屋のおかげだ。
「駆さん、オイル交換が終わったら早くこっちに来ないかな。みんなで感謝のお祭りをしないと……」
私が街の方角を振り返った、その時だった。
ゴロゴロゴロゴロ……!!
突然、空を切り裂くような凄まじい雷鳴が響き渡った。
見上げると、街の中心部の上空に、異常なほどにどす黒い、巨大な暗雲が渦巻いている。
「えっ……? なに、あの雲」
雲の中で、赤黒い稲妻が走り、周囲の空気がビリビリと静電気を帯びているのがわかった。
そして、その暗雲を突き破るようにして、巨大な『何か』が姿を現したのだ。
「ひっ!?」
私は息を呑んだ。
それは、山よりも巨大な、漆黒の鱗に覆われた『竜』だった。
空を覆い尽くすほどの六枚の翼。六つの禍々しい赤い目。全身から、ドロドロとしたマグマのような瘴気を撒き散らしている。
「りゅ、竜……!? ドラゴン!? なんであんな巨大なのが街に!」
「ち、違うぞミオ! あれはただのドラゴンじゃない! おとぎ話に出てくる……世界を滅ぼす『厄災の邪竜』じゃ!」
村長さんが震える指で空を指差し、腰を抜かした。
「厄災の邪竜……!? そんなものが、どうして突然……!」
邪竜は、ゆっくりと旋回しながら、メルカディアの街のど真ん中――不動産ギルドの広場がある方角へと、一直線に降下していった。
「あの方角……駆さんがトラックを停めてる場所だ! 駆さぁぁぁん!!」
私は血の気が引くのを感じながら、街に向かって駆け出していた。
* * *
その頃、メルカディアの街の不動産ギルド前の広場。
『ギャオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!』
邪竜の鼓膜を破るような咆哮が響き渡り、周囲の建物のガラスというガラスが粉々に砕け散った。
「ひぃぃぃぃぃっ! ば、化け物だぁぁぁっ!」
「逃げろ! 世界が終わるぞぉぉぉっ!」
商人や冒険者たちが、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
そんな大パニックの広場の中央。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!!
邪竜が、大地を揺るがして着地した。
その凄まじい質量と衝撃で、石畳がクレーターのように陥没し、周囲の家屋が一瞬にして吹き飛ぶ。
邪竜の六つの赤い目は、眼下に停まっている『純白の2トントラック』を真っ直ぐに睨みつけていた。
天界の女神アリアリアから「あの白い箱を破壊しろ」という神託(ターゲット指定)を受けてきたのだ。
『グルルルル……小癪な鉄の箱め。神に逆らう愚か者と共に、灰燼に帰すがいい……!』
邪竜が大きく顎を開く。
その喉の奥で、街一つを丸ごと蒸発させるほどの極大のブレスのエネルギーが、赤黒く圧縮されていく。
ブレスの余波だけで、火山の噴火のような熱風と『大量の火山灰』が広場に降り注ぎ始めた。
一方、そのトラックの腹の下(車体の底)では。
「……ふむ。なかなかの鉄粉の量だな。ギガント・ゴーレムの股下をドリフトした時の負荷か。走り込んだ証拠だ」
轟駆は、作業着の袖をまくり、顔をオイルで真っ黒に汚しながら、トラックのオイルパンから抜け落ちる真っ黒な廃油を、オイル受け(ドレンパン)で回収していた。
ドゴォォォン!!
邪竜が着地した衝撃で、ジャッキアップされたトラックの車体がグラリと揺れた。
「……おいおい。危ないだろう。ジャッキが外れたら、車体の下敷きになるじゃないか」
駆さんは、周囲のパニックやドラゴンの咆哮など一切気にする様子もなく、チッと舌打ちをした。
「……それに、風が強くなってきたな。突風で砂埃が舞うと、新しいオイルを注ぐ時にジョッキの中にゴミが入ってしまう。まったく、どこのバカが広場で暴れているんだ」
駆さんはドレンボルトをキュッと締め直し、新しい『神聖粘性液』を補充する準備を終えると、台車に乗って、スルスルとトラックの下から這い出てきた。
「……さて、新しいオイルの匂いは……ん?」
トラックの下から出て、立ち上がった駆さんの目に飛び込んできたのは。
見上げるような巨大な漆黒の邪竜――ではなかった。
「…………」
駆さんの視線は、邪竜ではなく、自分の愛車である純白の2トントラックの『ボディ』に釘付けになっていた。
昨日の夜、ミオと一緒に川辺で二時間かけて手洗いし、最高級の撥水ワックスを円を描かずに直線的に塗り広げ、新車以上の輝きを取り戻したばかりの、純白のボディ。
そこに。
邪竜が吐き出している『大量の火山灰(真っ黒な煤)』が、こんもりと、雪のように降り積もっていたのだ。
「……」
駆さんの動きが、ピタリと止まった。
『ギャオオオオオオン! 死ねぇぇぇっ! 鉄の箱よぉぉぉ!』
邪竜が極大ブレスを放とうと、限界まで魔力を高めている。
街の住人たちはすでに絶望し、神に祈りを捧げていた。
そんな中。
「……おい」
地を這うような、恐ろしいほど低い声が、広場に響いた。
「……あ?」
邪竜が、足元にいる小さな人間――顔をオイルで汚し、工具を握りしめた男を見下ろした。
「……誰の許可を得て、俺の駐車スペース(ピット)で砂埃を立てている」
駆さんは、死んだ魚の目に、今まで見せたことのないほどの『純粋な殺意』を宿して、見上げるような邪竜を睨みつけた。
「このボディの輝きを維持するために、俺が昨日、どれだけ丁寧にワックスを拭き上げたと思っている」
『……人間が。我に話しかけるな。貴様もろとも、その箱を消し炭にして――』
「……質問に答えろ。この『灰』は、お前の口から出ているのか」
駆さんの声には、魔力も覇気もない。
しかし、その声を聞いた瞬間、最強の厄災であるはずの邪竜の背筋に、得体の知れない『悪寒』が走った。
「……洗車した翌日に雨が降るだけでも腹が立つというのに。……お前みたいなフケまみれのトカゲに、愛車を汚される筋合いはない」
駆さんは、握りしめていたレンチを、怒りに任せてギリギリと歪ませた。
「……ミオ! いるか!」
その時、街の方へ駆け戻ってきた私が、ちょうど広場の端に到着した。
「か、駆さん! 大丈夫ですか! あんな巨大なドラゴンが……!」
「……ミオ。ナビなら、洗車用のホースとバケツを用意しておけ。……俺は今から、非常に機嫌が悪い」
「へっ?」
駆さんは、バインダーをトラックの荷台に放り投げると、ガチャリと運転席のドアを開けた。
「相手が神の使いだろうが、厄災の竜だろうが関係ない。……車を汚す(器物破損)害鳥は、トラックで撥ね飛ばす。……それだけだ」
駆さんが運転席に乗り込み、エンジンキーを回す。
ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!
新しいヘブンズ・オイルが隅々まで行き渡ったディーゼルエンジンが、かつてないほど滑らかに、そして凶暴な咆哮を上げた。
最強の社畜ドライバーと、厄災の邪竜。
洗車を台無しにされた怒りが、常識を超えた怪獣大決戦の幕を開けようとしていた。




