第22話:【無双】重装歩兵の盾陣、2トンの質量と時速80kmの前に紙くずと化す
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
鼓膜を破り、大地そのものを揺るがすような強烈な激突音が、早朝の盆地に響き渡った。
それは、剣と剣が打ち合うようなファンタジー世界の戦闘音ではない。
純粋な『暴力的な質量の衝突音』だった。
「ひぎゃあああああああああああっ!!」
助手席で、私は両手で頭を抱え、座席の足元に丸くうずくまった。
トラックが、帝国軍の誇る重装歩兵の盾陣に、時速80キロのトップスピードで真正面から激突したのだ。
何十枚も重ねられた、分厚い鋼鉄の大盾。
絶対に、車体ごと串刺しになってペシャンコになる。そう覚悟した。
しかし。
「……衝撃吸収バンパー、正常に作動。サスペンションおよびステアリングへの異常な負荷なし。直進を継続する」
運転席から聞こえてきたのは、駆さんの死んだ魚の目をした、いつも通りの平坦な声だった。
「えっ……?」
私が恐る恐る顔を上げ、フロントガラスの向こう側を見た瞬間。
信じられない光景が、目に飛び込んできた。
『ぐわぁぁぁぁぁっ!』
『だ、大盾が……! 陣形がぁぁぁぁっ!』
数十人の重装歩兵たちが、まるで枯れ葉のように、宙を舞っていたのだ。
彼らが構えていた身の丈ほどもある分厚い鋼鉄の大盾は、トラックの『対神格結界コーティング・フロントバンパー』に触れた瞬間に、あめ細工のようにひしゃげ、ひび割れていた。
そして、時速80キロという異次元の速度と、重量2トンという圧倒的な物理エネルギーを正面から受けた兵士たちは、一切の抵抗を許されずに空高く跳ね飛ばされていく。
カンッ! カンッ! ドスゥンッ!
宙を舞った重装歩兵たちが、後方にいた仲間たちの頭上に次々と落下し、帝国軍の強固な陣形を、さらにドミノ倒しのように崩壊させていく。
「な……ななな、なんですかこれ……!」
私は目玉が飛び出そうになった。
「人を……重装備の兵士さんたちを、ピンみたいに跳ね飛ばしてますよ!? トラックって、こんなに強かったんですか!?」
「……勘違いするな、ミオ。俺のトラックが特別強いわけではない。物理法則が正しく機能しているだけだ」
駆さんはハンドルを両手でしっかりと握りしめ、スピードメーターから目を離さずに答えた。
「時速80キロで走る2トンの物体が、静止している人間にぶつかれば、運動量保存の法則によって軽い人間の方が吹き飛ぶ。義務教育で習う基礎物理だ」
「どんな地獄の物理の授業ですか! 相手は完全武装の正規軍ですよ!? なんでトラックのボディには傷一つついてないんですか!」
「……クソ女神が、勇者を安全に轢くために無駄に頑丈なチート素材で車体をコーティングしたからな。板金塗装の手間が省けて助かっている」
「結局チートじゃないですかぁぁぁっ!」
* * *
一方、帝国軍の指揮を執るザルド将軍は、本陣のテントの前で自分の目を疑っていた。
「ば、馬鹿な……! 我が軍が誇る最強の盾陣が、あんな箱のような魔獣の『突進』ただ一撃で、完全に崩壊しただと!?」
ザルド将軍の顔面は蒼白になっていた。
騎馬隊の突撃すら無傷で防ぎ切る無敵のファランクスが、一瞬にして紙くずのように散らされたのだ。
「な、なんなのだあの化け物は! しかも、あの顔の先でピカピカと輝いているのは、間違いなく伝説の『聖剣』ではないか! なぜあんなふざけた真似を……!」
聖剣をバンパーにガムテープでくくりつけた、泥汚れ一つない純白の鉄の箱。
それが、凄まじいエンジン音を響かせながら、数千の軍勢のど真ん中を、まるでモーゼの十戒のように道を切り開きながら爆走してくる。
「ひぃぃぃっ! 来るぞ! 逃げろぉぉぉっ!」
「あんなのに轢かれたらミンチになっちまう!」
最前線の兵士たちが完全にパニックに陥り、武器を放り出して蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた。
「ええい、怯むな! 逃げる者は軍規違反で斬り捨てるぞ!」
ザルド将軍が剣を抜いて怒鳴り散らす。
「後方の魔法部隊! 何をしている、さっさと詠唱を終えろ! あのふざけた魔獣にありったけの魔法を叩き込めぇぇぇっ!」
将軍の命令と共に、本陣の奥から数百人の魔術師たちが、一斉に杖を振り下ろした。
空が炎と雷で真っ赤に染まり、隕石のような巨大な火球や、鋭い氷の槍が、トラックに向かって雨あられと降り注ぐ。
* * *
「か、駆さん! 魔法です! 空からものすごい数の魔法が飛んできてます!」
私はフロントガラスに顔を押し付け、絶望の声を上げた。
いくら物理攻撃に強くても、数百人規模の魔法の一斉掃射を受ければ、車内は丸焼きになってしまう。
「……騒ぐな。対神格結界コーティングの強度テストにはちょうどいい。それに」
駆さんはブレーキペダルに微塵も触れることなく、ハンドルの横のレバーをカチッと引いた。
「昨日の夜、洗車と一緒にフロントガラスに撥水コーティングをしておいたからな」
プシュッ! ウィィィン、バキィィィンッ!
トラックのフロントガラスの根元からウォッシャー液が噴射され、それを拭き取るように動いたチタン合金製のワイパーが、飛来する魔法をすべて甲高い音と共に弾き飛ばした。
さらに、ボディに降り注ぐ炎や雷も、見えない『対魔力結界』に触れた瞬間にツルンと滑り、周囲の地面に虚しく着弾していく。
『な、なんだとぉぉぉっ!?』
帝国軍の魔術師たちが、一斉に絶望の声を上げた。
数百人の魔法が、ただの『雨粒』のように処理されていく光景は、彼らの常識を完全に破壊していた。
「……ふむ。やはりワックスがけの効果が出ているな。水弾きならぬ、魔法弾きが素晴らしい」
「ワックスで魔法が弾けるわけないでしょぉぉぉっ! しかもワイパーが最強すぎますぅぅ!」
魔法の集中砲火を無傷で潜り抜けたトラックは、さらに陣地の奥深くへと侵攻していく。
「……おいおい、車道に歩行者が多すぎるな。横断歩道もない場所でウロウロされると非常に迷惑だ」
駆さんは、逃げ惑う兵士たちを器用に避けながら、右へ左へとハンドルを切り返す(スラローム走行)。
そのたびに凄まじい風圧が巻き起こり、帝国軍のテントが吹き飛び、兵士たちの陣形がドミノ倒しのように崩壊していく。
キキィィィィィィッ!
「ひゃああっ!?」
トラックの車体が大きく横に滑り、後輪が土煙を上げた。
駆さんにとっては、あくまで『急な飛び出しを避けているだけ』なのだが。
ズバァァァァァンッ!
その巨大な車体の急な振り(ドリフト)によって、トラックの後方の荷台部分が、避ける暇もなかった兵士たちを薙ぎ払うように吹き飛ばした。
弾き飛ばされた兵士や武器が、ミサイルのように後続の部隊に直撃する。
『ぐわぁっ!』
『陣形が! もう駄目だ! 逃げろぉぉぉっ!』
トラックが通過した後には、ただの暴風雨が通過したかのような凄惨な轍が残され、数千の兵士たちは完全に戦意を喪失して地面を転げ回っていた。
「な、なんてデタラメなの……」
私は助手席で、震える声で呟いた。
剣を振るうわけでも、強力な魔法を唱えるわけでもない。
ただ、クラクションを鳴らしながら真っ直ぐに走っているだけ。
たったそれだけの行為が、帝国軍の陣形を、紙くずのようにメチャクチャに引き裂いていくのだ。
* * *
「ば、馬鹿な……」
本陣のテントの前で、ザルド将軍は剣を取り落とし、膝から崩れ落ちた。
「我が帝国軍が……精鋭部隊が……たった一台の鉄の箱に、ただ通り抜けられただけで、全滅したというのか……?」
彼の目に映るのは、完全な地獄絵図だった。
魔法部隊は弾き返された魔法で自爆し、重装歩兵は空を舞い、その他の兵士たちは恐怖で逃げ散っている。
「……将軍閣下! 本陣のテントが危ないです! 避難を!」
副官の叫び声と同時に、トラックの巨大なフロントグリルが、ザルド将軍の目の前に迫ってきた。
バンパーにくくりつけられた聖剣が、死神の鎌のように黄金の光を放っている。
「ひぃぃぃぃぃっ!」
ザルド将軍は腰を抜かしたまま、情けない悲鳴を上げて這いつくばり、テントの横へと逃げ出した。
ズガァァァァァンッ!!
トラックは、帝国軍の本陣である巨大な黒いテントを、文字通り真っ二つに引き裂いて通り抜けた。
豪華な装飾品や戦略地図、そしてザルド将軍が飲んでいた高級ワインが、空高く舞い上がって散らばっていく。
「……よし。本陣の突破を確認。進路クリア」
駆さんはルームミラーで吹き飛ぶテントを確認し、短く息を吐いた。
「あっ! 駆さん! 止まって! ブレーキです!!」
私が突然、助手席から身を乗り出して叫んだ。
フロントガラスの向こう、吹き飛んだテントの跡地に、一人の獣人が取り残されていたからだ。
それは、血だらけになって縄で縛られ、地面に転がっている初老の獣人。
「村長さん! 私の村の、村長さんです!」
「……む。荷物の受取人か。こんな道の真ん中に放置されているとはな」
キキィィィィィッ!!
駆さんは見事なブレーキ操作で、縄で縛られた村長さんの鼻先わずか数十センチのところで、トラックをピタリと急停止させた。
「ひっ……! 食べられる……!」
巨大な鉄の魔獣に見下ろされ、村長さんは死を覚悟して目を瞑った。
しかし。
ガチャッ。
助手席のドアが開き、私が勢いよく飛び出した。
「村長さん! 大丈夫ですか!?」
「……えっ? ミ、ミオ……? お前、なぜこんな魔獣の中から……!?」
村長さんは、私が現れたことに完全に頭が混乱しているようだった。
私は急いで村長さんの縄を解き、抱き起こした。
「説明は後です! お金は用意できました! さあ、早くこの魔獣のお腹の中(助手席)に乗って!」
「の、乗る!? この恐ろしい化け物にか!?」
「大丈夫です! この子は、すっごく安全で快適で、クーラーも効いてますから!」
私が村長さんを半ば強引に助手席に押し込もうとしていると、運転席から駆さんが降りてきた。
「……受取人確認よし。だが、こんなところで悠長に井戸端会議をしている暇はないぞ」
駆さんは死んだ魚の目で、周囲を見渡した。
「……チッ。どうやら、まだ『道交法違反』の歩行者どもが、諦めていないようだな」
駆さんの言葉に、私はハッとして周囲を見た。
トラックが停止したのを見て、一度は逃げ散った帝国兵たちが、再び遠巻きにこちらを取り囲み始めていたのだ。
「鉄の魔獣が止まったぞ!」
「中に人間がいる! 今なら殺れるぞ! 囲めぇぇぇっ!」
ザルド将軍も遠くから怒号を飛ばしている。
「あわわわ……! 囲まれちゃいました!」
「……騒ぐな。ミオ、その受取人を荷台に放り込め。助手席は定員オーバーだ」
駆さんはトラックの後方に回り、観音開きのドアをガチャリと開けた。
中には、広々とした快適な1LDKの空間が広がっている。
「村長さん、早く中へ!」
「な、なんだこの部屋は!? 箱の中に家が……!?」
村長さんが驚愕している間に、帝国軍の兵士たちがジリジリと距離を詰めてくる。
数千の大軍勢を突破したとはいえ、ここはまだ敵陣のど真ん中なのだ。
完全な安全圏へ逃れるための、本当の戦いはここからだった。




