第19話:【日常】次の街へ。車内でミオの身の上話(借金の理由)を聞く
「……私の故郷の村を、次の目的地にしてくれませんか?」
夜の街道。
トラックの助手席で、私は意を決して駆さんにそう告げた。
バンパーにくくりつけられた聖剣の光が、真っ暗な平原を昼間のように照らし出している。
駆さんは前を向いたまま、一切の表情を変えずにハンドルを握っていた。
「……」
無言の沈黙が数秒間続く。
私は緊張でごくりと唾を飲み込んだ。
プロの運送屋である彼に、個人的な事情でルートの変更を頼むなど、おこがましいことかもしれない。
でも、今の私にはこの人しか頼れる相手がいなかった。
「……ふむ」
駆さんは小さく息を吐くと、ハンドルの横にある謎のボタンをポチッと押した。
ウィィィン……。
ダッシュボードの一部がスライドして開き、中から見慣れない黒い機械がせり出してきた。
そして、コポポポ……という音と共に、香ばしい匂いのする黒い液体が、紙のカップに注がれていく。
「えっ……? な、なんですかその機械?」
「エスプレッソマシンだ。夜間の長距離ドライブには、カフェインの摂取が欠かせないからな」
「えすぷれっそ……? 魔獣のお腹の中から、喫茶店みたいな飲み物が出てきたんですけど!?」
「ブラックでいいか? 砂糖とミルクはオプションだ」
「あ、お、お構いなく……」
駆さんは手慣れた様子でカップを二つ取り出し、一つを私に手渡した。
ズズッ。
「……苦っ! なんですかこの泥水みたいな味は!」
「大人の味だ。目が覚めるだろう」
駆さんは自分のカップを傾け、死んだ魚の目で一口すすると、改めて私の方へ顔を向けた。
「……さて。カフェインも入ったことだし、お前の身の上話とやらを聞こうか。ミオ」
「あ、はい……」
私は温かいカップを両手で包み込みながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「私の故郷は、ここからさらに西に進んだ辺境にある、小さな獣人の村なんです。森の恵みだけで細々と暮らす、本当に小さな村で……」
私は少し視線を落とした。
「でも、その村は、大陸の西半分を支配する『ガルディア帝国』の国境近くにあって。……数ヶ月前、突然、帝国軍の部隊がやってきたんです」
「……ガルディア帝国。いかにもな名前だな。それで?」
「彼らは、私たちの村が帝国の領地内にあると言いがかりをつけて、莫大な『保護費』を要求してきました。その額、なんと500万ゴールド」
「……」
駆さんの眉が、ピクリと動いた。
「500万ゴールド。金貨に換算して、およそ50枚分か。先ほど伯爵からもらった金貨500枚からすれば、余裕で払える額だな」
「はい。でも、当然、森の民である私たちにそんな大金、払えるわけがありません。払えなければ村を焼き払い、村人を全員奴隷として売り飛ばすって……」
思い出すだけでも、体が震える。
黒い鎧に身を包んだ、冷酷な帝国兵たちの笑い顔。
怯えて泣き叫ぶ子供たち。
「私、村で一番足が速くて、行商の手伝いで人間の街に出たこともあったから。……だから、私が村の土地の権利書を持って、街でお金を借りてくるって飛び出したんです」
「なるほど。それで、あの柄の悪い借金取り(闇金)から金を借りたわけか」
「はい。でも、借りたはいいものの、高すぎる利子のせいで帝国への支払い期限に間に合わなくなって……。結局、帝国からも闇金からも追われる身になっちゃったんです」
私は、膝の上に乗せた木箱(金貨500枚が入っている)をギュッと抱きしめた。
「でも、駆さんのおかげで、金貨500枚が手に入りました! これさえあれば、村を帝国の脅威から救うことができます! 奴隷にされることもありません!」
私は必死に駆さんを見つめた。
「だから、お願いします! このお金を、私の村へ『配達』してくれませんか! ナビの報酬としていただいたお金ですけど、これ全部、配送料としてお支払いしますから!」
「……」
駆さんは無言のまま、残りのコーヒーを飲み干した。
そして、カップをホルダーに戻すと、深くため息をついた。
「……ミオ」
「は、はいっ」
「お前は、俺を誰だと思っている」
「え?」
「俺は轟運輸のプロドライバーだ。荷物と目的地が明確に指定されているなら、どんな場所へでも届ける。それが俺の仕事だ」
駆さんは、死んだ魚の目に、微かな熱を帯びた光を宿らせた。
「それに……」
「それに?」
「力を持たない弱者から、理不尽な理由で法外な金をむしり取る。……まるで、俺のいた転生管理局のような、典型的なブラック組織(帝国)の手口だ」
駆さんの声が、一瞬だけ地を這うように低くなった。
「俺は、そういうふざけた組織が一番嫌いなんだ。……クソ女神の顔を思い出す」
「か、駆さん……」
「配送料(運賃)はこの木箱の中の金貨1枚でいい。借金返済に必要な金貨50枚を差し引いても、まだ449枚も残る。これでお前の村の生活も立て直せるだろう。しっかり抱えておけ」
駆さんはそう言うと、手元のシフトレバーを力強く握り込んだ。
「目的地、変更。ガルディア帝国国境沿い、獣人の村。……ナビ、ルート設定を頼む」
私は、ポロポロと涙をこぼしながら、大きく頷いた。
「はいっ! はいっ!! ありがとうございます、駆さん! このまま街道を西へ真っ直ぐです!」
「了解した。深夜の長距離便だ。飛ばすぞ」
ヴオオオオオオオオオオオオンッ!!!
トラックのディーゼルエンジンが、夜の闇を切り裂くような力強い咆哮を上げた。
バンパーの聖剣が放つ光が、私たちの進むべき道を真っ直ぐに照らし出している。
私は涙を拭い、しっかりと前を見据えた。
この強くて、デタラメで、誰よりも頼りになる鉄の魔獣と運転手がいれば、絶対に村を救える。
そう確信していた。
* * *
そして、夜が明けた。
「……ミオ。起きろ」
「んぁ……むにゃ……帝国軍なんて……駆さんに轢かれちゃえ……」
「物騒な寝言を言うな。着いたぞ」
駆さんの声に、私はハッと目を覚ました。
フロントガラスの向こう。
朝日が昇り始めた丘の上から、見慣れた景色が広がっていた。
深い森に囲まれた、小さな盆地。
そこには、木とレンガで作られた、私の愛する故郷の村が見えるはずだった。
「あっ! 見えました! 私の村です! 間に合いました!」
私は歓喜の声を上げ、窓にへばりついた。
帝国が指定した支払い期限は『明日の正午』。まだ朝の6時だ。十分に間に合った。
「よかったぁ……これでみんな、助かる……」
安堵の涙を流しかけた、その時だった。
「……ミオ。喜ぶのは早いぞ」
駆さんの、氷のように冷たい声が車内に響いた。
「え?」
「あの村の周囲をよく見ろ。……あれが、お前の村の『日常風景』なのか?」
「日常……?」
私は目を凝らして、丘の上から村の周囲を見下ろした。
そして。
「な……なに、これ」
私の全身から、サァァァッと血の気が引いていくのがわかった。
村を囲むように、黒いテントが無数に張られていた。
朝日に照らされてギラギラと光る、数え切れないほどの黒い鎧の集団。
その数、ざっと見積もっても数千人。
さらには、木城を破壊するための巨大な投石機や、城壁サイズの巨大なゴーレムまでが、村に向かって配置されているではないか。
「て、帝国軍……!?」
私は絶望のあまり、声がひっくり返った。
「なんで!? なんであんな大軍勢が! 支払い期限は明日の正午のはずなのに!」
「……期限など最初から守る気はなかったんだろう。あの大軍の配置を見るに、昨日の夜からすでに包囲を完了していたようだな」
駆さんは死んだ魚の目で、眼下の軍勢を冷徹に分析した。
「最初から、金を受け取る気などなかった。村を包囲して恐怖を植え付け、抵抗する気を削いでから一網打尽に奴隷にするつもりだった……というところか」
「そんな……嘘でしょ……」
私はガタガタと震え出した。
村の入り口には、帝国軍の厳重なバリケードが築かれている。
数千の兵士。魔法部隊。巨大ゴーレム。
あんな大軍の真ん中を抜けて、村の中に入ることなんて絶対に不可能だ。
「お、おしまいです……。お金があっても、これじゃあ村にたどり着くことすら……」
私は顔を覆い、泣き崩れた。
せっかく、ここまで来たのに。
間に合ったと思ったのに。
「……ミオ」
「うぅ……駆さん、ごめんなさい。もう無理です。あんな軍隊、私たちだけでどうにかなる相手じゃありません。逃げましょう……」
「……誰が逃げると言った」
「え?」
私が顔を上げると。
駆さんは、トラックのハンドルを両手でしっかりと握りしめ、眼下の数千の軍勢を真っ直ぐに睨みつけていた。
「俺は、お前から運賃(金貨1枚)を受け取った。つまり、この配達業務はすでに『契約完了』している」
「か、駆さん……? まさか」
駆さんは、一切の感情を交えずに、ただ淡々と、しかし狂気をはらんだ声で言い放った。
「納品先が軍隊に包囲されているなら、その真ん中を『直進』して届けるまでだ。俺はプロの運送屋だからな」
「む、無理ですよぉぉぉっ! 相手は数千人の正規軍ですよ!? 山の野盗とはレベルが違います!」
「……シートベルトを締めろ、ミオ」
駆さんは私の悲鳴を完全に無視し、ハンドルの中心に右手を添えた。
「障害物あり。……これより、納品口をこじ開ける」
ヴオオオオオオオオオオオオオオンッ!!!!!
早朝の盆地に。
数千の帝国軍が陣取る戦場のど真ん中に向かって。
たった1台の純白の2トントラックが、凄まじい咆哮を上げて猛発進した。




