第17話:【蹂躙】「轢き逃げは犯罪だからな。バックでしっかりトドメを刺す」
ピーッピーッピーッピーッ。
夕暮れの平原に、場違いなほど軽快な電子音が鳴り響いていた。
トラックが後退する時に鳴る、あのバック音である。
「ひ、ひぎゃあああああああああああああああっ!?」
かつて関東一円を震え上がらせ、この異世界でも最強のチート勇者として君臨していた男、リュウヤ。
彼の口から、情けない絶望の悲鳴が迸った。
「か、駆さん!? なんでバックしてるんですか! やめて! 本当に死んじゃいます! 勇者がミンチになっちゃいますぅぅぅ!」
私は助手席でシートベルトを引きちぎらんばかりに暴れ、運転席の駆さんに泣きついた。
一度はね飛ばした相手に向かって、あえて車をバックさせて轢き直す。
そんなの、極悪非道なマフィアか、血も涙もない暗殺者のやることだ。
しかし、当の駆さんは、死んだ魚の目で左手を助手席の背もたれに掛け、右手一本で器用にハンドルを回しながら後ろを振り返っていた。
まさに、ベテランのトラック運転手がバック駐車をする時の、あの完璧なポーズである。
「……ミオ、騒ぐな。さっきも言っただろう。轢き逃げは重罪だ」
「だからって、もう一回轢いて完全に息の根を止める方が重罪ですよぉぉぉっ! それ、証拠隠滅っていうんです!」
「証拠隠滅ではない。安全確認と、事故処理の徹底だ。中途半端に接触して逃げるのはプロのドライバーの恥だからな」
「あなたのプロ意識、方向性がサイコパスすぎますぅぅぅ!」
私の悲痛なツッコミも虚しく、駆さんは一切の躊躇なくアクセルを踏み込んだ。
ヴオオオオオオンッ!!
「ひぃぃぃぃぃっ! くるな! くるなぁぁぁっ!」
リュウヤは腰を抜かしたまま、四つん這いになって必死に後ずさる。
しかし、恐怖で足がもつれ、全く前に進んでいない。
「俺は勇者だぞ! 最強のチートスキルを持った……ああっ、やめろ! その鉄の箱を俺に近づけるな!!」
「……後方よし、左よし。バックモニター、視界良好。……目標(歩行者)をセンターに捕捉」
駆さんは無感情に指差呼称を行い、狙い澄ましたようにハンドルの角度を微調整する。
「お、俺の結界魔法! 『絶対防壁』!!」
リュウヤが泣き叫びながら、最後の力を振り絞って魔法の盾を展開した。
彼の背後に、黄金に輝く分厚い光の壁が出現する。
「……無駄だ。障害物あり、そのまま押し通る」
パリンッ!!
トラックのリアバンパーが触れた瞬間、最強の勇者が全魔力を込めた絶対防壁は、飴細工のようにあっけなく砕け散った。
「あばばばばばばっ!?」
「か、駆さぁぁぁぁぁぁん!!」
ドゴォォォォォォォンッ!! メチャァッ!!
無慈悲な音が、平原に響き渡った。
トラックの後輪が、リュウヤの体を完全に巻き込み、そして乗り越えたのだ。
車体がガタン! と大きく上下に揺れる。
「……ああっ……終わった……。私、勇者殺しの共犯者だ……。手配書が回って、王都の広場で処刑されるんだわ……」
私は真っ白になった頭で、十字を切って天に祈った。
金貨500枚の夢は、この瞬間、完全に潰えたのだ。
「……よし。轢過完了。これにて事故処理を終了する」
駆さんはトラックを停止させ、シフトレバーを『P』に入れた。
そして、サイドブレーキを引き、ガチャリとドアを開けて外に出た。
「おい、ミオ。降りろ。対象の生存確認を行う」
「……見たくないです。絶対にケチャップみたいになってますもん……」
「いいから来い。ナビなら現場検証にも立ち会え」
私は泣きながらトラックを降り、駆さんの後ろに隠れるようにして、後輪のあたりを覗き込んだ。
そこには。
「……あ、あれ?」
リュウヤの姿は、ケチャップにはなっていなかった。
その代わり。
街道の柔らかい土の地面に、リュウヤの体が『人型のシルエット』のまま、深々とめり込んでいたのだ。
まるで、クッキーの型抜きのように。
「……あうぅ……うぅぅ……」
地面にすっぽりと埋まったリュウヤの口から、微かなうめき声が漏れている。
「……生きてる! か、駆さん、生きてますよこの人! 全身の骨が折れてるかもしれませんけど、ケチャップにはなってません!」
私は歓喜の声を上げた。
殺人犯にならずに済んだのだ!
「……ふむ。やはり天界の女神が付与した『耐久力チート』は伊達ではないな。2トンのトラックに二度も轢かれて、原型を留めているとは」
駆さんは感心したような、どうでもいいような声で呟き、地面に埋まったリュウヤの顔を覗き込んだ。
リュウヤの顔面には、トラックのスタッドレスタイヤの溝の跡が、見事なまでにくっきりと刻み込まれていた。
「……おい、生きてるか。元総長」
「……ひっ!?」
駆さんの無機質な声を聞いた瞬間。
地面に埋まったリュウヤの体が、ビクゥッ! と大きく跳ねた。
「ご、ごめんなさぁぁぁぁぁいっ!!」
リュウヤは涙と鼻水と泥で顔をぐしゃぐしゃにしながら、地面の中から必死に叫んだ。
「俺が悪かった! 信号無視してごめんなさい! 横断歩道じゃないところを歩いてごめんなさいぃぃぃっ!」
「……」
「もう絶対に車道には飛び出しません! 交通ルールは守ります! 右見て左見てから渡ります! だから、だからもう、そのタイヤを俺の顔に押し付けないでくれぇぇぇぇっ!!」
最強の勇者の見る影もなかった。
彼は完全に、前世でトラックに轢かれた時の『トラウマ』をフラッシュバックさせ、心をポッキリと折られていたのだ。
幼児のように泣きじゃくり、交通安全の誓いを声高に叫び続けている。
「……なんだ、完全に心が壊れちゃってますよ……」
私はドン引きしながら呟いた。
さっきまで山を真っ二つにして大笑いしていた男が、今はタイヤの跡を顔につけて泣き喚いている。
駆さんの圧倒的な『蹂躙』は、彼の肉体ではなく、精神を完全に轢き潰してしまったのだ。
「……ふむ。自分の非を認めて反省しているなら、それでいい」
駆さんはバインダーを取り出し、何かの書類にチェックを入れた。
「交通安全の基本は、歩行者自身の意識改革から始まる。身をもってその痛みを理解したなら、お前も今後は優良な歩行者になれるだろう」
「はいぃぃぃ! なります! 歩道しか歩きません! 青信号でも手を挙げて渡りますぅぅぅ!」
「よろしい」
駆さんは満足そうに頷くと、バインダーを閉じた。
「これにて、対象番号9999番の再指導(物理)を終了する。俺は忙しいから、あとは自力で這い上がって、勝手に魔王でも倒しに行け」
駆さんは冷たく言い放ち、踵を返してトラックの方へと歩き出した。
私も、完全に無害化した(というか廃人になりかけている)勇者を放置して、慌てて駆さんの後を追う。
「駆さん、よかったんですか? あんなの野放しにしておいて。天界のクソ女神が差し向けた刺客なんでしょ?」
「……俺のトラックの前に飛び出してこないなら、誰が刺客だろうと知ったことではない。俺は運送屋だ。自分から喧嘩を売るような真似はしない」
「二回も轢いておいてよく言いますね!」
私がツッコミを入れた時だった。
「……ん?」
トラックの運転席に乗ろうとした駆さんが、足元を見てピタリと動きを止めた。
「どうしたんですか?」
「……落ちているな」
駆さんが見つめていたのは、リュウヤが落とした巨大な黄金の剣――『聖剣』だった。
持ち主がトラウマで泣き叫んでいるというのに、その剣は未だに神々しい光を放ち、周囲を明るく照らし出している。
伝説の金属で打たれた、この世界に一本しかない至高の武器。
駆さんは無表情のまましゃがみ込み、その聖剣の柄を無造作に掴んだ。
ズッ……。
「えっ」
私は息を呑んだ。
おとぎ話によれば、聖剣は選ばれし勇者にしか抜くことができず、悪しき心を持つ者や資格のない者が触れれば、その重さは山のようにビクともしないはず。
しかし。
駆さんは、まるでその辺に落ちている木の枝でも拾うかのように、片手でヒョイッと聖剣を持ち上げたのだ。
「か、駆さん!? なんで持てるんですか!? それ、勇者にしか扱えない伝説の剣ですよ!?」
「……そうなのか? ただの重い金属の棒にしか感じないが」
駆さんは聖剣を軽く振り回し、その眩い光をまじまじと見つめた。
「……チート勇者の専用装備か。どうりで、ワイパーで弾いた時に少しブレードが傷ついたわけだ」
「傷ついたのワイパーの方ですか!? 聖剣は無傷なんですか!」
「まあいい。拾得物(落とし物)だな。警察もないこの世界では、拾った者の所有物とみなすのが自然な流れだ」
駆さんは、死んだ魚の目に、何か妙な光を宿らせてトラックのフロント部分へと向かった。
「ちょ、駆さん! その剣、どうする気ですか! まさか武器にして戦うんですか!?」
「俺はドライバーだ。剣など振らん。だが……」
駆さんは、トラックのフロントバンパーの前に立ち、手にした聖剣をバンパーの装飾部分にあてがった。
「この剣、やたらとピカピカ光って眩しいだろう? 夜間の走行時に、補助灯の代わりになるんじゃないかと思ってな」
「…………はい?」
私の思考が、数秒間フリーズした。
「あとは、アンテナ代わりにもなるかもしれない。見た目も派手で、ちょっとしたドレスアップ(デコトラ化)にも悪くない」
駆さんは荷台のツールボックスから、丈夫な結束バンドとガムテープを取り出した。
「なっ……待って! 待ってください! 嘘でしょ!?」
私の制止も聞かず、駆さんは伝説の聖剣を、トラックのフロントバンパーに『ガムテープと結束バンドでぐるぐる巻きにして』固定し始めたのだ。
「か、駆さん! それ聖剣! 神様の力が宿った、世界を救うための剣ですよ! トラックの飾りにしちゃダメぇぇぇっ!」
「……文句を言うな。リサイクルだ。環境に優しいだろう」
「環境問題関係ないでしょ! バチが当たりますよ! 絶対に天界の神様がブチギレますよ!」
私の悲鳴が響き渡る中。
純白の2トントラックのバンパーに、黄金に輝く伝説の聖剣が、ダサいガムテープでガッチリと括り付けられた。
最強の勇者をバックで轢き潰し、その武器をトラックのカスタムパーツ(物理)にしてしまう男。
(この人、本当に何者なの……?)
私は、頭を抱えて震えるしかなかった。
私たちの前途には、さらなる理不尽なトラブル(と、神の怒り)が待ち受けていることなど、火を見るよりも明らかだった。




