第16話:【戦闘】聖剣の斬撃 vs フロントガラス(強化防弾仕様)
「死ねぇぇぇぇっ! 三流ドライバー!!」
「いやあああああああああああああああああああっ!!!」
黄金の斬撃が、視界のすべてを染め上げる。
それはまさに、神の怒りそのものだった。
先ほど遠くの岩山を豆腐のように両断してみせた、勇者リュウヤのチートスキル『絶対斬断』。
そのフルパワーの一撃が、時速60キロで突っ込む私たちのトラックの真正面に、容赦なく振り下ろされたのだ。
私は助手席で、あまりの恐怖に声すら失い、目をきつく瞑った。
(終わった……! トラックごと真っ二つにされて、私の短い人生も……!)
脳内に、借金取りのおじさんたちの笑顔が走馬灯のように駆け巡る。
そして、衝突まで残り0・1秒。
「……視界不良。ワイパー、作動」
駆さんの、まるで事務作業の確認のような平坦な声が響いた。
カチッ。
ハンドルの横にあるレバーが、静かに押し下げられる。
その瞬間。
ウィィィン。
トラックのフロントガラスの根元に備え付けられていた『黒い棒』が、半円を描くように可動した。
そして。
バキィィィィィィィィィンッ!!!!
車内に響き渡ったのは、トラックが切断される音ではなく。
極太の氷柱が、コンクリートの壁に叩きつけられて粉砕されるような、甲高く硬質な破壊音だった。
「…………えっ?」
私が恐る恐る薄目を開けると。
目の前のフロントガラスの向こう側で、信じられない現象が起きていた。
リュウヤが全力で振り下ろした、山をも断ち切るはずの『絶対斬断』の黄金のエネルギー。
それが、フロントガラスの上を滑るように動いた『黒い棒』に弾き飛ばされ、パキパキと音を立てて空中で無数の光の破片となって散っていったのだ。
「……なっ!?」
フロントガラスの向こうで、黄金の光を失った聖剣を両手で握りしめたまま、勇者リュウヤが完全にフリーズしていた。
「な、ば、馬鹿な……!? 俺の『絶対斬断』が……!? なんの変哲もねえ、黒い棒切れに……弾き飛ばされた、だと!?」
リュウヤの瞳孔が限界まで開き、目玉がこぼれ落ちんばかりに見開かれている。
当然だ。
私だって信じられない。
魔法の盾でも、伝説の防具でもない。ただの雨粒を拭き取るための黒い棒が、神の力を込めた最強の剣閃を文字通り『払いのけた』のだ。
「……当然だろう。高速道路での飛び石から視界を守るため、この車のフロントガラスには『強化防弾・対魔力反射コーティング』が施されているからな。そして、ワイパーのブレードには神格物理無効化のチタン合金が使われている」
駆さんは、スピードを一切緩めることなく、死んだ魚の目で呟いた。
「フロントガラスにヒビでも入ったら、車検に通らなくなるからな。自腹で修理代を払うなんて冗談じゃない」
「いや、車検ってなんですかぁぁぁっ! どんなチート素材でワイパー作ってるんですかぁぁっ!」
私の絶叫が車内に響く。
しかし、驚愕の時間はそこまでだった。
リュウヤの最強の斬撃は弾かれ、彼の体は完全に無防備。
そして、彼に真っ直ぐに向かってきているのは、時速60キロの、対神格結界コーティングが施された2トンの鉄の塊。
「あっ」
リュウヤの口から、間抜けな声が漏れた。
彼は気づいたのだ。
自分が今、あの忌まわしい『トラウマ』と全く同じ状況に置かれていることに。
「ち、ちいぃぃぃっ! 避け――」
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
鈍く、そして重い衝撃音が、平原に響き渡った。
トラックの平らなフロント部分が、リュウヤの顔面と胴体にクリーンヒットしたのだ。
美しい金髪も、凶悪なピアスも、伝説の聖剣も、2トンの質量と速度の前には何の意味も持たなかった。
「ぐはぁっ……!?」
リュウヤの体は、まるで紙くずのように軽々と宙を舞った。
美しい放物線を描き、トラックの頭上を飛び越えていく。
「ひぃぃぃぃぃっ! 轢いた! 本物の勇者を轢きましたよぉぉぉっ!」
私は助手席で後方を振り返った。
ドサァッ!! グシャ、ゴロゴロゴロ……!
街道の土の上に落下したリュウヤは、凄まじい勢いで何度も何度も地面を転がり、ようやく数十メートル後方で土埃の中に静止した。
「……歩行者との接触を確認。ドライブレコーダーに映像は残っているな。よし」
駆さんはゆっくりとブレーキペダルを踏み込み、トラックを静かに路肩に停車させた。
キキィィィィィッ……ブルルルルン。
アイドリング音が、静寂を取り戻した平原に鳴り響く。
「……か、駆さん。どどど、どうしましょう! 勇者ですよ!? さすがに死んじゃったんじゃ……!」
私はガチガチと震えながら、バックミラーを見た。
いくらチート勇者とはいえ、あんな猛スピードではね飛ばされれば、普通は即死だ。
殺人犯。いや、勇者殺しの指名手配犯。私のバラ色の人生が、一瞬にして終わってしまった。
「……安心しろ。天界でクソ女神に轢き殺されない程度の『耐久力チート』は付与されているはずだ。あれくらいでは死なん」
駆さんはバインダーをグローブボックスに放り込むと、ガチャリと運転席のドアを開けた。
「……降りるんですか!?」
「相手の怪我の状況を確認し、必要なら救急車を呼ぶ。それがドライバーの義務だ」
駆さんはそう言うと、トラックから降りて、リュウヤが転がっている方向へと歩き出した。
私も恐る恐る、助手席から降りて駆さんの背中に隠れるようについていく。
* * *
土埃が晴れた街道の真ん中。
そこには、全身泥だらけになり、自慢の金髪もボサボサになったリュウヤが、ピクピクと痙攣しながら倒れていた。
「あ、あばば……あぁ……」
白目を剥き、口から泡を吹いている。
手に持っていた聖剣は、手放されて数メートル先に突き刺さっていた。
駆さんは、リュウヤの顔を覗き込むようにして見下ろした。
その死んだ魚の目は、文字通り『路傍の石』を見ているかのように冷たい。
「……おい、そこの歩行者」
「……あ? あ、あぁ……」
駆さんの声に、リュウヤがうわ言のように反応し、ゆっくりと焦点を合わせていく。
「……ここは歩道じゃない。車道だ。お前のような無謀な飛び出しが、どれだけドライバーの迷惑になるか分かっているのか?」
「……は?」
リュウヤは、目の前に立つ無表情な男の言葉が理解できず、呆然とした。
「お前のその軽率な行動のせいで、俺は急ブレーキを踏まされ、納期に遅れる危険が生じた。さらにフロントガラスに傷でもついていたら、器物破損で訴えるところだぞ」
「き、きぶつ、はそん……?」
「親の顔が見てみたいものだ。どんな交通安全教育を受ければ、トラックの前にあんな派手な棒(聖剣)を持って立ち塞がれるんだ」
淡々と、しかし凄まじい言葉の暴力(お説教)が、最強の勇者の頭に降り注ぐ。
「……お、俺は……勇者だぞ……。最強の、チートスキルを持った……」
リュウヤは、震える手で地面を掴み、ギリギリと歯を食いしばった。
プライドが。
関東一円を仕切っていた頃のプライド。
そして異世界で無双を誇っていた『最強』としてのプライドが、この底辺ドライバーの説教によって、ズタズタに引き裂かれていく。
「て、てめぇ……! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしろぉぉぉっ!」
リュウヤは血を吐くような咆哮を上げ、無理やり体を起こした。
「まだだ! 俺はまだ負けちゃいねえ! 剣が駄目なら魔法だ! 俺にはすべての属性魔法を無詠唱で極大化して放つチートスキルもあるんだよぉぉぉっ!」
リュウヤが両手を天に掲げる。
途端に、彼の上空に巨大な炎の渦、氷の槍、雷の嵐が、いくつもの巨大な魔法陣と共に顕現した。
「ひぃぃぃぃぃっ! か、駆さん! 逃げて! トラックに乗ってぇぇぇっ!」
私は駆さんの背中にしがみつき、半泣きで叫んだ。
あんなのが同時に降ってきたら、トラックのガラスがどうとかいうレベルじゃない。
この平原一帯が消し飛ぶ大爆発が起きる。
しかし。
駆さんは一切の動揺を見せず、ただ静かに溜め息をついた。
「……まだやるのか。見苦しいぞ、元総長」
「死ねぇぇぇぇぇっ!! 『神魔殲滅・極大複合魔法』!!!」
リュウヤの絶叫と共に、空を覆い尽くすほどの極大魔法の嵐が、駆さんと私、そしてトラックに向かって一斉に降り注いだ。
ゴォォォォォォォォォォッ!!
視界が炎と雷で真っ白に染まる。
私は鼓膜が破れそうな轟音の中で、死を覚悟した。
だが。
「……結界バンパー、出力最大。対魔力コーティング、全展開」
駆さんが、トラックのキーレスリモコン(鍵)のボタンを「ピッ」と押した。
その瞬間。
トラックのフロントバンパーに刻まれた見えない『対神格結界』が、半球状の光のドームとなって、私たちとトラックをすっぽりと包み込んだ。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
神すらも殺すという複合魔法の嵐が、結界のドームに直撃する。
しかし。
「えっ……?」
結界の内側は、そよ風一つ吹かない完全な『無風状態』だった。
炎も雷も氷も、すべてドームの表面でツルンと滑り落ちるように弾かれ、明後日の方向へと飛んでいき、平原のあちこちに大穴を開けていく。
「……な、ば、馬鹿なぁぁぁっ!?」
リュウヤが、自分の放った最強の魔法が、完全に無力化されているのを見て、膝から崩れ落ちた。
「俺の、俺の最強魔法が……傷一つ、つけられねえだと……!?」
「……魔法の出力は高いが、指向性が甘いな。あんな乱反射するだけの光のショーでは、俺のトラックの結界は抜けん」
駆さんは、すべてが収まった後、何事もなかったかのようにリュウヤを見下ろした。
「それと、俺は急いでいる。これ以上の業務妨害は許さない」
「……あ、悪魔だ。てめぇは、人間の皮を被った……魔王だ……!」
リュウヤの心から、ポッキリと音がして何かが折れた。
最強の剣はワイパーに弾かれ。
最強の魔法はバンパーの結界に防がれる。
そして、自分は時速60キロの鉄の塊にはね飛ばされて泥だらけ。
(……勝てねえ。この運転手には、絶対に勝てねえ……!)
リュウヤはガタガタと震えながら、後ずさりを始めた。
逃げなければ。
この狂った運送屋から、一刻も早く逃げなければ、殺される。
「ひぃっ……ひ、ひぃぃぃぃぃっ!」
リュウヤは無様な悲鳴を上げながら、腰を抜かしたまま、這いつくばって逃げようとする。
かつての威勢の良さは見る影もなく、ただの怯えた小動物のようだった。
「……駆さん。もう、十分じゃないですか?」
私は、あまりの惨めな勇者の姿に、少しだけ同情してしまった。
さすがにもう、二度と私たちに歯向かってくることはないだろう。
「……そうだな。俺も無駄な争いは嫌いだ」
駆さんはそう言うと、踵を返してトラックの方へと歩き出した。
「ふぅ……助かった。よかったぁ」
私が胸をなでおろした、その時。
駆さんはトラックの運転席に乗り込むと、エンジンを吹かし、そして。
ガチャッ。
シフトレバーを、迷いなく『R』に入れた。
ピーッピーッピーッピーッ。
平原に、軽快な電子音(バック音)が響き渡る。
「……えっ?」
私が呆然と見ている前で、駆さんは窓から顔を出し、後方に倒れているリュウヤを冷酷な目で見据えながら言い放った。
「……だが、さっきも言った通り、轢き逃げは犯罪だからな」
「は?」
リュウヤが、間抜けな顔で駆さんを見上げた。
「……最後まで責任を持って、トドメを刺す。お前も、あのクソ女神と同じようにな」
ヴオオオオオオオンッ!!
トラックの後退灯が赤く光り、2トンの鉄の塊が、恐るべき速度で『バック』を開始した。
「ひ、ひぎゃあああああああああああああああっ!?」
リュウヤの絶望の悲鳴が、夕暮れの空に響き渡った。




