第13話:【平穏】報酬でガソリン(魔力液体)を補給。つかの間の洗車タイム
「ふふふふふ……うふふふふふふ……」
オルテシア伯爵領から少し離れた、静かな川辺。
月明かりに照らされたトラックの助手席で、私は不気味な笑い声を漏らしていた。
私の膝の上には、重厚な木箱が乗っている。
蓋を開けると、そこには眩いばかりの黄金の輝き。
「金貨500枚……金貨500枚ですよ、駆さん! 本物です! 噛んでも歯型がつきません!」
私は金貨を一枚取り出し、頬ずりをしてからウットリと見つめた。
行商人時代、銅貨数枚を稼ぐために泥水ススって、野盗に追われて夜逃げしていた私が。
これで私の村も助かる!
たった1日で、いや、半日でこんな大金を手にしてしまうなんて。
「私たち、もう一生働かなくてもいいんじゃないですか!? 王都に豪邸を建てて、毎日高級フレンチを食べて、メイドさんを3人くらい雇って……」
「……ミオ。その箱に頬ずりするのはやめろ。ヨダレが垂れている。不衛生だ」
運転席のドアが開き、作業着に着替えた駆さんが冷たい声でツッコミを入れた。
「それに、一生働かないなどという怠惰な思考は捨てろ。俺はプロの運送屋だ。道が続く限り、荷物を運び続ける」
「ええーっ!? こんなにお金があるのに!? 駆さんって、本当は働くの好きなんじゃないですか?」
「……勘違いするな。俺は労働そのものが好きなわけじゃない。ただ、働かないと社会との繋がりが絶たれて、人間としてダメになりそうな気がするだけだ」
「完全に社畜の末期症状じゃないですか!」
私は呆れて木箱を閉じ、グローブボックスの中に丁寧にしまい込んだ。
まあいい。駆さんが働くなら、私も助手席に座って金庫番を続けるだけだ。
この安全で快適な鉄の魔獣のお腹の中なら、一生暮らしてもいいと思えるくらいだ。
「……さて。それよりも、まずは燃料の補給だ」
駆さんはトラックの後方に回り、荷台の横にある小さな丸い蓋を開けた。
「燃料? ああ、魔獣が動くための魔力ですね。でも、こんな森の中でどうやって……?」
「来る途中で、街の魔法薬屋に寄って買い占めてきただろう」
駆さんは、先ほど街で購入した木箱をドサリと地面に置いた。
中には、青く光る液体が入ったガラス瓶が、数十本も並んでいる。
「それって……『上級マナポーション』じゃないですか!? 魔術師が魔力切れの時に飲む、一本で銀貨1枚もする超高級回復薬ですよ!」
「ああ。俺のトラックのディーゼルエンジンは、この世界の魔力液体を燃料として代用できるようにカスタマイズされているからな」
駆さんは淡々とそう言うと、ポーションの蓋をポンッと開け、給油口にドバドバと注ぎ込み始めた。
「ひゃあああっ!? もったいない! それ一本で、貧民街の家族が1ヶ月暮らせるんですよ!? なんでそんなものを、ただの移動のために!」
「……燃費が悪いんだ。リッター4キロしか走らない。このポーション1本で、せいぜい10キロといったところだな」
「燃費って何ですか! とにかくコスパが最悪ってことですね!? 金貨500枚あっても、すぐに破産しちゃいますよぉぉぉ!」
「経費だ。必要経費をケチる運送屋は事故を起こす。……よし、満タンになったな」
駆さんは空になった数十本のガラス瓶をゴミ袋にまとめると、満足そうに頷いた。
私は頭を抱えながら、このデタラメな魔獣の維持費の高さに絶望するしかなかった。
「……そして。いよいよ本題だ」
駆さんの声のトーンが、一段階下がった。
いや、下がったのではない。何か、異常な熱を帯びたような、不気味なほどの真剣さが滲み出ている。
「ミオ。水汲みを手伝え。徹底的にやるぞ」
「え? 徹底的って、何を……」
私がトラックの外に出ると、そこには目を覆いたくなるような惨状があった。
美しい純白だったトラックのボディは、今や見る影もない。
野盗を撥ね飛ばした時の泥。
山を直進した時の樹液と傷。
そして、門や結界をぶち破った時の焦げ跡。
「……ひどい有様だ。俺の愛車が、まるでスクラップ寸前の廃車みたいじゃないか」
駆さんは、血の涙でも流しそうな悲痛な顔で、ドロドロのフロントグリルを撫でた。
「あの……駆さん。魔獣も、たまには汚れるもんですよ。雨が降ればそのうち綺麗に……」
「馬鹿を言うな。放置すれば塗装が剥げ、サビの原因になる。特に足回りの泥は致命的だ。今すぐ、この汚れを根絶やしにする」
駆さんは荷台の横にある道具箱から、ホースのようなものを取り出した。
「トラックの給水タンクからポンプで水を汲み上げ、圧縮して放出する。『高圧洗浄機』だ。ミオ、お前はバケツに川の水を汲んでこい」
「こ、高圧洗浄機? なんですかその物騒な名前のアーティファクトは……」
私が川からバケツで水を汲んで戻ってくると、駆さんはホースの先端をトラックに向けた。
ブシュウウウウウウウウウウウウウウッ!!!!
「ひゃあああああっ!?」
凄まじい水圧がホースの先から噴射され、トラックのボディにこびりついた泥や樹液を、文字通り『削り落として』いく。
直撃すれば人間の皮膚など簡単に裂けそうなほどの威力だ。
「……まずは下洗いだ。水圧で大まかな汚れを吹き飛ばす。上から下へ、重力に従って汚れを落としていくのが基本だ」
駆さんの死んだ魚の目が、キラキラと輝いている。
仕事をしている時よりも、女神を轢き殺した時よりも、はるかに生き生きとした表情だ。
「な、なんで洗車ごときにそんな職人魂を燃やしてるんですか……!」
「……洗車は、ドライバーと車が対話する神聖な儀式だ。日頃の感謝を込めて、隅々まで磨き上げる。これが長距離ドライバーの嗜みというものだ」
高圧洗浄が終わると、駆さんはバケツの中に青い液体を数滴垂らし、勢いよく水を注いでモコモコの泡を作った。
「これは『カーシャンプー・撥水コーティング入り』だ。普通の石鹸では塗装を痛めるからな」
駆さんは巨大なスポンジに泡をたっぷりと含ませ、トラックのボディを優しく、愛おしそうに撫で回し始めた。
「……よしよし、いい子だ。今日もよく走ってくれたな。サスペンションの調子も最高だったぞ」
「……」
私はドン引きしながら、その光景を眺めていた。
普段は無感情で、人間相手には一ミリも共感を示さない男が、鉄の塊に向かって満面の笑み(当社比)で話しかけている。
完全に変質者だ。
「おいミオ。突っ立っていないで、お前もタイヤのホイールを洗え。専用のブラシを貸してやる」
「ええーっ! 私もやるんですか!?」
「当然だ。助手席に乗っている以上、お前もこの車の一部だ。自分の居場所は自分で綺麗にしろ」
「うぅ……わかりましたよぉ……」
私は渋々ブラシを受け取り、巨大なタイヤのホイールをごしごしと擦り始めた。
でも。
自分の居場所、か。
私は手を動かしながら、チラリと助手席のドアを見た。
フカフカのシート。涼しいエアコンの風。
そして、どんな危険からも絶対に守ってくれる、頑丈な鉄の壁。
行商人時代、私はいつも一人だった。
誰にも頼れず、借金取りの影に怯えながら、薄暗い森の中で震えて眠る毎日。
それが今はどうだ。
無表情で無愛想だけど、絶対に私を見捨てない(たぶん)デタラメなドライバーが隣にいる。
「……まあ、悪くないかもね」
私は小さく呟き、少しだけ力を込めてホイールを磨いた。
* * *
それから約2時間後。
「……完了だ」
駆さんが、額の汗を拭いながら満足げに息を吐いた。
月明かりの下。
そこには、まるで新車のようにピカピカに輝く、純白の2トントラックの姿があった。
「おおおっ……! 本当に真っ白! 泥も傷も完全に消えてる!」
私は目を丸くしてトラックの周りを一周した。
「……仕上げの固形ワックスが効いているな。水弾きも完璧だ」
駆さんはボディの表面を指でスーッと撫でた。
キュッ、と小気味良い音が鳴る。
「ワックスは円を描くように塗ってはいけない。直線的に、薄く均一に塗り広げるのが基本だ。……よし、これで明日の業務も完璧な状態で挑めるな」
駆さんは道具を片付けると、トラックのバンパーに腰掛けた。
私もその隣にちょこんと座る。
夜の川辺は静かで、せせらぎの音と、秋の虫の鳴き声だけが聞こえていた。
「駆さん、お疲れ様です。……なんだか、すごく平和ですね」
私は夜空を見上げながら言った。
「そうだな。今日はよく働いた。明日は少し遅めに起きて、次の街へ向かうとするか」
駆さんも、ポケットからタバコらしきもの(異世界の煙草草)を取り出し、火をつけてゆっくりと煙を吐き出した。
「次の街かぁ……金貨もあるし、美味しいもの食べたいですね! 私、王都のスイーツが食べてみたいです!」
「……却下だ。甘いものは眠気を誘う。運転の妨げになる」
「ええーっ! ケチ! 自分の魔獣には高級ポーション飲ませてるくせに!」
私が頬を膨らませて文句を言っていると。
ふと、夜空の星の一つが、不自然に動いたように見えた。
「ん? あれ……」
私は空を指差した。
「駆さん、見てください。流れ星ですよ!」
「流れ星? ……ふむ。確かに、異常な光度で落下してきているな」
駆さんも空を見上げた。
それは、美しい一筋の光……などというロマンチックなものではなかった。
ギラギラと燃え盛るような、禍々しい赤い光。
しかも、明らかにこの地上に向かって、物凄いスピードで接近してきている。
「……なんか、すごく大きくないですか? しかも、どんどんこっちに向かってきているような……」
「……」
駆さんは死んだ魚の目で、その赤い光の軌道を冷静に計算しているようだった。
「……ミオ」
「は、はい?」
「あれは流れ星ではない。おそらく、大気圏に突入してきた『隕石』か、あるいは『高位の攻撃魔法』の類だな」
「い……いんせきぃぃぃっ!?」
私は飛び上がった。
「そ、そんな呑気なこと言ってる場合じゃないですよ! 逃げないと! 直撃したら消し飛びますよ!」
「慌てるな。軌道計算の結果、落下地点はここから数十キロ離れた山奥だ。俺のトラック(愛車)には傷一つ付かない」
駆さんはタバコの火を携帯灰皿で消し、立ち上がった。
「だが、嫌な予感がする。あの光……どこかで見たことがあるような気がするな」
「どこかって、どこですか!?」
「……さあな。昔、俺のトラックのフロントガラスに張り付いた『虫』の光に似ている」
駆さんは全く興味がなさそうに背を向け、荷台の1LDKのドアを開けた。
「今日はもう寝るぞ。明日は早起きして、朝の点検をするからな」
「えっ、ちょ、あんなのが落ちてきたのに寝るんですか!? 駆さーん!」
私は夜空の赤い光と、荷台に入っていく駆さんを交互に見比べ、慌てて後を追った。
この時の私たちは、まだ気づいていなかった。
その赤い光の正体が、かつて駆さんが轢き殺した『傲慢な元ヤン勇者』であり、天界でブチギレた女神が放った『最強の刺客』であることを――。




