第12話:【到着】「ハンコをお願いします」貴族の館にトラックでダイナミック・エントリー
「いやあああああああああああああああああっ!!!!」
オルテシア伯爵領、本邸。
夕暮れの空に、私の絶叫と、鼓膜を破るような爆音が響き渡った。
『来るぞ! 衝撃に備えろぉぉぉっ!』
城壁の上に並んだ兵士たちが、悲鳴に近い声を上げる。
フロントガラスの向こう側。
私たちのトラックの直前に立ちはだかっているのは、伯爵邸の精鋭魔術師たちが総力を結集して展開した『神聖結界』だ。
物理攻撃も魔法攻撃も完全に遮断する、絶対防御の光の壁。
攻城兵器の砲撃すら弾き返すというその結界に、時速60キロのトラックが真正面から突っ込んでいく。
「ぶつかる! ぺしゃんこになるぅぅぅ!」
私は両手で顔を覆い、シートの上で身を丸くした。
しかし。
駆さんは死んだ魚の目でハンドルを握りしめたまま、微塵も減速しようとしない。
「……対神格結界コーティング・フロントバンパー。お前の硬さを、もう一度証明してくれ」
パリンッ!!!!
「えっ?」
私が恐る恐る目を開けると。
絶対に破れないはずの神聖結界が、まるで薄いガラス細工のように、いともたやすく粉砕されていた。
『な、ば、馬鹿なぁぁぁぁっ!?』
『我々の全力の結界が、ただぶつかられただけで……がはっ!』
魔力的な反動を受け、城壁の上の魔術師たちが次々と泡を吹いて倒れていく。
しかし、トラックの勢いは止まらない。
結界を破った先にあるのは、大人の腕ほどもある太い鋼鉄で作られた、重厚な正門だ。
「か、駆さん! 今度こそ鉄の扉ですよ! 止まってぇぇぇ!」
「……納品口が閉まっているなら、こじ開けるまでだ」
ガッシャァァァァァァァァァァァンッ!!!!
凄まじい金属の破砕音が響き渡った。
鋼鉄の門扉が、あめ細工のようにひしゃげ、蝶番からへし折れて吹き飛ぶ。
2トンの質量と速度を持った白い悪魔は、一切の抵抗を許さず、伯爵邸の広大な敷地内へとダイナミック・エントリーを果たした。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
私はもう、声にならない悲鳴を上げ続けるしかなかった。
敷地内には、美しく手入れされた広大な庭園が広がっていた。
色とりどりのバラが咲き誇り、中央には優雅な噴水がある。
しかし、駆さんは一切の迷いなく、その庭園のど真ん中を突っ切った。
「ば、バラ園が! 噴水がぁぁぁっ!」
「……玄関への最短ルート(ショートカット)だ。芝生を荒らすのは心苦しいが、背に腹は代えられない」
ブシャァァァァッ! と噴水の水を跳ね飛ばし、美しいバラのアーチをへし折りながら、トラックは猛然と進む。
そして。
伯爵邸の巨大な玄関の扉、そのわずか数十センチ手前。
キキィィィィィィィィィィィィッ!!!
凄まじいスキール音と共に、トラックは急停車した。
タイヤから白い煙が立ち上り、周囲にゴムが焦げたような匂いが漂う。
「……現在時刻、16時55分。……よし」
駆さんは手元の時計を確認し、短く息を吐いた。
「納期、厳守。轟運輸の面目躍如だな」
「面目もクソもあるかぁぁぁぁぁっ!!」
私は助手席で、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。
「門をぶち破って庭をメチャクチャにして、なにが面目躍如ですか! これ納品どころか、完全にテロリストの襲撃じゃないですか! 私たち、間違いなく死刑ですよぉぉぉ!」
「……何を言う。俺は依頼された荷物を、時間通りに届けただけだ」
駆さんは淡々とそう言うと、バインダーを小脇に抱え、ガチャリとドアを開けた。
* * *
「な、何事だぁぁぁっ!?」
伯爵邸の玄関の扉が勢いよく開き、中から数十人の武装した近衛兵と、豪華なガウンを着た初老の男性が飛び出してきた。
この領地の主、オルテシア伯爵だ。
伯爵は、玄関の目の前に鎮座する巨大な白い鉄の箱と、めちゃくちゃに破壊された自分の庭を見て、顔を真っ赤にして激怒した。
「き、貴様ら! 魔王軍の差し金か! 私の領地を、そして我が娘の命を奪いに来たのか!」
近衛兵たちが一斉に槍を構え、トラックを取り囲む。
「……」
駆さんは、自分に向けられた無数の刃を完全に無視し、コツコツと革靴を鳴らして伯爵の目の前まで歩み寄った。
「き、貴様、何者だ! 止まれ! それ以上近づけば命はないぞ!」
兵士の怒声が飛ぶ中、駆さんは懐からボールペンを取り出し、カチカチと芯を出し入れした。
「……轟運輸だ。オークヘイブンの冒険者ギルドから、荷物をお届けに上がった」
「……は?」
伯爵と兵士たちが、ポカンと口を開けた。
「お届け物だと? 貴様、この状況で何をふざけたことを……!」
「荷物は『世界樹の朝露』。ご息女の特効薬だ」
その言葉に、伯爵の顔色が変わった。
「なっ……と、特効薬だと!? 馬鹿な! 王都からここまでは、どんなに急いでも5日はかかる! 本日、使いの者を出したばかりだぞ!」
「俺のトラックの機動力を舐めるな。道中、土砂崩れで街道が塞がっていたので、ヴァリス山脈を直進してショートカットさせてもらった」
「や、山を直進だと……!?」
常軌を逸した言葉に、伯爵は後ずさりした。
「と、とにかく、本当に薬があるのなら見せてみろ! もし嘘なら、その場で八つ裂きにしてくれる!」
「……裏へ回れ。荷台を開ける」
駆さんはトラックの後方へ回り、観音開きのドアのロックを解除した。
バァァァァァァンッ!
ヒヤァァァァァァァァァッ……。
「おおっ!?」
荷台から溢れ出した強烈な冷気に、伯爵と兵士たちが一斉に身震いする。
駆さんは、冷蔵スペースの中でガチガチに固定されていた金属のトランクを取り出し、伯爵の目の前で開けてみせた。
「……確認してくれ」
トランクの中。
そこには、青白く、そして力強く発光する『世界樹の朝露』のガラス瓶が収められていた。
「こ、これは……!!」
伯爵の目が、極限まで見開かれた。
「ま、間違いない……世界樹の朝露だ! しかも、この凄まじい魔力の光……王都の神殿で精製された直後のような、完璧な状態ではないか!」
伯爵は震える手でガラス瓶を抱きしめた。
熱と振動に極端に弱く、馬車で運べばすぐに魔力が抜けてしまう繊細な特効薬。
それが、土砂崩れの山を越え、門をぶち破るような大暴走をしてきたにも関わらず、一切の劣化なく届けられたのだ。
「……電子制御式エアサスペンションの勝利だな。揺れは完璧に吸収されたようだ」
駆さんは独り言のように呟きながら、伯爵にバインダーを差し出した。
「中身に問題がなければ、ここに受領のサイン(ハンコ)をお願いします。あと、着払いの報酬、金貨300枚も」
「あ、ああ! すぐにサインしよう! お前たち、急いでこの薬を娘の部屋へ!」
伯爵はバインダーに殴り書きでサインをすると、薬を持ったメイドと共に、弾かれたように屋敷の中へと駆け込んでいった。
* * *
それから、約一時間が経過した。
庭の惨状に取り残された私たちは、トラックの横でぼんやりと待機していた。
「……駆さん。私たち、本当に処刑されませんか?」
私は完全に折れ曲がった鉄格子と、泥だらけになったバラ園を見つめながら、胃の痛みに耐えていた。
「処刑される理由がない。俺は納期を守り、完璧な状態で荷物を届けた。プロとして当然の仕事をしたまでだ」
「その過程の器物破損が問題なんですよぉ……貴族の庭を荒らすなんて、普通なら即刻打ち首ですよ……」
私が絶望していると、屋敷の重厚な扉が再び開いた。
中から出てきたオルテシア伯爵は、先ほどの激怒した顔とは打って変わって、顔を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らしていた。
「……は、伯爵様……あの、お庭の件は、本当に申し訳……」
私が土下座しようとした、その瞬間。
「おおおおおっ! 英雄殿ぉぉぉぉぉぉっ!!」
伯爵が、猛ダッシュで駆け寄り、駆さんの両手をガシッと握りしめた。
「えっ?」
「助かった! 娘の熱が、みるみるうちに下がっていったのだ! あと少し遅ければ、命はなかったと医者に言われた……! 貴殿は、我が娘の、いや、我が領地の命の恩人だ!!」
伯爵は、駆さんの死んだ魚の目を、まるで神でも見るかのような尊敬の眼差しで見つめ返した。
「土砂崩れの山を越え、門を破壊してまで、我が娘のために急いでくれたのですね! この鉄の魔獣も、きっと伝説の機神の類に違いない! 貴殿こそ、天が遣わした真の英雄だ!」
「…………」
駆さんは、熱狂する伯爵からスッと手を引き抜いた。
「……勘違いしないでいただきたい。俺は英雄ではない。ただの『運送屋』です」
「おお! その謙虚さ! やはり真の実力者は名利を求めないのだな!」
完全に勘違いのループに入っている。
門を破壊したのは、単に『納期(17時)に間に合わせるためにブレーキを踏まなかっただけ』なのだが、今の伯爵の耳には何を言っても届かないだろう。
「……それより、報酬の金貨300枚を。領収書は必要ですか」
「金貨300枚!? ば、馬鹿なことを言うな!」
伯爵の言葉に、私の心臓が跳ね上がった。
(ほら! やっぱり払わない気だ! 庭の修理代で相殺されるんだ!)
しかし、伯爵は背後の執事に合図を送った。
執事が重そうな木箱を運んできて、トラックの荷台の前に置く。
「娘の命を救ってくれた恩人に、たった300枚などありえん! 500枚だ! 金貨500枚を受け取ってくれ! 足りなければ領地を半分やってもいい!」
「ご、ごひゃくぅぅぅぅぅぅっ!?」
私は泡を吹いて、その場にぶっ倒れそうになった。
金貨500枚! 一生どころか、三代先まで遊んで暮らせる金額だ!
「……基本料金以上の過剰な報酬は、後で税務処理が面倒になるんだが。まあいい、ミオ、積み込んでおけ」
「は、はいぃぃぃぃぃっ! ありがたき幸せぇぇぇぇっ!」
私は尋常ではないスピードで木箱を抱え上げ、トラックの助手席へと運び込んだ。
「英雄殿! 今夜は我が館で、盛大な宴を開かせてくれ! 娘も、目を覚ましたら恩人に会いたいと言うだろう!」
伯爵が満面の笑みで提案してくる。
最高級の料理、ふかふかのベッド、メイドさんの接待!
私の頭の中に、バラ色のビジョンが広がった。
「ええ、ぜひ! 喜んで――」
「……お断りします」
私の言葉を遮り、駆さんが冷たく言い放った。
「なっ……!?」
「俺は就業時間(定時)を過ぎると、一切の業務(接待含む)を行わない主義です。それに、仕事終わりのビールは、自分の車内で一人で飲むのが一番美味いので」
「か、駆さん! なに勿体ないこと言ってるんですか! 貴族の宴ですよ!? 美味しいお肉が食べ放題ですよ!?」
私が袖を引っ張って抗議するが、駆さんは一切耳を貸さない。
「ミオ、車に乗れ。出発するぞ」
「えええええええっ!?」
「おお……なんとストイックな……。やはり貴殿は、伝説の……」
伯爵が勝手に感動して涙ぐむ中、駆さんはトラックの運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
ブルルルルルンッ!
「あの、駆さん。本当に宴に行かないんですか……?」
助手席に乗り込んだ私が未練たらしく聞くと、駆さんはハンドルを握りながら、チッと舌打ちをした。
「……ミオ。お前、この車の外装を見て何も思わないのか」
「え?」
駆さんが指差したサイドミラー。
そこに映る白い2トントラックの車体は、山を越え、森を抜け、魔物を轢き、野盗を撥ね飛ばしたせいで、泥と血と樹液でドロドロの悲惨な状態になっていた。
「……フロントガラスは虫の死骸だらけ。足回りは泥だらけだ。こんな状態で放置すれば、塗装が痛む」
駆さんの死んだ魚の目に、今日一番の切実な光が宿った。
「宴など後回しだ。まずは水場を探す。明日の朝までに、絶対に『洗車』をするぞ」
「……この人、本当に車のことしか頭にないのね」
私は呆れ果てて、深くシートに沈み込んだ。
しかし、この時の私たちはまだ知らなかった。
この平和な(?)洗車タイムの裏で。
はるか上空の天界において、かつて駆さんが撥ね飛ばした『あのクソ女神』が、完全な殺意を持って動き出していることを――。




