第10話:【決断】「正規ルートは土砂崩れ? なら山を越える(直進する)ぞ」
「ぎゃあああああああああああああああああっ!!!!」
私の喉から、文字通り限界を突破した悲鳴が迸った。
ヴァリス山脈の麓。
土砂崩れで完全に機能不全に陥っていた街道の傍らで、信じられない光景が繰り広げられていた。
「お、おい! 見ろよあいつ!」
「あの白い鉄の魔獣、どこに向かってるんだ!?」
街道で立ち往生していた何百人もの行商人や冒険者たちが、一斉に目を見開いて私たちのトラックを指差している。
無理もない。
彼らの目に映っているのは、どう見ても正気の沙汰ではない光景だからだ。
「おいおいおい、嘘だろ!? あそこはただの崖だぞ!」
「登ってる! あの鉄の箱、垂直に近い斜面を登ってるぞぉぉぉっ!?」
群衆の驚愕の声すら、ディーゼルエンジンのけたたましい咆哮の前にかき消されていく。
そう。
轟 駆の運転する2トントラックは、街道を外れ、ゴツゴツとした岩肌と鬱蒼とした木々が立ち並ぶ『断崖絶壁』へと突入していたのだ。
* * *
「ひぃぃぃぃぃぃっ! 落ちる! 落ちます! 重力に逆らわないでぇぇぇっ!」
車内では、私の上半身が重力に従って座席から浮き上がり、シートベルトだけでギリギリ宙ぶらりんになっている状態だった。
フロントガラスから見える景色は、もはや『前』ではない。
『上』だ。
空と、切り立った岩壁しか見えない。
体感角度、およそ60度。
普通なら、車体ごと後ろにひっくり返って谷底へ一直線に転落する角度である。
「……ミオ。騒ぐな。舌を噛むと言っただろう」
駆さんは、まるで平坦なスーパーの駐車場を走っているかのような、死んだ魚の目でハンドルを握りしめていた。
「騒ぐなって無理に決まってるじゃないですかぁぁぁっ! なんでこれ、後ろに転がらないんですか! 物理法則はどうなってるんですか!?」
「……俺の愛車は、荷物を積んだ状態で最大のトラクション(駆動力)がかかるように設計されている。後輪の二つのタイヤが、大地をしっかり掴んでいるからな」
「そういう次元の話じゃないです! どんな魔法を使えば、こんな鉄の塊が壁を登れるんですか!?」
「魔法など使っていない。ローギアの強大なトルクと、4WDの走破性だ。それと、スタッドレスタイヤの溝が岩肌にガッチリと噛み合っている」
ガリガリガリガリッ!!
タイヤが岩を削り取る凄まじい音が車内に響く。
トラックは四つの車輪をフル回転させ、まるで尺取り虫のような力強さで、一歩、また一歩と急斜面を這い上がっていく。
「ひぃっ、ひぃっ……!」
私は両手で顔を覆い、指の隙間から恐る恐る外を見た。
道なき道。
当然、目の前には巨大な木や岩が立ち塞がっている。
「か、駆さん! 前! 大木があります! ぶつかります!」
「……どかせばいい」
駆さんは一切減速することなく、大木に向かって突進した。
メキメキメキィッ! バキィィィンッ!
「ひゃあああっ!?」
トラックのフロントバンパー(対神格結界コーティング仕様)が、樹齢数百年はあろうかという大木を、まるで枯れ枝のようにへし折った。
へし折られた木はトラックの下に巻き込まれ、そのままタイヤの『足場』として無残に踏み砕かれていく。
「な、なんてパワー……大自然への冒涜ですよ……!」
「……障害物排除。このバンパー、本当に頑丈だな。帰ったらワックスをかけてやろう」
「バンパーの心配より私の命の心配をしてください!」
ドスゥンッ!
その時、トラックの片輪が巨大な岩に乗り上げ、車体が大きく右に傾いた。
「ひぎゃっ! 転がる! 今度こそ横転するぅぅぅ!」
しかし、車体は一定の角度でピタリと止まり、何事もなかったかのように岩を乗り越えた。
「……独立懸架式サスペンションの恩恵だな。タイヤ一つ一つが独立して動くから、これくらいの段差なら車体は安定している」
「だから、その謎の呪文みたいな言葉はなんなんですかぁぁぁっ!」
私はもう、考えることを放棄した。
この男に常識を説いても無駄だ。
彼は、自分の運転技術と、この『トラック』という名の古代兵器(?)を完全に信じ切っている。
「……あっ! 特効薬!」
私はハッとして、後方の荷台の方を振り返った。
「駆さん! こんなに揺れたら、荷台の中のお薬がダメになっちゃいますよ! 熱と振動に極端に弱いって言ってたじゃないですか!」
特効薬『世界樹の朝露』は、振動を与えると魔力が抜けてただの水になってしまうのだ。
こんな悪路を爆走していて、無事なはずがない。
「……問題ない」
駆さんは前を見据えたまま、淡々と答えた。
「俺のトラックの荷台は『電子制御式エアサスペンション』を搭載している。路面の凹凸に合わせて空気のバネが伸縮し、荷台の振動を完全に吸収するんだ」
「えあさす……?」
「つまり、運転席がどれだけ揺れようと、荷台の中は『無重力空間』のように安定しているということだ」
「む、無重力……!? どんだけ凄まじい結界魔術なんですかそれ!」
「結界ではない。空気圧だ。……おっと、少し横滑りしたな」
駆さんがハンドルを素早く切り返し、アクセルを微調整する。
崖から滑り落ちそうになった車体が、再び岩肌を捉えて前進を再開する。
「……ふぅ。やはり、完全なオフロードは少し骨が折れるな。だが、予定よりペースは上がっている」
駆さんはスピードメーター(現在時速15キロ)を確認し、満足そうに頷いた。
「このペースなら、あと2時間で山を越えられる。納期には十分に間に合うぞ」
「間に合ったとしても、私の寿命が縮んでますぅぅぅ!」
私は涙目で叫んだ。
窓の外を見下ろすと、さっきまで私たちがいた街道が、はるか下方に米粒のように小さく見えた。
もしここから落ちたら、鉄の箱ごとペシャンコだ。
「……ミオ。ナビの仕事はどうした。この先、頂上までの地形を教えろ」
駆さんが、容赦なく業務の確認をしてくる。
「こ、こんな道なき道のナビなんてできるわけないでしょ! 私が知ってるのは街道のルートだけです! ここは誰も通ったことのない魔境ですよ!」
「チッ……使えないナビだ。仕方ない、目視でルートを開拓する」
駆さんは舌打ちをすると、さらにアクセルを踏み込んだ。
ヴオオオオオオオオオオンッ!!
トラックは木々をなぎ倒し、岩を砕きながら、ひたすらに上へ上へと登り続ける。
* * *
それから小一時間。
私の絶叫と、木がへし折れる音だけが森に響き渡っていた。
「……はぁ、はぁ……もう、声が、出ない……」
私は完全に疲労困憊し、シートにぐったりともたれかかっていた。
恐怖のあまりアドレナリンが出尽くして、逆に変な笑いが込み上げてきそうだ。
「……ふむ。水温計が少し上がってきたな。ラジエーターに負担がかかっているか」
駆さんは計器類を冷静にチェックしている。
この状況で、どうしてそんなに落ち着いていられるのか。
「……駆さん。もうすぐ、頂上ですかね……」
「高度計の針から推測するに、あと少しで尾根に出るはずだ。そこを越えれば、あとは下り坂になる」
下り坂。
その言葉を聞いて、私は少しだけホッとした。
下りなら、こんなにエンジンを唸らせて無理矢理登る必要もない。
しかし、私の安堵は、次の瞬間に木端微塵に打ち砕かれた。
「……ん?」
駆さんが、僅かに眉をひそめた。
フロントガラスの向こう。
木々が途切れ、視界が開けた先に現れたのは。
「な……なんですか、あれ……」
私の口から、絶望のうめき声が漏れた。
そこにあったのは、もはや『斜面』ですらなかった。
完全に垂直に切り立った、巨大な一枚岩の『絶壁』。
高さは数十メートルにも及び、左右は果てしなく続いている。
まるで山そのものが、私たちの行く手を阻む巨大な城壁のようだった。
「……行き止まりですね。完全に、垂直な壁です」
私は力なく笑った。
「馬鹿みたい。こんなの、鳥か、空を飛ぶ魔物しか越えられないじゃないですか。……ははは、終わりましたね。金貨300枚、さようなら」
私は完全に諦め、シートベルトを外そうと手を伸ばした。
だが。
「……何を勝手に諦めている、ミオ」
駆さんの低く、しかし熱を帯びた声が、車内に響いた。
「え?」
「俺は、夕方までに届けると言った。納期は絶対だ」
駆さんは、死んだ魚の目に、ギラギラとした狂気の炎を宿らせていた。
「か、駆さん……? まさか、この垂直の壁を登る気ですか? いやいやいや、無理ですよ! いくらなんでも! タイヤが地面を掴めませんって!」
「……タイヤが掴めないなら、別の方法を使うまでだ」
駆さんは、ハンドルの横にある、普段は絶対に触らない『赤いカバーに覆われたスイッチ』に手を伸ばした。
「えっ……なにその怪しいスイッチ……」
「……このトラックは、異世界転生管理局の『特別カスタマイズ仕様』だと言っただろう。クソ女神の思いつきで、無駄な機能が山ほど搭載されているんだ」
パカッ。
駆さんが赤いカバーを開け、中のスイッチを力強く押し込んだ。
『ウインチ・モード、起動。フロントバンパー、パージ』
機械的なアナウンスと共に、ガシャァァァン! という凄まじい音がトラックの前面から鳴り響いた。
「な、なに!? 何が起きたんですか!?」
私がパニックになって前方を見ると。
トラックの頑丈なフロントバンパーの一部がパカッと開き、そこから極太の鋼鉄のワイヤーが飛び出していたのだ。
そして、そのワイヤーの先端には、巨大な『銛』のようなものが取り付けられている。
「まさか……!」
「……行くぞ」
駆さんが、手元のレバーを強く引いた。
ドシュウウウウウウウウウウウウンッ!!!
凄まじい発射音と共に、鋼鉄の銛が垂直の絶壁に向かって射出された。
「ぎゃあああああああああっ!? 何撃ってるんですかぁぁぁっ!」
ガッキィィィィィィンッ!!!
発射された銛は、数十メートル上の絶壁の頂上付近の岩盤に、深々と突き刺さった。
「……アンカー固定確認。巻き上げ開始」
駆さんがウインチのスイッチを入れる。
ギギギギギギギギギギッ……!
鋼鉄のワイヤーが巻き取られ、ピンと張り詰める。
そして。
「う、浮いたぁぁぁぁぁぁっ!?」
2トンのトラックの車体が、完全に地面から離れ、垂直の壁を『登り』……いや、『引き上げられ』始めたのだ。
「垂直壁面クライムだ。しっかり捕まっていろよ、ミオ」
「馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁっ! 頭がおかしいですこの運送屋ぁぁぁぁっ!!」
私の絶叫と共に、トラックは完全なる物理法則の無視へと突入していった。




