その命を愛したもの。愛せなかったもの。
【 まず1つ目ー、人神になる人間には生まれてきて7歳までに神の使いが現れる。】
その言葉通り、幼い応と甲の前にある日、白い一羽のカラスがやってきたのだった。
閉め切った窓からどうやってはいってきたのか、その烏は二人の目の前に音もたてずに羽ばたいてきた。
甲は、その光景をいまでも忘れずにいた。
ああ、神様っているんだ…とその時は、本当にそう思ったのだ。
「あの日、突然…応の前に白い鳥が現われた時は本当に二人とも驚いたよ。しかも喋るしね。」
「そこで応ちゃんは人神になったの?」
「そうだよ。応は恥ずかしがって要さんにはまだ見せてないようだけど、人神になった日から応は馬鹿力を授かったんだ。」
「ば、馬鹿力。」
甲のあけすけな言い方に、要は言葉を詰まらせたが、横からはオーディエンスと言わんばかりに李人から「的を得てる。」という賞賛の言葉と拍手がなされていた。
イズモはそれを静かに見つめながら「バレたら二人とも応にジャーマンスープレックスをくらうでしょうね。」と心の内で思っていた。
甲の記憶の中で、壊れた扉と泣きそうな顔で自分に手を差し出す小さな応の姿があった。
「その力を使って納屋の扉を壊した応は、僕に一緒に逃げようと言ってくれたけど、」
彼女は自分に向かって必死で叫んでいた。
「逃げよう、甲ちゃん」と、何度もそう言っていた。
逃げたかった、二人で。
どこまでも二人でいたかった。
いつも自分に温もりをくれる、この優しい片割れのそばに。
だが、甲には過去の経験で…いや、本能で分かったのだ。
自分は応と同じ道には進めないのだと。
たとえ、それがどんなに自分が望んだとしても。
「行きたくても、行けなかった。」
「…」
行けば、間違いなく恐ろしいことが起こる。
それは自分の命にも…周りのみんなも巻き込んでしまう。
だから、あの日、甲は応とさよならをした。
泣いて嫌がる応に、それでも甲は言った。
「応、わかるでしょ?僕たち、同じところには行けないんだよ。」
「じゃあ、ずっとここにる!応、ここで甲ちゃんと一緒に、ずっといる!」
「それはダメ。」
「なんで!?一緒にいたいよ!甲ちゃんは違うの?」
応のリンゴのように真っ赤な頬に、大粒の涙がポロポロとこぼれていく。
父たちにひどいことを言われても、応はこれほどに泣いたりしなかったのに。
甲との別れのほうが、彼女は嗚咽を止めれないほど悲しくて仕方なかったのだ。
でも、それは甲も同じだった。
誰よりも彼女の心を理解できるのは、やはり甲だった。
彼は自身の小さな手が、応の手を取らないように必死で我慢した。
その代わり、最後に応の頬に流れる涙をその手で包み込んだ。
ありがとう、と、さよならを込めて。
「…いたいよ、ずっと応のそばにいたい。でも…応をずっとここに閉じこめたくない…!」
「甲、ちゃん…」
「きっと、また会える…どこかできっと。だから応はあの山の方向へ向かって行って。応なら行ける。」
何の確信もないと誰でもわかる言葉を、甲はそれでもあえて口にした。
そうまでしてでも、彼女をここから逃がしたかった。
自分たちを災いだと言って閉じ込める周りの大人たちの、言葉や視線の中で応に生きてほしくなかったから。
甲の真剣な表情を見て、応は迫りくる片割れとの別れを察し涙が止まらなかった。
「いやだぁ!応は、甲ちゃんと一緒が良い!」
「僕は行けない…わかってるでしょ?」
「でも、でも、離れたくないっ!!!」
応がそう言いながら甲の手を取ろうした時だった。
父の、低い言葉が二人の間に落とされたのは。
「な、なんでお前たち…外にいるんだ?」
「お、おとうさん…!」
応は父の声を聞いて分かりやすく固まってしまったが、甲はそれが口火を切るきっかけと捉えた。
父を見て震える応に、甲はいち早く叫んだ。
「応、早く行って!早く!」
甲がハッとなって日の照る山をみれば、あの八咫烏が見えた。
そうだ。
今、ここで逃げなければ、僕たちは二度と外には出れないかもしれない…甲はぐっと奥歯を噛んで応の背中を強く押した。
自分たちに近づいてくる父は、破壊された蔵の分厚い扉を見て、分かりやすく困惑していた。
「なんで、扉が壊れてる!?お前たちがやったのか!?どうやって、お前たち、」
恐怖の色をまとった父の瞳は、もう我が子を見る目ではなかった。
この人に、何をされるかわからない。
そんな思いが頭をよぎった甲は、大きな体をした父が怖くてたまらなかった。
ただ、父も自分たちに明らかに警戒している。
ー 今だ、今しか、この人から逃げるチャンスはない!
「甲ちゃん、わたし…」
「いいから!早く!応、行って!!」
じりじりと自分から距離を取る甲たちを見て、父親はあわてて口調を荒げた。
いつもだったら、まっさきに応たちの腕を掴んで蔵に押し込めていただろう。
だが、破られた扉の残骸を見て、父もすぐには近づいてこない。
なんとか大声をあげて、自分たちを抑圧するので必死のようだった。
「おい!動くんじゃないぞ二人とも!!絶対そこから動くなっっ!!!」
「どうしたの、そんな騒いで?」
父の叫び声に、家の裏戸から出てきたのは祖母だった。
祖母の姿を目にした甲は咄嗟に「まずい。」と思った。
このままでは、二人ともまた捕まってしまう…父が何か言う前に、早くここから逃げないといけないと、甲はそんな思いで父親たちから応を守るように前に出た。
「急いで縄を持ってきてくれ!!」
「ええ?どうして…」
祖母の戸惑う、声。
そして目の端で自分たちを捉えた祖母の顔。
彼女の表情が、驚きから恐怖に代わるのを応はスローモーションのように眺めていた。
でも、応の視界はすぐに自分の肩を引っ張った甲だけになった。
甲の伸びた指の先を、応は反射的に目で追った。
「応、行って!早く!できるだけ遠くへ!山の中を隠れるように!!」
「甲ちゃん、ぃ、や…」
「いけええええぇッッ!!!!」
気づいたら、応は山の中を走っていた。
甲と別れた悲しみと、足の痛さで涙が止まらなかった。
必死で振る腕や手にも気づけば血が滲んでいる。
きっと木の枝や葉で切ったのだろう。
「痛い…いたいよぉ…!こお、ちゃん…!ぅぇ…!」
授かった力と、目の前で誘導するように飛ぶ八咫烏がいなければ、応は自力で山を下りれらなかっただろう。
でも、応は自分のことよりも、ただひたすら甲のことが心配でならなかった。
自分を逃がすことで精一杯だった彼は…あの優しい片割れはどうなっただろう。
最期に聞いた甲の叫び声が怖くて、後ろを振り返れなかったけれど、父の声はもうそこまで来ていたはずだ。
応は、必死で大きな道まで走りでると、すぐそばにいた女性に縋るように腕を伸ばしたのだった。
そのあとの話を、甲はまたぽつりぽつりと言葉にした。
「保護された応は…まあ、簡単に言うと施設とかに入れられて、…父はうちにやってきた警察に問い詰められて、…それで横にいた祖母が僕らのこれまでの事を話したんだ。」
「あの子たちは、普通ではない!」「あの子たちは災いだ!」「私たちの方が被害者だ!」と訴える祖母。
彼女の只ならぬ様子に、警察官は最初戸惑うような様子だった。
それでも、縄でくくられた甲を見て「化け物!」と騒ぐ祖母の姿は誰が見ても明らかに異常だった。
「僕たちの話を世迷言…祖母は気が触れたんだと終われば良かったんだけど…まだ家には僕がいたから」
「…まさか…」
父が警察の人間に取り囲まれるのを、呆然と見ていた祖母が、カッと目を見開いたかと思うと自分の方へと飛びついてきた。
どこにそんな力があったのか分からないが、基準よりも遥かに体重の軽い甲を抱えて、祖母は周りの大人を蹴散らしながら家のすぐ裏手の山へと甲を放り投げ入れたのだった。
そこは、応が逃げた先…甲が踏み入れてはならない…応のための守地であった。
「いやだ、やめて、」と叫びながら甲は自分が永遠に逃れられない闇の中に落とし込まれる気持ちだった。
甲は地面に体が打ち付けられる間に、これまでずっと思っていたことが頭の中に駆け巡った。
ーなぜ?なんで、僕らはこんな目にあわないといけないの?なんで、僕らが災いなの?
甲の心を表すように…あれほど晴れていた空が、一瞬にして闇夜を思わせるほどに空に暗雲を呼び寄せていた。
祖母と自分の悲しみと絶望がぐちゃぐちゃに混ぜ込まれたあの空間を…祖母の自分にした行いを甲は一生忘れないだろう。
「祖母は…彼女は、僕を使ってみんなの前で実演してしまった。」
「…っ、そんな、なんて…酷い…こと。」
麻袋が転がるように崩れ倒れた甲は、すぐに心臓が苦しくなった。
脈が乱れ、呼吸ができない苦しみの中で、甲は必死になって祖母に助けを求める様に腕を伸ばしたけれど、彼女は追いかけてきた警察官に「ほら、ごらん!これが災いの正体だ!」と叫んでいた。
途端に鳴り響く落雷と、視界が霞むほど大雨に甲も目が開くこともできなくなった。
「ドオンッー!!ドオンッー!!」と地面を割るような雷の音がずっと自分の傍で鳴り響くのを、甲は遠くなる意識の中で聞いた。
そして、意識が飛ぶ瞬間、自分の視界に何か白いものが現れた。
が、次に目が覚めた時、甲は病院のベッドの上にいた。
たくさんの大人に取り囲まれた状態で。
「警察の人もすごく驚いてたけど…その後、すぐにもっと上の偉い人…要さんの所にも来たでしょ?」
「…うん。」
「そこで、僕も保護されたわけ。で僕らは役割を与えられた。」
「え、役割…?」
要の眉をひそめた表情を見て、甲は小さく頷くと「僕らは、命が半分こみたいなんだ。」と何でもないように言った。
「え、はんぶん…って?」
「そう。これが、災いの正体。」
要は甲の言葉が理解できなかった。
だから、素直に「どういう意味?」と問うた。
そんな彼女に甲は「応と僕はね、…いや、東北・中部を守る人神は特殊なんだって。」と笑った。
その笑い方があまりに悲しくて、要は思わず甲に近づこうと立ち上がろうとした。
そして、驚いた。
いつのまにか、畳は一面の苔に覆いつくされていたのだ。
彼の波打つ心の機微が、歪んだこの空間を飲み込もうとしていたのだ。
甲は自分の震える声に気づかぬまま、話し続けた。
「僕と応はどうやら命が一つみたいで、」
「え?」
「だから、どちらかが死ぬと片割れも死ぬらしい。」
「なっ!?」
「イズ兄の所にある文献?なんか山のようにある資料とね、恩じぃのこれまで僕らの守り地で生まれてきた人神の記憶とか照らし合わせたけど、やっぱり間違いないみたい。」
「意味分かんないよね、ハハハ。」と力なく笑う甲は、「ごめん、なんか苔生やしちゃった。」とまるでなんでもないように言ったが、それでも心を落ち着けるために冷たくひんやりとした苔の表面を撫でていた。
要は、たまらず体ごとイズモの方を見た。
イズモは要と視線を合わせると、言いにくそうに声を出した。
彼は神社に保管されいる資料を必死で読み返した日々を思い出していた。
「東北・中部の人神は…何故か守り地が重なる県境で生まれる双子に多く…そしてどちらかが亡くなる時、連動するように片方の命も消えるようです。なぜ、そうなるのかは誰にも分かりません。ただどの時代にも応や甲の様に双子の人神が必ずいると資料には記されています。」
「そんな…」
要は急に自分の体が冷たくなるのが分かった。
怖いのだ。
甲と応の運命の残酷さが、責任が、重圧が、なにもかも全てが重く、苦しく、…そして悲しい。
とんでもなく、悲しい。
要は…静かに甲の言葉を受け止めることしかできなかった。
「僕と応、どちらか1人でも失ったら日本の半分近くが危機に貧する。だから、人神の命の数は7人分ってわけ。」
「・・・・。」
李人は自分より細い甲の肩をそっと見て、そのまま視線を要に向けた。
李人の瞳の中に、静かに涙を零す要が映っていた。
ああ、…と李人は思う。
彼は、要の涙を止めてあげたいと強く思っていた。
どうしよもない…このやるせなさに押しつぶされそうになる気持ちは誰よりも分かるから。
あの日、甲や応の話を聞いて「なんだよ、それ!?」と叫んで泣いた自分を見たような気持だったのだ。




