神の使い
「ぶいぶーい!」
「アハハ、くすぐったいさぁ!もう、本当にブーイは元気が良すぎるね!」
「ぶぶぶぶーいっ!!」
「やめてさぁ〜!!」
「こ、これが神のつかい…」
あれから、興奮を落ち着かせたブーイを交え要は琉宝達と一緒に談笑していた。
彼女達の前にあるテーブルの上には、用事があると言って既にその場から離れたイズモが用意してくれたお茶と、李人からの手土産である大量のお菓子が添えられていて中々に華やかな場になっていた。
温かく香りの良いお茶を飲みながら、要はそっとブーイを目にやった。
椅子に座った琉宝の膝の上で、頭を撫でられているブーイは嬉しそうに目を細めている。
何度見てもブイブイと鳴き、人懐っこく子犬程の大きさしかないブーイの印象は要の中で変わりそうにもなかった。
ーやっぱり… どう見ても子豚にしか見えない…
しかし、そんな心の内を晒して仕舞えばブーイはまた激昂してしまうだろう。
いらないことは言わんとこ…と胸にしまう要の横で李人はあっけらかんと宣った。
「まあ、どう見ても豚だわな。」
「ちょ、!?」
「ブッ、ぶイぶいぶいぶぶイブいいいいいッッ!!」
案の定、大興奮で李人の鳩尾に頭突きを喰らわしたブーイ。
その姿を見て要は慌てたのだが、李人本人は慣れたようにブーイの頭をぺんぺんと小突いている。
「おーおー、そんな怒んなよ。」
「ぶいぶいぶいぶいブイ!!」
デリカシーのない李人の言動に、要は最初のうち怪訝な顔で李人を見ていたのだが、あることに気づき2人から目が離せなかった。
ブーイが李人の膝の上でまるで説教をするように鳴き始め、そしてそれに李人は相槌を返している。
「うっせぇなぁ。分かった分かった、お前は可愛さも持ち合わせた立派な猪だよ、へーへー。」
「ぶぶぶぶぶぶぶぶ…」
「日本一…いや、世界一だよ!これでいいだろう!」
そんな李人の言葉にまだまだ言い足りなさそうなブーイは、己の前足をテシテシと李人にぶつけて抗議していた。
見かねた李人が「オーケー、お前は銀河一の猪だ!」と言いながらブーイの前足を掴んだ時、堪らず要は李人に声をかけてしまった。
「ちょと、待って李人!」
「お前…絶対、俺にさんつける気無いんだな。応もお前も失礼な奴だ。」
李人のギロっと睨みつける目に要は「うっ」とたじろいたが、すぐ横にいた応から「李人は李人でしょ。」と言う助け舟が出て、思わず2度頷いた。
自身の目元でピースサインをしながら可愛くウインクをする応を見て、李人は盛大に舌打ちをしたが要は結構慣れてきていた。
「チッ。で、なんだよ要?」
「もしかして…、李人はブーイの言葉が分かるの?」
先ほどまでのブーイと李人のやり取りは、彼らがまるで意思の通った会話しているように見えた。
琉宝の言葉も、子供だから想像で言っているのかと思ったが、まさか本当に伝わっていたとでもいうのか。
ー 李人も、ブーイの言っている言葉が本当にわかっているの!?
「あ?分かるに決まってるだろ、こんなに喋ってんだから」
「…え、うそ。」
要の信じられないという表情を見て、今度は李人の方が驚いた。
彼女の見開かれた目の中に、困惑した顔の李人が写っていた。
「要、…お前、分からないのか?」
「え、要ちゃん、ブーイの言葉が分からないの?」
応が覗き込むように要を見たが、要はどこが居心地悪そうに返事を返すことしかできなかった。
「…う、うん。分からない。」
「まじか。」
ポツリとそう言葉を零した李人に、応が「ねえねえ、」と言葉をかけてきた。
「要ちゃん、うちの八咫ちゃんはどう?」
「ヤタちゃん?」
「おいで、八咫ちゃん。」
応がニコリと笑って要の前に手を差し出した瞬間、もうそこには白い翼が大きく広がっていた。
「クァァッ!!!」
「ぇ、うわッ!?何?白い…鳥?」
「カラスだよ、要ちゃん。八咫烏って聞いたことない?」
「神の使いの?」
要の言葉に、応は「そうそう」と言ってニコリと笑いかけていると、手の上にいた八咫と呼ばれた烏は、ぴょんぴょんと腕をつたって応の肩の上へと飛び上がっていった。
「白い、八咫烏…」
「そう、人神には1人に1体。みんなに神の使いがいるの。」
「みんな?」
「そう、私にはこの八咫ちゃんがいるよ、子供の頃からね。」
「え、子供の頃?甲君にも?」
「うん、今は呼べないけど。」
「え、なんで?」
「……。」
そっと外された甲の視線に要は気になったが、応は特に気にすることもなく言葉を続けていく。
「この八咫ちゃんのように、神の使いが人神である私達の前に現れ、そして祝詞をあげ祈願する。すると人神が誕じょーう!!ってわけ。」
両手を上げてバンザイする応に、要はある記憶が頭をちらつかせた。
それは遠くから聞こえる、父と母の恐れを含んだ声ー、
【なんだ、あれは?化け物なのか?】
「え?神の使いがくれば、人神が誕生するの?」
「うーん…、それでなのかは分かんないけど、皆んなの使いの言葉も普通に分かるよ!」
【あなた!あれはなんなの!?あの、白いのは、】
「そうなんだ…」
「くァっ!くァッ!」
【駄目だっ!かなめ、来るんじゃないっ!!】
「っ…、」
応の肩の上から自分の方を見ながら鳴いている八咫を見ても、やはり要にはその言葉が理解できなかった。
ブーイも、八咫も、白い…神の使い…
自分の心のうちがザワザワと波打っていくのを、要は気づいていた。
でも、そんな彼女に気づいていない李人は「じゃあさ」と要に声をかけた。
「要にはブーイの言葉がなんて聞こえるんだよ?」
「え?その…ぶい、ぶい、って言ってる。」
要の返事に、応と李人が光の速さで突っ込んだ。
「豚だね、それ。」
「まんま、豚じゃねーか。」
「ぶひいぃぃぃッ!?ブイぶぶイブビブウイいいぃぃぃッ!!!」
錯乱した豚の様に怒り狂い出したのは勿論ブーイで、彼は今年1番息を荒らしていただろう。
そんなブーイに、応も李人も思わず立ち上がった。
「ごめっ、ごめんっ、ブーイちゃん!!!」
「やめろ、頭突きしてくんな!地味に痛ぇからやめろ!!」
「こら、ブーイ!怒っちゃダメよ!」
まさに猪突猛進。怒りの収まらないブーイを琉宝が慣れた手つきで抱き抱えると、ブーイは琉宝の腕の中で、今度はオイオイと鳴き始めた。
「ぶいぃぃぃぃぃぃッ!!!」
「うんうん、悲しいねぇ。私にはブーイの気持ち分かるよ、分かるさぁ。」
なんとか宥めようと優しい言葉をかける琉宝は、よしよしと言いながらブーイの背中を撫でている。
琉宝が「いいこ、いいこ。」と言いブーイの背中を優しく叩く姿はまるで母親のようだと要は思った。
そして不意に、要は狼島神社での百合子の言葉を思い出した。
「そういえば、李人の使いは…百合子さんが白い狼だって言ってた。」
「…ああ、シロな。」
「シロ?」
「ほれ白、出てこい。」
ポツリとこぼれた気のない李人の声が呼んだその使いは、やはり悲しいまでに純白の白さで要には眩しくて仕方のない存在だった。
そして、その犬みたいな名前からは想像もできないくらい白は体が大きかった。
「すっごい大きい!!」
「そら、白は狼だかんな。」
「なんかその名前だと、犬みたいだよ。」
「あ?分かりやすさ重視だろ。」
「な、白?」と言いながら李人は視線だけ自分の使いへとに向けると、白はわざと視線を外すようなそぶりを見せた。
「……クゥ。」
「遺憾の意って感じの顔してる。」
「あ?どういう意味だよ?おい、白こっち見ろよ。無視すんじゃねー。」
「シロちゃん、使いの中でも寡黙な方だからね。」
「そうなんだ。」
応の言葉に頷きながら要は白を見た。
目のあった白の瞳は李人の瞳と同じ藍の色。
吸い込まれる様にその瞳を見ていたら、李人から「頭撫でてみろよ」と言われ「え?」と言葉を返せば、賢い白は要のためにその頭を少しだけ下げた。
お言葉に甘えて…と少し震えた手で白い毛に手をやる。
滑らかな手触りに、ほうっと息を吐く要は、そしてすぐにこの神の使いである白き狼が、その名の通り穢れを感じさせない清らかな存在なんだということを知った。
それは白が陽の光を浴びずとも、ふんわりとした毛の先までキラキラと輝いて、要が撫でるたびにその心を落ち着かせてくれたからだ。
まさしく、名は体を表すだなと要はそう思った。
「でも、なんで要ネーネーは他の使いのこたちの言葉が分からないの?」
「え、どうしてって?」
琉宝の言葉に、要の瞳がまた不安気に揺れる。
彼女の純粋な疑問に答えてあげたいのに、要の呼吸はどんどん息苦しいものになっていく。
「だって、自分の使いの言葉は分かるんでしょう?」
「え、」
ー …使い…神の…私の使い…?
「要ちゃんの使いだよ?傍にいるんでしょう?」
応の言葉に、要はゆるゆると首を振った。
認めてはいけないと、そう父の声が聞こえたような気がしたから。
「い、いないよ!そんな使いなんて私には…いない!」
「そんな、だって子供の頃に現れたでしょう?祝詞を上げて、」
もう、応の声は要には届いていなかった。
彼女の頭の中で巡るのは父の恐怖に滲んだ叫び声。
【 来るな!来るんじゃない! 】
【 やめろっっ!!!! 】
【 この子は俺の子だ!!触るなぁっ!! 】
父の恐れと拒絶を露わにさせたあの日の記憶が一気に要の思考を占領し、その気持ち悪さから要は吐き気と共に目が回りそうになった。
「っ!?うぁ、あ、」
「要ちゃん!?」
「要ネーネー!?」
「おい、どうしたんだよ!?」
顔を真っ白にさせたただならぬ要の様子に、琉宝や応、李人に甲までもが彼女に駆け寄ってきた。
「ぃ…使い?し、白い、シロい、あの、あの、…化け物…が?ぇ、っー」
要は自分の思考が追いつく前にその意識を手放した。
それはまるで自己防衛するための本能の様な物だった。
要の膝がガクリと落ちていくのが見えた李人と甲は彼女に向かって手を差し出しながら叫んでいた。
「要!?」
「危ないッ!」
気の遠くなっていく意識の中で、要は急に自分の背後が春のような暖かさで包まれていくことが分かった。
じんわりと、まるで暖かいお湯がゆっくり自分に染み込んでいく感覚。
何かに包み込まれたのだと気づいたのは、琉宝の「恩じい!」と言う叫び声で意識が引き戻された時だった。
「ぇ…?」
「おお、危なかったなぁ。大丈夫かぁ?」
要がうっすらと開いた目に映ったのは逞しすぎる大きな腕、そしてボリュームのあるお腹、そして優し気な瞳。
「ぇ、…く、くま?」
「熊って言われたのは、久っさしぶりだなぁ!ハハハハハハハ!!!」
「す、すぃま…ぇ…。」
「おお、しっかりしろ。大丈夫か?」
「っ、………。」
ニコリと自分に向かって笑いかける者に、要は僅かに唇を震わせながら、またその意識を飛ばしたのだった。




