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18/38

溢れ出す涙の吐露

少し長かったので分けました。

加筆していますので、再読んでいただけると嬉しいです。

イズモは思った。


要から零れたこの“すみません”という言葉は、ただの行き場のない惰性だと。


そしてさらに思った。


これからも、この子はそうやって生きていくのかと…。



イズモのため息を聞いて反射的に顔上げた要は、彼の眉間に深い皺が刻まれているのを見て体が動けなくなってしまった。

最初、要は自分の体が氷で固められたじゃないかと思った。


だって寒さで動けない自分が震えていたからだ。

現実はイズモからの怒気を纏った威圧的な空気に恐怖し震えていただけだったのだが。


イズモの声は今まで聞いたことがないほど重く、闇夜の底より低かった…



「要さん、いい加減その謝罪癖をやめて下さい。とても、不快です。」


「え、あ、」



不快…、彼はハッキリとそう言った。

自分に向けられる嫌悪の眼差しに、要は高知での暮らしが思い出され目眩がしそうだった。


泣きそうになるのをグッと堪えれば、口元に力が入ってしまい要は何も言えなくなってしまった。


でも、そんな彼女にイズモからは問い詰めるような質問を投げかけてくる。



「要さん、何故あなたは今謝ったんですか?

そもそも…あなたはここに来てから謝ってばかりだ。

しかも何の意味のない謝罪ばかり。

やめた方が良い。

意味のない謝罪は人を悪役にさせ、自分を罪人にするだけです。」



ーで も、だって、悪いのは、私だから…

ー人を嫌な思いにさせてしまったから…謝らなきゃ、



「それは、誰も得しない不要なやり取りです。」



ー でも、でも、

ー私が…悪くなくても、嫌われるのは嫌だもの…だったら、



「自分が悪いと思っていないのなら頭を下げるべきではない。

謝るのは貴方が誰か傷つけたり、悲しませた時に言うべきです。

でないと貴方の贖罪が色褪せたものになってしまう。

あなたが…あなた自身が自分の価値を下げてしまう。」



ー だって謝らないと……私、許して欲しいから。

ー 謝れば、みんな許してくれて、…謝る以外、他に、やり方がわからない…



「どうして何も言わないんです?

今まで謝るだけでやり過ごして来たから、どうして良いのか分からないんですか?


そうやってやり過ごすばかりしていては、気づいた時に最悪の状況になっても元に戻れなくなってしまいますよ。


まあ、今がその状況かもしれませんが。」



ー なんで、今、私そんなこと、言われなきゃならないの?

ー そんなの…1番わかってるよ、わたし…



「あなたの東京での生活は僕はよく知りませんが、あなたは閉じ込められた病室で自分の命がすり減っていても受け入れていたように思います。

李人があなたをあそこから連れ出さなければどうなっていたことか…」



ー 違う、わたしが望んでことは違うの。

ー 誰も、知りもしないくせに…



「高知にしても…連れて行かれた先で、自分では受け入れるばかりで何も行動しなかったのではないですか?

人神でないと言うのなら、なぜそのことをもっと早く周りの人間に言わないのです?

他人にあなたは人神と言われたから?

ただそれだけで、自分じゃない誰かの指図に従うのですか?」



ー 違う!大人が私をそうさせるようにしたんだ!

ー 私は、私でありたかったの!

ー でもみんな、上部だけ見るだけで、私のことなんて誰も…



「鵜呑みにするばかりで、自分のことを何もわかっていない。

流されて行っても受け入れている訳でないから、理解しようという意思もない。

何も分かっていないから、答えられないことがあればすぐに人に謝る…


そうやってこれからも、あなたは生きていくんですか?」



ー 誰も私のことなんて見てくれないじゃない!

ー 受け入れてくれないじゃない!




「 あなたは人神なんですよ?


普通の人間なんかじゃない。


あなたは、あなたの命は、もう自分んだけのものじゃないんだ。」



イズモの言葉は要の目頭を一気に熱く焼いた。



「そんな、こと知らないッ!!!!!」




気づけば要は喉に驚くほどの痛みが襲ってきた。

それは自分が叫んだせいだとようやく気づけたのは、まだイズモに対して声を荒げている最中だった。



「そんな…そんなこと、なんであなたに言われなきゃならないの!?」


「私は…私はただの人間なんです!

ただの!普通の人間!

家族で、東京で、暮らしてただけなのに!勝手に高知に連れてかれて、総理大臣とか来て、人のこと人神だとか決めつけられただけよ!」



涙が、後から後から出てくるけれど、要は止まらなかった。

いや止めれなかったのだ。

これまで生きてきた16年間の想いが、今一気に溢れ出ていく。



「私は人神なんかじゃないのッッ!!!

人神がなんなのか誰も教えてくれなかったし…あなたの言った通り知りたくもなかったッ!!!


だって、私は人間だからッ!


普通の、人間…だもん、みんな、みんな、みんな勝手に人のこと決めつけて!終わらせて、勝手に私を作っていくだけ!!


お父さんだって私を閉じ込めて!

お母さんも、妹も私のこと怖がっていた!


みんな、私のことを…嫌いなこと、知ってた。


でも、でも、家族だから…

家族だから、仲良くしなきゃって…ずっと辛い顔とかしないように…文句言わないように笑っていたの!!


笑いたくない時も笑ってたのッッ!!!


父が私に望んでいたことも知ってた!あの人は最後まで私を普通の人間だと言い続けていた。


なら、受け入れるしかないじゃない!

あのまま、父が望むままに、普通の人間で終わるしかないじゃない!!


返してよ!

私を、家族の所に返してよ!


どんなことになったって、私は、私は、もうこの世界で生きていたくないの!!


楽になりたいの!!!

家族の前で、私は望み通りの人間のままで死んでいきたいの!


誰にも、もう、何にも言われたくない!!

人の目が怖いし!学校も、家も、みんな嫌い!!!

自分が自分として生きられないのなら、生きていく意味がない!!」



ー 自分がいなくなれば全て事が治るのなら、もう楽にしてほしい。

ー たとえ…この命がなくなったって、私はもう傷つきたくないのだもの。



必死で肺に息を吸い込む要は、止まらない涙や鼻水でぐちゃぐちゃだった。

肩を落とし、項垂れて、ひとりぼっちで泣いている…小さな少女に、イズモは声をかけた。



「周りが嫌だから、生きていたくないと?」


「…ッ、ぅ。」


「死んだら楽になる?誰がそんなこと言ったんですか?」


「誰かのために、なぜあなたが死ぬんですか?」


「なぜ、抗わないのです?」


「家族が嫌なら、一緒に暮らさなければいい。」


「学校が嫌なら、転校するか、学校をやめれば良い。」


「いたくない場所に居続けなければ良いじゃないですか?」



イズモの言葉は、確かに正論だ。

でも要にはどれも陳腐に聞こえたから、思わず笑ってしまった。



「ふふ、…簡単に、言わないでよ…。」



ー あなただって、私のこと…何にも知りはしないくせに。

ー他人事だからそうやって好き勝手言えるんだ。



要の蔑んだ眼の先に、イズモは凛と背筋を正して立っている。

イズモは涙の筋が通る痛々しい要の頬を、そっと両手で包み込んだ。



「要さん、当たり前のことを言うようですが、この世界にあなたは一人しかいないんですよ?」


「お説教なら…、」



イズモの手を払い除けようとした要だったが、彼はグッとその手に力を入れた様だ。

イズモの暖かな手が、要の涙で冷やした頬を温めていく。


彼は要を瞳の中に閉じ込めて「要さん、」と深い玉の中から語りかけてきた。



「この世界にいるのは自分と…後は自分とは違う人間です。」


「…ぇ、」



要から思わず零れた言葉に、イズモは「血が繋がっていようがいまいが、他の人間です。」とハッキリそう言った。



揺れる要の目には、イズモの表情が悲しいほど鮮明に見えた。

彼はとても残酷なことを言っているのに、どうしても目を逸せない。



「要さん、この世界で生きる人間に与えられた平等は【1日の時間が24時間】ということ【誰も過去には戻れない】そして【最後は死ぬ】…この3つしかないんです。

国も、家庭も、環境も、友達も、食べ物でさえ不平等な世界に、私たちは生まれて生きていかないといけない。」


「そして、要さん、あなたは人神です。」


「ちが、」


「違いません。それは誰にもどうしようもない…覆らない事実です。」



もしかしたら…彼のこの言葉は彼女に必要なものだったのかもしれない。


人神であるイズモが言ったその言葉には、絶望すぎる程の悲しみとほんの少しの悟りが含まれていた。

要はなぜだか、イズモが自分と同じように泣いているのではないかと錯覚を覚えた。


そしてそう思った時、急に彼の言葉が自分の中へとすんなり入ってきた。



「嫌だけど、悲しいけれど、受け入れるしかないものがあるんです。でも、きっとあなたも言われたはずです。」


「?」


「健やかに暮らして欲しいと。」


「!」



要の脳裏に、久我に言われた言葉が思い出された。

そうだ、確かに彼は要にそう言った。



「望まれているのは、それだけです。…それだけなんですよ、要さん。」



「それだけ…、」



どこで、どんなふうに生きていくか…それを決めるのは誰でもない。


ー私が…決めて、いいの?



「僕たちには…残念ながら制限がある。でも、抗ってください。どこまでも。」



誰かに言われた、傷つけるだけの言葉に惑わされないで…

イズモの目がそう要に伝えてくる。



「高知にいたくないのなら、愛媛でも、香川でも、どこでも良いから移住すればいいし、別の学校に行くぐらいのこと国は何にも言いません。」


「苦しい場所に、我慢して居続ける意味はないんですよ。」


「逃げるとか、去るとか、人の言葉なんて気にしないで。生き続けるために環境を変えるだけなんです。」


「他人に振り回されて、自分の命をまで投げ出さないで。あなたの事はあなたが守ってあげてください。」


「人は生まれて来るのも死ぬのも一人だとか言う人はいるけど、生まれてくるのは誰も自分の意思で生まれてきやしません。…それならせめて生き方くらいは自分で決めればいい。」



「自分で…?」



「全部自分の責任で決めるんです。後悔だって泣く程あるでしょう。それでも自分で決めて、自分で生きていくんです、自由に。」


「じゆう…に、」



言葉に出してもまだ実感は持てないが、それでも要には一筋の光が見えたような気がした。

自由に、全部、自分で決めていいだなんて、誰もそんなこと言ってくれなかったからだ。


大人の言うことを聞いていれば勝手に未来へと行けるんだと信じていた自分は固い殻の中で動こうともしなかった。

でも成長するに連れ、それが苦しくて傷つきながらもがいていた。


でも、…今そんな自分に、彼は殻から出て飛び立てと言う。

苦しいけど、自分で決めた方へと飛べというのだ。



「大事な決断を人に決めてもらう方が正直、楽です。でも、それはただ自分が不安や責任から逃げて、何かあれば人のせいにできるからです」


「出雲さんも、」


「え、」


「イズモさんも、人神が嫌な時があったんですか?」



一瞬歪んだイズモの瞳を、要は見逃さなかった。

イズモは小さく頷くと、そっと要の頬から手を離す。



「誰だって、嫌ですよ…。でも、僕も存分に抗っています。」


「そうなんですか?」



あらがうって…結局なんなのだろうかと要が思っていると、イズモは笑顔で答えをくれた。



「はい。僕は本当に好きなことを学んで、食べたいものを食べて、よく寝ています。」


「え?…それだけ?」



なんだか拍子抜けの要だったが、それがどんなに難しいか知るのは大人になってからの話だ。

だから、今はイズモの言葉に耳を傾けるだけになってしまう。

でも、イズモは楽しそうに話し出すので、自然と要も涙が止まった。



「行きたいところだって行きますよ。中国地方の隅々までいくのは、あともうちょっとですね…登山には時間がかかるので。」


「え!山登るんですか?」



中国地方を守地にしたイズモには要同様にその地でしか移動範囲がない。

なのに、まさかその際の際まで行くとは…

要には自分が四国山脈を制覇できるイメージがわかず、イズモを凄い目で見つめてしまった。


でも、イズモはそんな要を気にすることなく微笑む。



「言ったでしょ?制限はあっても抗うんです、だから行けるとこまで僕は行きます。自分の行きたいところへ、生きていたい場所に行くんです。」


「…生きていたい場所。」


「そう。要さんも、見つけてください。」


「…。」



ー 見つかるのだろうか?

ー 生きていたい場所を、自分の意思で…



「自分の考えで決めて、思いで動き、沢山の後悔と失敗、ほんのちょっとの成功全部を糧にして生きていく。」



僕はそう思いながら生きています。…そう言うイズモが、自分と同じ縛りのある人神であるのにとても眩しく見えた。



「…本当に、…本当に、自分で決めて良いんですか?」



燃えるような夕陽の中で、要はイズモにそう問おた。

イズモはしっかりと頷いて彼女の目をまっすぐ見て答える。



「あなたの人生ですから。」


「私の…人生。」



ーそうか…私の命は、私だけのものなんだ。

ー私が生きたいと思ったら…生きて良いんだ。



要の目から、またホロリと涙がこぼれる。

でも、その涙はとても温かかった。


「こんな自分で生きていたくない」と泣き叫ぶ自分に、要自身がそっと手を差し出せたような気がした。


でも、まだ不安なことは沢山ある。



「僕が思うに、要さんは人神について知らないことが多すぎます。」


「す、…いえ、はい。」



いつもの癖で「すいません。」と謝りそうになる要が、慌てるように言葉を変えるとイズモはそれを見てニコリと笑ってくれた。



「そう、謝らない。あなたに必要なことを教えてこなかった大人が悪いんです。」



ー あ、危なかった〜…、謝り癖を治さなきゃ…


ほっと胸を撫で下ろす要に「でも、知ろうとしなかったなら要さんも同罪ですが。」とイズモはチクリとする言葉を放ったが、今度も要は謝らなかった。

彼女は正直な気持ちをイズモに言ったのだ。



「知るのが…怖かったんです。」


「まあ、そうでしょうね。なんでも自分の事となると人は慎重になりすぎて臆病になってしまいますからね。」



イズモは口元に笑みを作りながら、要の頭を優しく撫でた。

彼は優しい。

そして同じように厳しい人なのだと、彼の手の平の温もりを感じながら要はそう思った。



「でもね、要さん。知らないままということは、怖いままということです。

 知っていきましょう。人神のことを。」


「…はい。」


「流されてませんか?」


「う、ぇ、だって…」



ーどうしたって覆らないってイズモさんが言ったじゃん!

ーじゃあ、知っていくしかないじゃん!…嫌でもさ…。



視線を泳がす要に、イズモはまだ頭を撫で続けてくれた。



「まだ、受けとめきれないですか?自分のことを。」


「…はい。」


「ふふ。まあ生きていれば、見たくないものは多く出てきますよ。」


「生きるのが…辛い。」



身も蓋もない、正直すぎる要の言葉にイズモは笑って「その通りです!」と笑って、要にニコリと笑いかけた。



「だから、少しでも辛くないようにしていきましょう。」


「辛くないように?」


「まずは、ご飯を食べましょう。」



「もう空が暗くなってしまいますね。早く帰りましょう。」と言うイズモを見て、要は今更ながらに自分が大きな声で泣き叫んだことを恥ずかしく思った。


このまま家に帰って、顔を突き合わせて彼とご飯を食べるだなんて…恥ずッ!!


ーそんなの、居た堪れないよぉぉぉッ!!!



羞恥心から「ご飯…は良いです、」と言ったのにイズモは良しとしなかった。



「駄目です。美味しいものを食べて寝てください。」


「自分の意思、です…」



これでどうや?っと思っていた時だった。

「くキュルルルるぅぅ…」と、どこかで腹の虫が鳴いた。

それは悲しいかな、驚くほど至近距離で。



「要さんの体は生きたいと言ってます。」


「う゛、う゛ぅー!!」



もう、どうやっても自分が自分の思うようにいかなくて、嫌になるくらい未熟すぎて要はまた涙が出てきた。


そんな要が、あまりにも愛おしくてイズモは彼女をぎゅっと抱きしめた。

それは妹にするような、いやお気に入りのぬいぐるみにするような…イズモのことだからペットの兎にするような可愛い抱擁だ。


色気の欠片もない抱擁のおかげで、要はイズモの腕の中で素直に涙を流せた。

口には出してないけれどその鳴き声には要の心の声が詰まっている。


『辛いよ』 『寂しいよ』 『どうして私がこんな目に遭うの?』


小さな子供のようにわんわんと泣く要を抱きしめながら、イズモは過去の自分を一瞬思い出していた。


あの頃、自分にも抱きしめてくれる人がいたのなら…そんなことを一瞬だけ思い、すぐに首を振った。


今はこの泣き虫な少女に、少しでも安心を与えたかったから。



「要さん、たくさん泣いたら水分もとりましょうね。」


「うわァァん!」


「泣いても笑っても、人は気にしないし世界は変わりません。だから、泣きたい時は自分のために思いっきり泣いてしまいましょう。」


「ヒッ、うう、うぇえん…」


「デトックスですね。」



イズモの全然優しくない言葉に、要はどうやったら泣き止めるのか分からなかった。

悲しくて、悲しくて、やるせない怒りもあって、心の中はごちゃごちゃだ。


でも、イズモは泣いて良いのだと言うので、今は言葉に甘えて泣いてしまおう。

要の涙がイズモのシャツを冷たく濡らしていくと、イズモは苦言こそ言わなかったが不思議そうに要にこう言った。



「要さん、人じゃなくて…他の動物も泣いたりするのでしょうか?」


「じ、じりまぜんよ〜!!!」



「なんですか、それ〜!?」と泣く要にイズモは「あはっ、」と笑い出す。


「そうだ、今度このテーマで論文を書いてみましょか。」



要は泣き続ける自分がバカらしくなって、急いで涙を引っ込めた。



「うう〜、んっ、イズモさん…」


「はい?」


「お腹が空きました!!」


「ふふふ、はい。あったかいものを食べましょうね。」


「泣いたら熱くなったので、冷たいものがいいです。」


「そうですか、何にしましょうか?」


「冷麺とか…。」


「お昼お蕎麦でしたよ?」


「麺類が…好きなんです。」


「わあ!要さんの好物が知れて嬉しいです!」



要は彼が心の底からそう思って言ってるんだと分かった。

だってここに来て初めて見る程、イズモが嬉しそうに笑うから。



二人で手を繋いで家路まで帰ったあと、要のリクエスト通りイズモは美味しそうな冷麺を作ってくれた。



「どうですか?」


「胡瓜が…シャキシャキしてて美味しいです。」


「ふふふ、良かった。」



冷麺は美味しいけど、やっぱりちょっと恥ずかしくて要はうつむき加減で麺を啜ることにした。

イズモもそんな彼女の気持ちは分かってはいたが、要の目元はやはり目立って赤かった。




食後に温かいお茶を飲みながら、イズモは食器を洗おうとする要に声をかけた。


「ちょっと、目元が腫れてますね。」


「う、その、恥ずかしいので」



あんまり見ないでください…と言いながら目元を両手で隠そうとする要に、イズモはある提案を出してきた。



「ちょっと夜風に当たりませんか。」


「え?」



「車を出しますので。」と言うイズモの手には車のキーが握られていた。

特に断る理由もなかった要は「じゃあ、お皿を洗ったら…」とだけ返事を返した。




車に乗っていた時間は、わずか2分ほど。

要はワナワナと羞恥心で肩が震えていた。


彼女が立っている場所は、つい先ほどまで大泣きした場所だったのだ。



ー気を使ってくれてるのはわかるけど、何もこの海に来なくたって良いじゃない!!?



「やっぱりイズモさんはドSなのでは…?」


「なんですって?」


「いいえ!何も、何も言っておりません!」



いやー、夜の海も素敵ですねー!!っとほぼ真っ暗な中で、要は苦笑いを作っていた。


今夜は月がないせいか、本当にこの海は真っ暗だった。

どこまでも広がる闇夜の中で、あの柔らかな波の音だけが静かに木霊している。

それもあってか要もイズモも海の方にはあまり近づかないように、ゆっくりと歩いていく。


だが、それでも不思議なもので…弁天島だけはぼうっと仄か光でも当たっているかのように存在感を主張していた。


前を歩くイズモの歩みが弁天島の少し手前でぴたりと止まったのが見えて、要も足を止めることにした。


彼は要の方を見ることもなく、海の広がる方へと視線を向けていた。

イズモの声はまるで波の音に乗るように優しく要の耳へと届く。



「要さん、明日から忙しくなるのでよろしくお願いしますね。」


「…明日から何があるんですか?」


「神在月が始まりますので。」


「神あり…月?」


「みんなが集まります。」


「みんな?」



要の言葉に、ようやくイズモの視線が彼女の方へと向けられた。

でも、それはチラリと要の方へと向いただけで、彼は面白そうに「ちょっと、気の早い神様はもういますがね。」と言うとまたすぐに視線を海へと戻すのだった。



「どういう意味ですか、イズモさん?」



イズモの意味深な言葉が気になって、要がイズモのシャツの端に触れようとした時だった。

砂浜に、イズモの嬉しそうな声が上がったのだ。



「ふふふ!ほら、要さんのように勇足の神様がいらしたようです!」


「え?ぁ、…うわああああぁぁっ!!!」



要は今、人生で1番大きな声を出したかもしれないと思った。

思ったけどこの驚きを抑えられなかった。


彼女は今、奇跡のような光景に立ち会ってしまっているのだから…!


イズモの視線の先、闇夜の中から無数の箒星が要たちに向かってきているのだ。


それもただの量ではない。

ヒュンヒュンと勢いよくこちらに向かって飛び込んでくる星の輝きが、暗い海の水面に反射して、要の視界いっぱいを光の渦のように輝かせているのだ。


流れ星は要たちの頭上を超えて、勢いよく大社の方角へと飛んでいっている。

要が思わず目線を真上の空へと見上げた時、息が詰まりそうになった。


キラキラと長い光の柱のような…大きな柳花火が上空から見上げる要へと、光の軌跡を残しながら降り注ぐように落ちてくる。


降り立ってしまった光は、小指の先ほど小さくなってしまって要の少し上の方で粒となって消えてしまう。

でも、要はそれをずっと見ていられると思った。

こんなに神々しいものを見たことがなかったから。


沢山の神々を迎えるこの浜で、人神である自分を祝福してくれているんじゃないかと錯覚してしまいそうになる。


要の光輝く瞳を見て、イズモはそっと頭を下げて言った。



「ようこそ、おいでくださいました。人神…要さま。この神が集う出雲の地で、どうぞごゆるりとお過ごしください。」


「イズモさん、」



一つの星が輝いていたのは、ほんの一瞬で…いつの間にやら辺りはまた暗闇へと戻っていた。

ただ、弁天島だけがひっそりとその存在を現わにしているだけだ。


波の音がまた静まりかえるのを感じて、イズモはくるりと体を駐車場がある反対方向へと向けた。



「さあ、では要さん、明日も早いので帰りましょうか。」


「…はい。」



要はこの夜、心が踊るようだった。

もちろん人神への不安や恐怖は拭えはしないが、それでもあの奇跡を思い返せば要の心まで照らしてくれる気になってくる。


良いんだ、ここにいて。

そして私は私で生きていくんだ。


その思いを、要は心の真ん中に置いて目を閉じた。


要の落ち着いた息遣いが小さく響くのは、そう時間が掛からなかった。







そして、明けて10月1日。



要はイズモと一緒にラジオ体操するためにパジャマのままで1階へと降りて、すぐに腰が抜けそうになった。



「よお、元気だったか?かなめ!」



目の前に金髪ヤンキーがいたのだ。

見間違うはずのない、それは関東を収める人神だった。



「李人!!!?」



「さん、つけろよ!」



相変わらず礼儀がなってねーな!と要に詰め寄る李人のガン付けが、どこか懐かしく感じた要だったが、ゴンっと言う音と共に李人が視界から消え去ってしまった。


それと同時に現れたのはイズモで、彼はお玉を片手に「礼儀を重んじるなら、言葉遣いから気をつけなさい。」と自分の足元で唸る李人に言ってのけた。



「い、痛デェ〜〜!!!」


「百合子さんから李人の教育指導を任されているので、要さんは安心してくださいね。」


「は、はぁ…。」


「はぁ!?あのババァ…っぎゃん!?」



李人の言葉と同時に振り下ろされるイズモからの鉄槌は、早すぎて要には見えない。

見えないが、その威力はすごいのだろう…李人はずっと頭を押さえているのだから。



「女性に向かってババアはおやめなさいと言ったでしょう、李人。」


「うっせぇ!…う゛、いや、…はい。」



ーあのヤンキー李人が素直になった!?



要は雷に打たれるような衝撃だったので李人から「何見てんだ!?」と言う声も素通りだった。


要は昨日イズモに言われた言葉を走馬灯のように思い返していた。



『明日から忙しくなるので、よろしくお願いしますね。』


『みんなが集まります。』



頭の中でその言葉を繰り返しながら…要はもう一度、突然現れた李人見る。



ーみんなが集まりますって…どう言う意味なの!!!???



波乱が巻き起こりそうな長い1日は、まだ始まったばかりだった。


次の更新予定は6月26日です。

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