出雲デート(後編)
「どうですか、要さん?」
「あ、こ、これは…」
たまらずゴクリっと喉をならす要の姿を、イズモの瞳がまっすぐに射る。
彼女は今イズモにより、ある初体験を施されているのだ。
要の驚きと喜びを浮かべた恍惚な表情を見て、イズモは思惑どうりとでも言うようにニヤっと口角を上げた。
「もう、止められない…でしょう?」
「うぐ、止まらな、い…」
観念するように、要がそう言った時だった。
イズモは嬉しそうに小さくガッツポーズを決めた。
「ふふ、喉越しが良いですよね。」
「はい!最高です、出雲そば!!」
そう、彼女たちが止まらない勢いで啜っていたのは、出雲名物の出雲蕎麦だった。
要の見事な食べっぷりに、イズモは嬉しそうに微笑んだ。
「暑い中でも待った甲斐がありましたね、要さん。」
「はい!すっごく美味しいです。」
要たちが食事をしている所は、大社を出てすぐ側にある蕎麦店だった。
大社のすぐ側にあった為か、それともお洒落な店構えだったせいか、要たちが最初に出発した勢溜の大鳥居からも店先に長蛇の列ができているのが見えていた。
9月の終わりに長時間並んだこともあって、この涼しくて瑞々しい出雲蕎麦は要の喉と胃袋に幸福をもたらしていた。
食べて分かった、この蕎麦が美味しいから人は並ぶのだと。
要が注文したのは、3段の朱色の丸い漆器に盛られた定番の割子蕎麦。
薬味やつゆの入った器とは別に、この赤い漆器には一つは温泉卵の入った蕎麦、二つ目にとろろ蕎麦、そして三つ目に天かすとおろし大根が入った蕎麦が盛られていた。
3種類の味を楽しめて嬉しいけど、ちょっと量が多いかな…と心配していた要だったがそれは杞憂で終わった。
蕎麦は飲み物とでも言う様に、彼女はイズモと一緒に勢いよく蕎麦を啜ったのだった。
気づけば、あっという間にお蕎麦を食べ終えた要はイズモを見ながら「私も天ぷらセットにすれば良かったな。」と思いながらも、赤い漆器や蕎麦つゆの入っていた器を手に取ってみた。
可愛いメダカの絵が描かれた蕎麦つゆの入れ物に頬を緩めていると、要の前にそば湯が置かれた。
どうやらイズモが頼んでくれたようで、お礼を言いながらそば湯へと口を運んだ要は最大にむせた。
眉間に皺を寄せてしわくちゃ顔の要。
そんな彼女を見て「パグの泣き顔の様だ。」とイズモは思いながら、蕎麦を吹き出さないように必死だったが、あまりに可哀想になってしまい「ごめんなさい、要さんのお口には合いませんでしたね。無理せず置いておいてくださいね。」とだけ告げた。
ちょっとしたハプニングもあったが、要たちの楽しい昼食は終わり、お待ちかねの神門通りへと向かうことにした。
が、イズモから「ここにも可愛いお店がありますよ。」と言われて来たのが、先ほど食べたお蕎麦屋さんのすぐ裏の土産店だった。
どうやらお蕎麦屋さんと同じ人が経営してるお店なのだろう、先ほど見た朱色が要の目に飛び込んでくる。
「あっ、イズモさん!さっきのお蕎麦の器がありますよ!」
窓側にあった赤色の漆器に、色んな柄の蕎麦ちょこが行儀良く並んでいるのが見えて、要は嬉しそうに微笑んだ。
「これを家で見る度に、要さんは出雲そばを思いだせますね。」
「ふふ、確かに。…お猪口もそうですけど、このお皿とかも可愛い。」
素朴だけど、どこか温かみのある器を要はそっと手にとる。
イズモはそんな要を見ながら「島根には窯元が幾つもありますからね、それぞれに個性があって楽しいですよね。」と目を細めた。
要はそれに頷きながら、他の飾られてある器へと目をやった。
「はい、シックのもあれば…こっちのはなんか色も可愛いくて暖かい感じがします。」
鮮やかな…でも、卵の黄身の様な温かみのある黄色の器を目にした要は、今度はそれに手をやった。
要の手の中の湯呑みを見て、イズモは「ああ。」と何か気づいたように口を開いた。
「そちらのは、玉湯町の所の窯ですね」
「分かるんですか?」
「その器を作られた作家の方は有名なんですよ。お店で直接会えますが、すごくチャーミングなお爺様なんです。」
「チャーミング。」
「来たお客さんに、だんだんね〜って優しい笑顔で迎えてくれます。」
「だん、だん?」
「ありがとうって意味です。」
「なんか、すっごく可愛いです!」
要の頭の中で可愛らしいお爺さんが手を振っているイメージが浮かんできた。
要は器を元の位置に戻しながら、つい「ふふふ…。」と笑い声が漏れた。
楽しそうな彼女を目にして、イズモも嬉しそうに声をかける。
「要さんもなにか土佐弁を教えてください。」
「うえ、えーと…?うーん、すみません、急には出てこなくて…」
「ありがとうは?」
「そのまま、ありがとうです。」
「そうなんですね…。」
ちょっと残念そうなイズモに要は思わず焦ってしまった。
自分が知っている土佐弁を思い返そうにも、意識すると余計に出てこなくなってしまう。
ー え〜っと、高知らしいのって何があったっけ?食べ物とか?いや、なんか名物は…
「あっ、イズモさん!でも高知では電車のことを…、!!?」
「要さん?どうしたんですか?」
咄嗟に、思いついたのが高知のJRの名称だった。
でもそれを口にしようとした瞬間、フラッシュバックのように脳裏に思い出したのがクラスメイトの蔑んだ視線と冷たい言葉たち…。
思わず自分の口に手をやった要にイズモは不思議そうに首を傾げていたが、よく見れば彼女の手が震えていることに気づいた。
要は顔を真っ青にさせて、怯えた目でイズモを見上げた。
「な、なんでもないです。すみません…まだ、その、高知の事は知らないことが、多くて。」
「…そうなんですね。」
これ以上話したくない様子の要に気を遣ってか、イズモは話題を変えるようにこう言った。
「……僕も子供の頃にこの出雲の地に来たので、最初は戸惑いました。」
「え?」と言う声と同時に、要は驚きで手を下ろしてしまった。
それほどに、自分の中でイズモの生い立ちが衝撃だったようだ。
「そうなんですか?イズモさんは、その…てっきりここの生まれの人かと…だって、あの、名前も同じだから。」
要の言葉に、イズモは慣れたように「ふふふ、よく言われます。」と返事を返した。
お店の中を見て回った二人は、店主に会釈して店を出ることにした。
イズモの後ろ姿を目にしながら、要はどうしても気になって彼に声をかけてみた。
「あの…じゃあ、イズモさんは何処出身なんですか?」
イズモは要の質問に、ぴたりと足を止めるとクルッと振り返った。
そしてニコリとどう見ても作り笑いの表情でこう言ったのだ。
「さあ、どこでしょう?」
「え?」
まさかの返答に、要が固まっているとイズモはニヤリと口元をあげて付け加えるように言葉を続けた。
「僕は謎多き男なんです。」
「…もしかして、また私を揶揄ってますね?」
「ふふふ…。」
可愛く片目を閉じるイズモ。
正直に言おう、カッコイイ…腹が立つがイケメンだ…だが腹が立つに違いはないのだ。
「もう!揶揄わないで下さい!」
頬を膨らませて起こる要を見ながら、また前へと振り返ったイズモ。
「…揶揄ってないですよ。」
気のせいだろうか…一瞬垣間見えた彼の睫毛がわずかに震えたように見えたのは。
「え?」
「いえいえ。では、次は、神門通りの坂を降りてUターンするようにぐるりとお店を回りましょう。」
元来た蕎麦屋の前で、奥の方へと指差すイズモに要は「また無視ですか!?」と声をあげたが、イズモはニコリとした表情で「要さん、ほらあそこに可愛い兎の置物が…」と要の視線を沢山ある土産屋の店先へと誘導する。
ーそんな、ウサギの置物だけで誤魔化されると思わないで欲し…え!?
「か、可愛い!!イズモさん!あの、あのお店見てみても良いですか!?」
「もちろん、ゆっくり回りましょう。」
要さん、チョロすぎやで…と声が上がりそうだが、兎の置物は本当に可愛かった。
三宝の上に親指ほどの兎の置物が密集して並んでいる。
しかもみんな、要の方向に向かってじっと見つめてくるではないか。
あまりの可愛さに要は思わず胸元に手をやった。
この兎の置物だけでなく、その他にふきんやお守りなどの小物まで全部が可愛いものだらけだった。
しかも、他の店に入っても可愛いものは続いた。
入る店ごとに目を輝かせはしゃぐ要の姿に、イズモは「年相応…いや、やはり幼い子供の様だ。」と思うと同時に「いや、彼女はきっとこれまでこういった店に入るのもできない状況だったからか。」と冷静に見つめていた。
飴細工が施された苺を見て目を輝かせる要に「こういったのは、東京にもあるのでは…」と言いかけたイズモだったが、要の境遇を思い返し「美味しいですか?」と言うだけに留めた。
要は甘酸っぱい苺を頬張りながら嬉しそうに答える。
「はい!美味しい物も可愛いものも沢山あって楽しいです。」
「ふふふ、それは良かった。」
その後も、要とイズモは周りの観光客に混じって沢山のお店を物色しながら神門通りを練り歩いた。
最奥まで行った時、最初に坂の上から見た一の鳥居である宇迦橋の大鳥居が目の前に現れた際は、そのあまりの巨大さに要はあんぐりと口を開いてしまった。
でも太陽に照らされ余計に白く輝く美しい鳥居に最後は自然と頭が下がった。
神様への入り口を再び入っていくように、鳥居の手前で折り返した要たちはまた坂を上がっていった。
この通りには以外にもお土産屋だけでなく、鮮やかな浅葱色の洋瓦を用いた駅がある。しかもそれはドーム型の独特な形の屋根を持つ建物で、名前は出雲大社前駅という。
駅の中に入るとカラーグラスが色鮮やかで、昔のレトロな円柱型の切符売り場もそのまま残っていた。
上を見上げると優しい明るさの照明が、まるで4羽のかもめが並んだ様に見えるのだ。
駅のすぐ側では映画の撮影で使われたという電車も飾られてあったので、要は周りではしゃぐ子供達に混じって電車の中をうろうろと見て回った。
駅を出るとイズモが思い出したように「ああ、そういえば頼まれていたパンがあるので、買って来ても良いですか?」と言ったので、彼の歩く視線の先を見てみれば日常使いのできるパン屋さんまで通りの中にあって要は驚いた。
中々、神門通りは興味が尽きないなと思いながらも、要はまた坂を登りながら出発地点の勢溜の大鳥居前まで歩みを進めていく。
ようやく鳥居の少し前まできて、息の上がっていた要にイズモが声をかけてきた。
「ふぅ…大分歩きましたね、大丈夫ですか?要さん。」
「はい…。だ、大丈夫です!」
「僕も涼みたいので休憩しましょうか。あちらのカフェに入りましょう。」
「ぜひ!」という言葉を出して要はイズモの後に続いて趣のあるカフェに入った。
そのお店は外の明るさと比べると、少しだけ落ち着いた暗さがあるように思えた。
だが見上げた天井は高く、見事な梁が巡らされている。
店内を見渡すと白い漆喰の壁に、テーブルや床、階段や建具にまで年季の入った味わいある色が美しい木造の店内となっていた。
ピカピカに磨かれた木目の美しい4人掛けのテーブル席についた要の前で、イズモが手慣れた様子でメニューを見やすいように開いてくれた。
「こちらはぜんざいがオススメみたいです。」
「美味しそう!」
お昼に食べた蕎麦はどうやらここに来るまでに消化できたようで、要はぜんざいの写真を見て涎が出そうになった。
「では、そちらで。飲み物はどうしますか?」
メニューの写真にはぜんざいと一緒に抹茶がセットにできるように並んでいたが、それを見た要は飲み慣れていない抹茶に対して渋い顔を見せた。
彼女は言いにくそうに、声を絞り出す。
「苦いのはちょっと…」
「抹茶ラテは甘くて美味しいと聞きました。」
「!じゃあ、それで。」
「僕はシンプルに抹茶にします。」
イズモが店員に注文しているのを見つめていた要は、テーブルの上に小さなメモ書き帳があることに気づいた。
それをそっと手にしてパラパラとめくってみると、出雲へ来た旅行客の楽しそうなコメントが綴られてある。
「また来たい!」「二人でここまで来れたので縁が深まりますように!」と書かれた文字や、子供が描いたであろうポップなイラストを見て要はクスリと小さく笑った。
ー なんだか、ここでは色んなことが忘れられるな…
先に置かれたお冷に口をつけた時、要の前にぜんざいと抹茶ラテのセットが置かれた。
メニューに掲載されていた写真を見て分かってはいたが、あまりにもそのぜんざいは愛いらしかった。
「可愛い!だいこくさま?ですよね…この上に乗ってるモナカがとっても可愛い!あとお餅の色も紅白になってる。」
「今日はよく歩いたので、甘いものが身に染みますね。」
「はい!抹茶ラテも甘くて美味しいです!」
抹茶の鮮やかな緑の中でミルクの白い色が生えて、尚且つハート型にされたそれに要は目を細めて喜んだ。
メインのぜんざいを口に運ぶと、お餅にたっぷり入った小豆が絡んできて絶妙な味が口の中いっぱいに広がった。
ぱあぁぁ!と音が聞こえるんじゃないかと思うほど頬を染めて喜ぶ要に、イズモは抹茶の器を手に取り微笑んだ。
「要さんに、気にいって貰えて良かったです。」
その言葉耳にして、要はイズモへと視線を移した。
黒く渋みのある茶碗を手にした彼は、玉の瞳をそっと閉じて茶碗へと口をつける。
ここは決して茶室ではないし、所作など勿論分かりもしなかったが、要にはそれがとても美しく見えた。
「イズモさんは…」
「はい?」
「いえ、その…なんだか大人だな…と。」
「そうですか?」
「はい。落ち着いていて、とてもスマートな印象です。」
スマートというか…美しいというか…いや、男の人に美しいって言って良いのかな?と頭を傾げた彼女の姿を見て、イズモはしたり顔で言った。
「これでも、一時期は荒れていたんですよ。」
「え?イズモさんが…ですか?」
「勿論。誰にだって反抗期はくるものです。」
ー こんな落ち着いた人に、反抗期が来るのか?うそぉ?
「ええ…?想像できないです。」
「そうですか?まあ、髪の毛染めたりとかはしませんでしたが。」
「私の中で李人…さんが、強烈な印象だったので。」
着崩した制服、金髪…は地毛だけどあの睨み慣れた目…。
要が李人の印象を思い返している間に、どうやらイズモも同じ人物に思いを馳せた所だったようで、口元に手をやるとニヤッと口角を持ち上げていた。
「ふふふ…あれは中々骨のある小童でしたね。」
「え?」
「ん?いえいえ、こちらの話です。」
なにやら不穏な空気を感じ取った気がした要だったが、イズモの微笑みを見て気のせいだと思うことにした。
「どうです要さん。甘いもので少しは回復しましたか?」
「はい、もうバッチリです!」
「では、最後に行きたいところがあるのでそちらへ。」
「行きたい所ですか?」
「はい、歩いて行きますが距離があるので…要さん大丈夫でしょうか?」
ーう゛え゛ぇ!?ま、まだ歩くの!?マジか…で、でも、せっかくイズモさんが連れてってくれるんだしな…
そうこう考えて頭の中の振り子が傾いた時、彼女はニコリっとイズモに笑顔を向けれた。
「えーと、はい!ぜんざいで回復しましたので大丈夫です!」
「ふふ、それは良かった。では、早速向かいましょうか。」
イズモの言った通り、中々に歩く距離だった。
距離としては1キロ程だろう、陽は大分傾いてはいたが10分以上歩いた要の米神はうっすら汗を纏っていた。
でも、そんなこと気にならない。
だって目の前の景色に彼女は夢中だったのだ。
彼女の目の前にあるのは、広くて大きな青一色の海原。
「う、海だぁ〜!」
稲佐の砂浜に要の高い声が駆け巡る。
「…もう、大分陽が傾いてますね。」
人通りの少ない砂浜をゆっくり歩きながらイズモは色を濃くした太陽へと目をやった。
「海ですよ!イズモさん!」
「あんまりはしゃぐと、転んでしまいますよ要さん。」
イズモの忠告に「はい!」と返事を返しながらも要はまた興奮したまま、海の方へと駆けて行く。
「わぁ〜こんなに海が近い!あ、あの大きな岩なんですか!?大きい!!」
要の目の前には見上げるほどの大きな岩の塊が鎮座している。
見たまま、思ったままを口にする要に、イズモは笑いながら近づいてきた。
「ふふふ、要さんは子供のようですね。あれは、弁天さんですよ。」
「べんてんさん?」
「正式には弁天島と言われていて…昔はもっと沖の方にあったので、こんな風に歩いて行ける距離ではなかったそうです。」
「そうなんですか。」
海と砂浜の両方またぐように鎮座したその岩島の足元では、優しい波が岩肌を撫でるように行ったり来たりを繰り返している。
ざぁ…ザァ…と波によって小さい砂の粒が擦れる音が、とても心地よかった。
「この…波の音、良いですね。」
「はい。…夕日も好きですが早朝に浜辺を歩くのも心が落ち着いて、僕は好きですね。」
「確かに。ここでぼーっと歩くだけでも、なんだか心が落ち着きます。」
「この浜には多くの神が参られるのだそうです…そしてここから神々が大社の方へと向かわれると言い伝えられています。」
「神様が集まる…場所。」
よく見れば弁天島の上の方にも鳥居が見えた。
陽が沈もうとする…変わりゆく風景の中で、要の目にはそれがどんどん神秘的に映り込んでくる。
「旧暦10月が神無月ですので、ここ出雲では11月にこの稲佐の浜にて神迎神事を行います。」
「ここで…」
イズモの声が波の音と共鳴しながら、要の耳の奥へと響いていく。
要はなぜか、背筋が伸びるような感覚になった。
「…僕もこれから忙しくなりますので今日、要さんとここに来れて良かったです。」
「ど、どうして?」
「本当は来月にお迎えする予定だったんです。」
「え?」
「明日から10月…カレンダーでは神無月と書かれているでしょう?」
「?そうですね?」
カレンダー?神無月?それで、なぜイズモが忙しくなるのか?要の頭の上には疑問符だらけだ。
それが見てとれたのだろう、イズモはクスクスと面白そうに笑っている。
「ふふふ、困惑する要さんの顔は面白いですね。」
「イズモさんの言っている意味が…わかりません。」
ーイズモさんって時々こうやって意地悪するから苦手だわ。
要の心情など気にせず、イズモは言葉を続けていく。
「僕ら、人神にとって明日からの10月は特別なんですよ。」
「特別?」
「僕は…出雲は最初から要さんをこちらにお呼びする予定だったんです。」
ーえ?私をここに呼ぶ予定だった…?
「え?なぜですか?」
「あなたが人神だからですよ…要さん。」
イズモの真っ直ぐな瞳が要の姿を映し出す。
玉の瞳の中で、要はわかりやすくオロオロと狼狽え視線を彷徨わせていた。
「っ、…そ、そんな…私は」
「列車の中で…ボロボロのあなたを見た時は、正直驚きました。」
「あ、あれは…」
人神として逃げ出した自分を急に持ち出され、要はひゅっと息が詰まる。
イズモの言葉はどんどん渦を巻くように、要の中へと黒いモヤを生み出していた。
「予想外な事だらけでしたが、今ここに要さんがいます。」
陽の角度で影に覆われた弁天島が、大きな黒い塊に見えてきた。
風が出てきたのか、そこに打ち付けられる波の音が怖い位あたりに響いている。
その波の音を聞いて、要は自分が足元からどこかに攫われそうになる錯覚がした。
「ここで人神である貴方をお迎えできてよかった。」
イズモの声に、目に、伸ばされる手に、…全てに要は否定したかったのだ。
そちらに向かうわけにはいかなかったのだ。
「私は…違います。」
小さく、でもハッキリそう言った要の声が、波音を掻き消すようにイズモへと運ばれた。
「・・・何が、違うんですか?」
イズモの低い声に要は思わず肩をビクつかせた。
だが、それでも言わなければならないという強い意志がそこにあった。
喉が張り付いてまごつきそうになるけど、言うしかない。
でも…それでもやっぱり怖くて自分の足元しか見れない要は、己の右手をぎゅっと握りしめると吐き捨てるように声を出す。
「わ、私は人神なんかじゃありませんッ…。」
「人神じゃない?」
弱い自分と違って、イズモはきっと要のことを真正面から見つめているだろう。
でも、彼の瞳に映された自分を、どうしても特別にして欲しく無かったのだ。
要は必死に言葉を繋げた。
「私は…ただの、人間です。ふ、普通の…なんの取り柄もない人間なんです。」
「普通の、人間。」
「だって…だって…」
「要さん、」
震える声をなんとかしたくて無意識に唇を噛み締める要に、イズモが一歩前に出ようとした時だった。
それを遮るように、要がイズモへと視線をあげたのだ。
彼女の目には「近づかないでくれ。」と分かりやすく物語っている。
「う、上手く言えませんが…!私はその、東京で家族といただけで…高知は父の実家があっただけなんです…。わ、私も子供の頃は高知にいたけれど、でも、だからって四国が守り地とか急に言われても…そもそも人神なんて言われたって、」
「私には何も関係ないんです…」
要の言葉に、イズモの瞳から光が消えた。
彼は「そうなんですね。」と言うと、砂浜に足跡がくっきり残るぐらい力強く要の方へと近づいた。
「では、要さん、あなたが普通の人間であると言う証拠はあるんですか?」
「…え?あ、」
要が気づいた時には、イズモはもう目の前に立っていた。
思わず後ろに下がろうとしたが、それより先に彼からの矢継ぎ早な質問が降ってきた。
「人神とは関係ないと言うあなたの命と四国の地脈の連動が、なぜ大きく関わっているのですか?」
ー そ、それは
「それに高知へ連れてこられて、あなたは受け入れたんでしょう?」
ー 違う、そんなことは…
「分かっていたんでしょう?自分の命が四国の民に関わると。」
ー いいえ…、いいえ、いいえ…
一生懸命否定したくても、言葉がうまく出ない要は思わず首を左右に振った。
それでもイズモは口を噤むことはしなかった。
目にうっすらと涙の膜を作る要を見おろしながら、鋭利な言葉を吐き捨てる。
「わかってもいないのに、あなたは受け入れ、黙って高知でただ過ごしていたんですか?」
「だって…だって、周りが…そう、言うから。」
「あなたは、誰かに言われればなんでも言うことを聞くのですか?」
病院で静かに横たわる自分、高知へと連れて行かれた自分、高知で薄い笑みを作りながら生活を続けた自分、全部、それは自分が受け流してきてしまった過去達。
要の脳裏にこれまでのたくさんの自分が思い返されて、真っ暗になった。
もう、イズモに返す言葉が…見つからなかった。
項垂れるように頭を下ろした要には、自分の涙が砂浜に吸い上げられるのが見えた。
「それは、……その………す、すみません…。」
「………。」
優しく寄せていた波が、いつ間にか二人の間を大きく分けるようになぞっていた。
要はただ許されたかった。
なぜ自分がイズモにこんなに言葉で責められているのかわからなかったが、とにかく今は許されたい気持ちでいっぱいだった。
早くこの時間から逃げたかったのだ。
「イズモさ、…え?」
「…ハァっ、」
だが、イズモから出たのは失望を表すようなため息だった。




