そこんところ大事だから!
朝の涼しい時間帯から、太陽が上るとともに気温が徐々に上がっていく時だった。
要はすっかり満たされたお腹を撫でると、イズモと共に空いた食器をシンクの中へと運んでいった。
水の張ったプラスチックの水桶の中にお皿からお椀や箸を慎重に沈めながら、要はイズモに声をかけた。
なんでもないかのように気軽に話しかけようと気をつけていた筈なのに、要のその声は緊張の色が隠せなかった。
「あの、イズモさん…。」
「はい、どうされました?要さん。」
要と同様、自分の使った食器を水桶に入れていくイズモは視線だけこちらに向けている。
要は少し詰まりながらも、どうしても聴きたかったことを尋ねてみた。
起き抜けに言われた彼の言葉が気になってしょうがなかったのだ。
「私って、その、さっきここで預かるって言ってましたけど…」
「ああ…。はい、要さんにはこちらで暮らしていただきます。」
イズモは続けて「食器はすぐに洗わずに少しの間、水につけておきましょう。」と言うと「お茶を淹れますね。」と言って急須に少しだけ茶葉を足すとポットの方へ近づいて行った。
要は椅子に座るでもなく、急須にお湯を注ぐイズモの背中を見ながら息を呑むように言葉を続けた。
「それは…どれぐらいですか?」
お湯を注ぐ音が、やけに耳に響く。
要の目に、少しだけ…ほんの少しだけイズモの頭が傾くのが見えた。
要の手にぎゅっと緊張が握り締められた。
イズモはこちらを見ることなく、要に言った。
「……もしかして、要さんはここには居たくないと?」
イズモは自分の方など見ていないのに、要は慌てて自分の目の前に両手を出すとブンブンと高速に降り始めた。
「え!?あ、いえ、そんな!滅相もありませんよ!本当に、あの…」
イズモの固い声色を聞いて、彼が自分の発言で怒ってしまったのではないかと要は頭がいっぱいになったのだが、すぐにイズモから笑い声が漏れてきた。
彼は急須の蓋を静かに閉じると、くるりと要の方を向いて「どうぞ、椅子にかけてください。お茶を飲みましょう。」と促してくれた。
イズモはそっと要の湯呑みに香りの良いお茶を淹れながらこう言った。
「ふふふ、冗談ですよ。そうですね…要さんには最低でも一月程こちらにいて貰おうかと思っています。」
ー 1ヶ月。そんなに…
要が今度は自分の湯呑みにお茶を注ぐイズモを見ながらそう思った時だった、ピタリと彼の手が止まったと思うと、イズモは小さな溜息を溢しながら項垂れたのだ。
「やっぱり嫌なんですね…。」
その声と表情には悲壮感が溢れている。
イズモの細く長い指が、そっと目頭を押さえるのを見て要はどっと汗が出た。
今度こそ要は、滝の様な汗を流しながら反復横跳び並みの動きで否定の意を体現し始めた。
「いやッ!イヤイヤイヤっ!!!そのようなことはッ!断じて!めっ、滅相もございませーーーんっ!!」
「え!?私そんな嫌そうな顔を出してました!?」と顔に冷や汗を出しながら目を泳がせる要は、チラリと見たイズモの肩が僅かに震えているのを見てしまった。
要は咄嗟に思った。…やられた…と。
「何度も同じ手に引っかかる要さんは、素直なお子様ですね…ふふふ。」
イズモが目を押さえていたのは、笑い顔を隠すためだったのだ。
そう言えば、起き抜けからイズモは泣き真似をして自分を揶揄っていたではないか!
「っ、意地が悪いですよ!イズモさんっ!!」
「20歳超えた大人がすることか!?」と結構真剣に怒った要をイズモはじっと見つめてきた。
綺麗な男の人に見つめられると、途端に尻込みしたくなる要は思わず「いえ、あの、ちょっとだけ、その、反省してくれたら…それでいいので。」となぜか自分の方が気を使い始めた。
イズモはそんな要を見つめながら、ペコリとその場で頭を下げると、こう言った。
「これはこれは、すみませんでした。では、お詫びに午後はデートをしましょうか。」
イズモから「すみませんでした。」と言う言葉に驚いた要は、次に「詫び」と言う言葉を聞いて「いえいえ、そんなものは頂けませんよ!」と返すつもりが、「デート」と言う言葉にフリーズしたのだ。
「で、」
スマホで見ていた動画が容量を超えたせいで止まった様な要は、頭の中の広辞苑を必死に開いていた。
「デート」と言う単語を調べ出した要は、ワナワナと震え出していた。
ーデートってあれですよね?仲の良い男女が手を繋いでテーマパークとか買い物とか…あ、あと映画館とかいくやつですよね!?でもって最後に彼の家に行くアレか!?今からあれをやるのか!?あれ、でももうここ家だしな?あれ、ここがゴール!?イヤイヤイヤまだ何にも始まってないよ!だって、イズモさんとだよ!この私が!このイケメンとこれから、出雲で、で、デデデデデデデデデ……
伝達処理の追いついていない要を気にすることなく、イズモは自分で淹れたばかりのお茶をズズーッと飲むと要に向かってウィンクをかましてきた。
「言ったでしょう?要さんには出雲を堪能してもらわないと行けませんからね!」
「っぁ、…で、…、ディ」
「要さん?どうしましたか?」
ようやく異様な要の状態に気づいたイズモがコテリと頭を傾げると、要は処理機能が完了したのだろう。
目をカッと開き、大声を出してイズモに詰め寄った。
「で、ででで、デデデ…デイトぉっっ!!?」
「要さん、DJを目指してるんですか?」
「そんなわけないでしょ!?」
誰が円盤回すか!?っと目をひん剥いた要に、イズモは「ツッコミもお上手ですね。」と変な返しをすると「まあまあ、落ち着いて」と要に湯呑みを渡してお茶を勧めた。
イズモはようやく椅子に座った要に、できたらこの街の案内をしたいと言う。
「…ふぅ…お茶、美味しいです。」
「それは、良かったです。」
「デートというか、観光なんですね?」
「おや、僕はデートでも構いませんよ?」
「いえ、観光でおなしゃっす!!」
振りかぶるように頭を下げた要にイズモはまた肩を振るわせたが、ちらりと壁にかけられた時計を見ると、そっと椅子から立ち上がった。
彼は要の頭にポンッと手を置くと、ニコリと笑いかけこう言った。
「では、お皿を洗ったら小休憩をしてから出かけましょう。ああ、要さんの服ですが、着替えが2階にあるのでそこで着替えてくださいね。」
「2階ですか?」
台所の広さだけでも、この家が十分に大きいことは要でも分かってはいたが、2階まであると一体この家にはどれ位の人が暮らしているのだろう。
要は不思議そうに天井を見上げていると、イズモはまたエプロンを身につけていた。
「2階の部屋には後で案内しますね。その部屋が要さんのここでのお部屋になりますので。」
「…わかりました。」
「男性陣は1階にいますので、僕に用事がある時は1階に来てくれればいいですよ。」
「はい。」
ー…ん?男性陣…、じん、とは?
「では、ささっとお皿を洗いましょうか。」
イズモの発言には色々と引っかかることが多かったが、兎に角今は目の前の食器を洗うことに専念した。
高級そうな器を洗うのに要はだいぶ緊張したが、二人分の食器は割とすぐに片付いた。
イズモはエプロンを所定の場所へと戻すと、要を奥の廊下へと案内していく。
そこには2階へと続く階段があり、その広めに作られた階段を登っていくと、上の階には何枚かの扉が見えた。
どうやらこの家は相当広いらしい。
その証拠に、1階だけでなく2階にもバスルームがあったからだ。
「それでも1階のものより、こちらの浴室は狭いものになってしまうので申し訳ありません。」と目を伏せるイズモに要はまた「いえいえいえ!そんなそんな!」と高速で首を横に振っていた。
イズモの話を聞くと、この2階は女性専用のフロアになるらしく、タオルやシーツ、アメニティなども常備されているのでいつでも気軽に利用して欲しいと伝えられた。
ーよかった…。後で、シャワーを借りよう。
要がそんなことを思いながらバスルームとは反対の向きに廊下を進んでいた時、大きな窓が目についた。
神社の中にある建物のせいか、そこからは大きな木々と青空が広がっている。
きっとその木には鳥たちの巣もあるのだろう近くで鳴き声が聞こえてくる。
朝の時間をこんなに穏やかに迎えたのはいつぶりだろうか。
知らない土地であるのに、高知とはまた違った心持ちでいる自分が不思議だった。
視線を窓から自分の前を歩くイズモの背中に移すと、余計に自分がここ数日で色んな場所に行き、知らない人と出会っていることに驚いた。
なんだかこの前まで病室で死にかけていた自分が嘘のように思えた。
奥から2番目の扉の前まで行くと、イズモは後ろに連いて来ていた要の方へと振り返った。
するとイズモの手がそっと扉に向かって差し出されたので、要は促されるように前に一歩出る。
「では、要さん。ここが今日からあなたのお部屋になります。」
「し、失礼します。」
「ふふ、どうぞ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。」
厚い木製の扉には小さな飾り窓が付いていて、それには神楽殿で見たようなステンドグラスが嵌め込まれていた。
味のあるアンティークのドアノブに手を置いた要は、胸をドキドキさせていた。
イズモが見つめる中、要がそっと扉を開けると、中は広く小花柄の壁紙が可愛らしい部屋があった。
「わ、ぁ…。可愛い部屋。」
部屋に合わせてなのだろう…家具も洋式のもので合わせていて、二人掛け用の椅子やテーブル、ベッドも年代物の様に見える。
木製の家具に、刺繍がふんだんにあしらわれたレースのカーテンは素朴であるのに、品があってとても居心地の良い雰囲気だった。
ーなんか、普通の部屋だけど。普通の、女の子の部屋みたいで嬉しい。
最近まで病室や神社での生活に身を置いていた要には、パステルカラーの小物やラグが置かれているこの部屋がとても新鮮で心踊るものだった。
「クローゼットと、そちらのローチェストの中にも洋服が何着か用意されています。どうぞ好きに使ってほしいと了承を得てるので着てみてください。」
「了承…?」
要の問いにイズモはただ静かに頷く。
要は壁際に置かれた、すぐ傍のローチェストに目を向ける。
その上には小さめの花瓶が置かれ何輪かの野花が生けられていた。
そしてその横にはこれもまたアンティークのものに見える置き時計が鎮座しており、時刻は8時40分を過ぎたところだった。
どれも素朴なのにオシャレに見えて要がホゥっと息を吐いた時、気づけばイズモはもう扉の前まで移動していた。
「それでは、僕は退陣しますので2時間後に下に降りて来てくださいね。」
「…ぁっ、はい、わかりました!」
パタリと閉められた扉を確認して、要はもう一度部屋をぐるりと見渡した。
まだ、ここが自分の部屋になったのが信じられなかったし実感もないのだが、なんだか思ったよりも心はワクワクしていた。
11時前には下に降りていていく計算だと、もう先に着る服を考えなければならないだろう。
要は自分の着ていた制服を見下ろして急に恥ずかしくなった。
布団に寝かされていたのでシワができていて当たり前なのだが、列車に乗る前に転げたせいなのか、少し薄汚れた箇所があった。
「その制服はこちらで綺麗にしておきますので、バスルームにある袋に入れてまとめておいて下さい。」とイズモが言っていたので、早速シャワーを借りに行こうと思った。
と、なれば着替えなのだが…。
生憎ほぼ手ぶら同然で出雲まで来てしまった要には着替えなんぞあるわけもなく。
申し訳ないがイズモの言葉に甘えてクローゼットの中からお借りしようと要は、恐る恐る人様のクローゼットを開けることにした。
そこには確かに何着かの服が掛けてあった。
しかも結構色味も雰囲気もバラバラのものが多い。
ー了承を得るって、これ誰の服なんだろう?
ーこっちにはワンピース…とかコートとかがある。
ーで、こっちはパーカー?結構派手な色が多いな…。
ワンピースは花柄やストライプのもの、無地な清楚系のものも多いがパーカやTシャツなどは黒や蛍光ピンクなど血みどろの英語表記がされたパンク系の物まである。
しかも大きさも統一感があまりなかった。
ーイズモさんってご姉妹が多いのかな?
フリフリのスカートの裾に手を触れた要は、ふと自分の妹の姿が蘇った。
幼い頃より最近は二人でいても話すことが少なくなっていた妹との関係。
「知恵…元気かな…。」
ーどうしてだろう…ここに来てから家族のことをよく思い出すなんて…。
『お姉ちゃんばっかり、ずるいよ!』
遠くから鳴いたはずの鳥の声が、部屋の中を木霊するように走っていった。
その一瞬のお陰で掻き消されたのは、妹の泣き声。
ハッとなった要は小さく頭を振ると、クローゼットから淡い水色のワンピースを出して、ローチェストの1番下にあった封の開けられていないパッケージされた大量の新品下着セットを手にバスルームへとかけていく。
「ユニ○ロありがたや〜!」
湯船から出た要は1番シンプルな下着を着て、肌触りの良いワンピースに身を包んでいた。
ふわふわのシーツが掛けられたベッドの上に座り、ゴロリと横になってみる。
知らないベッドの上で、しかも着ているものまで自分のものでないと、益々ここにいる自分が不思議でならない。
これが本当にただの観光旅行だったなら笑って東京に帰れるのに。
ー私…もう2度と東京には帰れないのかな…。
答えなど聞く勇気もないのに…と思いながら要はそっと目を閉じた。
そして、どこかで自分を呼ぶ声が聞こえた気がして要はハッと目を開けた。
ローチェストの上にある時計はいつの間にか11時を指していた。
「ん、…わ!や、やばい!!」
いつの間にか眠ってしまった自分にも驚いたが慌てている時間もなく、要は転がる様に部屋を出ると、急いで階段を駆け降りていく。
「すみません!遅くなりました!」
階段を降りた先では、コナ達の餌やりなど用事を終わらせたイズモが立って待っていてくれた。
ぜいぜいと荒い息を一生懸命整える要に、イズモは心配そうに声をかけてきた。
「慌てなくて大丈夫ですよ、要さん。今日は時間がありますから…でも階段を駆け降りるのは危ないので気をつけましょうね?」
「すみません!」
要は大きい声で謝罪しながらも、自分の立ち姿が心配でならなかった。
スカートの裾は捲れてないだろうかとか、寝落ちしてしまったので涎は付いていないだろうかとか、必死で身嗜みをチェックをしているとイズモから耳が痛い発言をされてしまった。
「要さん…もしかして寝てました。」
「うっ、…申し訳ありません。」
腰を90度に曲げようとする要に、イズモは「おやめなさい。」と声をかけて静止させるとニコリと笑ってくれた。
「取引先相手の様な堅苦しい謝罪は入りませんよ。それに、ご飯を食べると眠くなりますから仕方ないです。」
「で、でも」
「要さんがそれだけリラックスしてくれているなら僕は嬉しいです。では、可愛い寝癖はこの陽除けの帽子でカバーして…」
「わあ、ぁ、ありがとうございます!」
どこから出したのか白色のリボンが可愛らしい麦わら帽子を要に被せたイズモは、自分も紺色のグログランリボンが爽やかなパナマハットを被るようツバに手をやった。
二人が玄関先で靴を履き終えると、イズモは要の手を握って「ふふ、では出発です。」と笑いかけてきた。
ーぎゃぁあ!こん、お人…な、ナチュラルに人の手を握りよるぞ!?
要は羞恥心からイズモの手を危うく振り下ろしそうになったが「あっ、私が人神だから心配して手を繋いでくれているんだ!」と思い直して、大人しく自分も控えめに握り返した。
そんな要の姿に、イズモは玄関の扉を開けるともう片方の手を拳にして突き上げた。
「では、今から要さんとの楽しいデート開始です!」
「はぁ!?いやいやいやいや…!!!観光!た・だ・の・観光ですからね!」
要の血走った目には、イズモのキョトン顔が映っていた。
どこまでも必死に否定する要の姿にイズモは「要さん、目が血走っていますよ。」と言うと「要さんは僕のことが嫌いなんですね。シクシク。」とお決まりの目元押さえ作戦に入る。
これに要は今度こそ引っ掛かるまいと、強気に声を荒げた。
「イズモさん、もうその手には引っかかりませんからね!大体男の人がシクシク言っても可愛くないんですから!」
要の「言ってやったわ!」と満足げな表情を見て、イズモはニコリと笑うとぐいっと彼女の腕を急に引っ張った。
「わぁっ!」と驚きながらイズモの胸元にぶつかりそうになる要の耳元で、イズモの心地よい声が甘く響いた。
「僕は、要さんの涎ですら可愛いと思っていたのに。」
「なッ!!ちょ、早く言ってくださいよ!!」
鼻歌を歌いご機嫌なイズモに腕を引っ張られながらも、なんとか涎を拭こうともがく要の姿には、甘い空気など微塵も見受けられなかった。
次の更新は5月1日です。




