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小さな自信


「ごゆるりとお過ごしくださいね。」



そう、イズモから言われた要。

まるで蛇に睨まれた蛙の如く、縮こまって震えていた彼女。

そんな彼女が、今何をしているかというと…



『はい、両手を上げて肩のうんど〜う!さん、はいっ、』



「1、2、3、しー、5、6、7、はちー…」



『足を小気味よく上げてその場でスキップうんど〜う!さん、はいっ、』



「ふっ、はっ、ふっ、はっ、」


「要さんっ、体幹がブレてますよ。あと、もうちょっと早く。」


「すみません!はっ、う、い、意外と…しんどい。」


「10分位の体操でもしっかりきちんとやると、意外と息が上がるものなんですよね。」



要の横でそう言いながら、爽やかにステップを踏んでいるイズモは全く呼吸が乱れていなかった。

10分後ようやく最後に深呼吸をする頃には、要は膝に手をついて「ハァ、ハァ…」と整えるどころか乱れた呼吸で苦しそうに項垂れていた。

逆に、イズモは「爽やかな空気をめいいっぱい吸い込みました!」と言わんばかりにスッキリした顔で、浮かせていた両方の踵を地面へと静かに下ろしている。


要が目覚めたあの後、境内の中にある大きめの一軒家に移動したイズモ達は、入ってすぐのリビングに足を踏み入れた。

イズモはそこにあった中々大きめのテレビをリモコンを使ってスイッチを入れると「では、要さん。まずは体を目覚めさせましょう。」と言って首を回し始めたのだった。


小気味良い音楽に目をやれば、テ○ビ体操の文字があった。

要は有無を言う余裕などない内に、勢いよく腕をあげなければならなかった。



ーい、息が、苦しい…!なにこれ?なんで私汗びっしょりなの!?



まあ、終わってみれば息が上がり汗だくなのだが。

肩で息をする要を見つめながら、イズモは冷静に現状を判断した。



「要さん、あなた完全に運動不足ですね。」


「う゛、すみません。」



要の胸にグサリと何かが突き刺さる。

余計に項垂れる要に、イズモは彼女にそっと手を差し伸べた。



「謝ることではないですが、学校で体育とかしないんですか?」



現役の女子高生ですよね?と副音声が聞こえてきそうな質問に、要は苦虫を潰すように答えるしか他なかった。



「……体育は、ずっと見学です。」


「何故です?守地では体調は安定している筈ですよ?」


「…多分、静さん達が心配してそうなっているのかと。」



「部活とかも禁止なんだと思います。何も聞かれないですし。」と続ける要は自然と自分の足先を見つめていた。

彼女の乾いた笑い声を聞きながら、それでもイズモは己の視線を要の顔から外さなかった。



「要さん、あなたはそれで良いんですか?」



何が?どれが?

体育に参加できないこと?部活も自由にできないこと?

それともクラスに馴染めないこと?


ーいや、イズモさんは学校でのことを知らないんだから。

ー黙っていよう。余計なことは言わない方が良いんだ。


要は小さく首を振りながら、無意識に薄ら笑いを作っていた。



「…でも、皆んな、私に何かあったらいけないから…。心配してくれているから、そうしてるんだし…」


「…左様ですか。」



そう静かに返事を返すイズモの顔が見れなくて、要はぎゅっと自分の腕を握りしめた時だった。

静寂な部屋の中に「ぐぅぅぅ〜…!」っと場違いな音が響いた。

要は自分の顔に熱が集中するのが分かった。



「ふふふ、要さんのお腹はこんなに元気なのに、皆んな知らないんですね。」


「す、すみません、あの、いつもはあんまりお腹空かないのに、」



要のこの言葉に嘘はない。

うまく眠れなくなってしまったここ数日、本当に食欲は無くなっていたのだ。

顔を真っ赤にして慌てる要に、イズモは不思議そうな顔をして口を開いた。



「何故謝るんですか?お腹が空くのは健康な証拠ですよ。…では、朝ご飯にしましょう。こちらについて来て下さい。」



イズモに言われるがままに、彼の後をついて行けばそこには広くて大きな台所があった。

先程までいたリビングにも大きな梁が組まれていて、この家がとても立派な木造建築だと感じさせられたが、この台所にも使い込まれた木の温もりがあった。

ただ、流し台のちょっとした所に可愛いくすみ色のタイルがはめ込まれていたりセンスの良さが感じられる。


リビングから一段下に下がる台所にはスリッパが用意されていて、イズモはそれを「ここは少し足元が冷えるので遠慮せずに履いてください。」と促した。


入ってすぐの壁際にかけられていた深緑色のエプロンを手際よく着込むと、イズモは引き出しから赤いエプロンを取り出して要の前へと差し出した。



「さあ、では早速作りましょうか。」



「どうぞ着て下さい。」と言いながら手渡されたエプロンを見つめて、要は固まるしかなかった。



「え、あの、」


「何か?」


「自分で作るんですか?今から?」


「そうですよ?もしかして高知では作ってないんですか?」


「包丁や、火は危ないって使わせて貰えなくて…。」


「まさに箱入り令嬢の如くですね。」



カぁッと自分の頬がまた熱くなるのを要は感じた。

でも、東京にいた幼い頃から料理などした記憶はなかったし、嘘もつけない。

高知での生活で静に料理はしなくて良いと言われた時も、ホっと安堵したのも事実だ。



「すみません、あの、子供の頃から体が弱かったから、その、」


「要さん、謝らないで下さい。僕はあなたを責めていません。それに、これまであなたが料理をできない環境に置いたのは周りの大人達でしょう。」


「そう、ですが、」



そりゃそうだけど…と要がそう思いながらモジモジしている間に、イズモは手慣れた様子で大きめの鍋や、ボール、乾物などをカゴから取り出していた。

イズモは最後にまな板を手拭きで拭くと、要の方へとくるりと向き直って言った。



「それに料理なんて必要に駆られれば、誰にだってできるものですよ。」


「はい…あの、頑張ります。」



ーイズモさんの、圧が怖いぃぃ!


イズモの含みある笑みに、自然と要は頭を下げていた。

彼は要の頭のつむじを見ながら「ふふ。そうです…やる気さえあればなんでもできるんですよ人間は。」と言うと「でも、頭は下げなくても良いです。」と要の頭を撫でた。


ようやく頭を上げた要はイズモの指示で最初に手を洗った。

綺麗な木綿のタオルはふんわりとしてて気持ちがいい。



「え、と…まずは、私は何をすれば?」


「最初にご飯を炊きましょう。」


「ご飯、…お米。」



台所部屋の中央にある大きめの作業台の下には、収納型のお櫃があった。

それをイズモがサッと出してパカりと蓋を開ければ、そこには計量カップと一緒に綺麗なお米が入っている。

イズモはお櫃を覗き込む要に向かって笑顔でこう言った。



「はい。では今日はこの、つ○姫という品種のお米にしましょうね。名の通り艶があって綺麗で、甘くて美味しいですよ。」


「はぁ、」



お米のブランド名など意識してこなかった要には、イズモの嬉しそうに米を語る姿についていけなかった。

それが彼にも伝わったのだろう、不思議そうに要の顔を見られた。



「要さんは、普段高知ではどんなお米を食べているんですか?」


「お米…、すみません…もっぱら食べる専門で。」


「ふふふ、女子高生がもっぱらって使うの初めて聞きました。日本は美味しいお米が沢山あるので楽しいですよ。今度食べる時は、一度確認してみて下さい。」



イズモの言葉に、静の出してくれるご飯は美味しかった気がするので、きっと有名なお米なのかもしれないなと要はぼんやりと思った。

だが、今はとにかく自分達のご飯を炊くことが優先なので急がねばならなかった。



「…はい。えーと、炊飯器はどこですか?」


「炊飯器のお釜で米を洗うと釜を傷つけてしまうので、まずはボールに米を測って入れていきましょうね。」



そう言いながら大きめのボールを差し出してくれたイズモ。

要はそれを受け取りながら、急に幼い頃東京のマンションで料理していた母の姿を思い出した。



「……あれ、うちのお母さんお釜に直接入れてたような気がします。」


「ふふ、じゃあ今度要さんからお母様に教えて差し上げてください。」



イズモのなんでもないその言葉に、要は喉元に何かが引っかかる感覚を急いで飲み込んだ。

そして一白置いてから要はようやく「……はい、そうですね。」と返事を返せた。

要の白い顔を見ながら、イズモは米櫃の中にある計量カップを要に差し出した。



「…では、ボールにお米を5合測って入れてください。」


「えーと、これで掬うんですよね?」


「はい、1合のメモリに合わせてくださいね。」


「はい。えーと1合、」



要の頭の中で2合…3合…と数を数えてることが有り有りと伝わって、イズモは少しだけ口元を緩めた。

ようやく5合のお米を測り終えた要はボールを持ち上げて、イズモの指示で流し台の中へとそのボールを置いた。



「それではボールに水を入れて、最初の水はすぐに捨てます。」


「え!?洗わないんですか?」


「最初の水をお米が吸ってしまう前に捨てるんですよ。」


「そうなんですか。」


「で、水を捨てたら軽く揉むようにかき混ぜます。優しくで大丈夫ですよ。」


「優しく…」



要の浅い知識では、米はもっとぎゅ、ぎゅっと洗うものだと思っていた。

洗ったお米も、白い濁りが消えるまで何度も水を変えないといけないのではないかと思案していた時だった。


イズモが、要の考えを察して声をかけてきたのだ。



「要さん、日本人っていつからお米食べてるか知ってます?」


「え、…えーと、…は、はるか昔?」


「ぶっ!!ふ、ふふふ、そうです、はるか遥か、昔ですね!」



目に涙を浮かべて笑い続けるイズモに要は心の中で「こっちはお米洗うのに集中してるのに!」と殺気が出そうになる。

思わず手を止めて、イズモを睨んでしまった。



「わ、笑わないでください!」


「いや、本当に要さんは愉快な人ですね、ふふふ、ふはっ、。」


「…完全に馬鹿にしている。」


「してませんよ、ふふふ。面白いと褒めているんです。」



「嘘だ」と心に思いながら、要はまたイズモの視線に気づいて米を洗い始めた。

要の優しい手つきを見ながら、イズモは小さく咳払いをした。



「話は戻しますが、日本で…遥か昔からお米を食べられているということは、遥か昔からお米は育てられていた訳です。」


「…そうですね。」



いやに「遥か」を強調するなと思ったが、乗って仕舞えば負けだと思った要は静かにそう言って返事を返すに留まった。

イズモもそんな要を気にする事なくペラペラと会話を続けていく。



「なのでお米の精米技術も今は格段に精度が上がって、昔みたいに強く押して洗ったり、何回も水で洗わなくてもお米は美味しく食べれるんです。」



逆に洗いすぎると、お米を傷つけて食べるところが減ってしまいます。

この言葉には要も「へぇ。」と感心して、素直にその手を止めれた。

要が最後に洗い流した水をボールから出すと、イズモは奥にあった調理器を持ってきていた。



「そして何より革新的に成長したのが、炊飯器です。」


「わぁ、すごい、え、これ炊飯器ですか?」



ゴトリという音と共に、要の前に置かれたのは中々に重圧な黒色の炊飯器。

しかも5合炊きなので中々に大きめだった。

蓋を開けて中からお釜を取り出したイズモは真剣な顔で「こんな見た目ですが、羽釜炊きです。」と言ったので、要は「うんうん。」と頷いておく。


釜の中に洗ったお米を入れて5のメモリに水を静かに流し込んでから、要はようやくホッと息がつけた。



「では、炊飯ボタンを…」



早速、赤色の炊飯と書かれたボタンを押そうとする要を慌ててイズモが止めに入った。



「いえ、今日はちょっと余裕があるので30分ほど水に浸けておきましょう。」


「30分も。」



ー私、またお腹が鳴りそうなのだが…


要の心境をよそに、イズモは「急いでる時は必要ないですよ。」と言いながら冷蔵庫の下から大きめのタッパを取り出すと、そこから密封された袋を出していく。

小魚が入った袋が見えるが、要にはそれが何か分からなかった。

イズモは材料を確認してから要に向かって、今度は大きめの鍋を手渡した。



「では、この間に今度は出汁をとりましょう。」


「だし?」


「お出汁ですよ。今日は3種類使ってとりましょうね。」


「3種類?」



ー…だし、出汁、そんなもの自分で作ったことなどないぞ。


要の渋すぎる顔を見て、イズモは嬉しそうに「クイズしますか?」と問おてきた。

これ以上おちょくられては堪らないと、要は高速で頭を振った。



「いいえ!あの、すぐに教えてください!」


「ふふ…、まずは昆布、鰹節、あとは煮干しですね。」



イズモが説明しながら出していく材料に、要は目を丸くして驚いた。

どれも業務用なのかというくらい大きい梱包に入っていたからだ。

箱の中から取り出してみれば、余計に驚きが増す。



「昆布が大きいです!」



自分の掌より大きい昆布に要は子供のようにはしゃいでしまった。

イズモはそれを見つめながら、パンパンに膨れた大きめの鰹節のパックを開けている。



「鰹節はお得用の大きめの袋のやつが良いです。結構多めに使うので。」


「なんか、イズモさんなら鰹節を削ってそうなイメージがありました。あと、お米とか、昔の…あの、木を燃やす釜とか使いそう。」


「薪ですね。確かに美味しそうですが火加減が大変ですし、鰹節をその都度削るのは手間がかかります。」


「…確かに。」



じゃあ、要さんやってご覧なさい…とイズモに言われたら高速で首を横に振るしか自分にはできないなと要は息を飲んだ。

一点を見つめる要の姿に、イズモは「頑張りすぎてはいけませんよ。」と声をかけた。



「要さん、生きることは食べることです。しかも食事は毎日することです。だからできるだけ手間は省きましょう。」


「はい、」


「頑張れることは頑張って。無理なことは、しない。これが続ける秘訣です。」


「…はい。」



料理のことなのに、なぜかイズモの言葉が要の胸に刺さった。

要は少しだけ目頭が熱くなるのを感じながら、また鍋を持って流し台に向かう。



「では、まずは昆布ですが大きめのお鍋に水を張ってからそこに入れます。」


「大きいお鍋ですね。お、重い。」



大量の水が入った鍋は、それだけで中々の重さになる。

鍋を持ち上げた時にフラつく要を、イズモは後ろから一緒に鍋の取っ手に手を添えて支えた。

「鍋が重いから気をつけてくださいね、要さん。」とイズモから耳元で声を掛けられた要は、自分の手に覆いかぶさった彼の掌を見て、返事を返している場合ではなかった。


今、まさに心臓がビッグバンを起こしかけていたのだ。



ーぎぃやぁぁぁぁぁ!!!!私の手の上に殿方の手がぁぁぁ!!???


瞬く間に茹で蛸になる要など気にもとめず、イズモは淡々と昆布を手にして鍋の中に入れた。



「ああ、昆布は表面を拭く人もいますが、僕はしません。そのまま入れます。」



いや、昆布よりもあなたの手の方が気になるわ!と思いながら要は「わかりました。昆布ってこのままの大きさで大丈夫ですか?」と肩を震わせながら努めて冷静さを装ったのだった。



「はい、今日は多めに出汁を摂るので。小鍋の時は昆布も小さく切って入れてください。」


「では、火を…」



要が鍋を置いたコンロのスイッチを手にする前に、またもやイズモから止めの声が上がった。



「ああ、昆布も30分くらい常温の水に浸けます。」


「え!昆布も!?」


「はい、半日くらいつけても良い位ですが、今日は30分位にしましょう。その方がお米と合わせれますし。」



出汁をとるだけでこんなに時間がかかるだなんて思っても見なかった要だったが、作業台に目を向ければ、まだそこには入れていない材料があるではないか。

要はそれを指刺してイズモに声をかけてみた。



「あの鰹節は?」


「それは、火をつけてからになるので…その間に煮干しの処理をします。」


「煮干しの処理?」



イズモは先ほどタッパから出した密封性の袋から大量の煮干しを大きめの皿に移すと、一匹だけ手にして、要の前に差し出した。



「これはカタクチイワシです。まずは頭を持ってこう、取ります。」


「おお!」



親指と人差し指で軽く摘んだだけでも、乾燥したイワシの頭はすぐにコロリと取れた。

イズモは頭の取れたイワシを今度は背中が見えるように持ち直して、中央から押す仕草を要に見せた。



「で、次は背骨の方から押す様にぎゅっとすると…」


「あ、割れた。」


縦に綺麗に割れたイワシの中には、小さな背骨が綺麗に並んでいた。

イズモはイワシの上の部分を指差して、要に尋ねた。



「要さん。この、黒い部分が見えますか?」


「はい。」


「それがハラワタです。これは苦味が出るので取り除きます。取ったらその都度、昆布の入った鍋に投げ入れます。」


「投げ入れる…。」


「ふふ、投げ入れるのは冗談です。煮干しの細かな屑が出るとめんどいので優しく入れてください。」


「わかりました。全部そうするんですよね?」



皿の中の鰯たちは中々に大量なので、これも急いでしないと朝ごはんが遅くなってしまう!

息巻く要にイズモはニコリと笑うと「はい、手分けして頑張りましょう。」と言った。


ようやく、イワシの処理が全部済んだところでイズモは「鰯を全部入れたら鍋に火をかけましょう。」と言いながら「でも、その前に炊飯器に働いてもらいます。」と言って炊飯器のスイッチに手をやった。


30分も水を吸い込んだ昆布は、最初見た時より明らかに大きさが変わっていたので、要は素直に驚いた。



「ふわ〜!昆布が開くと、すごく大きくなるんですね。」



火を入れた鍋の周りに、小さな泡が出てきてもイズモは火力を上げなかった。

そしてゆっくり火を掛けて、昆布からも小さな泡が出てきた時だった。

イズモが長い菜箸を取り出したのだ。



「では沸騰する前に、昆布を取り出しましょうか。」


「え、何故ですか?」


「沸騰させると昆布から旨味が出ませんし、滑りが出て大変なことになるので。煮物の時は沸騰させても気になりませんが。」


「そうなんですね…。」



イズモが取り出した昆布を小さめのボールに移し置くのを見ながら、要の頭の中のメモはどんどん埋まっていく。

イズモが一つ一つ説明してくれるおかげか、なんだか料理に興味が出てきたのだ。



「煮干しから出る灰汁も取り除いて、ここで火を強めにします。」



沸いた鍋の中で煮干しが踊っているのが見える。

表面に大きな泡が出てぐつぐつと煮えるのが見えて、イズモはまたコンロのスイッチに手をやった。



「これだけ湧いたら火を止めましょう、そしてここで鰹節を入れます。」


「わぁ、良い香り!」



大量の鰹節を鍋に投入しながらイズモは可笑そうに「ふふ、なんだか料理番組みたいです。」と笑った。

こんな時要も一緒に笑えば良いのに彼女は「すみません、…満足にサポートできなくて。」と申し訳なさそうに謝るのだった。


イズモは「要さん、」と割とはっきりと大きい声で彼女の名を呼んだ。



「要さんの煮干し、ちゃんと綺麗に処理できているじゃないですか。横で分量読み上げるだけより大分役に立っていますよ。」



イズモの声に要は顔を上げた。

その顔には「嬉しい!」と馬鹿正直に物語っているではないか。

イズモは「この子…子供みたいだな」と心の中で思った。



「頑張ります!あの、次は!」



イズモは前のめりになる要を見て口元を緩めると、作業台の上に置いてあった二つのザルを手渡した。



「では、この大小2つのザルを重ねて、その間にキッチンペーパーを挟みます。」


「こう…ですか?」



大きいザルの中にキッチンペーパーを置いて、その上に小さいザルを置くと、イズモは小さくうなづいて、また新しいボールを取り出した。



「ではそれを深めのボールの中に置いて、上からこの出汁を注ぎ込んだら細かい鰹節も入らずに漉せるので楽です。」


「あ、熱い。湯気がすごい!」



ただでさえ重い鍋は、熱を帯びて大変危険な凶器に見える。

少しでも出汁が手にかかったら大惨事につながりそうだ。

要が嫌な予感をしていた時だった、冷静なイズモは「女性には鍋が重いし熱いので危険ですね。ではこれを。」とあるものを要に差し出した。



「これって…小さいお鍋。」


「それで掬って流し入れてください。」


「!なるほど!」



ー小さいお鍋を柄杓代わりにするんだ!イズモさん頭良い!!


小さな鍋を見ながらキラキラと目を輝かせる要に、イズモは彼女から見えないようにこっそりと笑った。


要の必死の努力のお陰でようやく出来上がった出汁は、眩いほどに黄金色に輝いていた。



「これで味噌をとけば美味しい味噌汁ができますし、煮物やおひたし、うどんのお汁にも使えます。」


「すごい、すごいです!イズモさん、なんでこんなに料理が得意なんですか!?」


「まだ出汁の段階ですよ、要さん。」



遠足なら靴を履いたところですよ、とイズモは目を伏せて静かに微笑んだ。

要ははしゃぐ自分とは違い、どこまでも冷静な彼の態度に少しだけ不満が募った。

だって本当に自分は嬉しかったのだから。


つい負けじと言葉が出てしまう。



「…で、でも、私こんな綺麗なお出汁見たの初めてです。」


「ふふ、確かに綺麗で良い匂いだ。」



イズモの素直な意見に、要は嬉しくて「はい、とっても!!」と頬を染めて笑った。

要のぱぁぁ!と目を輝かせる子供の様な笑顔の眩さに、イズモも口元を緩めて自然と笑い返した。

イズモの自分を見つめる嬉しそうな顔に、要は急に胸がドキリとする。



「楽しいでしょ、要さん?」


「え?」


「自分で作ってみるのって楽しいものでしょう?」


「…はいっ!!!」



要はどうして自分は今まで料理をしてこなかったのか不思議だった。

こんなに楽しいのに、まあ、確かに手間がかかって面倒い。

でも、初めてな事ってこんなに楽しいのかと、興奮しているのも事実だ。


ーもっと、いろんな事をしてみたい!


要は自然とそんな風に思うようになっていた。



「では、お米が炊けるのには時間がまだあるので、このお出汁を使ってまずはお味噌汁から作りましょうか。」



そこからは大変だった。

要は味噌汁の具の豆腐を木綿なのにボロボロに切ってしまうし、イズモが出汁を取った昆布を刻みながら「切り干し大根に入れて一緒に炊きましょうね。」と言うので、要も一緒に人参を細切りに刻んでみたのだが、中々に大きさが不揃いなものばかりできてしまった。



「では、次にだし巻き卵でも作りましょう。」



このイズモの言葉にも要は元気よく頷いたのだが…お察しの通り、地獄だった。

要がギャーギャー言いながらボロボロの卵を作ってしまい、でもイズモがすぐにリカバリーを施してなんとか中に焦げありのだし巻き卵ができた。

 


「ああ、要さん、メインはどうしましょうか?」


「メイン?」


「干物や切り身がありますが、どれにしますか?」



イズモが冷蔵庫から取り出したのは、鮭の切り身やカマスの干物、秋刀魚の味醂干しなどがあった。

要は秋刀魚の味醂干しを見て「あ、サンマの味醂干し」と声に出したので、イズモは早々にグリルの中にそれを2枚入れて着火した。



「要さんは、サンマの味醂干しが好きなんですか?」


「はい、甘くて好きでした。私小さい頃、秋刀魚の塩焼きが苦手で…」


「確かに骨も多くて細いので子供には食べ辛いかもしれませんね…。」


「ある日、お婆ちゃん家でもサンマを食べるように言われて…嫌だなって思ってたら味醂干しが出てきたんです。」



要の脳裏にある日の祖母との夕飯の風景が蘇った。

横長で笹柄の焼き物の器に乗った秋刀魚の味醂干しは、テカテカと鼈甲色に輝いていた。

それまで秋刀魚の頭がついた姿焼きしか見た事なかった幼い要は声を出して祖母に訴えていた。



『おばあちゃん、これホントにサンマさんなの?』


『これは味醂干ししたもんよ、甘くて美味しいから食べてごらん、要ちゃん。』



祖母がお箸を使ってまだ焼いていない秋刀魚の味醂干しを半分に折りたたんで見せてくれたのも良い思い出だ。


『ほら、閉じてみたら秋刀魚の柄が出てきたでしょう?』


『ほんとうだ!おばあちゃん、これほんとうにサンマさんなんだね!』



自分の笑い声と、祖母の笑い声が重なる食卓。

それは祖母が自分のためにあの温かな台所で作ってくれたものだったのだ。



「あの時食べた秋刀魚の味醂干しは、本当に甘くて美味しくて…。そこからサンマが好きになりました。」


「美味しいものを食べると良い思い出になります。舌は…味覚はそんな色んな思い出を思い起こすことができるので、僕は大切だと思っています。」



「だから、美味しいものを食べましょうね。」とそう微笑みながら言うイズモに要は「はい」としっかり頷く。

イズモの言った通り、ただの一枚の干物でも祖母とのやりとりが思い出されたのだ。

要はもっと自分が食べているものに、ちゃんと意識しようと決めたのだった。



料理も終盤に入り要はイズモの指示で、不慣れな手つきながらも出来上がった料理を器の方へ盛り付けていく。


黄色と茶色のコントラストのある不恰好なだし巻き玉子も、高級そうなお皿に盛れば不思議となんとかと見れたものに見える…気がする。



ーなんかこうやってみたら美味しそうに見えてきた!私も頑張ればできるじゃん!



要は、ウキウキとしながら料理を食卓へと運んでいく。


食卓の上に、何品か料理が並んだ時だった。

イズモが「緑が…青物がありませんね。」と言うと冷蔵庫の引き出しから、緑が鮮やかな小松菜と油揚げを取り出すと、目に追えない早業でそれらを刻み始めた。


そして中ぶりの鍋に出汁と砂糖、味醂を入れてから刻んだ油揚げを入れて火にかけ、さらに醤油を入れてから一口大に切った小松菜を入れてパパッと煮浸しを作ってしまった。


所要時間10分もかかっていない調理に要は膝から崩れ落ちそうになった。


ー私がいない方が絶対もっとすごい朝ごはんだったのでは…?


イズモはやり切った顔で「では、完成です。朝ご飯にしましょう。」と燃え尽きそうな要に向かって声をかけた。


その瞬間、炊飯器からお米の炊き上がりを知らせる音が鳴ったのでイズモは「ナイスタイミングです。」と嬉しそうに、要にしゃもじを手渡した。



「え、私が混ぜるんですか?」


「もちろん、さあ蓋を開けてください。」



要が言われるがままに炊飯器のスイッチを押してみると、パカりと開いた蓋の中から真っ白な湯気が勢いよく出てくる。

要は気づけば、その湯気を思いっきり吸い上げていた。



「良い香り!お米が綺麗です、イズモさん!」


「さすが、つ○姫ですね。では、まずは十字に米を切ってください。」


「こう、ですか?」



要は慣れない手つきで炊き立てのご飯の中にしゃもじを入れながら幸せを感じていた。


ーこれ、絶対美味しいやつ!



「釜の底の部分のお米は汗をかいたままなので、この切れ目から下へと掬って、底の部分を上に出すように掘り上げてください…ああ、でも優しくです、粒が大事なので。」


「む、難しい。」


「大丈夫、サクッとやってください。そして一旦蓋を閉めます。」


「……ふぅ、終わりました。」


「では、お茶を淹れましょう。」


「お茶の作法…知りません。」


「ふふふ。そこまでやると面倒いので、急須に茶葉を入れてお湯を入れるだけで大丈夫ですよ。」


「よかったぁ…、」


ーそれぐらいなら私でもできるわ!


安心したのか、要のお腹からまた空腹を告げる音が鳴った。

お腹をおさえる要に向かって、イズモは湯呑みを二つ戸棚から出しながら「でも、お客様相手だとこれではいけませんから、また後で教えますね。」と微笑んだ。



「う゛…あ、はい。よろしくお願いします。」


「要さんは、本当に表情が豊かで素晴らしい。」


「褒めてませんよね?」


「ふふ、褒めてますよ。では、どうぞお好きな分だけご飯をよそって下さい。」



もう一度、炊飯器の蓋を開ければまたもやそこには幸福の塊が要を待っていてくれた。

要はまた思い切り湯気を吸い込んだ。



「ああ、やっぱり良い香り!」


「…では、いただきましょう。」


「はい、いただきます!」



待ちきれない要は、イズモの正面の椅子に急いで座る。

目の前のテーブルには焼き魚にだし巻き卵、小松菜の煮浸しと切り干し大根の煮物に、温かなお味噌汁があった。

小皿の横にはいつの間に用意されていたのか、きゅうりの浅漬けまである。


そのどれもがピカピカと輝いている。

要は綺麗な朱色の漆塗りでできたお箸を持つと、まずは炊き立てのご飯を口に入れた。



「!お、おいヒィい!お、美味しいです、イズモさん!」


「食事中は会話は控えめに。」


「す、すみません。」



あまりの美味しさに要は思わず大声を出してしまった。

これはイズモでなくても眉を顰める行為なのだが、それでも要は味噌汁を一口飲んでもまた叫びそうになってしまう。



ーすっごい豪華なわけじゃないのに…でも、すっごく美味しい!



要は噛み締めるように目を閉じて、お米の甘さとお味噌汁から香る濃厚な出汁の味を堪能しながら幸せを感じていると、イズモもゆっくりと味噌汁に口をつけていた。

品のある腕から口を外したイズモは「でも、…」と要に声をかけた。



「でも、確かに要さんが作ったこのお味噌汁のお出汁は美味しいですね。」



イズモの緩んだ目元が優しげに要を見つめている。


ーイズモさんって、幸せを感じるとこんな表情をするんだ…。


要は胸の中がポカポカと温まるが自分でも分かった。

初めての事ばかりで、自分の不器用さに苦労したけれど、この時間を大切にしたいと心から思えたのだ。


要は、だし巻き卵を口にするイズモに小声で話しかけた。



「イズモさん。…あの、またお料理教えてくれますか?」



イズモは要を見ながらごくりと飲み込むと、ニコリと笑いかけてこう言った。



「勿論ですよ!…というかここでの3食は一緒に全部作って貰う予定です。」


「う、ぇ、…マジですか?」



2、3回あれば良いなと思っていた機会が、これから毎食作ることになると思っていなかった要は思わず引き攣った顔になってしまう。

そんな彼女とは対照的に、イズモはニヤリと笑うと嬉しそうに要の顔を覗き込んだ。



「マジです。鍛え甲斐がありますね?」


「うう…、私、頑張りますね!」


「大丈夫です。伸び代だらけですよ、要さん。」


「それ絶対、褒めてませんよね?」



要が真顔でツッコミすると、イズモは静かに箸を持ち直して話題を切り替えようとし始めた。



「ふふふ。…これを食べ終えたら、コナ達にも朝ご飯をあげないと。」


「イズモさん、聞こえてますよね?無視ですか?」


「ふふふ…。ああ、本当に美味しいです。このボロボロのお豆腐も。」



要は少しだけ焦げた味のするだし巻き卵を口にしながら「あの日の楽しい祖母との食卓を、まさか遠く離れたこの出雲の地で思い出せるなんて思ってもいなかったな」と感じていた。



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