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残金1,842円|第64話「誰の遅れか」

 午前六時四十七分。


 供給会社から届いたメールの件名には、注文承諾ではなく、技術条件確認事項と書かれていた。


 調達部長は添付図を開いた。


 赤い円で囲まれているのは、先行発注した共通継手の一組だった。


 数量表では共通継手。機器接続条件表では、境界未確定。


 前日の照合では、数量表と見積書の品目、材質、呼び径、数量は一致していた。だが供給会社が製作条件へ落としたところ、その一組が対象外とした機器接続部へ入る可能性が見つかった。


 回答を受けるまで、注文請書の交付を保留する。


 昨日、供給会社が示した回答期限は今日の正午だった。まだ遅れてはいない。


 だが、届いたのは承諾ではなかった。


 午前七時十三分。


 会議室へ入った榊原は、壁の工程表を見る前に聞いた。


「供給会社が止めたのか」


「照会を受けています。注文承諾は保留です」


「昨日、全部照合しただろう」


「数量表と見積書は一致していました。今回は機器接続部との施工境界です」


「そこは発注対象外にしたはずだ」


「どの継手までを対象外とするかが確定していません」


 調達部長は図面を拡大した。


 直管の先に共通継手がある。その先に機器接続部が続く。図面では一本につながっていても、発注書では分けなければならない。


 境界にある一組、四百八十万円分が止まっていた。


 午前七時二十六分。


 大沢、真鍋、三浦、設計会社の配管担当、施工会社の工務部長が会議へ加わった。


「正午までに承諾すると言った供給会社が、条件を追加してきた。先方の遅れか」


 榊原が聞いた。


「承諾前の技術確認で不一致を見つけています。期限も過ぎていません」


 大沢が答えた。


「では設計の遅れか」


 設計会社の担当者が施工境界図を示した。


「境界図は提出しています。ただし、この一組は機器メーカーの回答前に置いた暫定境界です」


「暫定なら、なぜ発注数量へ入った」


「標準条件なら必要になる継手でした。機器メーカーの回答によって、形状と供給範囲が変わる可能性があります」


 三浦は数量表と施工境界図を並べた。


 数量表には、機器接続部材を除くとある。境界図には、機器メーカー回答後に確定とある。


 共通継手は機器接続部材ではない。だが、設置位置は機器との接続条件で変わる。


「結局、誰が遅らせた」


 榊原の問いに、大沢は四つの欄を作った。


 発生した事実。


 回答する者。


 工程への影響。


 費用への影響。


「先に人を決めると、事実をその人へ寄せます。今止まっているのは注文全体ではありません。この一組です」


 供給会社へ確認すると、対象の一組を外せば、残る一億五千三百二十万円分は技術確認を続けられるとの回答があった。


 直管部分と、それ以外の共通継手は製作可能。ただし、保留分を後から発注して同じ便へ載せられなければ、追加輸送費が生じる可能性がある。


「四百八十万円を外せば、発注額は減る」


 榊原が言った。


「今の注文から外れるだけです。不要になったとは決まっていません」


 三浦は金額表を分けた。


 当初発注額、一億五千八百万円。


 先行承諾対象、一億五千三百二十万円。


 境界確認中、四百八十万円。


 純増見込み、照合中。


 発注書から外れても、事業から消えた金ではなかった。


 午前八時九分。


 供給会社から、午前中に修正版を受領できれば製作順を維持するとの回答が来た。午後になれば、同日に受けた別注文との調整が必要になる。


「午前中に出せ」


「数量表、材質表、検査対象、梱包明細を直します。供給会社の再確認時間も必要です」


「向こうは正午までに回答すると言った」


「昨日の注文内容が変わらない場合の期限です」


 榊原は時計を見た。


 こちらが注文を変えながら、相手にだけ昨日の期限を守らせることはできない。


「何時までに送る」


「数量表を九時半、金額確認を十時、設備責任者の最終承認を十時十五分。発注書は十時半までに送ります」


 大沢は設計会社へ聞いた。


「主要配管班へ出す施工数量は」


「保留箇所を除き、午後二時までに出します」


 主要配管班の帯に、初めて時刻が入った。


 施工数量、午後二時提示予定。


 見積条件、提示後送付。


 契約未締結。


 開始候補日は、前日に相手会社が示した日付のまま据え置いた。


 午前九時七分。


 機器メーカーへの照会履歴が共有された。


 最初の照会は十二日前。追加資料は七日前に送付済み。最終回答はまだない。


「十二日前から止まっていたのか」


「回答待ちとして管理していました」


「なぜ昨日の発注で止めなかった」


「機器接続部は外しました。ただ、この共通継手まで影響することを保留条件へ反映できていませんでした」


 設計会社の担当者は言い換えなかった。


「機器メーカーの未回答と、発注範囲の確認不足は分けられるか」


 真鍋が聞いた。


「分けます。回答が来ていないのは機器メーカー側の未了です。その状態で発注可能範囲を切り出したのは当社です。この一組を保留へ入れなかったのは、当社の確認不足です」


「工期は何日遅れる」


「現時点では遅れていません」


 大沢が答えた。


「今日中に注文が承諾され、製作順が維持されれば、先行範囲への影響はありません」


「なら遅れではない」


「まだ工期の遅れではありません。ただし、発注手続が止まった時間は残します」


 大沢は工程影響記録へ入力した。


 技術照会受領、午前六時四十七分。


 対象、共通継手一組。


 原因、機器接続条件未確定に伴う施工境界の確認不足。


 回答担当、設計会社。


 全体工期への影響、現時点でなし。


 追加費用、現時点でなし。


 責任区分は未確定とした。


「設計会社が確認不足を認めたのに、未確定なのか」


「確認不足の事実と、費用負担は同じではありません」


 三浦が答えた。


「追加輸送費が出た場合は、機器メーカーの回答時期、設計会社の確認範囲、供給会社が同梱できた時期を確認します」


「先に誰かの責任にしなければ、こちらが払うことになる」


「先に決めても、契約上の根拠がなければ相手へ請求できません」


 午前九時五十一分。


 修正数量表が三浦へ届いた。


 直管部分、共通継手、呼び径、材質、数量、検査条件。保留へ戻した一組。


 合計額は一億五千三百二十万円。


「四百八十万円を引いただけではないな」


「梱包費の配分を直しています。標準便一回の輸送費は、残る範囲に含めたままです」


「保留分を後で送る費用は」


「同梱できなければ別途です。今の発注額には入っていません」


 午前十時十一分。


 事業会社の設備責任者が、修正数量、材質、検査条件、対象外範囲を確認した。


「機器接続条件が確定するまで、この一組は発注しないでください。確定範囲だけで承認します」


 最終承認を受け、調達部長は修正版の発注書を作った。


 午前十時二十七分。


 一億五千三百二十万円の発注書が供給会社へ送られた。


 昨日の一億五千八百万円の発注書は削除せず、注文承諾前差替えとして発注台帳へ残した。


 送った事実も、変えた事実も消さなかった。


 午前十時五十五分。


 設計会社から改訂図が届いた。問題の一組は灰色の保留範囲へ戻され、その手前の施工境界には改訂番号と確定日が入っていた。


「開始候補日の四人へ、今日条件を出せるか」


 榊原が聞いた。


「午後二時の数量を確認後に送ります」


「それまで予定は残るのか」


「相手は、契約締結までほかの照会を止めないと明記しています」


「半日遅れれば、別の仕事を取るかもしれない」


「可能性はあります」


「なら、この半日は誰の遅れになる」


「班を失えば影響が見えます。その時も、今日の半日だけを原因にはできません。施工数量を昨日まで出せなかったこと、納入日が未確定であること、相手が別の仕事を選んだ時刻を並べます」


「原因が多すぎる」


「現場は、一つの原因だけで遅れる方が少ないです」


 午前十一時四十一分。


 供給会社から注文請書が届いた。


 受注額、一億五千三百二十万円。


 対象は、確定した一系統の直管部分と共通継手。


 機器接続部、回答待ちの一系統、保留した一組は含まれない。


 製作図は、注文承諾日の翌日から三営業日以内に提出する。


 納入日は製作図承認後に確定する。


 標準便一回の輸送費は受注額に含む。


 昨日示された正午より十九分早かった。


 ただし、昨日の注文がそのまま承諾されたのではない。修正した注文が、新しい契約になった。


「製作枠は」


「維持されています」


「納入日は」


「製作図承認後です」


「三人班には関係ないな」


「三人班は支持部の施工です。今回の配管材は使いません」


 発注手続は進んだ。全体工程は一日も延びていない。


 それでも、昨日の一億五千八百万円と、今日の一億五千三百二十万円は同じ注文ではなかった。


 午後零時十八分。


 機器メーカーから回答が届いた。


 保留した共通継手は使わず、機器側の専用接続部材へ置き換える。専用部材は機器メーカーの供給範囲に含める。


「四百八十万円は不要になったのか」


「配管材の注文からは外れました」


 三浦が答えた。


「機器契約に専用部材が含まれるか確認します」


 機器契約の内訳には、専用接続部材、設計条件確定後に価格調整とあった。当初契約額に概算枠はあるが、最終形状による増減は別途精算する。


 三浦は四百八十万円を削減額にしなかった。機器契約の価格調整欄へ、金額確認中として移した。


 金は消えず、確認する契約が変わった。


 午後一時十一分。


 大沢は工程影響記録を更新した。


 発注保留、四時間五十四分。


 先行製作範囲、製作順維持。


 全体工期への影響、なし。


 追加輸送費、なし。


 機器接続部材、機器契約内で価格確認中。


 供給会社の遅延とは書かなかった。設計会社だけの遅延とも書かなかった。


 誰の未了が、どの手続を、何時間止めたかを残した。


 午後二時二分。


 設計会社から主要配管の施工数量表が届いた。


 確定区間の直管延長、継手数、施工高さ、支持部数、溶接箇所、検査箇所。機器接続部と回答待ちの一系統は除かれている。


 施工会社は、前日に開始可能日を回答した候補会社へ見積条件を送った。


 回答期限は二営業日後の午後三時。見積対象は八日間。確約人数は四人。最大六人の追加配置は受注状況による。


 配管材の納入日が開始候補日の三営業日前までに確定しない場合は、開始日を協議する。


「材料が間に合わなくても、相手は断れる条件か」


「材料がないのに来させる契約にはできません」


「また班を失えば、今日の照会が原因になる」


「今日の照会で、契約できない範囲を外し、施工数量を確定しました」


 榊原は数量表を見た。


 昨日まで主要配管班へ渡せる仕事は、先行範囲という言葉でしかなかった。


 今は、長さと数と高さがある。


 半日は止まった。


 同じ半日で、値段を出してもらえる仕事になった。


 午後三時二十一分。


 真鍋は銀行団への更新資料を榊原へ向けた。


 配管材、注文承諾済み。受注額、一億五千三百二十万円。製作図、三営業日以内。納入日、承認後に確定。


 機器接続部材、機器メーカー供給範囲。価格調整額、確認中。


 主要配管据付け班、候補会社へ見積条件送付済み。契約未締結。開始候補日変更なし。


 全体工期への影響、現時点でなし。


「影響なしなら、朝の照会まで出す必要はないだろう」


「注文額と供給範囲が変わっています」


「四百八十万円減った」


「配管材から機器契約へ確認先が移りました。事業費が減ったとは記載しません」


「設計の確認不足も書くのか」


「注文変更の理由と、工程影響がないことを記載します。負担区分は、費用が発生してから契約に沿って協議します」


「何も起きなかったように見える」


「起きたことと、影響したことを分けています」


 午後四時三十三分。


 三人班の開始前確認には、高所作業車の手配票が追加された。


 開始日から五日間の専用配置。故障時の代替連絡先。搬入時刻。現場責任者。


 支給材を区画脇へ移す日も決まった。


 三人班の開始予定日は動いていない。


 主要配管班の契約はまだない。配管材の納入日も、まだない。


 それでも朝に止まった注文は承諾され、白かった作業範囲には数量が入った。


 午後五時十四分。


 倉田から電話が入った。


「四百八十万円は削減額ですか」


「違います。機器契約内で価格を確認しています」


 真鍋が答えた。


「全体工期への影響なしという根拠は」


「供給会社が製作順を維持しています。施工数量も確定し、候補会社へ見積条件を送りました」


「設計会社の確認不足で費用が出る可能性は」


「現時点では出ていません。発生した場合は、原因、契約範囲、実際の工程影響を確認します」


「誰の責任かは未確定ですか」


「確認不足の箇所は確定しています。負担させる費用と工期影響が、まだ発生していません」


 倉田は工程影響記録の保存を求め、電話を切った。


「銀行は、遅れてから原因を見るのか」


 榊原が言った。


「遅れる前の記録があるから、遅れた時に確認できます」


「今日の四時間五十四分は何だった」


「止まった時間です」


「遅れではないのか」


「後ろの工程を動かさなければ、まだ工期の遅れではありません」


 午後六時七分。


 大沢は工程表の配管材の帯から斜線を一つ消した。


 注文承諾済み。


 その先には、製作図受領、技術承認、納入日確定が残っている。


 主要配管班の白い帯には、見積回答期限が入った。


 大沢は朝の記録を保存した。


 誰の遅れか。


 その欄に、一人の名前は書かなかった。


 書いたのは、止まった範囲、止まった理由、回答した者、動き出した時刻だった。


 責任は、先に決める言葉ではない。


 その未了が、誰の時間と金をどこまで動かしたのか。それが残った時、初めて負担へ変わる。


 午後六時二十四分。


 候補会社から、見積条件を受領したとの連絡が届いた。


 四人の予定は、まだ榊原たちのものではない。


 だが、相手が値段を出せる仕事にはなっていた。

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