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橘とアルチェアリ  作者: 御社こはく
序章:ルディアノ辺境
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6/11

ドランという男


燃えるような西日と、それを移した茜色の内海を背に、船乗り達がこちらに向けて手を振っている。


それに応えながら、バローニオ商会会長、ドランヴァーレは満足げに港を見渡した。


商会といっても、他の大きな商会に比べればなんてことない規模だったが、確実な仕事と人当たりの良い商会の人間達は、商人達から厚い信頼を得ていた。


拠点を首都に移して早数年、田舎の地方商会と馬鹿にされることもほとんど無くなった。

今日もアルセパリアは静かに凪いでいる。


「親父ぃ」


男の声に、ドランは振り向く。

そこには、体格の良い若い男が立っていた。

彫りが深く男らしい、日に焼けた顔でにっと笑う。


「どーした、馬鹿息子。ハデに紅葉跡なんぞつけて」


「酒場のねーちゃんにフラれた。この髪色が嫌なんだと」


淡い髪色の多いルディアノで、ドランの倅、アランの茶髪は確かに珍しかった。妻がアルチェアリの人間であるからだと、ドランは勝手に考えていた。


「はっ、単にてめぇの素行が悪いからだろ。そのまんまじゃあ、当分商会は継がせれんな」


「クソ親父が」


「言ってろクソガキ」


「もうガキじゃねえわ!」


アランは数えで20になる。航海に出始めて、ようやく10年が経とうとしていた。

ここ最近、ドラン自ら海に出ることは殆ど無くなった。

代わりにアランが船員達を率い、実務を担っている。


それでもまだ、商会を継がさせるには早いと、ドランは考えている。

アランはまだ若い。せめてもう10年、事務は自らの手で行いたかった。


しかし自分自身の衰えもまた明白だった。もう、舵をとれる年齢ではなくなっていた。



「いいじゃねぇですか、会長。俺らもいることですし。立派なもんですぜ?アラン坊ちゃんも」


その夜、酒の席で、一人の船乗りが言った。

数人の船乗り達がその男に同意する。


ドランはジョッキを机において、鼻で笑った。


「お前ら、この老いぼれが相当嫌とみえる」


そんなドランの憎まれ口も、船乗り達は慣れたように笑い飛ばす。


「んなこたぁねぇですけど。坊っちゃんの腕は、相当のもんですぜ」


それはドラン自身も感じていた。アランの運んだ荷に、破損などの苦情が入ったことは一度もない。

おまけに(かお)がいいため、商人やたまに関わる貴族連中へのウケも良かった。


「しかしなぁ」


ドランは眉根を寄せて、奥の机を見る。

早々に酒に酔いつぶれたアランが、机に突っ伏していた。


「酒と賭け事の弱え男に、海の男が務まるかねぇ」


ちげえねぇ、と船乗りたちは笑った。




いつもと変わらない航海日和。

その一報は来た。


大手商会の貿易船が、3艘行方不明になったと。

なんでもアルチェアリへの大事な品物をのせていたそうで、その商会は取り潰された。

他の商会に頼もうにも、どこも急な内海の異変と、失敗した際の取り潰しを恐れて引き受けようとしなかった。


「それで、こんな小せえ商会にまで依頼が回ってきたわけだ」


商会の執務室、といっても会長用の机と椅子があるだけの小部屋に、ドランと熟練の船員達、そしてアランがいた。


内海(アルセパリア)の様子は?」


ドランの問に、一人の船員が答える。


「不気味なほど静かでさァ。でけぇ商会の船が難破しちまうとは、到底思えねぇ」


「こうしてる間にも、他の商会に先をこされちまうかもしれねぇです」


「だが、なんとも…」


他の船員達の言葉に、ドランは唸った。

この小さな商会が、貴族連中に知られるために、これはまたとない機会だ。


ただ、相手は大貴族。難破するどころか、商品に傷でもつければ、商会全員の首が飛びかねない。

加えて、一斉に途絶えた隣国からの定期船や、アルセパリアの異様な静けさに、船乗り達の勘が警鐘を鳴らしていた。


一瞬の沈黙の後、アランが口を開いた。


「オレが行く」


「馬鹿が。行くとしても航路の安全を確認してからだ。海に絶対は無い」


ドランの鋭い視線にも物怖じせず、アランは睨み返す。


「んな悠長なことする時間ねぇだろ。相手は貴族だ。あいつらが船乗りの事情なんざ汲まねぇこと、親父が一番わかってんだろ」


「それはそうだが、」


「なら決まりだな」


アランは踵を返し、部屋を出ていこうとする。


「おい待てアラン」


椅子から立ち上がり、息子を止めようとするドランに対し、アランは乱暴に言い伏せた。


「無事に荷物届けて、オレが商会の頭にふさわしいって証明してやるよ」


乱暴にドアを閉め、その足音が遠のく。

ドランは椅子に座り、深い溜息をついた。


「あんのボンクラ息子が…」


「まあまあ、ドランさん」


船乗りが苦笑して言う。


「坊っちゃんも早く認めてほしいんじゃねぇですか。俺はもう一人前だって」


「俺達もついていきやすから、そう心配せんでも」


もとより、弱小商会が大貴族の依頼をすげすげと断れるはずもない。

ドランは渋々、依頼をアランに託した。


その日は南南西の風。天気は快晴。

いつも通り、アルセパリアは穏やかだった。

少なくとも、このときはまだ、沖での海魔は確認されていなかった。


バローニオ商会で一等立派な商船に、積み荷が次々と運ばれていく。

なにぶん大きな船だから、商会の乗組員のほとんどが乗り込むことになった。


心配しすぎだと、船乗りたちは言った。

アランとはあれ以来、まともに話していなかった。



威勢のいい船乗りたちの掛け声と共に、船は港を離れていく。


その姿が水平線に消えるまで、ドランは船を見つめていた。

胸の奥につっかえた焦燥が、自らの杞憂であることを祈りながら。











3日で戻るはずの船は、一週間経っても戻っては来なかった。


今日もまた、貴族からの催促状が来た。

今日の正午で、見切りをつけると。


ドランは残ったわずかな船乗りと、船乗りの家族達を先に逃がした。

しばらくは暮らしていけるよう、十分な賃金を持たせて。



がらんとした執務室に、上等な服を着た男たちが入って来る。

商会は、あっけなく取り潰された。



本来であれば、ドランは死刑、良くても投獄されていたはずだった。

北東端への左遷と、商会の取り潰しだけで済んだのは、バローニオ商会と関わりのあった商人や貴族が多くいたからであった。



それから二月も後だった。かわらぬ海の異変に、国が動いたのは。






昔、外海側に港を作ろうとする計画があった。

北東端の丘に建てられた小屋は、その名残である。


海流による漂流物からくる海魔の多さに、その計画は頓挫したまま、まともな人間の居住するような土地ではなくなった。


今もその浜には、沢山の漂流物が流れ着いている。

その殆どは、荒れ始めた内海にのまれたものだった。



海に生きる者は、海に散るのが本懐

あいつらだって、きっと本望だ


そう無理矢理納得しようとした。


……それでも、この散り方はきっと正しくない。

どうしてもそう思ってしまう。


せめて、船の破片だけでも見つけて、聖地に祈りを捧げてやりたかった。


昔から聞いていた、打ち捨てられた浜辺。

予想以上の地獄絵図。


潮風と腐臭にまみれて、今日も老人はスコップを握る。

老人一人には、あまりにも重い罰であった。


それでも、老人は泣き言一つ漏らさない。


なぜあの時、もっと強く止めなかった?

なぜ、商会よりお前の命の方が大切だと言わなかった?


後悔してももう遅い。もうただ一人の息子と、大切な商会の仲間は帰っては来ない。

いっそのこと、死刑になっていた方がマシだった。



来る日も来る日も、仕事をしながら仲間たちを探す。

新しい死体や残骸は上がってくるというのに、今日もまた、見つからない。



天気は憎らしいほどの快晴。

今日もまた、スコップを握る。


そんな日だった。

五体満足、綺麗な死体があったのは。



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