ドランという男
◇
燃えるような西日と、それを移した茜色の内海を背に、船乗り達がこちらに向けて手を振っている。
それに応えながら、バローニオ商会会長、ドランヴァーレは満足げに港を見渡した。
商会といっても、他の大きな商会に比べればなんてことない規模だったが、確実な仕事と人当たりの良い商会の人間達は、商人達から厚い信頼を得ていた。
拠点を首都に移して早数年、田舎の地方商会と馬鹿にされることもほとんど無くなった。
今日もアルセパリアは静かに凪いでいる。
「親父ぃ」
男の声に、ドランは振り向く。
そこには、体格の良い若い男が立っていた。
彫りが深く男らしい、日に焼けた顔でにっと笑う。
「どーした、馬鹿息子。ハデに紅葉跡なんぞつけて」
「酒場のねーちゃんにフラれた。この髪色が嫌なんだと」
淡い髪色の多いルディアノで、ドランの倅、アランの茶髪は確かに珍しかった。妻がアルチェアリの人間であるからだと、ドランは勝手に考えていた。
「はっ、単にてめぇの素行が悪いからだろ。そのまんまじゃあ、当分商会は継がせれんな」
「クソ親父が」
「言ってろクソガキ」
「もうガキじゃねえわ!」
アランは数えで20になる。航海に出始めて、ようやく10年が経とうとしていた。
ここ最近、ドラン自ら海に出ることは殆ど無くなった。
代わりにアランが船員達を率い、実務を担っている。
それでもまだ、商会を継がさせるには早いと、ドランは考えている。
アランはまだ若い。せめてもう10年、事務は自らの手で行いたかった。
しかし自分自身の衰えもまた明白だった。もう、舵をとれる年齢ではなくなっていた。
「いいじゃねぇですか、会長。俺らもいることですし。立派なもんですぜ?アラン坊ちゃんも」
その夜、酒の席で、一人の船乗りが言った。
数人の船乗り達がその男に同意する。
ドランはジョッキを机において、鼻で笑った。
「お前ら、この老いぼれが相当嫌とみえる」
そんなドランの憎まれ口も、船乗り達は慣れたように笑い飛ばす。
「んなこたぁねぇですけど。坊っちゃんの腕は、相当のもんですぜ」
それはドラン自身も感じていた。アランの運んだ荷に、破損などの苦情が入ったことは一度もない。
おまけに面がいいため、商人やたまに関わる貴族連中へのウケも良かった。
「しかしなぁ」
ドランは眉根を寄せて、奥の机を見る。
早々に酒に酔いつぶれたアランが、机に突っ伏していた。
「酒と賭け事の弱え男に、海の男が務まるかねぇ」
ちげえねぇ、と船乗りたちは笑った。
◇
いつもと変わらない航海日和。
その一報は来た。
大手商会の貿易船が、3艘行方不明になったと。
なんでもアルチェアリへの大事な品物をのせていたそうで、その商会は取り潰された。
他の商会に頼もうにも、どこも急な内海の異変と、失敗した際の取り潰しを恐れて引き受けようとしなかった。
「それで、こんな小せえ商会にまで依頼が回ってきたわけだ」
商会の執務室、といっても会長用の机と椅子があるだけの小部屋に、ドランと熟練の船員達、そしてアランがいた。
「内海の様子は?」
ドランの問に、一人の船員が答える。
「不気味なほど静かでさァ。でけぇ商会の船が難破しちまうとは、到底思えねぇ」
「こうしてる間にも、他の商会に先をこされちまうかもしれねぇです」
「だが、なんとも…」
他の船員達の言葉に、ドランは唸った。
この小さな商会が、貴族連中に知られるために、これはまたとない機会だ。
ただ、相手は大貴族。難破するどころか、商品に傷でもつければ、商会全員の首が飛びかねない。
加えて、一斉に途絶えた隣国からの定期船や、アルセパリアの異様な静けさに、船乗り達の勘が警鐘を鳴らしていた。
一瞬の沈黙の後、アランが口を開いた。
「オレが行く」
「馬鹿が。行くとしても航路の安全を確認してからだ。海に絶対は無い」
ドランの鋭い視線にも物怖じせず、アランは睨み返す。
「んな悠長なことする時間ねぇだろ。相手は貴族だ。あいつらが船乗りの事情なんざ汲まねぇこと、親父が一番わかってんだろ」
「それはそうだが、」
「なら決まりだな」
アランは踵を返し、部屋を出ていこうとする。
「おい待てアラン」
椅子から立ち上がり、息子を止めようとするドランに対し、アランは乱暴に言い伏せた。
「無事に荷物届けて、オレが商会の頭にふさわしいって証明してやるよ」
乱暴にドアを閉め、その足音が遠のく。
ドランは椅子に座り、深い溜息をついた。
「あんのボンクラ息子が…」
「まあまあ、ドランさん」
船乗りが苦笑して言う。
「坊っちゃんも早く認めてほしいんじゃねぇですか。俺はもう一人前だって」
「俺達もついていきやすから、そう心配せんでも」
もとより、弱小商会が大貴族の依頼をすげすげと断れるはずもない。
ドランは渋々、依頼をアランに託した。
その日は南南西の風。天気は快晴。
いつも通り、アルセパリアは穏やかだった。
少なくとも、このときはまだ、沖での海魔は確認されていなかった。
バローニオ商会で一等立派な商船に、積み荷が次々と運ばれていく。
なにぶん大きな船だから、商会の乗組員のほとんどが乗り込むことになった。
心配しすぎだと、船乗りたちは言った。
アランとはあれ以来、まともに話していなかった。
威勢のいい船乗りたちの掛け声と共に、船は港を離れていく。
その姿が水平線に消えるまで、ドランは船を見つめていた。
胸の奥につっかえた焦燥が、自らの杞憂であることを祈りながら。
◆
3日で戻るはずの船は、一週間経っても戻っては来なかった。
今日もまた、貴族からの催促状が来た。
今日の正午で、見切りをつけると。
ドランは残ったわずかな船乗りと、船乗りの家族達を先に逃がした。
しばらくは暮らしていけるよう、十分な賃金を持たせて。
がらんとした執務室に、上等な服を着た男たちが入って来る。
商会は、あっけなく取り潰された。
本来であれば、ドランは死刑、良くても投獄されていたはずだった。
北東端への左遷と、商会の取り潰しだけで済んだのは、バローニオ商会と関わりのあった商人や貴族が多くいたからであった。
それから二月も後だった。かわらぬ海の異変に、国が動いたのは。
◇
昔、外海側に港を作ろうとする計画があった。
北東端の丘に建てられた小屋は、その名残である。
海流による漂流物からくる海魔の多さに、その計画は頓挫したまま、まともな人間の居住するような土地ではなくなった。
今もその浜には、沢山の漂流物が流れ着いている。
その殆どは、荒れ始めた内海にのまれたものだった。
海に生きる者は、海に散るのが本懐
あいつらだって、きっと本望だ
そう無理矢理納得しようとした。
……それでも、この散り方はきっと正しくない。
どうしてもそう思ってしまう。
せめて、船の破片だけでも見つけて、聖地に祈りを捧げてやりたかった。
昔から聞いていた、打ち捨てられた浜辺。
予想以上の地獄絵図。
潮風と腐臭にまみれて、今日も老人はスコップを握る。
老人一人には、あまりにも重い罰であった。
それでも、老人は泣き言一つ漏らさない。
なぜあの時、もっと強く止めなかった?
なぜ、商会よりお前の命の方が大切だと言わなかった?
後悔してももう遅い。もうただ一人の息子と、大切な商会の仲間は帰っては来ない。
いっそのこと、死刑になっていた方がマシだった。
来る日も来る日も、仕事をしながら仲間たちを探す。
新しい死体や残骸は上がってくるというのに、今日もまた、見つからない。
天気は憎らしいほどの快晴。
今日もまた、スコップを握る。
そんな日だった。
五体満足、綺麗な死体があったのは。




