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橘とアルチェアリ  作者: 御社こはく
序章:ルディアノ辺境
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0-4 旅立ち



それは二人が街へ赴く、数日前のことだった。


浜辺から小屋に戻ってきた青年の手には、普段携帯させていたものとは別の一振りの剣が握られていた。


切れたベルトのぶら下がった黒塗りの鞘に収められたその剣は、見事な黒鋼のロングソードだが、長い間海水にさらされたのであろう、刃毀れし、柄の部分は酷く傷んでいる。

このまま無理にでも扱えば、数振りもしないうちに壊れてしまうだろう。


「何か、思い出した気がした。何か聞こえた気がした」


いつもより少しだけ力の籠もった声で、リデオはそう言った。

お前さんのか、と聞くとやはり判らないという答えが帰ってくる。


このままでは埒が明かないと、その黒剣はドランが預かり、そのまま壁に立てかけられていた。







「ほらよ」


ドランから受け取った黒剣の剣身は、つややかに輝いている。傷んだ箇所は綺麗に直され、装備するためのベルトは新しいものに取り替えられていた。


「行儀の悪い街でも、ウデの良い職人てのはいるもんだ。どうだ、なにか思い出したか?」


「なに…も。でも」


青年の、目覚めたときからずっと纏っていた刺すような緊張が、わずかに緩んだ気がした。


「........有難う」


その顔は依然無表情なままだが、ドランには青年が、いくらか年相応に見えた。

似ても似つかない、それなのにその脳裏には、絶海(アルセパリア)に消えた息子と、家族に等しい仲間たちが浮かんでいた。








黒剣を手にしてからのリデオの動きは、なお一層洗練されていた。


黒剣も、まるでリデオ専用に誂えたかのようにぴったりで、もともとこの青年の持ち物であった事などは、想像に難くない。


物凄い巡り合いだと、老人は思う。

それと同時に、もし本当にあの剣がリデオの持ち物なのであれば、リデオの素性もある程度絞れるのではないか、と。


あれから青年が思い出せたのは「黒の牙(タスクガロウ)」という黒剣の名前だけだった。獣人(ザーク)との混血の彼にとって、まさにお誂え向きの名前である。


「…だがなぁ」


いくら貿易の仕事をしていたからといって、ドランは隣国の人物に詳しいわけではなかった。仕事の中で、眉唾な噂を聞くことは幾度となくあったが、混血の剣士など聞いたこともない。


ここから先は、完全に"情報屋"の領分だ。


一人思案するドランをよそに、当の本人は壁に貼られた海図を眺めていた。


「お前、まだアルセパリアを渡るつもりでいるのか?」


ドランが睨むと、リデオは視線をそらした。

物静かである癖に、こいつは意外と頑固なところがある、とドランは思っている。

虚空を見つめながら、リデオは言った。


「…いつまでも世話になるわけにはいかない」


「俺だっていつまでも居候させるほどお人好しじゃねぇよ」


それなら、と言うリデオを押し留め、ドラン立ち上がり海図をなぞった。


「アルセパリア以外の内海はまだ通れる。海魔の話も聞かねぇ。どーしてもアルチェアリに行きてぇんなら、遠回りするこった」


南東のルディアーナ大陸から、南のアグニア大陸へ。そして西のフィールロッタ大陸、北の盤ノ島を経由してアルディニア大陸へ。

西廻りを行くとすれば、途方もない長旅になる。


リデオ自身にも、アルセパリア海を無事に渡れる自信はなかったようだった。ルディアノ大公から直々に探索を仰せつかった先遣隊でさえ、今朝、浜辺に残骸が見つかったのだから。


加えて、浜辺に上陸する海魔は、明らかに多く強くなっている。

ここ最近、外海側から移り住む者が後を絶たなかった。


「……。わかった、西廻りで行く」


「そうするこった」




その夜、リデオは屋根裏の寝台の上で、淡く琥珀色に輝く耳飾りを見つめていた。


目覚めた日に聞こえた、自らを呼ぶ声。

その奥に、ぼんやりとした人影が浮かぶ。


しかし、その輪郭をあらわにする前に、人影は黒く煙をまいて消えてしまうのだった。


リデオは瞳を閉じる。眠りにつくことは無いが、疲労は幾分かマシになる。


無駄な思考に、無理矢理ケリをつける。

思い出したくないと叫ぶ声があることに、気付かないふりをして。





「なかなか似合ってんな」


丈夫な旅人の服と外套に身をつつんだリデオを見て、ドランは満足げに頷いた。この装備一式は、オーレンに行ったときにドランが見繕ってきたものだった。


小屋の入り口で手袋をはめているリデオに、ドランは言う。


「オーレンへ行ったら、"ユーリ"という情報屋をさがせ。ちょうど今あの街にいる。お前の身の上も、あいつなら大丈夫だろう。ドランヴァーレ・バローニオの名前を出しゃあ協力してくれるはずだ」


そう言って、ドランはリデオに、路銀にしろと小さな革袋を差し出した。

中には大陸銀貨数枚と、銅貨が入っている。

その革袋を、リデオはなかなか受け取ろうとしなかった。


「どうして」


「あ?」


「この装備といい、路銀といい、どうしてここまでしてくれる?魔物を倒すのだって、剣の修理分程度にしかならないだろう」


いつもと変わらない声色の裏から、遠慮と疑問が僅かに顔を出している。

ドランはぶっきらぼうに言った。


「別にただの気まぐれだ。ガキが細けえこと気にすんな」


「......子供と言われるような歳では、」


ささやかながら反論するリデオに、16、7なんてまだまだ青いわ、とドランは無理やり革袋を握らせた。


「無闇に顔を晒すなよ。混血であることは極力隠せ、記憶喪失のこともな。お前は腕が立つから、足りなくなった路銀は酒場で依頼をこなして稼げ」


いいな、と念を押すドランに、リデオは素直に頷いた。


「有難う、本当に。この礼はいつか必ず」


「はっ、また来られても迷惑だ。さっさと行け」


追い払うような仕草をして、老人はそそくさと小屋の中に入ってしまった。


リデオは小屋に背を向けて歩き出す。

丘を降り、立ち止まってドランのいる小屋を見つめ、また歩を進める。


快晴の空。海風が強い。

アルセパリアは、今日も恐ろしい程に凪いでいる。


この先待ち受ける苦難を確かに予感しながら、一人の剣士の冒険が始まった。

追憶と贖罪の冒険譚、始まります。

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