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橘とアルチェアリ  作者: 御社こはく
序章:ルディアノ辺境
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2/7

0-1 混血の青年


瞼が重い。ひたすらに。

眉間に力を入れて、諦めてを繰り返し、青年はようやく目を開ける。

気を抜けば、また落ちてしまいそうだった。


真っ先に目に入ったのは、古びた木目の天井。

わずかに首を動かし、部屋全体を探ろうとする。


白い土壁の部屋だった。

自らの横たわるベッドと、イスと、花瓶の置かれた小さな机。

花瓶の中には枯れた花が力なく差さっていた。


殺風景だが、人のいた気配がする。

おそらくそれは、この部屋の主。


青年の「耳」は音をよく捉えた。

____人の近づいてくる音がする。


この身体は今、首を動かすのでも精一杯。しかし無理矢理にでも体を起こし、身構えようとする。

たとえ自らを介抱してくれた人物であろうとも、何もわからないこの状況は、いたずらに青年を緊張させた。


ドアノブが動き、蝶番が軋む。


部屋に入ってきたのは鋭い瞳の老人だった。

目元の皺は深いが、その背はしゃんと伸びている。

そしてその手には、大きなスコップ。


体が強張る。今は身を起こすのでやっとだ。動くことなど到底できない。


一歩、男は近づく。


青年は手に力を込める。

空いたままの扉から、なんとかして外に出よう。


また一歩。


青年は動きそうも無い足に力を込める。


その時、初老の男はため息をついた。

青年の()が、びくりと立つ。


「そんなに警戒しねぇでも、取って食ったりなんぞせんわ。それよりお前さん、まだ起き上がるんじゃぁねぇ。傷が開いちまうだろが」


思えば手も足も、身体のそこかしこが痛い。

少しだけ緊張が緩んだと思えば、体を支える事もできず、ベッドに倒れ込む。


「言わんこっちゃねぇな。目ぇ覚めただけでも驚きなんだ。大人しく寝とけ」


そうして老人は踵をかえした。

木製の扉が閉まる。

再びの静寂に、青年の意識は沈んでいった。





どれくらい時間が経っただろう。

幾日かは経った気がする。


なんとか、身を起こせるようになった。

部屋の椅子に初老の男が座る。その肢体は痩せていた。


「それで、お前は何モンだ。どこから来た」


自らの紹介もせず、こちらに視線もよこさず、老人はぶっきらぼうに問うた。


「何者…?」


発された自らの声は、掠れてはいたが想像よりずっと若い。

質問の意図が分からない、とでも言うように青年は僅かに眉根を寄せた。

老人はため息をつく。


獣人族(ザーク)人間(ノーマン)の混血なんぞ、俺は生まれて初めて見たがな」


「ザーク..ノーマン…?」


青年の声は揺れている。その言葉の意味が、本当に分からなかったからだ。


ふと、ベッドのすぐ横の窓を見る。

くぐもった鏡窓は、その姿をよく映す。


そこに映るのは、16.17程に見える青年だった。薄茶とも黄金ともとれる瞳は、暗く淀んでいる。

肩下まで伸びた茶髪は、海水に晒されたからか大分傷んでいた。


見慣れているはずの、しかしどこか新鮮なその姿に、特段違和感は感じない。

しかしふと、自分より奥に映る老人を見て何かが引っ掛かった。


自分の頭には犬の様な、はたまた狐の様な耳がついているが、老人には無い。


「…が…ちがう」


喉が掠れて、うまく声が出ない。


「よーやっとアタマがはっきりしてきたじゃねぇか。」


それでも言いたい事は伝わったようだった。

老人は自らの”頭の横についている”耳をつまんだ。


「ついで言やぁ、お前さんには獣人(ザーク)のだけじゃなく、人間(ノーマン)の耳もついていやがる。尾っぽも無ぇようだしな」


そんな存在がいたとはな、と老人は頭を掻いた。


「…そんなに、珍しい事なのか?」


「そりゃあな。異種族との混血なんて、少なくとも俺は見たことが無い。過去にゃあ幾度も大きな争いがおきているし、俺らにとっちゃ魔物よかよっぽど恐ろしい化物だよ」


本人を目の前にして、老人は全く遠慮がなかった。


___ふと、青年は自分の左手が何かを握りしめているという事に気がつく。


《《それ》》は、片側だけの、琥珀の耳飾り。

手の中で転がる角雫のそれは、鈍く光っている。




『………リデオ』


泣きたくなるほど優しく愛おしいその声が、青年の頭にじわりと溶ける。

それはぼやけた、しかし確かな記憶。大切な人の存在が、頭の中に確かに在った。


落ちた雫の、波紋の僅かな揺れはどんどん大きくなっていく。


「あ…」


「それだけは絶対に離そうとしなかったな。…..どうした、何か気が付いたか」


しかし返答はない。老人はため息をつき、そしてゆっくりと立ち上がった。


「まあ、ひでぇ怪我だったんだ。たまたま俺が人嫌いの変人でよかったな。名前も言えねぇか」


暫くの沈黙の後、青年は口を開いた。


「……リデオ」


青年は、この名前にだけは確信が持てた。

老人は少し意外そうな顔をした。そして言う。


「リデオ、ね。厄介事はごめんだが、拾っちまった縁だ。しばらくおいてやる」


そうして老人はスコップを手に部屋を出る。

すぐにリデオもベッドを降り追いかけようとする、が、なぜだか足に力が入らない。立ち上がることさえままならない。

 

行かなければならないのに。


どこに?


判らない。


その場にへたり込んだまま、訳も分からず呻き声が漏れる。

無意識に左手の中の耳飾りを強く握る。

少なくとも、これが大切なものである事は間違い無かった。







それから数日、リデオの体は少しずつ力を取り戻していき、ある程度動けるまでに回復した。

老人によれば、ここは”ルディアーナ”という大陸の北東端で、西に進み続ければ、ルディアノという公国があるらしい。


老人の名はドラン。

この山小屋の見張り番だという。


見張り小屋は他より一段高い大地にあり、周りは柵で覆われている。

梯子を登ると、アルセパリア海がよく見えた。


降りてこい、というドランの声を、リデオの獣耳は捉えた。人間(ノーマン)のほうの左耳に、琥珀の耳飾りが光る。海風に、後ろで括った茶髪が踊った。


梯子に足をかけ、一気に飛び降りる。高所からの着地も、青年は全く意に介さない。


「…そんだけ動けるんなら、もう体は大丈夫だろう。手伝ってもらいてぇことがある。ついてこい」


青年は素直に頷いた。


老人に続き、台地を降りる。

ドランがここ数日で分かったことは、この青年が普通では無い事。

見た目からわかっていたはずだったのだが、やはり驚かされた。


見つけた時は裂傷が酷く、右足も取れかかっていた。何箇所か骨折もしていた。

応急処置はしたが、目覚める見込みは無いように思えた。普通の人なら即死の怪我、長く苦しませるより、いっそ楽にしてやった方がいいのかとさえ考えた。


最初の一週間、青年は生死を彷徨っていた。

しかしそこからことんと眠りに落ち、食事も取らぬまま数週間後、目を覚ました。


そしてそこからさらに数日。

歩けるまでに回復したリデオに、畑仕事について教えようとしていた時の話だ。


ふらりとリデオが一步、森に近づく。

続いて鼻を覆いたくなるような腐臭。

リデオの視線の先には、魔物がいた。


正確には、魔物に乗っ取られた山鹿だ。瞳は赤黒く、背には泥状のなにかがこびりついている。うごめくそれが、魔物の正体である。


しまったと思いドランが護身用のナイフを手にした時、突風に思わず目を瞑る。目を開けた時既に戦いは終わっていた。


首を一突き、霧散していく魔物。取り憑かれていた山鹿は力なく倒れ、瞬く間に腐っていった。

その中央に、農業用の小さな杭を持ったリデオが立っていた。


きょとんとした顔でこちらを見るリデオに、老人はひやりとしたものを感じたのを覚えている。

どこでその技を身につけたのか、どこ出身なのか聞いても、判らないという答えが返ってくるばかりだった。



「本当に、厄介な拾い物をしちまった…」


後ろをついてくる青年は、この言葉が聞こえているのかいないのか、目覚めて以来ずっと虚ろな目をしている。



その日老人が向かったのは、アルセパリア海に面する砂浜だった。

今日も沢山の瓦礫と何かの肉片が散らばっている。リデオは僅かに眉根を寄せた。


「"あの日”以来、荒れ知らずのこの海に、凶悪な海魔が棲み着く様になっちまった。無理矢理にでも通ろうとすりゃあ、こうなる」


そうして老人は足元の”何か”をスコップでつついた。


「…人の破片」


なんともなしに言うこの青年は、やはり相当()()()()()。常人なら吐いてもおかしくは無いというのに。

まあ、慣れているに越した事はないか、と老人は深く考えるのをやめた。


「海魔の遊び残しだな。これを全部集めて高台の崖から棄てる。これが1番大事な仕事だ」


青年は頷いた。

何の質問も疑問も口に出さず、青年は黙々と肉片をスコップで集めていく。死体と呼ぶには小さすぎるソレは、相も変わらず酷い悪臭を放っている。

獣人(ザーク)の血が混じっているなら相当鼻も効くだろうに、青年は不満の一つも漏らさなかった。


静かに見える海のどこかで、また悲鳴が聞こえた気がした。

明日もまた新しい死骸が上がってくるだろう。


「お前はなんで、生きていたのかねぇ」


ドランの呟きは、アルセパリアの細波に消えていった。

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