0-1 混血の青年
瞼が重い。ひたすらに。
眉間に力を入れて、諦めてを繰り返し、青年はようやく目を開ける。
気を抜けば、また落ちてしまいそうだった。
真っ先に目に入ったのは、古びた木目の天井。
わずかに首を動かし、部屋全体を探ろうとする。
白い土壁の部屋だった。
自らの横たわるベッドと、イスと、花瓶の置かれた小さな机。
花瓶の中には枯れた花が力なく差さっていた。
殺風景だが、人のいた気配がする。
おそらくそれは、この部屋の主。
青年の「耳」は音をよく捉えた。
____人の近づいてくる音がする。
この身体は今、首を動かすのでも精一杯。しかし無理矢理にでも体を起こし、身構えようとする。
たとえ自らを介抱してくれた人物であろうとも、何もわからないこの状況は、いたずらに青年を緊張させた。
ドアノブが動き、蝶番が軋む。
部屋に入ってきたのは鋭い瞳の老人だった。
目元の皺は深いが、その背はしゃんと伸びている。
そしてその手には、大きなスコップ。
体が強張る。今は身を起こすのでやっとだ。動くことなど到底できない。
一歩、男は近づく。
青年は手に力を込める。
空いたままの扉から、なんとかして外に出よう。
また一歩。
青年は動きそうも無い足に力を込める。
その時、初老の男はため息をついた。
青年の耳が、びくりと立つ。
「そんなに警戒しねぇでも、取って食ったりなんぞせんわ。それよりお前さん、まだ起き上がるんじゃぁねぇ。傷が開いちまうだろが」
思えば手も足も、身体のそこかしこが痛い。
少しだけ緊張が緩んだと思えば、体を支える事もできず、ベッドに倒れ込む。
「言わんこっちゃねぇな。目ぇ覚めただけでも驚きなんだ。大人しく寝とけ」
そうして老人は踵をかえした。
木製の扉が閉まる。
再びの静寂に、青年の意識は沈んでいった。
◇
どれくらい時間が経っただろう。
幾日かは経った気がする。
なんとか、身を起こせるようになった。
部屋の椅子に初老の男が座る。その肢体は痩せていた。
「それで、お前は何モンだ。どこから来た」
自らの紹介もせず、こちらに視線もよこさず、老人はぶっきらぼうに問うた。
「何者…?」
発された自らの声は、掠れてはいたが想像よりずっと若い。
質問の意図が分からない、とでも言うように青年は僅かに眉根を寄せた。
老人はため息をつく。
「獣人族と人間の混血なんぞ、俺は生まれて初めて見たがな」
「ザーク..ノーマン…?」
青年の声は揺れている。その言葉の意味が、本当に分からなかったからだ。
ふと、ベッドのすぐ横の窓を見る。
くぐもった鏡窓は、その姿をよく映す。
そこに映るのは、16.17程に見える青年だった。薄茶とも黄金ともとれる瞳は、暗く淀んでいる。
肩下まで伸びた茶髪は、海水に晒されたからか大分傷んでいた。
見慣れているはずの、しかしどこか新鮮なその姿に、特段違和感は感じない。
しかしふと、自分より奥に映る老人を見て何かが引っ掛かった。
自分の頭には犬の様な、はたまた狐の様な耳がついているが、老人には無い。
「…が…ちがう」
喉が掠れて、うまく声が出ない。
「よーやっとアタマがはっきりしてきたじゃねぇか。」
それでも言いたい事は伝わったようだった。
老人は自らの”頭の横についている”耳をつまんだ。
「ついで言やぁ、お前さんには獣人のだけじゃなく、人間の耳もついていやがる。尾っぽも無ぇようだしな」
そんな存在がいたとはな、と老人は頭を掻いた。
「…そんなに、珍しい事なのか?」
「そりゃあな。異種族との混血なんて、少なくとも俺は見たことが無い。過去にゃあ幾度も大きな争いがおきているし、俺らにとっちゃ魔物よかよっぽど恐ろしい化物だよ」
本人を目の前にして、老人は全く遠慮がなかった。
___ふと、青年は自分の左手が何かを握りしめているという事に気がつく。
《《それ》》は、片側だけの、琥珀の耳飾り。
手の中で転がる角雫のそれは、鈍く光っている。
『………リデオ』
泣きたくなるほど優しく愛おしいその声が、青年の頭にじわりと溶ける。
それはぼやけた、しかし確かな記憶。大切な人の存在が、頭の中に確かに在った。
落ちた雫の、波紋の僅かな揺れはどんどん大きくなっていく。
「あ…」
「それだけは絶対に離そうとしなかったな。…..どうした、何か気が付いたか」
しかし返答はない。老人はため息をつき、そしてゆっくりと立ち上がった。
「まあ、ひでぇ怪我だったんだ。たまたま俺が人嫌いの変人でよかったな。名前も言えねぇか」
暫くの沈黙の後、青年は口を開いた。
「……リデオ」
青年は、この名前にだけは確信が持てた。
老人は少し意外そうな顔をした。そして言う。
「リデオ、ね。厄介事はごめんだが、拾っちまった縁だ。しばらくおいてやる」
そうして老人はスコップを手に部屋を出る。
すぐにリデオもベッドを降り追いかけようとする、が、なぜだか足に力が入らない。立ち上がることさえままならない。
行かなければならないのに。
どこに?
判らない。
その場にへたり込んだまま、訳も分からず呻き声が漏れる。
無意識に左手の中の耳飾りを強く握る。
少なくとも、これが大切なものである事は間違い無かった。
◇
それから数日、リデオの体は少しずつ力を取り戻していき、ある程度動けるまでに回復した。
老人によれば、ここは”ルディアーナ”という大陸の北東端で、西に進み続ければ、ルディアノという公国があるらしい。
老人の名はドラン。
この山小屋の見張り番だという。
見張り小屋は他より一段高い大地にあり、周りは柵で覆われている。
梯子を登ると、アルセパリア海がよく見えた。
降りてこい、というドランの声を、リデオの獣耳は捉えた。人間のほうの左耳に、琥珀の耳飾りが光る。海風に、後ろで括った茶髪が踊った。
梯子に足をかけ、一気に飛び降りる。高所からの着地も、青年は全く意に介さない。
「…そんだけ動けるんなら、もう体は大丈夫だろう。手伝ってもらいてぇことがある。ついてこい」
青年は素直に頷いた。
老人に続き、台地を降りる。
ドランがここ数日で分かったことは、この青年が普通では無い事。
見た目からわかっていたはずだったのだが、やはり驚かされた。
見つけた時は裂傷が酷く、右足も取れかかっていた。何箇所か骨折もしていた。
応急処置はしたが、目覚める見込みは無いように思えた。普通の人なら即死の怪我、長く苦しませるより、いっそ楽にしてやった方がいいのかとさえ考えた。
最初の一週間、青年は生死を彷徨っていた。
しかしそこからことんと眠りに落ち、食事も取らぬまま数週間後、目を覚ました。
そしてそこからさらに数日。
歩けるまでに回復したリデオに、畑仕事について教えようとしていた時の話だ。
ふらりとリデオが一步、森に近づく。
続いて鼻を覆いたくなるような腐臭。
リデオの視線の先には、魔物がいた。
正確には、魔物に乗っ取られた山鹿だ。瞳は赤黒く、背には泥状のなにかがこびりついている。うごめくそれが、魔物の正体である。
しまったと思いドランが護身用のナイフを手にした時、突風に思わず目を瞑る。目を開けた時既に戦いは終わっていた。
首を一突き、霧散していく魔物。取り憑かれていた山鹿は力なく倒れ、瞬く間に腐っていった。
その中央に、農業用の小さな杭を持ったリデオが立っていた。
きょとんとした顔でこちらを見るリデオに、老人はひやりとしたものを感じたのを覚えている。
どこでその技を身につけたのか、どこ出身なのか聞いても、判らないという答えが返ってくるばかりだった。
「本当に、厄介な拾い物をしちまった…」
後ろをついてくる青年は、この言葉が聞こえているのかいないのか、目覚めて以来ずっと虚ろな目をしている。
その日老人が向かったのは、アルセパリア海に面する砂浜だった。
今日も沢山の瓦礫と何かの肉片が散らばっている。リデオは僅かに眉根を寄せた。
「"あの日”以来、荒れ知らずのこの海に、凶悪な海魔が棲み着く様になっちまった。無理矢理にでも通ろうとすりゃあ、こうなる」
そうして老人は足元の”何か”をスコップでつついた。
「…人の破片」
なんともなしに言うこの青年は、やはり相当慣れている。常人なら吐いてもおかしくは無いというのに。
まあ、慣れているに越した事はないか、と老人は深く考えるのをやめた。
「海魔の遊び残しだな。これを全部集めて高台の崖から棄てる。これが1番大事な仕事だ」
青年は頷いた。
何の質問も疑問も口に出さず、青年は黙々と肉片をスコップで集めていく。死体と呼ぶには小さすぎるソレは、相も変わらず酷い悪臭を放っている。
獣人の血が混じっているなら相当鼻も効くだろうに、青年は不満の一つも漏らさなかった。
静かに見える海のどこかで、また悲鳴が聞こえた気がした。
明日もまた新しい死骸が上がってくるだろう。
「お前はなんで、生きていたのかねぇ」
ドランの呟きは、アルセパリアの細波に消えていった。




